studio Odyssey



あとがき

 要するに、オナニーですよ、オナニー。

 ごめんなさい、平身低頭謝るので、殴るのだけはやめてくれなさい。

 さて、如何でしたでしょうか。『AIR - Across the Sea & Sky.』
 この作品はすでに「はじめに」のあたりでも触れているように、2001年にくずせんべいの方で発表された作品の、web版です。
 今回、web版の公開に伴い、このあとがきだけ、書き下ろしています。本編はまったく直していません。
 なので、ちょっと台詞とか、読みにくい箇所があると思います。本になっているバージョンでは、改行改ページの位置まで、すべて計算にいれてやってあるので、webのような改行位置が不明瞭になる媒体では、演出上、ちょっとおかしくなったりもしているのです。でも、出来る限り当時のままという事で、直してはいません。

 ともあれ、作品のお話をしましょうか。
 よもや、今更この話を読んでからゲームしよーと思う人はいないと思うので、ゲームのネタバレ、本作のネタバレを含みます。なので、これからーと言う人は、Indexに戻りやがれです。
 そしてゲームするという人はもうこないで!(そも、読まなくていいと思う)

 えー、「AIR」です。
 一世を風靡した、泣きゲーです。18歳未満はお断り版と全年齢版とがあると思いますが、この頃はまだ全年齢版は出てなかったと思います。あれ?出てたのかな?本を作ってる時は出てなかったのですが、配布した頃には出ていたんだっけか。まぁ、ともあれ、このお話は18歳未満はお断り版を元にして書きました。
 元にして書きましたと言っても、中身はキャラクターとプロットが一緒なだけで、ストーリーはオナニーですが。ああ、隙あらば書きますよ。カキますよ。何が?

 えと、ぶっちゃけ、AIRというゲームは結構好きです。
 keyの作品としては、前作のKanonもプレイしましたが、Kanonに比べると、AIRは非常に良くできたストーリーであったと思います。ただ、AIRは正直、AIR編は僕は好きではないのです。

 僕はゲームが好きですし、キャラクター商品とかも好きですし、フィギュアとかも集めてしまう人なのですが、そういう、「萌え」的要素と「シナリオ」とでは、まったく別の評価をするように心がけています。AIRは、前者の部分(あと、音楽も)は、非常に良いと思いました。でも、シナリオに関してはどうかなぁ…いや、本作を読んだ後の人は、別にお前だってたいしたことねーだろ、オナニーだろというと思うんですけどね。あ、隙があったので言いました。オナニー。

 なんだっけ?ああ、ラストの話だ。

 あの結末ですが、様々な解釈があると思うわけです。「家族」をテーマにしているのだとか、「母と娘」とテーマにしているのだとか、それはもう、たくさんの。それはそれでいいと思うのです。作品を読んで、何を感じるかは全て読み手に任せられています。なので、それはいいと思うのです。
 ですが、正直、僕、あれ、なんか投げっぱなしじゃね?と思っているのです。
 読みが浅いというんなら、それはそれで結構。オナニーですから。四回目くらい?

 この『Across the Sea & Sky.』を乗せた本には、ページ数の関係で書けなかったのですが、僕がこの物語を書いたいきさつというものを、ちょっとお話ししたいと思います。br />

 そもそも、このお話は「AIRで3冊作る」という話が来たときに、「それなら、俺のやりたいようにやってもいいか?」という事で書いたのです。やりたいように、というのがどういう物か、恐らくはわかっていなかったと思います。僕がやりたかった事というのは、パロディでもサイドストーリーでもなく、これです。オナニー。5回目?うん、要するに、ラストを変えてみたかったんです。

 当初の予定では、美凪編と佳乃編なんていうのも考えていて、この二人のDREAM編のストーリーを観鈴とSUMMER編絡めて展開し、最後にこの『Across the Sea & Sky.』に収束していくという形を取りたかったのですが、もちろん、そんな期間もありませんでしたし、ページ数もありませんでした。なので、この3冊のうちの最後の1冊に、『Across the Sea & Sky.』という形で、僕なりに書いてみた実験策がこれなのです。

 今となっては、この『Across the Sea & Sky.』は、とてもとても稚拙ですが、十分に僕のやりたかったことは表現出来ていると思います。
 なんと言われようと、僕はああいうエンディングは、好きじゃないのです。だって、今まで積み重ねてきた二部はなんだったの?なに?二部のラストでオナニーするため?あれ?これ6回目?

 えっと、ゲームは、DREAM編で3人のヒロインの物語を見ることが出来ます。
 この3人のヒロインの物語は、僕が受けた感じから言うと、ひとつの何かを中心にした、サイドストーリーであったように思いました。そしてそのひとつの何かは、SUMMER編で明かされます。そして、第2部が終了し、さあ、第3部、AIR編。第1部の物語のヒロインたちの中心にあった何かが、プレイヤーにも第2部で明かされ、どのような結末を向かえるのか!
 と、期待してAIR編に望んだのです。

 え?何、1部と2部、なくてもいいじゃん。つーか、2部、まったく意味なくね?

 それが僕のAIRに感じた第一印象でした。
 そんなことを言うと、ファンの方々から怒られることは百も承知ですし、じゃあ、お前のこれ何よって言われると、オナニーなんですが。なんか、どうにもこうにも邪推してしまいませんか?「これは、本当はやりたかったことがあったんだろうけど、発売日とか制作費とかの問題で、こうなってしまったのだろうなぁ」と。
 本当の所は知りません。「そうじゃない。これはものすごく深いテーマがあってだな」と語られてしまってもいいのですが、それはちょっと違うと思うのです。読み手がこねくり回して作品のテーマを作り出すというのは、そのテーマをうまく表現出来なかった、書き手の怠慢だと思うのです。まぁ、僕がいえたモノでもないですし、商業的には成功しているので、それはそれで、アリなんでしょうが。

 でもね、僕はAIRというゲームの第3部は、非常に、ただの後付けのようにしか思えてならないのです。

 実はそれが狙いなのだよと言われてしまうと、「すみません、つられました」というオチになってしまうのですが、そんなわけで、僕はAIRの第3部を、こうしてオナニーのオカズにしたわけですが、7回目なので、そろそろ自粛したいと思います。

 ファンの方々にして見れば、気持ち悪いことこの上ないでしょう。他人のオナニーを見せつけられているわけですから。でもね、AVと一緒で、ある程度はパッケージにはこだわったつもりです。このお話を作るのにあたって、僕はゲームを何度もやり直しましたし、その中に出てきた台詞や描写の多くを書き写したりもしました。(結局、本編そのものよりも、そっちのデータの方が大きいくらいです)

 やると決めた以上、これだけは譲れないラインでした。
 『Across the Sea & Sky.』では、重要な台詞や描写は、ゲーム内にあったのと同じものを、そのまま使っています。長台詞で言えば、森での海についての会話のシーンなんて、そのままごっそり持ってきています。(著作権的な問題は多分にありますが、copyrightにあるとおりに解釈してください)僕の勝手な妄言ですが、二次著作物をやるからには、これくらいのことはやってしかるべきだと思っています。作った人は、作った人の気持ちがあるわけで、それをこねくり回す以上…まぁ、なんかいいや。アレです。オナニーです。露出狂でごめんなさい。

 さて。
 では、最後にAIRをプレイした僕が、「あれ?」と思って、『Across the Sea & Sky.』で僕なりの解釈をして書いた事をいくつかお話して終わりにしましょう。

 そもそも謎なのですが、何故、AIR編には、美凪と佳乃が絡んで来なかったのでしょうか?
 この二人、どう考えても、翼の少女の物語の側面を語っているキャラクターだと思うのです。言うなければ、別の視点からこの物語を見ているというような…まぁ、そこはゲームなのでしょうがないんだーというとそれまでなのですけど…もしも原作のAIR編で二人が絡むというような事が起こっていれば、ストーリーは変わっていたかも知れないなぁと思い、『Across the Sea & Sky.』では絡ませています。ただ、原作には絡みがそもそもないので、突然で気持ちが悪いといえば、悪いです。まぁ、『Across the Sea & Sky.』で、美凪編と佳乃編を書いていない僕が悪いんですが。

 それから、これは記憶が定かでないので、間違ったことを言っているかもしれないのですが、観鈴の夢というのは、SUMMER編のものであるという明確な描写というのは、なかったと思うのですよね。まぁ、そうなんだろうなぁというような作りになってはいるのですが、『Across the Sea & Sky.』では、そうなのだとしました。それには、ちょっとした理由があって…往人の人形に繋がります。

 往人は何故、人形を動かすことが出来るのか。
 僕がAIRをプレイして一番の疑問に思ったことと、投げっぱなしジャーマンにされていることは、これだと思いました。
 ぶっちゃけ、往人が人形を動かせなくても、原作は成立すると思うのです。成立しない?そうかなぁ、正直、いらなくないですか?

 でも、往人は人形が動かせるのです。大前提に、それがあるのです。ならば、その理由を書かなければいけないと思うのです。『Across the Sea & Sky.』では、その理由を明確に描写しました。何故、最後にこの力だけが残ったのか、それもしっかりと書きました。
 あまり作品の中で描いていることをあとがきなどで書くことを僕はよしとしないのですが、往人が人形を動かせる理由は、「遥かな約束を守るために、受け継がれてきた力」としています。あの人形の中には、「時を越えて、叶わなかったいくつもの願い。籠められた、いくつもの心」があるのだとしています。「いつか誰かが、籠められた願いを」かなえるために、最後まで残された力だとしています。
 思うに、翼の少女を救おうと思ったのは、彼だけではなかったのだと思うのです。これは原作でも書かれています。ひとつの、ちょっと無理のある解釈として、彼の先祖がすべて女性であったという解釈も出来るのですが、それはちょっとあまりにもあまりにもなので、ここで明言する事は避けますが、千年の時を超えて、彼女を救おうとしてきた皆の心が、あの人形の中に込められているのだと、『Across the Sea & Sky.』では書いています。原作でも、そのような話はちらりと出ていたような記憶があります。
 そしてラストシーン、彼に残されたただひとつの力、ともすれば、彼を最後に消えてしまうかも知れない力に、すべての歴史を紡いできた旅人たちが集まり、翼の少女を救おうとするのです。
 僕はここに、1000th Summerというテーマを落とし込みました。

 AIRというこのゲームのストーリーは、壮大なものだと思います。
 原作では、どちらかというと、ハリウッド映画的なカタルシスを求めるような作りにはなっていません。そもそものコンセプトがそうなのであると言えばそれまでですが、ストーリーである以上、『Across the Sea & Sky.』では、そのようなカタルシスを前提として書いています。なので、物語のエンドはひとつの明確な終わりを書いています。もっとも、どちらがよいと言うことはありません。『Across the Sea & Sky.』のようなラストであったならば、AIRは今のように歴史に名を残すようなゲームにはならなかったでしょうし、ともすれば、原作にさまざまな部分で「あれ?」というような所があったからこそ、ここまでたくさんの人たちが二次著作物を作ってきたのかも知れません。
 そして多分に漏れず『Across the Sea & Sky.』も、そのようにして生まれたのです。

 僕はこのAIRというゲーム、結構好きです。

 ひとつの別のお話として『Across the Sea & Sky.』をお楽しみいただけたのならば、同じAIRファンとして、これ以上の喜びはないと、思っています。

2001/09/16 『くずせんべい ごま』収録
2005/02/15 web版公開によせて