じゃ、その日記の書き方。
小学校の1,2年の時、林先生という女の先生が、毎日僕らに日記を書いてくるようにと言っていたんですよ。
ですけど、当時の僕は非常に「文を書く」という作業がイヤでイヤで、大体、6年になっても「を」とか「は」とかを間違えていたくらいなもので、そのイヤさ加減と言ったら、相当な物だったですよ。
それがなーぜか、今じゃこんなにいろいろ書いているんですよねぇ。すっごく不思議。
ま、ともかくも、「日記」という物も書くのが嫌いだったんですよ。当時の僕は。
そんな僕に、林先生はよく言っていたんですね。(正確には、日記を毎日提出すると赤ペンでコメントが返って来るんですが、そのコメントのところで)「君の日記にはいつ、どこで、誰が、何をしたが書かれていない」って。
最も、当時の自分はそんなこと全然わかっちゃいなくて、相変わらずに自分にしか意味の通じない、支離滅裂な日記を書き続けていたんですね。
日記は、書いたときはいいんですよ。自分のことだから、自分は全部わかってる。けれど、それを読んでくれる人はどうでしょう?わかるわけがないんですよね、当たり前ですけど。
今、僕が自分の日記を見るじゃないですか。見るたびに、「林先生に悪いコトしたなぁ…」なんて苦笑しますよ。十数年前の自分のことだけれど、全然わからないんですもの。
ところが、時々この日記嫌いの僕の日記にも、長い奴が出て来るんですね。よほど書きたいことがいっぱいあったのか──と思うと、そうでもない。いつもの、くだらない日記。だけれど、どこかいつものと違う。
林先生は、簡単にそれを見破っていました。
そう、その日記には、ちゃんと「いつ、どこで、誰が、何をした」が書かれていたんですね。
簡単なことだけれど、見落としがち。簡単だからこそ、見落としがちな「いつ、どこで、誰が、何をした」
これがあるだけで、文は2倍の長さを持つようになるんですよ。
いつどこで誰が何をした?
たとえばこんな一文。
レーザーの話はよくわからない。
なんて一文があったとしましょう。 この文には「いつどこで〜」という物が含まれていません。じゃ、これに「いつどこで〜」を入れてみましょうか。前回の例文に使った状況と同じと考えると、
大学の講義の2限目、先生がレーザーの話をしているけれど、よくわからない。
と、書くことが出来ますね。
文が長くなったでしょ。こんな感じで書いていけばいいんです。そしてこうやって「いつどこで〜」を文に書き込んでいくことによって、自分の頭の中にもイメージがしっかりとできあがってくるでしょう?(こないと困っちゃいますが…こないときはもっと書き込んでいって下さい)そしたら、そのイメージの中で主人公はどうしましたか?寝ちゃう?友達と話し出す?机に落書きを始める?
こうして文はできあがっていくのです。
とりあえず日記を1週間分ほど、「いつどこで誰が何をした」に注意して書き付けてみましょう。書いたら、すぐに読み直したりはあんまりしない方がいいです。へたっちょなウチは、やる気なくすので。
とりあえずは、書き付けてしまえってコトで、今回は終わり。