studio Odyssey



世界を変える力。


      

「──かまえろ」
 魔法士は腰のアークワンドを引き抜きます。「遠慮はいらん。誰かは、見当がついている」
「お前は左に行け」
 弓に矢をつがえながら、アーチャーは言います。
「通路を抜けてきたところを、撃て」
「あ──は、はい」
 たたっと、部屋の左端へと、彼女は駆けました。言われるままに弓をかまえ、矢をつがえます。──って、モンスター?モンスターだよね?
 ぎゅっと弓を引き絞り、彼女はごくりとつばを飲みました。
「通路には、エサをまいといた」
 腰からダマスカスを引き抜きながら、シーフはにやりと笑います。
「今頃は、ヒドラどもの山さ。そう簡単には、入っては──」
 しかし、彼の台詞が最後を結ぶことはありませんでした。
 通路の奥。
 暗闇の向こう、弱く光る青い光の中から、静かな声が聞こえてきました。
「ヒドラが、なんだって?」
「──!?」
「エア…」
「──出番ですか」
 声は、ゆっくりと──「ヒドラ──一カ所にとどまり、近づく冒険者たちを襲うモンスター。ただし、その攻撃範囲に入らない限りは、自ら襲ってくることはない。属性は──水」声は、高らかに、魔法の言葉を発しました。
「サンダーストーム!!」
 青い雷が、空間を駆け抜けていきます。強烈な光に、誰もが一瞬、目を伏せました。
「風の範囲魔法か!?」
 強烈な光に手で顔を覆いながら、魔法士が叫びます。
「矢を放て!」
 青い閃光の向こうから、剣を引き抜いた剣士が飛び出してきました。肉薄しようとするその影に、舌打ちの音。アーチャーの手から、矢が放たれ──
「フィアット!」
「フーニューマ!」
 剣士とアーチャーの間にふわりと現れた柔らかな風の壁に、矢は力を失い、その場にぽとりと落ちました。
「防御魔法!?」
「我は剣士、インテリアル!」
 風を切って姿を現したその剣士は、手にした剣を下段にかまえながら突き進みます。そして魔法士の眼前へと大きく踏み出し、「その石は、てめぇらにはわたせねぇ」その剣を、素早く振り上げました。
「ネイパームビート!」
 とっさ、魔法士は魔法を唱えます。
「!?」
 魔法の言葉に、インテの眼前の空気が炸裂しました。ばんっという大きな音とともにはじけた空間に、インテ、そして魔法士の身体がよろけました。
 剣の切っ先が、魔法士の左頬をかすめ、天を差しました。
「くっ…」
「ちっ!」
 ふたつの舌打ち。
 魔法士は素早く身を翻し、手にした杖を突き出します。インテも第二撃を繰り出すべく、手首を返し、大上段から剣を振り下ろします。
「バッ──」
「ソウルストライク!!」
 しかし、魔法士の魔法の言葉の方が剣士の剣の切っ先が届くのよりも先でした。魔法の言葉に生まれた五つの精霊球が、弧を描きながらインテの身体を襲います。強烈な力にはじき飛ばされたインテの身体が、部屋の壁に激しい音を立ててぶつかりました。
「インテ!?」
 部屋の中に飛び込んで来たフィアットが叫びます。
「自分の心配をしな!」
 響く声。フィアットは目を見開きました。自分の眼前に、腰をかがめたシーフが、いつの間にか肉薄しています。その手の中の短剣が、ぎらりと冷たく光りました。
「死ね!」
「させませんよ!」
 アークワンドを振るい、叫ぶのはエアです。エアは道具袋の中から青い宝石のような石を取り出すと、それを握りしめたまま「セイフティウォール!」魔法を唱えました。かっとその青い石──ブルージェムストーン──が弾け、フィアットの身体の周りを、光の壁が包みました。
 きぃんという甲高い音。
「お、俺のダマスカスが…!?」
「ナイス!お兄ちゃん!!」
 フィアットは構えます。ぐっと──フィアットは腰を下ろし、両の拳を握りしめ──「まさかッ!?」シーフは目を見開きました。
「速度増加!」
 きゅうううんっとフィアットを中心に、風が渦を巻きました。フィアットの唱えたその魔法は、その名の通り、速度増加魔法。「オマエ──!?」見開いたシーフの目の中のフィアットが、素早く動きました。それは素早さでは他職を凌駕するシーフの彼ですらも、反応できないほどの速さで──「相手が悪かったわね!」
「素手アコ──!?」
 フィアットの右手がまっすぐに伸びるのと同時に、ぱぁんという乾いた音が響いて、シーフの身体が宙を飛びました。
「クソアマが!!」
 アーチャーが弓を引き絞り、フィアットを狙います。素早く身を翻し、その間に空気の壁をたてるべく、フィアットは胸の前で腕を組みました。魔法士の声が、響きました。「お前もアコライトを狙え!」
 びくりと、彼女は身を震わせました。
「セイフティウォールは矢を防げない!ニューマを使わせるな!!」
「──!?」
 背後、自分を狙う弓手を肩越しに見、フィアットは目を見開きました。その自分と、弓手との間に飛び込んできた、彼の姿に。
「させるか──」
 腰からナイフを引き抜き、それを彼はフィアットを狙う弓手の右手に向かって──
「スピット──!?」
「え──」
 つきだした右手が延びきるのよりも早く、スピットは右手を身体で追いかけました。切っ先が、バランスを崩した身体に追いつかれて、狙ったはずの彼女の右手首よりも上、アルバレストの弦をかすめました。
 びんっと強く空気を揺らす音。
 はじけ飛んだ弦が、バランスを崩し、その弓手もろとも倒れ込むスピットの頬を打ちました。揺れる翡翠色の髪の奥、見開いた目の中で、ふわりと、彼女のこげ茶色の髪が宙に揺れていました。
「──ウィータ!?」
 船室の脇に積んであった木樽が、盛大な音を立ててふたりの身体にはじき飛ばされました。
 そして──静寂──


      

「やはり、あなた方だったか」
 静寂をわって、魔法士はアークワンドをかまえながら言いました。
 のそりと、壁際にはじき飛ばされたインテが、帽子なおしながら立ち上がります。
「世界を変える者の前に現れるという石を、お前らの前に現せさせる訳にもいかんからな」
「ふん…」
 魔法士は鼻を鳴らしました。
 彼の脇に、彼の仲間たちが集まってきます。
「くそっ」
 舌打ちをするのはシーフ。腹を押さえながら、つぶやくようにして言います。「ヒールをくれ」
「迂闊ですね」
 魔法士の後ろに控えていたアコライトは軽く笑い、治癒の魔法、そして速度増加の魔法をシーフにかけました。「アコライトの攻撃速度を軽く見ると、痛い目をみますよ?」
「それにどうやら、結構に戦いなれた奴らのようだな」
 矢をつがえながら、アーチャーは笑います。「いいコンビネーションだ」
「四対三なら、いいハンデですよ」
 インテの隣へと歩み寄りながら、エアは帽子をちょいとなおしました。「久しぶりに、思う存分魔法を使えそうです」
「攻撃力なら、私たちの方が上みたいだしね」
 と、フィアット。彼女もまた、インテの隣に隙なくかまえながら、言います。「自己回復能力保持者が多いのも、うちの方みたいだし」
 決して広いとは言えない船室の中、ふたつのパーティが今、対峙しました。
 立ち上がったインテが、そっと剣の握りを確かめます。
 魔法士もまた、ゆっくりとアークワンドを胸の前にまで掲げました。


「スピ…さん?」
 スピットの腕の中、ウィータは目を丸くしてつぶやきました。
「どうして?」
「ってぇ…」
 のそりとスピットは身体を動かします。彼の身体の上に降りかかっていた木片のいくつかが、それに併せて小さな音を立てて床に落ちました。
「俺が聞きてぇよ」
 スピットは片目を伏せながらつぶやきました。
「ウィータ…どうしてここに?」


「──剣士、インテリアルと言ったか」
 魔法士がそっと、つぶやきました。
「邪魔をするな。俺たちは、この世界の事を考え、エンペリウムを手にしなければならない。あなたがどこまでエンペリウムの事を知っているか知らないが、わかるだろう?」
「世界のバランスを取り戻そうって?」
 剣の握りを確かめながら、インテは言います。彼の答えを、わかって。
「どうやって、それをしようってんだか、詳しくおしえてくれねぇか?」
「──このまま時がすぎれば、やがてこの世界は再び終わりの時を──Ragnarokを──迎える」
 魔法士は言いました。
「たとえ偽りであれ、千年の平和が続いたのは事実。俺たちは、再びその平和を取り戻そうさなければならない、義務があるとは思わないか?冒険者として──この世界のバランスを崩した者たちの、ひとりとして」
「偽りの平和を取り戻して、何になる」
「だが、それが千年続いた、真実だ」
 魔法士は手にしたアークワンドを突き出しました。
 インテがかまえます。エアも、フィアットも、身構えました。
「この世界のバランスを崩したのは誰でもない、むやみやたらと力を付けた人間──冒険者たちだ」
 魔法士の言葉に、彼の後ろに控えていたアコライト、シーフ、アーチャーも身構えました。
「目的もなく、真実の探求などと、己の欲望のままに生きた人間たち──冒険者たちこそ──」


「ウィータ──」
 立ち上がりながら、スピットは小さく言いました。
「ひとつだけ、答えてくれ」
「──え?」
「奴らは、ウィータの仲間か?」


「神々の運命の前に、自ら悔い改めねばならない!」
 響く声。
 振るわれる杖。
 生まれ出る魔法陣に、魔法士の魔法の言葉。
 そしてその魔法士に向かって、剣を手に駆け出す剣士。
「この大地に──ミドカルドに生きる冒険者なら──誰にだって目的はある!」


「奴らは、俺の仲間だ」
 翡翠色の髪を揺らして、彼は言いました。「もしそうなら──」
「俺とウィータは、今は敵同士だ」


「フロストダイバ!!」
 魔法士の魔法の言葉に、彼の足下の床がぴしりと氷つきました。そしてまっすぐに迫る剣士へと向かって、その氷は床を駆け抜けていきます。
「氷結魔法!?」
 エアがアークワンドをかまえます。そして魔法の詠唱に入ろうとするところを、
「させるか!」
 アーチャーの弓から放たれた矢が、彼の肩口を襲いました。「くっ」顔をしかめるエアに、一瞬姿を現した魔法陣がふっと消えてなくなります。
「インテ!?」
 フィアットの声が響きました。同時に、インテに襲いかかった氷の魔法が、彼の身体を氷柱の中に沈めます。
「あっけなかったな!剣士、インテ!!」
 魔法士が杖を振りかざしました。生まれ出た魔法陣が、インテの足下に円を描きます。「ライトニング──」
「フィアット!たたき割ってください!!」
 エアが言うが早いか、駆け出すフィアット。
「させるかよ!」
 その彼女の眼前に、シーフが割って入ります。
「この──!?」
「今度は遅れはとらねぇぜ!」
 ひゅうという音を立てて、短剣の切っ先がフィアットに襲いかかりました。すんでの所で踏みとどまり、フィアットはその切っ先をかわします。かわしますが──
「インテ!?」
 魔法士の魔法の詠唱が、終わりを告げようとしていました。
「ライトニングボル──!?」
 魔法士は目を見開きました。
 氷柱の中に埋もれた剣士と、そして自分の間に、ひとりの翡翠色の髪のノービスが割って入ったのでした。「知ってるぜ」にやりと口許を弛ませて、スピットは手にしたナイフの握りを確かめました。
「魔法は、詠唱が終わるよりも先に一撃を食らうと、発動しないんだってな!」
 スピットは右手を突き出します。握られたナイフの切っ先が、魔法士の頬をかすめました。かすかに赤い血が宙に散ると共に、インテの足下にあった魔法陣が姿を消しました。
「ノビスが!!」
 アーチャーが弓を引きました。「雑魚は引っ込んでやがれ!!」
「エア!」
 振り向きざま、スピットは叫びます。
「真の風魔法士の力、お見せしましょう」
 アークワンドをかまえたエアの姿が、アーチャーの視界に入りました。はっとして、彼は自分の足下に視線を落としました。煌々と輝く、魔法陣の光──いつのまに!?
「ライトニングボルト!!」
 空間から生まれ出た雷の矢が、彼の弓が放つ矢よりも早く、彼の身体を打ち抜きました。空気を揺さぶる爆発音と衝撃に、誰もが一瞬目をつむりました。
「おのれ…」
 体勢を立て直した魔法士が、駆け抜けた雷の青い光に、片目を伏せながら舌を打ちます。
「これくらいでやられるヤツじゃない。ヒールを!!」
 魔法士は後ろに控えていたアコライトに指示すると、再び前に向き直り──「!?」
 氷のかけらが、宙に舞っていました。右手にナイフを持った翡翠色の髪の少年がにやりと口許を曲げていました。
「──フィアット!!」
 剣士は再び剣を振り上げ、叫びます。そして大きく一歩、前へと踏み出しました。
「お兄ちゃん!!」
 シーフの攻撃をかわしながら、フィアットが叫びます。エアはその声に振り向き、手にしたアークワンドを振るいました「ソウルストライク!!」ほとばしる五つの精霊球が、過たずシーフの身体を打ち付け、はじき飛ばしました。
 その隙をついて、フィアットは胸の前で腕を組み、魔法の言葉を発しました。
「ブレッシング!!」
 インテの身体が、彼女の言葉に呼び出された天使の輝きに包まれ、ふっと輝きました。
「食らえ──っ!!」
「食らってたまるか──!!」
 右手の剣の握りを確かめ、インテは魔法士の立つ地面へと向かって、力一杯に剣を振り下ろします。
 魔法士もまた、迫るインテに向かい、手にした杖を突き出しました。
「マグナムブレイク!!」
「ファイヤーワール!!」
 輝く光。駆け抜ける、圧となった空気。
 そして巻き起こる火柱。
 船室の中に爆炎が渦を巻き、音と共に弾けました。


      

 ぎしぎしと、何かがきしみ始めていました。
 沈没船の船底──「っ…」インテは頭を押さえながら、ゆっくりと目を開けました。
 船室の中を見回します。逆の壁の方には、同じく吹き飛ばされた魔法士の姿があります。魔法士も小さく頭を振りながら、ゆっくりと起きあがろうとしていました。
 はす向かいにはフィアット。彼女もまた「ぅう…」と小さくうめきながら、起きあがろうとしています。エアの姿も、近くにありました。魔法士の仲間、アコライト、シーフ、アーチャーの姿も、船室の壁際にぱらぱらとあり──
「スピット!?」
「エ、エンペリウムは!?」
 インテと魔法士の声が、船室に響きました。
 不気味な、木がきしむような音が響く船室の中央。
 翡翠色の髪が、揺れていました。
「それをおいてください」
 小脇に木箱を抱えたスピット。
 眼前には、携帯用の小さなボウに矢をつがえた、ウィータ。
 スピットは無言で、木箱を抱えなおしました。右手にしたナイフの握りを確かめます。
「──もしも」
 スピットはゆっくりと、言いました。
「いやだと言ったら?」
 ぴしりと、何かが破裂するような音が聞こえました。「あっ──!?」短く声を上げたのフィアットです。声に反応したシーフが、彼女の視線の先を素早く追いました。
「まずい、今の衝撃で水が入り始めたぞ!」
 壁の一部に、亀裂が走っていました。そしてそこから、海水が入り始めていました。ぎしぎしという軋みの音が、波の揺れにあわせて、少しずつ大きくなっていました。
「奴らにエンペリウムを渡すな!」
 魔法士の声が、響きました。
「それは世界を救う鍵となる物だ!それがなければ、この世界はバランスを崩し、やがて崩壊する!!取り返すんだ!!」
 流れ込み始めた海水が、船室の床をぬらし始めています。
 じわじわと、その色を変えていく床から、彼女はゆっくりと、その矢の向かう先を翡翠色の髪へと向けました。
 木箱を抱え、まっすぐに自分を見つめる彼の眉間に、その狙いをあわせました。
「撃ちます」
 ウィータはぽつりと、言いました。
「それをおいてください。まだ、間に合うと思います」
「──」
 すぅとゆっくり息を吸い込み、スピットは言いました。「いやだ」
「インテは、俺の仲間だ。だから俺は、冒険者として、仲間であるこいつらのために、戦う」
「──撃ちます」
 ウィータはそっと、言いました。
「よくは、わからないですけど──その石が世界のバランスを取り戻すために必要なものなんだとは、わかりました。そして、スピさんたちも、私たちも、同じようにそれを手に入れようとしているというのはわかりました。だったら、もっとお互いに話し合って、解決の糸口を見つけられませんか?」
「──かも知れないな」
 ウィータをまっすぐに見つめ、スピットは言いました。「でも、俺はこれを離す気はねぇよ」
「俺は、冒険者だ。冒険者である以上、俺が決めた自分の心には、ぜってー負けない」


「撃てよ」


「撃て!!」
 立ち上がりざまに叫んだ魔法士の声が響きました。
「スピ!?」
 剣を手に、インテも立ち上がります。
「フィアット!空気の壁を!!」
 エアの声に、素早く立ち上がったフィアットが、
「フーニュー…」
「させるか!!」
 その魔法の言葉が終わりを告げるのよりも早く、放たれた矢が彼女の胸を打ち抜きました。
 はっと、ウィータは目を見開きます。
 ひとつ、大きな揺れが起こって、何かが、破裂するような音が響きました。
 ゆっくりと、一人のアコライトの身体がその揺れの中ではじき飛ばされて、倒れていくさまが、彼女の目に映りました。
「フィアット!?」
 インテ、エア、そしてスピットが一瞬、彼女の方を振り向きました。
「ネイパームビート!!」
 その刹那に、魔法の言葉が響きました。ばんっと空気が弾けます。その圧に、スピットの身体がはじき飛ばされました。右手に握られていたナイフが、脇に抱えられていた木箱が、宙に飛びました。
 どんっと、スピットは壁際にまで飛ばされ、背中をしたたかに打ち付けました。ぴしりと木の壁がゆがみ、わずかに生まれた隙間から、海水が流れ込んできます。そして瞬く間にその亀裂はあふれ出る水圧に耐えられなくなり、大きな亀裂となって大量の海水を流し込み始めました。
「スピ──」
 同じくはじき飛ばされたウィータが、逆の壁に背中を押しつけたまま、彼の名を呼びました。
「スピさんっ!?」
 そして彼の手から放れた木箱は、宙でそのふたを開き、中に納められていたものを皆の眼前にさらしました。
 それは、金色に鈍く光る、小さな鉱石。


「退くぞ!!」
 魔法士が叫びます。
 ぎりぎりという、船のあげる悲鳴の中、駆けだした魔法士が船底を覆い始めた海水の中からそれをつかみあげて、叫びました。
「エンペリウムは我が手の中にある!」
 ぐらりと、船室が傾ぎます。
 断続的に響く軋みの音。流れ込む海水が、船底を埋めていきます。「ワープポータル!!」アコライトの魔法の声が響きました。
 立ち上る光の柱に、巻き起こる風。
 船底にたまった海水が、小さく波打ち始めました。
「待て!!」
 我に返ったインテが、剣を手に叫びました。
「これで、わかっただろう」
 魔法士は光を前に、ゆっくりと言いました。光の中に、シーフ、そしてアーチャーが飛び込んで消えていきます。「エンペリウムは、俺たちを選んだ」
「この世界の運命を変えられる者の前に現れ、その者と運命を共にするという石は、俺たちを選んだんだ」
 そして魔法士もまた、光の中へと消えました。
「くそっ!」
 後を追おうと、インテは一歩を踏み出しました。しかし、足下の海面はそれ以上、揺れはしませんでした。振り返り、視線を落とします。徐々に増えていく水位に、彼女の胸から流れる赤い血が、ゆっくりと滲んで消えていっていました。
「──どうしたの?」
 ウィータに向かい、そのポータルを出したアコライトが言いました。「早く入らないと、ポタルが消えちゃうわ」
「あ──」
 小さく、ウィータは声を上げました。
 右手のボウが、小さく、震えていました。
 立ち上る光の柱に照らされ、白波をたてる水面。ぎりぎりと響き続け、身を震わせる嫌な音。壁際に、ぴくりとも動かずにもたれかかっている、ずぶぬれの翡翠色の髪の冒険者。流れ込み続ける、海水。
「それとも──」
 アコライトは軽く笑うようにして、言いました。
「あなたもここで、彼らと共に死んじゃうつもり?」
 その言葉に、ウィータはぎゅっと左手を握りしめました。ボウのふるえがぴたりと止みます。そして引き絞られたボウ、それを握る左手の人差し指は、光の柱を前にするアコライトを指しました。
「撃つことはなかったんじゃないですか!?話し合えば、別の解決方法もあったかも知れないじゃないですか!!」
「そうして──」
 アコライトはゆっくりと微笑みながら、言いました。「千年の時が経ったのね」
「あなたは、その矢を放てない。残念ね。あなたは、Ragnarokを回避する力を持った冒険者では、なかったみたい」
「──ラグナロクなんか」
 ウィータの右手は、小さく震えていました。彼女は眉を寄せ、ぎりぎりという船のきしむ音、流れ込み続ける水の音の中、かすかな声で、言いました。「ラグナロクなんか」かき消されそうに、弱く、小さなその声。
 その声に──
「乗り越えて見せればいいんだろ」
 すべての音を、雑音を突き抜いて、翡翠色の髪の冒険者の声が、応えました。
「世界の果てにたどり着くための冒険の途中にあるくらいなら、そんなモン、乗り越えてってやるよ!」
 ばしゃりと、水面が揺れました。
 立ち上がり、彼は駆け出します。光の柱に向かい、まっすぐに。
 アコライトが素早く身構えます。「速度減少!」スピットの足下に、魔法陣が光りました。ずんっと、突然、足に鉛をつけられたような感覚が彼を襲いました。「うっ!?」右足に追いつくはずの左足が追いつかなくなり、もんどり打って、彼は水面に倒れ込みました。
「残念ね」
 微笑みながら、アコライトは光の中に消えていきました。
「あなたには、もしかしたら本当に、Ragarokを回避する力が、あったかもしれないのに」
 やがて、光は消え去りました。
 絶え間なく響き続ける船のきしむ音と、流れ込む水の音だけが、その部屋の時間を支配していました。ただ、ただ、絶え間なく。
 それは世界の終わりにまで、ずっと──というように。
 ばんっと、スピットは強く、床を撃ちました。
 その時間を、たたき壊したくて。


「──大丈夫か、フィアット」
 インテはゆっくりと、フィアットの身体を抱き起こしました。そしてぺしぺしと、軽く彼女の頬をたたきます。「う──」小さくうめく、彼女の声が聞こえました。
「死なれちゃ、困りますよ」
 彼女に近づき、エアが言います。そっと座り込み、妹の髪を軽くなでながら、彼は笑いました。「まだ、終わりじゃない」
「あのエンペリウムには、私の知る古文書に書かれていたほどの輝きがなかった」
「俺が見たことのあるものとも違った──あれは?」
 つぶやくインテに、エアは小さく頷くと、
「世の中には、結晶と、原石という、ふたつが存在します」
 再び立ち上がり、帽子をちょいとなおしながら、彼は言いました。
「まだ、終わりじゃない」


「おーけー…」
 答え、ゆっくりと、フィアットはインテの肩に手をかけて立ち上がりました。「あ、おい!フィアット!?」
「動けるなら、自分の身体をヒール──」
「もーまんたい」
 気丈に笑って、フィアットはインテの頭をはたきました。帽子が、ちょいとずれて、彼女を心配そうに見上げていた彼の視線を、覆い隠しました。「──ったく。心配させんな」帽子の影で、インテはかすかに笑いました。そして彼はその帽子を押さえたまま、ゆっくりと立ち上がりました。フィアットを支えながら、そっと。
「野郎ども──」
 つばをひょいと上げ、インテは言いました。
「それぞれ、覚悟は決まったな」


「ワープポータル!!」
 フィアットの魔法に、風が渦を巻きました。
 白波が水面にたち、立ち上った光の柱の輝きが、水面に踊ります。「行くわよ!!」
 ぐっと帽子を押さえ、その光の中へとインテ、エアが飛び込みます。
「スピットくん!」
 フィアットの力強い声に、スピットは頷きながら、振り返りました。
「行こう!ウィータ!!」
 そして彼女の手を、ぐっと引きました。
「え──」
「そうよ!男の子はそうでなくちゃ!!」
 微笑み、フィアットは言います。「特に、冒険者っていう部類の奴らはね!」
「ウィータの力が必要になる。それに俺たちは──まだ死ぬわけにはいかないだろ」
 彼女を光の中へと送り出しながら、彼は笑いました。
「まだ俺たちは──冒険っていうほどの冒険をしてないしな」
 ウィータは言葉を飲みました。
 光の向こう、軽い調子で笑う翡翠色の髪の冒険者の姿が、ゆっくりと消えていきました。
「ぐっじょぶ」
 光のこちら、フィアットは笑います。
「で──」
 そしてスピットに向かって、彼女は問いかけました。
「スピットくんも、覚悟は決まった?」
 答える代わりに、スピットはにやりと笑って見せます。それはまるで、フィアットのよく知るふたりのそれにそっくりで、そう、もしも仮に彼の翡翠色の髪の上に、奴らと同じそれがあったなら──
 そして彼は言いました。
「覚悟を決めたら、俺はつえぇぜ?」
 光の中へと、飛び込みながら。


「俺は──冒険者だからな」