studio Odyssey



事件の始まりは静かに。


 ルーンミドカツ王国の首都、プロンテラ。
 ミドカルド大陸一のこの都市に、夜が訪れようとしています。
「とーちゃーく」
 その西門をくぐり、スピさんが言いました。ゲフェンからプロンテラ。峠ひとつをこえる道のりを抜けて、私たちは今、プロンテラへとたどり着きました。
「んじゃー、とりあえずどうするべ?」
 西門脇のカプラ職員さんに荷物を預ける仲間達をちらりと見やりながら、スピさんは言います。「いったん解散して、酒場にでも集まるか?」
「特に異議なし」
 ラバさんが返します。と、それにアブさんが続きました。
「そういえば、ソアラさんはお家はプロンテラだったのですか?」
「え?」
「うぁ、そーいえば、誰もそんなこと気にしてなかったヨ!」
 まゆみさんが目をまんまるにして言いました。「ソアラたん、お家、どこ?何なら、私がお家まで送るよ」「送りオオカミ…」「ああ、可能性は、大だ」「ナンデスト!?」
「あ、あの…えと…」
 私はしどろもどろに返しました。
「えっと、私、別に帰る家とかはないので、その、いつも宿屋を転々としているというか、あの、だから別にお気になさらずに…」
 しどろもどろに答える私に、
「そーなの?」
 まゆみさんは首を傾げます。えっと…とりあえず、私は話題を変えるべく、言いました。
「あ、はい。あの、えと…みなさんはプロンテラにお家があるのですか?」
「あります」
 えへんと、アブさんは胸を張って言いました。
「先日、ついに新居を購入しました!」
 「お〜」と、みんながうなりました。
「地下牢つき?」
「なんでまゆみさんはそういう発想にしか行かないんですかっ!!」
「お仕置き部屋付きだそうです」
「マテ!」
 なんでやねんと、アブさんは平手を返して、いるるさんに突っ込みました。
「私は、今日はパパの家に泊まります」
「うぃうぃ。いらっしゃい、えぶ」
 ──アブさんとえぶちゃんが親子だというのは、なんとなくここまで一緒に旅をしてきてわかったのですが、「今日は」とか、えぶちゃんの発言には、ちょっと首を傾げてしまいます。んー、私の知らない何かがあるのかなぁ。
「プロにお家がないのって、アピたんだけ?」
 まゆみさんの質問に、アピさんがこくこくと頷きます。
「私の実家は、アルベルタですから」
「いえ、アピさんにも、ちゃんとプロにお家があります」
 きっぱり、あおさん。こくり、いるるさんがうなずき続きます。
「スピさんち」
「マテ」
 なんでやねんと、スピさんは平手を返しているるさんに突っ込み。
「ぉ?」
 とか言って、いるるさんはとぼけて見せました。
「じゃ、ソアラさんは私と一緒に、ネンカラスに泊まりましょう」
 にっこり笑いながら、アピさんは言いました。
「私が泊まってる部屋なら、二人でも十分寝られますし」
「検証済み」
「そうなの!?スピたん!!」
「かなりマテ」
 なんでやねんと──うん、きっと、このパーティのみんなは、こういうノリなんだろう。
「んじゃ、いったん解散。しかる後、ご飯に酒場に集合。明日の予定を決める」
 「はーい」と、スピさんの声に、みんなが返しました。
 そして散り散りに別れ、西門前に残ったのは、私とアピさんと、そしてスピさん。
「それじゃあ、行きましょうか」
 とことこ、アピさんが歩き出します。
 と、ついて行く私。と、スピさん。
「──…」
「なに?」
「いえ、あの、スピさんもついてくるのは、なんでかなーと」
 ひょいと、スピさんは両手を私に見せ、肩をすくめます。「俺は杖と帽子とジェムストーン以外、グラストで使い切ったから、ほぼ手ぶら」
「はあ」
「いつもの酒場はネンカラスの前だから、わざわざ家に向かうのがかったるい」
「はあ…なるほど」
「行きますよー」
 とことこ、アピさんは旅館、ネンカラスへと向かって歩いていきました。
 あわてて、私も後を追います。
 だから、気づきませんでした。
 西門から中央広場へと進む私たちを、その近くの建物の影から見ていた、冒険者たちの姿に──


 旅館、ネンカラスはこのプロンテラに、西館と東館の二館があります。
 アピさんが定宿にしているのはその東館だそうで、前はお姉さんと一緒に定宿にしていたんだそうです。もっとも、お姉さんは今は先ほどのウィザードのアブさんと結婚し、一緒には住んでいないそうなのですが。(と、いうことは、えぶちゃんからすると、アピさんはおばさんということに…でも、えぶちゃんの歳って、アピさんとそう変わらないような…それに、アブさんもそんなに年取っているようには見えないし)
 アピさんの部屋は、その頃からずっと同じ部屋を使わせてもらっているそうで、ふたりで泊まるにしても、十分な広さがありました。
「では、スピさんはここで待っていてください」
 ぱたり。
 アピさんはドアを閉めました。
「うむ」
 スピさんはひとり、ネンカラスの廊下に取り残されました。
「では、とりあえず着替えて酒場に向かいましょう」
 アピさんは持っていた荷物を部屋の隅に置き、てきぱきと着替えをはじめます。「えーと、ソアラさんのお洋服は、私のサイズで合いますかね?」「あ、大丈夫ですよ、私、この格好で」「いえいえ、プロンテラに帰ってきたら、とりあえず冒険は終わりです。ちゃんと身なりを整えてから街に出ないと、何かあったときにショックです」
 ふふふと笑うアピさん。っていうか、何かって、具体的にはなんだろう…「たとえば──」アピさんは言いました。
「今日の冒険は終わり。さぁ、あとはご飯を食べて、寝るだけだって思っていても、突然に冒険に行くハメになるかも知れません。その時、ああ、あの時着替えていればなぁと思っても、もう遅いのです」
「──そういうものなんですか?」
「そういうものです」
 アピさんは私の分の着替えを、ベッドの上に置いてくれました。そして、にこにこ笑いながら、言います。「何しろ、スピさんがリーダーのパーティ、プロンテラベンチですから」
「いつどこで、どんな風にして冒険が始まっても、おかしくありません。最低限の準備をしておかないと、何かあったときにショックです」
 ──何かって、そういう何かなのか。
 そして私とアピさんは着替えをはじめました。「あ、ちょっとごめんなさい」服を脱ごうとした私を止めたアピさんが、ずりずりずりと、大きな棚をドアの前に置いてから。「ち」「──何か聞こえませんでしたか?」「仕様です」
 ──マテ。と、ここは私が突っ込まなければいけないのだろうか…
「あの…」
 着替えをしながら、私はアピさんに聞きました。
「みなさんは冒険者になって、どれくらい経つのですか?」
「んー、私は一年くらいです。スピさんとかは、もっと前から冒険者してますけど」
 すぽり、アピさんの頭が服の中から出てきました。アピさんは手ぐしで髪をすきながら続けます。
「迦陵ちゃんとかは、まだ数ヶ月ですね」
「あの…ずいぶん大きなパーティですよね?」
「んー…そうですねぇ。ベンチのお友達も含めると、かなりの人数になりますかねー」
 ベンチ?という顔を私がしていたのか、アピさんは少し照れくさそうに笑いました。
「今日、ソアラさんがやってきた、ポタ広場の端にあるベンチです。私たちは、プロンテラベンチって呼んでます。私たちのたまり場なんです」
「あ、そうなんですか」
「もともとは、スピさんとか、アブさん、ラバさんたちが集合場所にしていたところなんですけど──気が付いたら、みんなのたまり場になってました」
 あ、それで、パーティ名がプロンテラベンチっていうんだ──「きっと、毎日のようにスピさんがあそこにやってきては──」アピさんは口許に微笑みを見せながら、言っていました。
「みんなと今日はどんな冒険をしようかとか、どんなくだらない事をしようかって話していたりして、自然と、みんなが集まって来ちゃったんだと思うんですね。それで、いつの間にかベンチ前の常連になって、ベンチメンバーとか呼ばれるようになって──スピさんは魔導士としては三流ですけど、たぶん、人を引き寄せる何かがあるのかなぁと、最近思うのです」
「引き寄せる、何か──ですか」
「というより、トラブルに巻き込む何かかも!」
 はっと気づいたようにアピさん。
 んと、たぶん、それだ。
「でも、スピさんは冒険者として、心の中にちゃんとした何かを持っているのは本当ですよ」
 着替え終わった私たち。
 アピさんは微笑みながら、ドアの前にあった棚をずりずりとどけはじめました。「たぶん、冒険者というのは、みんな大きさはそれぞれでも心の中にそれを持っているはずなんです」
「そしてたぶん──」
 がちゃり。アピさんはドアを開けて微笑みました。
「みんなの心の中にあるそれを引っ張る何かが、スピさんにはあるのかも知れないです」
 ドアの前にいたスピさんは、待ちくたびれたのか、それとも思惑がはずれてすねたのか。廊下にごろりと横になって、ふて寝をはじめていました。「スピさん、起きてください」「むにゃむにゃ、あと五分」「テンプレな発言は減点です」「…だって、見えないんだもん」「何がですかっ!」「ごぁ!?カド!?バイブルのカドはクリティカル!?」「もー、行きますよー」
「あぃあぃ」
 変なパーティリーダーのスピさん。
 パーティのみんなにからかわれて、おもしろがられて、独断で即断。即決で即実行。そして取り囲む仲間たちも、ノリと勢いでやりたい放題。
 でも──不思議。
 アピさんの言ったように、なにかちょっと、このパーティのみんなには、惹かれるものがあるような気もします。


 ネンカラスの向かい、酒場は夜になって、冒険から戻った冒険者たちでにぎわっていました。
「ガフー…」
 うぅーんとうなって、スピさんが丸テーブルに突っ伏しました。「勝者ー!」と手にした空のジョッキを掲げているのはシーフの男性。「勝者、ハヤテー」げらげらと笑いながら、そのシーフの隣にいた騎士さんがジョッキを掲げていました。「さぁ、ならばハヤテ!勝負だ!!」「ふ。リジェル、俺にかなうと思ってるのか…」「では、れでぃー…イッキ!」
 酒場はやんややんやの大喝采。「イッキ、イッキ!」のコールに、シーフさんと騎士さんの手の中にあったジョッキが、見る見るうちに減っていきます。「ガフー…」「勝者、リジェルー!」「では、リジェルさん!勝負!」「お、Kさんが挑んでくるとは!!」「酒場常連として、負けません!」「イッキ、イッキ!」「ガフー…」「ふははは!」「勝者、Kさんー!」「ならば今度は…」
 ──エンドレスな戦いが酒場をどんどん巡っていきます。
「…参加してこようかな」
 ぽつりと、迦陵ちゃんがつぶやいていました。
「お、おやめなさい!!」
 あおさんがまっとうなご意見。どう見ても、迦陵ちゃんは未成年に見えるんですけど…えと…まぁ、今もお酒飲んでるようだけど…
「道すがら、転職に必要な他のモンはそろえたし──」
 いるるさんがミドカルドの地図を折り畳みながら、言いました。
「最後はモロク水溶液だけど、モロクなら、朝イチで出れば、午後の真ん中くらいにはつける。明日は、ベンチに八時集合くらいで」
「うーむ、つくのは夕方くらいか。まぁ、そんなもんか」
 ラバさんがビールを飲みながら言いました。「ですね」と、アブさんが続いていました。
「え?」
 私は目を丸くして聞き返しました。
「あの、朝イチで出れば、午後の真ん中くらいにはつけるんじゃないんですか?」
「だから、夕方くらいだねーと」
 けらけら、まゆみさんは笑います。他のパーティメンバーも、こくこくと、「なにを当たり前のことを?」と言うように頷いていました。え?え?私、何か間違ってる?
「プロベンの集合時間は──」
 私のはす向かいに座っていたあおさんが、神妙な面もちで言いました。
「集合時間に前後二時間の幅を取るのです」
「光画部時間っ!!」
「世間の常識だぞ!?」
「古いネタは、わからない人の方が多そうですねー」
「ってゆーか、前後二時間っていうけど、前に二時間のことは絶対にないんだけどな」
「それを言ってはいけません」
「そもそにょ──」
 お酒に酔ったのか、ろれつが回りにくくなっているまゆみさんが、ぺちと赤いほっぺたを叩いて、言いました。「そもそも──」うむりと目を伏せます。
「これがこんな状況だと、二時間もあやうぃかと」
「ガフー…」
 丸テーブルに突っ伏したスピさんの顔は帽子に隠れて見えませんでしたが──
「完全にイってますね」
「スピたん、イっちゃったかぁ?」
「早い男は、嫌われますよ?」
「なにがですか?」
「なにがだろうなぁ…」
「お酒弱いのに、勝負なんかするから」
「げぷ…」
 酒場の夜は更けていきます。


 それから私たちは、小一時間ばかり世間話に興じていました。お腹もいっぱいで、酔いもいい具合にみんな回ってきて、「よーし、二次会いくかぁ!」まゆみさんがお勘定をするアピさんを見ながら言いました。「かわいいアコきゅんのいるお店に、みんなでゴー!だ」「いえ、どうせ行くなら、お嬢さんたちのたくさんいる…」「パパ?」「ところに行きたいと、ラバが」「俺か!?」「ふはは。栗毛アコきゅんとあんなことやこんなこと…」「二次会っ、二次会っ」「迦陵ちゃん、ノリ気?」「うぐぅ…ダメですかぁ」「よい子は帰って寝る時間です!」「センセー、行く気満々?」「すらっしゅ …(誤」
「じゃ、スピたん、よろしくぅ〜」
 そういい残して、夜の街へとみなさんは消えていきました。
 後に残されたのは、私とアピさん。そして──「うぅ〜…」とうなっている、スピさん。
「スピさんのお家は、こっちです」
 軽く笑って、アピさんはスピさんに肩を貸しながら、とことこと歩き出しました。
 夜のとばりが降りたプロンテラ。
 その中央、噴水広場へと、私たちは歩みを進めました。
 昼間は露天商人たちでにぎわうこの場所も、夜を迎えた今は静かです。絶え間なく流れ続ける噴水の水の音だけが、プロンテラの夜に響いていました。
「ソアラさんは──」
 ぽつり、アピさんが言いました。
「どうして魔法士になろうと?」
「え?」
 私は目を丸くしてアピさんを見ました。
「そういえば、誰もそんな話、聞いていなかったので」
「っと…」
 そういえば、ここまでの冒険の間でも、さっきの酒場でも、誰もそんな話はしませんでした。どうでもいいくだらない話や、目に付いたものの話ばっかりで、誰もそんな事は気にもしなかったようでした。
「いえ、あの…別に、どうしてってほどの理由があるわけでは…」
 私はちょっとしどろもどろになりながら、言いました。
「私、力ないですし、あんまり素早いってわけでもないですし…でも、冒険者になりたくて、世界中を旅して回ってみたいなぁと…そしたら、魔法士になれば、それが出来るかなって」
 うん。
 私はアピさんに気づかれないよう、小さくこくりと頷きました。いい解答。模範解答。
「あ、じゃあ、あれですね──」
「魔法士はぁ〜、そんなにぃ、簡単ぢゃあねぇぞぉ」
 アピさんの声を遮って、うなるようにしてスピさん。「楽して強くなろぉなんてぇ、量産型魔法士は、時代の変化に取り残され──ガフー…」
「スピさん、ムリして話に入らなくていいですよ」
「ぅうー」
 うなり、スピさんは顔を落としました。これで、パーティリーダーなんだもんなぁ…
 噴水広場を抜け、私たちはその先の大通りへと、細い道を入って抜け──
「──魔法士になろうなんて、センスがないな」
 ふいに、その道の向こうに、ひとりの剣士が姿を現しました。
「そうでしょうか?」
 アピさんは軽く小首を傾げて返します。そして、ぴくりと身をこわばらせ、さっと背後に視線を走らせました。私もその視線を追って振り向くと、そこにはアコライトがひとり、道をふさぐように立っています。
「…穏やかじゃない、雰囲気ですね」
 ぽつり、アピさんは言って剣士の方へと視線を送ります。
「なに、穏やかにすまそうってんなら、別段、難しい話じゃない」
 その翡翠色の髪の剣士は、軽くアピさんに向かって笑いながら続けました。「そいつと関わり合って、面倒に巻き込まれるのは、俺もゴメンだ」
 そいつ──その剣士が指さしたのは、アピさんの肩にもたれかかって、今はぴくりとも動かないスピさん。この剣士は、スピさんの事を知って──
 剣士はそっと腰の剣に手をかけて、笑いました。
「彼女を俺たちの方に渡してもらおうかな?ちょいと、頼まれごとをされていてね。彼女を、ご両親のもとに送り届けなきゃならんのよ」
「あまり、こういうやり方は好きじゃないんですが」
 背後に立っていたアコライトが言いました。
「今回はちょっと、スピードを求められる話でして、少々スマートではないやり方ですが、ご了承ください」
「ご理由をお聞かせください」
 アピさんは私、そして剣士、アコライトへとすっと視線を送りながら言います。「お話の内容によっては、私としても、お兄さんたちと争う気はありませんし」
 お、おにい──!?
「クライアントの秘密は絶対厳守が、冒険者組合の掟。アピさんも、それくらいはご存知かと?」
 翡翠色の剣士は、軽く髪をかき上げて言いました。その時にふっと月光の中にてらされたその顔立ちは、今、私の目の前で「ゲフー…」とうなっているその人とよく似ていて──
「スピさんのお兄さん!?」
「そうです」
 アピさんはこくり。スピさんのお兄さんは目を丸くする私に向かって、軽くため息混じりに言いました。
「さて、俺らがこうしてここにいる理由はお嬢さんの方がよーっくわかってるかと思いますが、どうです?へっぽこのソレはうっちゃって、俺たちと一緒に来てくれませんか?」
 スピさんのお兄さんというその人の台詞に、アピさんはそっと、私を見ました。その瞳は、前髪がちょっとかかっていたせいか、少し物憂げで、私に何かを問いかけるような瞳で、私は何も言えず、言葉を飲みました。
「別に、私たちも悪いようにしようと言うわけではありません」
 背後に立っていたアコライトの男性が言いました。「あなたのご意見も十分にわかります。ですから、我々もあなたの力になれると思います」
「さ、一緒に来ていただけませんか?」
 柔らかく微笑み、アコライトの男性はそっと手を差し出しました。
「あ…ぅ…」
 私は剣士、アコライト、そしてアピさんを順繰りに見ました。
 誰も、無言。
 ここまで一緒に旅をしてきて、一日にも満たない時間だったけど、楽しくて、あぁ、私も冒険者になったら、こんな楽しい毎日を送れるのかなって──それで、もしかしたら、私が魔法士になっても、一緒に旅をしてくれるかなぁなんて思っていたのに…アピさんは何も言わず、ただ私の事を見つめていました。一言もいわず、ただ、まっすぐに。
 それが耐えられなくて、私は視線を外してうつむきました。
「あ…あの…」
 私は、うつむいたまま、小さくつぶやきました。
「お兄さん方に依頼をしたのは…その…私の、父ですか?」
「──依頼人については、ノーコメント」
「そうですよ」
「って、なんで言うんだよ!オマエは!?」
「いえ、その方が彼女が安心するかと」
「私を、連れ戻しに?」
「そうです」
「って、オマエはべらべらと!」
「その方が、彼女も安心するかと」
「頭悪いか、オマエ!?」
「なっ、私より計算遅いくせに、よくもそんなことが言えますね!」
「なにょ!?モヤシが!?」
「なんですか!!」
「あ──」
 口げんかを始めた二人の言葉の間に、アピさんのすっとんきょうな声が割り込みました。そしてそぉっと、アピさんは自分の肩に寄りかかるスピさんの口許に耳を近づけ、「──はい」言いました。
「うるせぇぞ、ヴォケ!頭に響くだろ!!だそうです」
 きっぱり。
 ぷちっと、何かがはじけるよう音が、私の耳に届いたような気がしました。
「たたっ斬ってくれるわ!」
「まぁまぁ、落ち着いて」
「──はい」
 アピさんは再びスピさんの口許に耳を当てていたかと思うと、こくこくと二、三度頷いて、言いました。
「ソアラさんは今、自分のパーティメンバーなので、自分抜きでパーティメンバーの話をしないでくれと言っています」
「だったら、テメェも起きやがれ!」
「まぁまぁ」
「そしてソアラさん」
「え…あ…はい…」
「パーティ脱退の魔法の言葉は、/leave」
 アピさんはにこりと笑いました。
「助けて欲しいときは、素直に/help──だそうです」
 夜のとばりの降りたプロンテラ。
 遠くから、絶え間なく流れ続ける噴水の水の音が、小さく届いていました。「私…」
「私は──プロンテラベンチの、パーティメンバーなんですか?」
 静かに響き続ける水の音に。
 私の問いに、答える声はありませんでした。
 だから、私は──私はちいさく、うつむいたまま、弱く、言いました。
「でも──私なんか──まだノービスだし、魔法士になっても、強くなれるかどうかなんて──」
「それじゃ、ダメです」
 アピさんは微笑みながら、言いました。
「酔っぱらいは判断力がないので、難しいことはわかりません」
 小さく言葉を続けようとした私を、アピさんが遮りました。
 ふわり。
 優しく、私の背中を押すような風が、夜の街を抜けていきました。
 ふいに押し出された、私の言葉を乗せて。「でも──」


「私は、魔法士になって、世界中を旅する、冒険者になりたいんです」
 あ…
 口をついて出た言葉に、風が答えました。