studio Odyssey



冒険者の旅立ち。


 冒険者になりたかった。
 まだ、誰も見たことのないという、
 世界の果てを見てみたかった。
 その場所を目指す、
 冒険者になりたかった。

 ミドカルド大陸一の大都市、ルーンミドカツ王国の首都、プロンテラ。
 その街は、狭すぎた。

 青く広がる空の下、
 冒険者たちの大地、ミドカルドに、
 その街は狭すぎた。

 だから今──





     Ragnarok onBook







 少年はひとり、その大地を歩いていました。
 ミドカルド。
 神と人間、そして魔族が共存する世界。神秘の大陸──ミドカルドです。
 頭上には、青い空。
 どこまでもどこまでも続く青い空が、ミドカルド大陸の上に広がっていました。
 少年はそっと、青い春の空を見上げて笑います。
 午後の陽光を遮る、高い高い建物の影。
 彼はゆっくりと大きく息を吸い込むと、はき出す勢いとともに、ぐっとこぶしを握りしめて言いました。
「いくぜぁ!」
 建物の前にいた衛兵が、原色、蛍光色で書かれた派手な看板を掲げながら大声で叫んでいます。
「冒険者になりたい、初心者冒険者のみなさーん!初心者修練所の受付はこちらでーす!」
 少年はむんっと気合いを入れると、その場所へと向かって、ずんずんずんずんと歩いていきました。





      

 しまった…
 手にしたパンフレットを、ぎゅっと彼は握りしめました。
 真ん中は出口だったのか…
 まぶしさに、彼は目を細めます。階段の先は、不思議の町──もとい、外でした。
 初心者修練所のパンフレットに再び目を通します「えっと…受付して、講習受けて、カプラサービスの説明、基本マナー講習を聞いたでしょ…次は実技…」
 彼はきょろきょろ。
 階段をのぼりきった先、屋上のような場所を、彼はきょろきょろと見回しました。
「戻らないとダメか…」
 むにむにと口を動かし、ため息。そういえばさっきここへ来る途中、警備兵らしき人に「ここから先は初心者講習受講者の行くところではない」というような事を言われた気もします。「…言うこと聞いとけばよかったかも」
 彼は翡翠色の髪をくしゃくしゃとかきながら、階段を戻ろうと勢いよく振り返りました。
 その時でした。
「あっ!?」
「いっ!?」
 振り返った先に、ひとりの女の子がいました。彼女は振り向いた彼にびっくりして目を丸くして、「あぅ…」
「いや、そういうお約束の展開すんなって!」
 ふらりと姿勢を崩した彼女に、彼は手を伸ばしました。ぱっと腕を取り、彼女を思い切りに引き寄せます。危うく、階段を転げ落ちていくかというところでしたが、とっさに引き寄せた彼に、彼女は「わっ!?」と体勢を崩し──結局、彼ごと階段の上方向へと倒れ込みました。
「ご、ごめんなさい!」
「い…イタイ…角、角が腰にあたった…」
 ううぅとうめきながら、彼は目をしばたたかせました。
「大丈夫ですか?」
 青い空の下で、こげ茶色をした髪の女の子が自分を心配そうにのぞき込んでいました。ふわりとくずれた前髪が、彼の鼻先にかかっていて、彼は思わず──
「…ダメです」
「あわわわ…」
「死にます。いろんな意味で…」
「なむ…」
「いや、チガウダロ」
 打ったところは少し痛かったですが、別に死ぬほどでは、当たり前ですけれど、ありませんでした。
「あの、ごめんなさい。突然だったもので…」
 彼女はそっと彼から離れると、髪の毛をなおしながら言いました。
「いや、こちらこそ…」
 もそりと起きあがって、彼も頭をかきます。「えーっと…」何かを言おうとしましたが、特に何も思い浮かばず──「あ、俺はス…」
「そこで何をしている?」
 突然にかけられた声に、彼はどきりとして飛び上がりそうになりました。「いえ、別にナンパとか、そういう事ではなく!」「は?」「え?そうなんですか?」「はい…あ?いや、だからチガウって!」
「ここは訓練生の来るところではないぞ」
 と、がっしりとした体躯のその人は言いました。よく見れば、着ている物も上等な物です。胸にはいくつかの勲章があって、きっと、ここの偉い人が何かで…
「あっ…」
 と、彼の隣に座っていた彼女が、思い出したようにパンフレットのページを括りました。
「こ、これっ!」
「うな?」
 突き出されたパンフを見ると、そのページには眼前にいる人と同じ顔の写真。なにやら、偉そうな訓辞みたいなものがあって、ページの頭には、『初心者冒険者のみなさんへ』。隣には『初心者修練所所長』。
「しょちょぉ!?」
 あわわわっと、彼はすっくと立ち上がり、姿勢を正しました。女の子も、あわてて続きます。「す、すんません。その、ちょっと迷子に…」「あ、私も、そのー…」
「下の階には、警備がいたはずだが?」
 所長は目を細め、ふたりに聞きます。「う…」彼はうなりました。もしかして、この人の目には白昼堂々、こんなトコまできていちゃついて、なんだこいつらはって、そんな風に見えてる?
「ここまで来てとは、いい度胸だな」
 見えてるヨ!?
 彼は頭を抱えました。
「警備は何をしておった?」
 詰問口調に、彼はむかっとしました。ちょっとテメェ、コッチの話も聞きやがれ──彼は言い放ちました。
「止められましたが、上ってきました。初心者冒険者も止められないような警備が、警備と言うかどうかは知りませんが」
「あわわわ…!?」
「なにっ!?」
 くわっと、所長の顔が険しくなりました。「しまったー!?」「当たり前ですよー!?」
「止められたがあがってきただと!?」
 所長は食ってかからんばかりの勢いで言い、
「くく…ははは!!」
 と、豪快に笑いました。
「あえ?」
「えっ?」
 豪快に笑う所長に、ふたりはぱちくりと目をしばたたかせます。
 所長はひとしきり豪快に笑った後、「いや、失敬」と、ゆっくりとした物言いで、ふたりに向かって言いました。
「だが、この時代には、君のような無謀な勇気も必要だな」
「むぼう…って…」
「む、無謀なんスか」
 無謀らしいです。
「私も、若い頃はいろいろと無茶をしたもんだ。そう…あの日は仲間がたまたま冒険に出ていなかったんだが、どうにも、たぎる血を押さえきれず、プロンテラ北ダンジョンに単騎突入をかけて──」
「いや、それは勇気でもなんでもなくて、ただの無謀にしか聞こえないんスけど…」
「はわわ」
「して──」
 所長はふたりに向き直り、背筋をぴっと伸ばして聞きました。
「君たち、名前はなんという?ここで会ったのも何かの縁だ。覚えておこう」
「あっ、はいっ。えーと…」
 こげ茶色の長い髪をなおして、女の子は言いました。
「ウィータと申します。あのっ…私は冒険者に…その、アーチャーになりたくて、ここに来ましたっ!」
「ウィータか。うむ。がんばりたまえ。アーチャーは数ある職の中でも、遠距離攻撃を得意とする職だ。きっと、パーティの中で君の力を存分に発揮する機会が訪れるだろう」
「はいっ、がんばります!」
 ウィータと名乗った女の子は、ぐっとこぶしを握りしめながら返しました。うなずきを返す所長の視線が、それからゆっくりと、彼に向けられました。
「君は?」
「俺?」
「君の名前は?そして、君は冒険者として、何になる?」
「俺か──」
 そっと息を吸い込み、彼は笑いました。
 吹き抜ける風に揺れる、翡翠色のちょっと長い髪をそのままに、「俺の名は──」言いました。
「スピット」


「世界の果てを目指す、冒険者になる」


      

 初心者修練所は、三つのコースに分かれています。
 ひとつめが、講義コース。初心者修練所の有名講師、レオ=フォン=フリッシュ先生のありがたく──長い──お話(クイズ付き)の他、カプラサービスの利用方法、基本マナー等の講義講習となっており、これらすべてを受講すると、はれてふたつ目、実技コースへと進めます。
「簡単な事です」
 と、案内員が中庭の向こうを指さして言いました。
「実技コースのテストは、ここから、向こうにある建物の中まで進めばいいだけです。間には、ファブルというモンスターがいますが、それと戦わなければいけないことはありませんし、ものの数分で駆け抜けてもかまいません。もちろん、一時間かけても二時間かけても、その気になれば、一生かけてもかまいません」
「いや、こんなトコで一生終わるのはイヤだ」
「あ、でも所長さん、この修練所の主がいるとかなんとかって──」
「あ、ゆってたかも…」
「途中、橋がかかってますので、それを越えた先が、ゴールです。それでは、御武運をお祈りしています」
 ぺこりと頭を下げて、案内員はふたりを送り出したドアを閉めました。
「──さて」
 と、つぶやくのはスピット。
「行きましょうか」
 隣のウィータが返します。
「他の方々は、もう行ってしまわれたみたいですし…」
「ビリっけか」
 ぽりぽりと、スピットは頭をかいて、歩き出しました。「あわわ」と、あわててウィータが追いかけてきます。
 春の近づくミドカルドの大地を抜ける風が、修練所の中庭の木々を揺らしていました。
「えっと…スピット…さんでしたっけ?」
 ウィータが言いました。
「ん?ああ、スピでいいよ。親しい友達は、みんなそう呼ぶ」
「いや、でも親しいって、今会ったばっかりですし」
「冒険者してれば、大半の人たちが今会ったばっかりの人たちになる」
「それは…そうかも?」
 ん?と首をウィータは傾げました。言ってる事はそうだけど、会話がかみあってないぞ?「あの、スピ…さん?」
「ん?」
 口を曲げて返すスピットに、ウィータは聞きました。
「あのー…スピさん、転職して何になるかって、まだ決めてらっしゃらないのですか?」
「ああ…」
「さっき、所長さんが『何になる?』って聞いたとき、冒険者とだけ答えていたので…」
「ああ。剣士とか、シーフとか、そういうのは別に、何になろうかとかは、決めてないなー」
 言いながら、スピットは頭の後ろで手を組みました。「俺は冒険者になりたいのであって、別に、何かの職に就きたいとか、そーゆー訳じゃないし」
「そうなんですか?」
「そうなのです」
 こくりとうなずき、スピットは言いました。
「俺は、世界の果てを見に行きたいんだ。俺はもともとはプロンテラ生まれなんだけど、プロンテラの街は、俺にとっては狭すぎて、窮屈でたまらんのよ」
「へー。プロンテラって大都市だと思ってたんですけど…」
「街は大きいよ。でも、俺んちがプロンテラにあるんだけどね。うちがまた、代々──」
 ふと、スピットは足を止めました。
 てくてく歩くふたりの前。中庭の真ん中辺り。橋が架かっています。
「あれ?もう橋の手前?」
「橋のちょっと先がゴールみたいな事を案内員さんが言ってましたね」
「ん」
 と、短く返して、スピットは頭をかきました。
「このまま、とことこっと抜けちゃう?」
「そうですね。そうしちゃいましょう」
 ふたりは再び歩き出します。橋のちょっと先がゴール。中庭にはモンスター、ファブルがいるという話でしたが、ここまで、そのモンスターに会うこともなく──「なんか、実技って割には、拍子抜けかも」「ですね」
 なん言って笑いあうふたりを、
「フフリ…」
 橋の左脇、ちょっと小高い丘の上から、腕組みに見下ろす影がありました。
「そのハシ、渡るべからズ!」
「…じゃあ、真ん中を堂々と──」
「チガウ!!」


「初心者講習所から、カップルとは、いーいご身分だな!緑あたま!!」
「緑あたま…」
 言われて、スピットはむかっ。
 緑あたまは今ここに、スピット以外にはいるはずもなく、その「黙れ!茶あたま!!」の初心者冒険者の女の子が彼に向かって言ったのは、誰がみても明らかでした。
「なにお!ノービスと一緒にするなー!!」
「いや、誰がどこからどう見ても一緒だし。なぁ、ウィータ」
「ええっと…ごめんなさい。私にも同じ初心者冒険者にしか見えないです…」
「ち。トーシローはこれだから困る」
 ふんっと、その茶髪ノービスはため息を吐きました。「覚えておけ!緑あたま!!」「緑あたまってゆーな!!」
「私こそ、この初心者修練所の主、永遠のノービス!人呼んで、ノービスますたー!!」
「…ああ、永遠の雑魚キャラってところか」
「黙れ、緑あたま」
 「斬る!斬る!たたっ斬る!!」と、今にも飛びかかからんばかりのスピットを押さえつけて、ウィータ。ノービスますたーとか名乗った、そのノービスに向かって聞きます。
「あの、それで、この橋を渡るなって…いったいどういう?」
「ん?」
 うんとうなずき、彼女は目を伏せて言いました。
「いや、別に理由なんかないけど、修練所内で早くもカップル成立なのがむかついただけ」
「わかった。じゃあな、茶あたま。俺はお前の前から消える。もう二度と会うこともあるまい」
 すたすたとスピットは橋を渡っていきました。「あっ、スピさん、待ってください!」あわててウィータは後を追いかけようと、一歩──ぷち。
「ん?」
 気づかずに、スピットはとことこと橋を渡っていってしまいます。
「わあぁ!?」
 ウィータの悲鳴に、スピットは振り向きました。「どうした!?」「ファブルが!!」
「そうそう、渡る前に言おうと思ってたんだけど」
 茶あたまノービスはうむうむとうなずきながら言いました。
「橋の向こう、ファブルのモンハウになってるから、ちゅーい」
「なにぃ!?」
 橋の手前、ウィータの周りにいつの間にか芋虫のようなモンスター、ファブルがたくさんとりついています。そして橋の向こう、スピットの周りにも、たくさんのファブルが彼に向かって迫ってきていました。「なんでこんなにいっぱい!?」
「そうだそうだ」
 うんうんうなずきながら、彼女は言います。
「だから、この橋渡るべからずって、言おうとしていたんだ。思い出したぞ」
「おせぇよ!!」
 スピットはナイフを手に持ち、迫るファブルに向かって突き出します。ファブルは低レベルモンスターです。たとえノービスのスピットたちであっても、それほど苦戦する敵ではありません。
 数が少なければ。
「多っ!?」
「いやぁーっ!?」
「がんがれー」
 十に迫ろうかという数のファブルに囲まれたスピットとウィータ。ナイフを振り回します。「んならー!」「お、緑あたま、がんばっとるね」ファブルを次々と片づけていくスピットを見ながら、彼女はにやりと笑います。なるほど、緑あたまは剣士、シーフの近接職系カナ?
「うるせぇ、茶あたま!見てないで助けろ!!」
「いやでし」
「ああぁぁ、ダメージがすくないー」
 こちらはウィータ。うむ、高Dex型カナ?よく当たりはするみたいだけど、ダメージは少ない。遠距離系か。
「おっしゃ、片づいた!」
 スピットの声に振り向くと、彼を取り囲んでいたファブルの山が消えています。「口、ミルクついてる」「うるさいわっ!」ぐいっと袖で口許をぬぐって、スピット。
「ウィータ、今助けるぞ!!」
 自分の周りを取り囲んでいたファブルを片づけたスピットは、橋を駆け戻り、ウィータにとりつくファブルへと迫ります。
 はっとした彼女が動きました。
「手を出すなっ!!」
 腕組みをして見ていたはずの──自称──主が、突然、スピットの前に剣を引き抜いて立ちはだかりました。しかも、その剣はスピットたち、初心者講習受講者に支給されるナイフではなく、れっきとした剣、幅広の刀身を持つ扱いやすい剣、ブレイドです。
「な、なんで?」
「フフリ…」
 口許を曲げて、彼女は笑います。
「私をノービスと一緒にするなー。こう見えて、初心者修練所、実技コースのヌシ!」
 剣を構えたまま、続けます。
「君らの行動は、すべて実技コースの点数に反映されるぞ。今ここで手を出したら、緑あたま、君は減点」
「なんでだよ!!」
「講習を聞いてこなかったかえ?」
 剣を好きなく構え直し、彼女は口許をゆるませて言いました。
「他の人にターゲットがあるモブ(モンスターのこと)をなぐったら、横殴り。ノーマナー行為で、減点」
「──そうか」
 小さく返し、スピットも構え直します。
「じゃあ、聞いてなかったかもしれんな」
 そして彼女の脇をかいくぐり、橋を駆け抜けました。「あっ!」駆け抜けて、ウィータにとりついていたファブルをナイフで斬りつけます。
「減点するぞー!!」
「勝手にしろ!!」
 スピットはファブルを次々と倒していきます。
「む…」
 唇を突き出すように結んで、彼女はそっと剣を納めました。
 十近くいたファブルも、ふたりの攻撃に、あっという間に姿を消しました。
「一匹で減点いくつだ?」
 スピットは再び静かになった中庭で、ナイフを納めながら言います。
「俺は失格か?」
「あぅぅ…スピさん、ごめんなさい…」
「気にすんな」
 スピットはウィータから視線をはずし、彼女に向き直りました。
「ウィータはさっきあったばっかだけど、同じ初心者冒険者仲間だ」
「横殴りは、ノーマナーで減点」
「仲間を助ける行為が減点対象なんて講義は、聞いた記憶がない」
「緑あたま──」
 軽く口許をゆるませて、そのノービスは言いました。
「外の世界は、ひろいんだぞ」
「は?」
「今の君の行為を、よろしく思わない人もいる」
「ノービスの割に、外の世界のことを言うのかよ」
「私をノービスと一緒にするなー!」
 すらりとブレイドを引き抜きます。そして、草むらの中から出てきたファブルを一閃。
「なっ!?」
「一撃…しかも余裕で…」
「フフリ…」
 しゅっとブレイド振るい、血のりを切ってから腰に納めつつ、そのノービスは続けました。「私はこーみえて、アルギオペくらい狩れるんだぞ」「のび太のくせに生意気な…」「のび太ってゆーな」
「外の世界には、私みたいな人もいる。だから、必ずしも君の行為が正しいとはいえない」
「──そりゃ、そうかも知れないけど」
「まぁ、でも」
 軽く息をひとつ吐いて、彼女は屈託なく笑いました。
「個人的には、緑あたまの行為は間違ってない。今回は減点しないでおく」
「あ、ありがとうございますっ」
「ウィータ、こいつに礼を言う必要なんかないと思うんだが…」
「黙れー、緑あたま」
「緑あたまってゆうな!」
 むっきー!と、スピットは両手をあげて叫びます。でも、たぶん本気でやったら勝てませんが。
 彼女はにやりと笑いながら、言いました。
「じゃあ、名前はなんてゆうんだ?」
「スピット」
 むんっと胸を張り、スピットは答えました。「スピット…所長が言ってた、無謀な冒険者…」「無謀ってゆーなっ!」
「行こうぜ、ウィータ」
 スピットはそのノービスの脇を抜け、橋へと向かいました。橋の向こうはゴール、実技試験終了ポイントです。
「なんだ、もう行くの?スピット」
「茶あたまにかまってるほど、暇でもないんでな」
「ひどいなー」
 頭の後ろで手を組んで、彼女は笑いました。「世界は広いんだぞ、スピット」
「世界の果てなんて、そう簡単にはたどり着けないぞ」
 彼女の言葉に、スピットは足を止めました。振り返ります。彼女はただ、笑っています。
「それが本当にあるかどうかも、実は怪しい」
「──だから?」
 振り向いたスピットと彼女の視線が交錯しました。スピットはちょっと、にらむような目つきでしたが、そのノービスのそれは柔らかく、少し、笑っている風でもありました。
「スピは、それが本当にあると思って、冒険者になる?」
 風が、吹き抜けていきました。
 柔らかな、冒険の香りを乗せた春の風が、優しく吹き抜けていきました。
「──ある」
「ん」
 先輩冒険者は、その風の中で笑いました。「それでこそ──冒険者だ」
「自分のこころの決めた通りにする。自分のこころを信じる。冒険者の基本的な心構え」


「ふたりとも、実技試験はごうかくにしてやろう!」
「──してやろうって、何だよ」


      

「──では、講義、実技、そして適性の結果を発表する」
 初心者修練所のもっとも奥。
 簡単な選択問題だった適性テストを追えたスピットとウィータが、その教室のような部屋の机について、教壇の前にたった試験官の言葉を聞いています。
「まずは──成績優秀だった、ウィータ」
「はいっ」
 ごけ茶の髪を揺らして、ウィータはぴっと立ち上がりました。
「適性の結果、君はアーチャーの適性があると診断された。君が望むなら、このまま君をアーチャーギルドへと転送するが──」
「やった!」
 ウィータはぴょんっと跳ねました。「やりましたよ、スピさん!」「お、おめでとう」
 うれしそうに笑うウィータに、試験官も口許をゆるませました。
「ならば、君はアーチャーでかまわないのだね?各職の説明については、ギルドに一任している。早速、君を転送するが…」
「あ、その前にスピさんの結果も…」
「俺は別にいーだろーが」
「えっ、だって、気になるじゃないですか…スピさんがいったい、何になるのか」
「気にするなって」
「──では、次、スピットだな」
 試験官は手にしていた紙をぺらりとめくりました。「君の適性は──」
 試験官はその紙に書かれていた彼の適性職を言いました。
「君の適性職は、剣士だ」
「わ」
 ウィータはちょっとびっくりした風にして言いました。
「おめでとうございます、スピさん!剣士ですよっ!格好いいです!!」
「君が望むなら、君を剣士ギルドへと転送するが、どうだね?」
「望まなかったら?」
 机から立ち上がりもせず、こともなげにスピットは言いました。それはもう、朝会った友達に「おはよう」と言うくらいの勢いで。
 さすがの試験官もその言い方にはちょっとびっくりしましたが、
「あ、いや。君が望まないなら、それは別にかまわん。これはあくまで適性だからな。君が望む職のギルドへと、案内するだけだ。だが、ギルドからの支給品はもらえなくなるが…」
「…支給品には興味がないからいいや」
「えっ!?スピさん、何になるかは決めてないって言ってたじゃないですか。だったら、剣士でも──」
「剣士は、嫌なんだ」
「え…」
「剣士以外の職がいいのかね?」
 試験官はスピットの成績表を見ながら言います。「しかし、君の適性を見る限り、君は剣士としての素質を十分に有している。実にもったいないと思うのだが…」
「そーだろうな…」
 口を曲げ、スピットはため息混じりに言いました。
「うちは代々、剣士の家系だから。親も、この前冒険に出た兄貴も、みんな剣士だ。そんな中で育てば、性格も体力も、剣士のそれになってくる」
「それを捨てて、剣士以外の職に就く──と?」
 試験官は手にしていた成績表を折り曲げながら、スピットの事をまっすぐに見ました。
「ならば、君は何になる?」
「──ん」
 スピットはちょっと、眉を寄せました。何になるか──別段、決めてない。ただ、適性なんかじゃなくて、もっとこう──俺は冒険者としてあの街を飛び出すことに決めたんだから──
「ならば君は、何になる?」
 もう一度、試験官が問いかけました。
「──ん…」
 スピットはゆっくりと立ち上がって、
「俺は──俺が本当になりたいのは──」
 言いました。
「世界の果てを目指す冒険者──じゃ、ダメか。やっぱ」
「そんな職は残念ながら、ない」


 光の柱が、ふたりの前に立ち上っていました。
「じゃ、がんばって」
 スピットは笑います。
「スピさんも」
 ウィータも微笑みを返します。「ウィータさん、アーチャーギルド行きのポータルです」「あ、はい!」
 光の柱を背に、ウィータは言いました。
「また──逢えますかね?」
「逢えるだろ。ミドカルドを冒険してりゃ、きっといつか逢うだろうよ」
 ちょいと、スピットは片手をあげました。ウィータもそれに返します。
「じゃ、今度会うときは、私がスピさん、助けますね」
「ああ。きっと俺はへっぽこだから、しっかり助けてくれよ」
「ふふ。じゃ、お互いがんばりましょう!」
 微笑みながら、ウィータも片手をあげて返しました。
「よい旅を!」
「ウィータも」
 そして、彼女は光の柱の中へと消えていきました。
「えーと…それじゃ、こちらの方は…」
 係員が手にした紙を覗き込みながらつぶやきます。それを見ていた試験官が、割って入りました。
「かまわないのだね?」
「ああ、いいよ」
 スピットは軽く言いました。それはまるで、夕暮れに別れる友達に「ばいばい」というのと同じように。
「剣士ギルドへ送ってやってくれ」
「剣士ギルドですね、わかりました」
「いいんだね?」
「ん」
 スピットは小さく頷きます。「それに、別段、ここで剣士ギルドに送ってもらったからって、剣士にならなきゃいけないってことはないんでしょう?」「まぁ、ないがな…支給品の持ち逃げをする罪悪感がないのならば」
「あ、ないから平気」
 立ち上った光の柱に照らされたスピットの顔は、笑っていました。
「ノービスの割には、肝が据わってるな」
 試験官は笑いました。
「そりゃそうだ」
 スピットも笑いました。ふっと見上げた先、初心者修練所の屋上にいた人影に気づいて。「では、スピットさん。剣士ギルド行きのポータルです」「おう」
 スピットは笑いながら、翡翠色の髪を軽くかき上げて、言いました。「そりゃそうさ──」
「俺は無謀な勇気にあふれた、冒険者なんだからな」
 そしてスピットは、新たな冒険を予感させる喧噪が聞こえてくる光の中へと、勢いよく飛び込みました。