studio Odyssey



突き進め。


 盆地の中に栄えた町、ゲフェンには、まだ朝靄が色濃く残っていました。
 弱く吹き抜ける山風が、私たちの髪をゆらし、静かに抜けていきました。
「──話は聞いたぜ」
 杖を握り直し、スピさんは一歩前へと踏み出します。
 それに答えるように、スピさんのお兄さんもまた、剣を引き抜きながら踏み出します。
「んなら、オメーの選択肢はふたつだ。彼女を渡すか、俺にお前の人生五○回は繰り返せる金を渡すか」
「そんな金、あるわけねーだろ、ヴォケ」
「じゃー、死ね」
 二人の間に、闘気のようなものが揺らめいているような気がしました。
「地に落ちたな、兄貴。そんな武器が欲しいがために、女の子ひとりの夢を台無しにしようなんてよ」
「夢ってのは、常に形を変えるモンだ。それに、魔法士に転職する事が、彼女の夢か?」
 朝靄が、ゆっくりと晴れはじめていました。
「その子は、冒険者になりてーんだろ?だったら、魔法士なんかにならなくていい。同じ冒険者になるんなら、剣士になりゃいい」
 すぅっと、スピさんのお兄さんは大きな剣を下段にかまえました。
「どっかのアホゥみてぇに、へっぽこ魔法士になんかな」
「どっかの腐れ剣士よりはマシだ」
 ゆっくりと身体を自然体に開き、スピさんも唇を舌で湿らせました。
「冒険者として、これから苦難の道を行くんなら、誰にも文句は言えねぇんだ。自分の決めた道を、突き進むしかねぇ」
「彼女のお父さんは、その子を冒険者にしたくない訳じゃない」
「知らんね」
「俺と約束した。剣士として冒険者になるんなら、考えてもいいって話だ」
「考えてもいいって言うのと、そうするってのとは、別問題だ」
「屁理屈を」
「兄貴は自分の行為を正当化しようとしてるだけだろ」
「じゃあ、オメェ、+10ダブルハロウドツーハンドソード、俺に寄こせ!」
「論点がずれてんだろ!ヴォケ!!」
「へっぽこ!!」
「いい度胸だ!!」
「テメェとは勝負をつけにゃならんと思っていたトコだ!!」
 びゅうと、一陣の風が吹き抜けていきました。
「あー…」
 ウィータさんが、ぽそりとつぶやきました。
「なんかもう、私怨になってるね」
「ですねー」
 スピさんのお兄さんの後ろにいたアコライトさんも、苦笑混じりに言いました。
 そしてそのアコライトさんは、一ゼニー硬貨をぴんっと薄れていく朝靄の中へ、指ではじき飛ばしました。
 くるくるとその硬貨は宙を舞い──きんっという甲高い音を立て、ゲフェンの石畳へと落ちました。
 瞬間、辺りを包んでいた朝靄は、吹き抜けた風に姿を消しました。
「勝負っ!!」
 剣を下段にかまえたまま、剣士は魔導士へと詰め寄ります。「ユピテルサンダー!!」それに答える魔法士。生み出された雷の弾が、過たずに剣士の身体へと襲いかかります。
「インデュアー!!」
 かっと剣士の身体が輝きました。と、同時に雷弾が剣士の身体を撃ちました。
「!?」
「いたくなーいっ!!」
 しかし、剣士はその雷弾を受けながらも、まっすぐに魔導士に向かって詰め寄り、「これが剣士と魔法士の、決定的な差だ!!」剣を、大上段へと振り上げました。
「バカな!?」
 魔導士は目を見開き、迫る剣士に向かって叫びました。「あー、ありゃダメだね」まゆみさんの声に、シン君の声。「やられパターンの王道を行くテンプレ的発言だ!?」「うむ!」そして──
「バッシュ!!」
 ばんっという激しい爆発音。
 思わず、私は目を伏せました。
「うーむ…一瞬でしたね…」
 アブさんが、ぽつりとつぶやきました。
 そろり、目を開けると──「すらっしゅ しょっく!」
 石畳の上に、スピさんはたおれて──ぴくぴく。
「勝者、お兄さん〜」
 いつもの調子で、アピさんが言いました。
「これが、魔法士と剣士の決定的な差だ」
 軽く剣を振るい、お兄さんは言いました。
「さ、そんな試験管の中に入ってる液体なんざ捨てて、一度お父さんのところに戻って、剣士として冒険者になんな」
「う…」
 私の胸には、両手でしっかりと握りしめたひとつの試験管。
 私の、はじめての冒険で手に入れたアイテム──
「でも…でも…私は…」
 ゆっくりと、スピさんのお兄さんが私に近づいてきました。
「夢は、常に形を変えていくモンだ」
 軽く笑い、お兄さんは言います。
「この世界と一緒で、自分の思い通りにはならない事がほとんどだ。だが、形は違えど、夢に近づくことは出来る。さあ、俺と一緒に──」
 差し出された、手。
「──なんだ?」
 遮るように、間に入ってきた、ひとりの魔導士。
「お兄さんは、お師さまとは全然違う考えをお持ちなのですね」
 えぶちゃんが、ゆっくりと言いました。
「──へっぽこと一緒にすんな」
「お師さまは、へっぽこではありません」
 えぶちゃんはまっすぐにスピさんのお兄さんを見つめて言います。その、小さなはずの背中が、私にはものすごく、大きく見えました。
「お師さまは、魔導士としてはへっぽこですが、きっと、そんなことは言わないでしょう」
「まぁ、バカだからな」
 と言ったのは、こちら側にいたラバさんです。ラバさんはひょいと肩をすくめながら、続けました。
「自分の思い通りにならないことはねぇと思ってる」
「思いこみも激しいです」
 アピさんも笑いながら続きます。
「一度決めたら、猪突猛進って感じですか」
「ノリと勢いだけとも言いますかね」
「そして突貫死」
 アブさん、まゆみさん。
「まぁ、それを取ったら何も残らないと言うか──」
 ウィータさんが続きました。
「そして──」
 えぶちゃんはゆっくりと、言いました。
「世界の果てすらも越えていこうとするお師さまだからこそ、その世界の果てに、たどり着くことが出来たのです」
「──なんの話だ?」
 お兄さんは眉を寄せ、えぶちゃんをいぶかしげに見ました。えぶちゃんは小さく頷き、
「お師さまを侮辱するのなら、この一番弟子、地魔導士のえぶがお相手いたします」
「あのなぁ、俺はオマエらにかまってられるほど、暇でも──」
「ソアラちゃんを護るのは、姉弟子である、私の役目でもあります」
「!?」
 目を丸くしたのは、私でもお兄さんでもなく、アブさんとグリさんでした。「今、なんと!?」「へっぽこ決定!?」
「やるってんなら、勝負するが?」
 そろりとえぶちゃんと距離を取るように、お兄さんは後ろへと下がり、言います。
「俺は強ぇえぞ?」
「私は──」
 えぶちゃんはにこりと笑って、言いました。
「お師さまより強いです」
「おもしれぇ!」
 ばっと剣を振り上げ、お兄さんは大きく前へと踏みだ──
「すとーんかーす!」
 した姿勢のまま、石像のようにぴくりとも動かなくなりました。いや、石像のようにというよりは、正確には、石像になりました。
「──…」
 無言。
「弱っ」
 ん、まぁ…たしかに…
「さーて…」
 まゆみさんが一歩前へと踏み出しながら、にやり。「残りは、アコきゅんだけだね〜」「う、うれしそうだ…」「うれしいんでしょうね」「アルクさん、なむー」
「降参します」
 あははと軽く笑って、そのアルクさんと呼ばれたアコライトはひょいと両手をあげました。「私、腕っ節はからっきしなので、勝ち目がないことはしません」「じゃぁ、じゃぁ、調教だねっ」「え…?」「敗者は勝者に身体を許すものですヨー」「ええっ?」「アルクさん、なむー」
「では、スピさんを起こして、ついに転職ですね」
 にこりと微笑み、アピさんはスピさんの元へと歩み寄りました。そして、「りざれく…」
「冒険者というのは──」
 声が響きました。
「かくも無能な輩のあつまりだな」
 私たちの前に立ちはだかった声の主が、私に向かって、言いました。
「ソアラ、こんな輩の仲間入りなど、することはない」


 ゲフェンの町。
 私たちの目の前に現れたのは、百を超えようかという数の兵士たち。
 そしてその兵を率いる、
「なんだ、あのデブは?」
 男を見て、ラバさんがぽつりと言いました。
「恰幅がいいと言った方がよろしいかと」
「したっぱらー」
「ほぅ…」
 うなり、アブさんは顎をなでました。「よかったですね…」こくこく、えぶちゃんが頷いて言いました。
「お母さんに似たのですね」
「すらっしゅ しょっく!」
 まゆみさんが口を半開きにしていました。
「ま、まさかー!?」
 私は、こくりと小さく頷きました。そう、今、私たちの目の前にたったこの人こそ──
「アレが、ソアラたんのぱぱー!?」
「何を言いますか、まゆみさん」
「そうです」
「パターンじゃないですか」
「悪役は、デブオヤジぃと相場が決まっています」
「乙女を助ける、プロンテラベンチですね」
「なんの話をしておるんだっ!!」
 顔を真っ赤にして、父は叫びました。そして率いていた兵達を一歩前へと進ませ、「ソアラ!そんな根無し草のくだらん輩どもとつるんでおっても、お前に幸せはおとずれん!パパのところに帰ってきなさい!!」
「あ…う…」
 辺りに視線を走らせると、父の率いた私設護衛団の剣士たちが、私たちを取り囲むように展開しています。その数は、今まで私たちを追っていた冒険者たちの倍以上。
「へぇー…」
 シン君が感心したようにつぶやきました。
「ソアラさんの家、金持ちなんだなぁ」
「これだけの人を雇えるお金があるなら、そりゃ、+10ダブルハロウドツーハンドソードとか、出しますよねぇ」
 迦陵ちゃんも取り囲む護衛団を眺めながら言いました。
「でも、デブだ」
「ああはなりたくないですな」
「そのたぷたぷお腹で、世の女の子たちをはぁはぁしてるんだな!金かー!?世の中は金なのかー!?」
 ラバさんアブさん、そしてまゆみさん。
 少し論点がずれているような気もします。
「っとと。スピさん起こすの忘れてた。りざれくしょーん」
 そもそも論点がそこにないアピさんは、マイペースに近くに倒れていたスピさんに魔法をかけていました。
「うむ…なんだ?」
 もそりと起きあがり、スピさんは帽子をなおしながら、辺りを見回しました。しかし、自分たちの置かれている状況がよくわからなかったのか、寝起きのような──寝起きなのか──顔つきでくるりと護衛団を一瞥しました。
「さぁ、観念しろ」
 スピさんが最後に視線を落ち着けた先、父が、叫ぶようにして言います。
「娘を返してもらおうか!うちの娘を、貴様ら冒険者などと一緒にしないでくれ!!」
「俺たち冒険者を、お前みたいなデブと一緒にすんな」
「すらっしゅ しょっく!!」
 起き抜けの第一声が、それですかっ!?
「き…貴様!?下手に出ていれば、い、いい気になりおって!!」
「誰?あれ」
「ソアラさんの、おとーさんだそうです」
「ふーん…」
 スピさんは帽子をなおしながら、立ち上がりました。そして、言いました。
「悪役面だな」
 にやり。
 えと…一応その…父なので、なんというか…その…
「ソアラは、魔法士になる!!」
 スピさんは手にした杖でびしっと父を差し、言います。「邪魔するなら、叩きつぶす!!」
「ふん!出来るものなら、やってみせるがいい!!」
 ばっと腕を振るい、父は返しました。
「貴様らのような無能な冒険者たちが、束になったところで、この護衛団にはかなわん!ソアラは私がつれて帰る!!低脳な冒険者になど、決してさせん!!」
「──ぉ?」
 スピさんは視線を明後日の方向に向け、小首を傾げました。「どうやら、俺は低脳だからよく理解できなかったらしい」そして、帽子に手をかけながら、言いました。
「今、冒険者にはさせないと言ったか?」
「何をばかげたことを──」
 父は軽く笑い、言いました。
「実の娘を進んで低脳な冒険者にするような親など、いるものか!」
「指を差さないっ!えぶっ!!」
「ソアラの幸せは、私が一番に考えているのだ。貴様らなど赤の他人。どうせ、ノリだ勢いだなんだと、将来のことも考えずに、その日暮らしの冒険者人生を歩んでいるのだろう?そんな世間のゴミに、娘をさせてなるものか!!」
「──ふん…」
 スピさんは口を曲げました。
「言い返せない──」
「スピさん!!」
「大当たりだしねぇ」
「ただ、ふたつばっかり、俺から質問をさせてもらおうかな」
 帽子を深くかぶり直し、スピさんは言います。「ひとつめ──」
「あんた、兄貴には、ソアラを連れ戻したら、剣士として冒険者にさせるなら考えると言ったらしいが?」
「考えては見たが、やはり冒険者なと社会のクズだ」
「ってことは、実際のところ、ハナから冒険者たちを信じちゃいなかった、と。すると、報酬の+10ダブルハロウドツーハンドソードも、怪しいな」
「ハナから信じていない奴らには、すぎた代物だな。万が一娘を連れ戻したとして、+7ウィンドバスタードソードでも、貧民どもは満足するだろう」
「なるほど──つーことは、兄貴はやっぱりバカだった、と」
「ああ、スピットがあんな事を言ってますよ、お兄さん…」
 アルクさんはぽんと石化したお兄さんの肩を叩いていました。「いい弟さんです──」「二つ目。最後」スピさんは言いました。
「俺たちは、確かに赤の他人だが、お前だって、父親だかなんだかしらんが、ソアラからして見れば、他人だ」
 スピさんは、まっすぐに前を向いたままで言っていました。だから、その言葉にかぶるようにして背後に立ち上った光の柱には、振り返りもしませんでした。
 立ち上った光の柱の中から、あおさん、グリムさん、いるるさん、そして玲於奈さんがはぁはぁと息を切らしながら、飛び出してきました。「ミ、_!!」「死ぬ!?」「スピさん、もー、こうさん」
 そしてそれに続いて、ぞくぞくと、あのモロクにいた冒険者たちが続いてきました。「マテヤ、ゴラァ!!」「よくも俺の仲間をやってくれたな!!」「ぶっ殺す!!」「プリさん、ヒールぷりずぅー」
 護衛団、そして背後に現れたたくさんの冒険者たち。
「ど、どーするんですかっ!?」
 アピさんが言いました。
「カーンケーねぇ」
 スピさんは帽子をちょいとあげ、言い放ちました。「幸せだとか、夢だとか、叶うとか叶わねぇとか、なんだかんだ」
「そんなモンは、本人が決めることだ」
「かまわん!やれ!!娘を取り戻せ!!」
 それを合図に、護衛団が動きました。剣を振り上げ、私たちに向かって一気に襲いかかってきます。「迎え撃て!!」
 剣戟の音。強く響く金属同士のぶつかりあう音。そしてすっ飛ぶ誰か。誰かの魔法に、立ち上る火柱、氷柱、大爆発。
 後から追いかけてきた冒険者たちも入り乱れ、組んず解れつの大乱戦が始まりました。「ボーリングバッシュ!!」「ブランディッシュスピアー!!」「いてっ!?誰だ、今俺殴った奴は!?テメェか!?」「ち、違う!」「ソニックブロー!!」「マグナムブレイクッ!!」「誰だ!今俺の尻さわったの!?」「きゃあっ!?」「どさくさ紛れに誰だ!!ブチ殺す!!」
 その中で、私の手を、誰かが強く引っ張りました。
「──!?」
「さぁ、来なさい!ソアラ!!」
「しまったー!?」
「スピ!アピのお尻さわってる場合ではありません!?」
「…スピさん?」
「ソアラ!!」
 ん…その真剣さが、ちょっと私にはショック──
 私の腕を引き、父は乱戦から離れました。そして腰に下げていた道具袋の中から、蝶の羽を一枚、取り出しました。
「娘は返してもらう!そして、金輪際、娘には近づかないでもらおう!!」
「待て!クソデブ!!」
「ク──クソデブ!?」
 ぐっと身をこわばらせる父に向かい、いえ、その腕の中の私に向かい、スピさんは言いました。
「ソアラ!お前がもし、本当に魔法士になりたいんなら、今、ここでその想──ごぁ!?」
 その台詞が最後を結ぶことはありませんでした。突然に横から殴りつけた護衛団の兵士に、スピさんは乱戦の中に再び押し戻され──「ってぇな!こんちくしょー!!」「おわ!スピ、俺だ!俺!?」「邪魔だ、死ね…!」「ま…」
 乱戦の中に、その声がかき消えていきました。
 ゲフェンの町に響く騒乱。
 早朝にもかかわらず、町の人たちがなんだなんだと、姿を現しはじめていました。
「さあ、行こう。ソアラ」
 父が、私の手をそっと引き、言いました。
「これだけの騒ぎになれば、彼らもタダではすまない。冒険者資格を剥奪され、町から出ることも出来なくなるだろう。ソアラ、お前もそれで、普通の生活に戻れる」
「──ふつうの、生活」
「そうだ」
 ゆっくりと、父は私を諭すように言いました。そして、微笑みました。
「お前の幸せは、その中にあるんだ」
「──私の」
 私はそっと、振り返りました。
 耳に届く剣戟の音。炸裂する魔法。誰かの声。「うぉ!?死ぬ!?」「くたばれ!ロドリゲス!!」「あたらねー!?」「俺の速さに、ついてこれ──ごぁ!?」「お前、どっち軍だ!?」「こっちだ!」「わからん、死ね!」「おわあぁ!?」「敵はどこだー!?」
 冒険者たちの喧噪。
 スピさんたちの──
「──ふつうの、生活」
 憧れ。
 それは、はじめは憧れだったのかもしれない。
 町を行く冒険者たちを見て、憧れていたのかも知れない。
 毎日、一時として同じ表情をすることはなく、世界中を旅して回り、たくさんの人たちと巡り会い、共に笑い、走り、たまに真面目。
 私の住む世界とは、違う世界。
 冒険者たちの世界。
 それは、憧れだったのかも知れない。
 毎日、同じ事の繰り返し。代わり映えのない世界。その世界に住み、私は、憧れていただけかも知れない。
 冒険者になったら、小説の中に書かれているような、大冒険の毎日があるに違いない。伝説の勇者や騎士たちと、出会う事だって、あるかも知れない。
 とらわれの姫君を助け出す冒険。
 村を襲う、魔物の一団と対決する冒険。
 悪い魔導士と、世界の平和をかけて戦うような、大冒険。
 そんな、夢のような冒険の数々が、その世界にはあるのかも知れない。
 憧れ。
 はじめは、そんな憧れだったのかも知れない。
 そして、現実。
 今、私はその冒険者たちの世界のはしっこに、入り口に、いる。憧れていた世界のはしっこ。
 今、私の現実の目の前に、その世界。
 目を開けば、見渡せる場所──
「お父さん」
 私は、そっと、言いました。
「ふつうの生活の中に、やっぱり私の幸せはあるよ」
 そこには、私の憧れていたものなんか、なかった。
 あったのは、ふつうの生活。
 私はそっと、言った。「憧れも、夢も──手を伸ばせば、きっと届く。そんな幸せの生活が──」
「冒険者たちの、ふつうの生活の中に」
 憧れていた冒険なんか、なかった。
 けど、そこに、私の冒険はたしかにあった。
 一時として同じ表情をすることはなく──
 世界中を旅して回り、たくさんの人たちと巡り会い、共に笑い、走り──
 たまに、真面目。
 そんな毎日を──
 だから私は、言った。
「私は、冒険者になります」


「聞いたか、皆のもの!!」
 喧噪を突き破って、声が響きました。
 誰もが皆手を止め、その声の方向を見ました。
 長い階段の上、ひとりの剣士が右手の剣を陽光に輝かせ、風に揺れる翡翠色の髪をそのままに、立っていました。剣士は強く剣を振るい、言います。
「さぁ、冒険者たちよ!!今、我々が戦わねばならない敵は、誰だ!!」
「そうだぁー!」
 別のところから登った声。今度は皆、その方向へと顔を向けます。
 建物の上、屋根の上にひとりのアサシン。
「そこにいる、ソアラたんのパパは、私たちをだましていたっ!」
「ハナから、彼女を冒険者にするつもりなど、なかったのです」
 その声と共に、巨大な氷柱が立ち上りました。そしてその氷柱の上に、ひとりの魔導士。
「みなさんに約束されていた武器も、初めから存在していません」
「俺たちは、つまり、利用されていただけだ」
 ざわりと、冒険者たちがざわめきました。「くっ!」私の手を取り、父が私を抱え込みました。
「バカな!そんな話はうそっぱちだ!!」
「確かに言ってました」
 緊迫感のない、プリーストの彼女の声が、そのざわめきの中によく響きました。
「そうだっ!つまり、みんながソアラたんを捕まえて、連れて行ったところで、報酬はおろか、ソアラたんは剣士にも転職しない話だったのだっ!!」
 屋根の上にいた、アサシンが言いました。
「剣士転職しない──つまり──萌え騎士たんにも、転職しないッ!!」
 ぐっと拳を握りしめたそのアサシンに、しんっと、水を打ったようにあたりは静まりかえりました。
 えと…あの…まゆみさん?
「ペコには乗らない約束も、全部嘘だ!つまり、はぁはぁ出来ないっ!!」
 それはいったい…そのー…
 まゆみさんは仁王立ちのまま、言い切りました。「今、私は冒険者諸君に、再び声を大にして、問う!!」
「敵は、誰だ!!」
 時が、止まったような気がしました。
 しんっと静まりかえった町中。
 冒険者たちの人垣の中から、ひとりの魔導士がはい出してきます。「さて、あとはソアラ──」
 はい出してきた翡翠色の髪の魔導士はにやりと笑い、言いました。
「あとは、君の魔法の言葉だけだ」
 まほうの…言葉?
 私の頭の中に、パーティメンバーだけが聞くことの出来る声が響きました。
「え──?」
 まほうの…言葉?
 そ…それが!?
 私はその声を聞くことの出来た人たちを見回しました。仲間たちは、笑います。中には、苦笑って感じの人もいました。でも、みんな、笑っていました。魔法の言葉…最後に視線を落ち着けた先、まゆみさんが、ぐっと親指を立てた右手を、つきだしていました。
 こ、これが…魔法の言葉?いや、だって…えっと…
 ゆっくりと、冒険者たちが私の方を見ました。父が腕に力を込め、私を引き寄せます。
「あ…あぅ…」
 それが少し苦しくて、私は目を伏せました。
 その瞬間、ぴんっと緊張の糸が、最大限にまで張りつめられた──そんな気がしました。
 い、言うの?言わなきゃだめなの!?
 ってか、それ以外の選択肢は──ない!?
「あ…あぅ…た…たすけて…」
 私は小さくつぶやき、ぎゅっと目を閉じました。
 お、乙女なら──やってやれ!!
 私はぎゅっと目をつぶり、力の限りに叫びました。
 曰く──
 魔法の言葉を。


「お兄ちゃん!助けてっ!!」




「すらっしゅ しょっく!!」
 冒険者たちのそのタイミングといったら、もう──千分の一秒の狂いもなく。
 そして巻き起こった冒険者たちの歓声というか怒号というか、なんというか、「ムッハー!!」「キター!?」「やってやる!やってやるぞ!!」「地の果てまでもお供する!!」「ソアラたんを虐める奴ぁ、大統領でも敵だと思え!!」「GMだろうと敵だ!!」「垢バン!?知ったことか!!」「行くぜ、藻前ら!」「いかいでか!!」「総大将、ご命令を!!」
「行くぜ、野郎ども!!」
 その先陣を切った翡翠色の髪の魔導士が、素早く呪文を唱えました。
 振り下ろす杖に、雷が答えます。
「ライトニングボルト!!」
 天から降り注いだ一本の雷撃は、過たずに私を捕らえていた父を打ち抜き──「お…ぐぇ…」ばたり。
「突き進めー!!」
 冒険者たちが──私たちが──走り出します。


「つ、捕まえろ!逃がすな!!」
 立ち上がった父の声に、護衛団達が素早く動きます。私たちの行く手を遮るように立ちはだかり、「止まれ!」私に向かって、手を伸ばしてきます。
「きゃああぁぁ!?」
「ムッハー!」
 私の後ろに続いていた剣士たちが大きく前へと踏みだし、「マグナムブレイク!!」同時に剣を振り下ろしました。
 生まれた爆発に、護衛団たちがぼんっと勢いよく吹き飛ばされました。
「露払いはマカセロ!」
「ゆけ!我らが妹よ!!」
「マンセー!!」
「あ、ありがとう…」
「アピ!えぶ!ソアラを連れて、魔法士ギルドへ走れ!!」
 スピさんの声が響きました。「ソウルストライク!!」
「はいっ!」
「ソアラさん、ここはみんなに任せて、走りましょう!!」
 私の手を、えぶちゃんが取りました。
「突き進め!」
 その声に背中を押され、私は「はいっ!」と、力いっぱいに走り出しました。
「行かせるか!!」
 壁のように立ちはだかる護衛団を、
「ボーリングバッシュ!!」
「スピアブーメラン!!」
 騎士たちがはじき飛ばします。
「おのれ、ちょこざいな冒険者たちめ!かまうことはない!!皆叩きつぶせ!!」
 剣戟。
「冒険者の意地を見せてやれ!かまうこたぁネェ!!やってやれ!!」
 魔法の炸裂。
 飛び交う怒号に、爆発。「ツーハンドクイッケン!!」「ファイヤーウォール!!」「うぬぅあ!!インデュアー!!」「グロリアー!!」「TCJの切れ味を、見せてくれるわ!!」「おらおら、カカッテコイヤ!!」
 乱戦の中を、私は走ります。
 頭上を飛び交う魔法をかいくぐり、周囲を取り囲む剣戟を振り切って、私は走りました。
 本当は、怖くて、何がどうなってるのか、わからなくて。
 私ひとりのために、申し訳ないような気がして、立ち止まり、振り向いて、「もうやめて!!」と叫んだら、もしかしたら──
「そこまでです!お嬢さん!!」
 はっと顔を上げた私の前に、護衛団団長が立ちふさがりました。
「もう、終わりにしましょう。この争いは、無益な争いです」
「あぅ…」
 さっと、私の前にアピさんとえぶちゃんが割って入りました。その動きに、護衛団団長は構えながら、
「およしなさい」
 言います。
「お嬢さんが立ち止まり、一言言えば、すべてが丸く収まります。今なら、まだ冒険者たちも資格をはくだ──」
「ユピテルサンダー!!」
 響いた声と共に、私のすぐ脇を、一発の雷弾が走り抜けていきました。そしてその雷弾は、過たずに護衛団団長をはじき飛ばし、私の進むべき道を作り出したのでした。
「ごぁ…」
「立ち止まるなよ」
 笑うような声が、私の背中に届きました。振り返ろうとした私の手を、アピさんがしっかりとつかみ、「行きましょう!」微笑みます。
「突っ走れっつたろ」
 小さく頷くだけの、私。そして再び私たちは走り出しました。
 振り返らなくても、私にも、見えたような気がしました。
 薄汚れた帽子を、ちょいと直し、いつもの調子で笑う、その魔導士の姿が。「憧れだとか、夢だとかを実現したきゃ、他の何を犠牲にしたって──」
「突き抜けていくしかねぇんだぜ?」