studio Odyssey



『いつか』の冒険。


 夜空には、青い月が輝いていた。
 満月が照らすのは、漆黒の海。
 吹き抜ける風に乗るのは、潮の香り。
 そしてその海を行く船に響くのは──
「右舷から乗り込まれるぞ!?」
「戦えるものは武器を取れ!!」
 剣戟。
 漆黒の闇を裂くように、火矢が雨のように放たれた。矢は木造の船に突き刺さり、ごうという音を立てて、至る所から火の手をあげる。
 誰かの舌打ち。
 あざ笑うかのように、かたかたという乾いた音が響く。
「パイレーツスケルトンだ!!」
「弓手はいないのか!アーチャースケルトンを落とせ!!」
 一隻の帆船に、もう一隻の帆船が接舷しようとしていた。
 攻撃を受けているのは、真っ白な帆を張った、中型の帆船だ。対照的に、迫る船は大型の帆船で、所々破けている真っ黒な帆に、いつ沈没してもおかしくないようなぼろぼろの船体から、禍々しい闇の力を放っている。
 夜の闇を行く、黒い船。
 アルベルタ沖を行く、死の力に包まれた、海賊船。
「蹂躙を許すな!!」
「迎え撃て!!」
 すらりと剣を引き抜き、白い帆船の乗組員達は剣を引き抜き駆けだしていく。返すように、かたかたという乾いた音が、闇の向こうから無数に響いた。揺れる炎に映し出されるのは、怪しく光る曲刀を手にした肉なき者、骸骨のモンスター、パイレーツスケルトンだ。
 生ある者たちの声が響く。闇に、月明かりに照らされた剣の輝きが走る。
 誰かの声が響く。
「巫女を護れ!!」
 闇が、生ある者たちに迫る。


「──魔物の襲撃です」
 その船内。
 最奥の船室に入ってきた男は、沈痛な面もちでその場にいた者に告げた。安づくりな木のベッドの上にいた老人が、ゆっくりと身体を動かしながらに、言う。
「我らを、コモドに行かせぬつもりか」
 老人は激しく咳き込んだ。わずかに動かしただけの自分の動きにすら、その老いた身体は耐えられなかったのだろう。老人は再びベッドに倒れ込んだ。
「長老!?」
 そのベッドの脇にいたひとりの少女が、はっとして老人の胸に手を伸ばした。「ムリをなさっては──」そして、小さく祈りの言葉を口にする。ふっと、老人の咳が止まった。
「すまない──ユイ」
「いえ──」
 聖衣に身を包んだ彼女は、小さくつぶやき、口許を弛ませた。
 赤いランタンに照らされた彼女の翡翠色の髪が、弱く輝いていた。
「魔物たちの狙いは、ユイか?」
 老人は小さく聞く。と、入り口に立っていた騎士は小さく曖昧に頷いて返した。
「わかりません──魔物たちに、それほどの意志と統率力があるのか──」
「『魔女』の復活となければ、話は別だ」
 老人はそっと目を伏せた。
「千年の、偽りの平和──」
 その言葉は、響いた轟音にかき消された。
 激しく船室が揺れる。壁という壁が軋み、そのいくつかが裂けた。船内に水が流れ込んでくる。
 一層激しさを増した剣戟と悲鳴が、響く。
「ここはもう危険です!長老!!お逃げに!!」
 船は、ついに巨大な闇の船に、接舷を許してしまったのだ。
「ユイ──今は、生きよ」
 老人の言葉は、喧噪の中へと、消えていった。
「偽りの真実を守り通すことができるのは、お前だけなのだ」


 夜空には、青い月が輝いていた。
 満月が照らすのは、漆黒の海。
 吹き抜ける風に乗るのは、潮の香り。
 そしてその海を行く船の上では──
「なにしてんの?」
 ぱちくり。
 瞬きをしながら聞くのは、アーチャーのイブリンこと、イブ。
 少女の頃の面影は、その明るい金色の髪以外には、もうない。彼女はもう一度、「なにをしているの?」と呟きながら、甲板の上に無数に置かれた樽の影に身を隠して、そこから船尾を盗み見ていた仲間たちを見た。
「すわっ!?」
「大声だしたら、バレる!?」
 と、隠れていた仲間のひとりが、イブを樽の影に引きずり込んだ。
 ぎゅうと、狭っ苦しい影の中に押し込まれたイブは、目を丸くする。
「な、なにしてるの?」
「重いー」
「って、何でみんなしてこんな覗きみたいなこと…」
「しーっ!」
「いやいや、だって、気になるじゃないですか」
「す、スピたん…まさかあんなことやこんなことを…」
「なんだろう」
「何でしょうねぇ」
「ナニ?」
「いや…」
 イブは苦笑するように口許を曲げて言った。
「いきなりみんなに喋られても、何がなにやら、さっぱりなんだけど?」
「仕様です」
「マテ」
 勝手に話す仲間たちを無視して、
「あれを」
 と、樽の影から、船尾を指さす誰かに、イブもそっとその場所を盗み見た。
「あ」
 イブはそこにいる二人に気づいて、にやりと口許を弛ませた。なるほど。
「観察を許可する」
「ぉぅぃぇ」
 物陰に隠れ、その船の船尾にいる二人を盗み見ているのは、いつものメンバーだ。さて、では、盗み見られている二人はというと──
「月が綺麗ですねー」
 月灯りに照らされた翡翠色の髪を輝かせながら笑うプリースト、アピ。そして──
「ん…?ああ」
 興味なさそうに口を曲げて言う、同じく翡翠色の髪の魔導士、スピットだ。
「明日も晴れですかねー」
「アルベルタは、あんまり雨降らないしな」
「そうですね」
 と、普通の会話。
 樽の影の連中は、皆、むすり。
「…ムードのない会話を」
「スピたんに期待しても、ムダかと」
 心底残念そうに、
「せっかく、アピたんが船尾にひとりでいるよって、教えたのにぃ」
 「もったいなぃ」と呟くのは、アサシンの佐倉まゆみ。
「何が?」
 目を細め、彼女に向かっていうのは魔導士、アブこと、アブドゥーグだ。
「ナニ」
 単刀直入に言って、じっと期待の視線を外さないのはアサシンのいるる。ちなみに皆、一様に『キタイシテイル』
 そして、その期待の視線を背中に受けている男はというと──
「…バレてないつもりなんだろうか」
 ぽつりと呟く。
 彼の言葉に気づいたアピが、小首を傾げながら聞いた。
「何がですか?」
「気にすんな」
 そのアピの頭を両手で挟み、ぷいと水平線の向こうに視線を向けさせるスピット。「あぅ」呟くアピをそのままに、ちらり、スピットは肩越しに背後を盗み見た。
 ささっと、連中の顔が隠れた。「バレバレだっつーの」小さく鼻を鳴らして、スピットはアピの頭から両手を離した。そして、再び会話に戻る。
「実家、戻るのどれくらいぶりだ?」
「えーと…」
 結局、両手を離されてもそのまま、アピは夜の海を見つめながらに返した。
「半年ぶりくらいですかね。前は、姉の結婚の報告の時に行ったのが最後ですし…」
「そうか!」
 はっとして、スピットは目を見開き。にやり。
 背後にいる奴らに、聞こえるようにして言う。
「アブは、イブのご両親に会わなきゃならん訳だな!!」
 背後で大きな物音がしたような気がして、アピは後ろを振りかえろ──スピットの両手が、ぴたりと再びその翡翠色の頭を押さえつけた。
「な、何か今、物音がしませんでしたか?」
「気のせいだ」
 スピットは背後の様が容易に想像できて、口許を曲げていた。
 さて、背後はというと──物音の主は、樽の影で皆に押さえつけられていたのだった。
 イブがその物音の主に向かって、目を細めながら聞く。
「お父さんに、会いたくないの?」
「そ、そんなことはありませんよ!」
 魔導士のアブは、あわてた調子で言う。彼は半年ほど前にイブと結婚をし、身を固めて冒険者をやめるのかと思いきや──今、ふたりしてこうしているのだから、お察しくださいというところだろう。
「根無し草の風来坊。冒険者、つまり、無職ですか」
 と、後ろで隠れていた連中の中、騎士のあおいるかがぽつり。それに、アサシンのラバこと、ラヴァスが続いた。
「そのくせ、大事な娘をたぶらかしたナンパ師だからな」
「失敬な!スピと一緒にしないでください!」
 息巻いてアブは言うが、
「たのしみだねぇ」
「まったくだ」
 けらけらと笑うのはプリースト玲於奈に、アサシンのグリムこと、アースグリム。
「修羅場?」
 ぽつり、騎士、迦陵頻伽(かりょうびんが)の言葉に、
「大事な娘を二人とも、ナンパ師にとられたとあっちゃ、ネ」
 魔導士のグリル=ポーク──通称、焼豚──が続いた。
 皆、その言葉に、一様にこくりと頷いていた。
「失敬な!?」
 目を見開いて心外だとばかりに言うアブ。船尾では、その声を聞いていたスピットが、笑いをこらえながら話を変えるべく、アピに向かって言っていた。
「しかし、両親、驚くんじゃねぇか?」
「なにがですか?」
「いや、これ」
 と、スピットはアピの頭から手を離すついでに、ぽんとその頭を叩いた。彼女の髪が、かくんと揺れた拍子に、ふわりと軽く揺れた。
 月光に輝く、彼女の翡翠色の髪。
「あ、これですか」
 アピは前髪を軽くつまんで、くすりと微笑みながら言う。
「髪の毛染めたんですよって話は、お手紙でしましたよ」
「ったって、前の赤い髪から、その色じゃな…おばさん、びっくりして倒れるかもな」
「そーですか?私は、スピさんと同じ色で、お気に入りなんですけど…」
「いーや、聖職者らしからぬ派手色だ。お父さんはアピをそんな子に育てた覚えはない」
「スピさんは、お父さんじゃないですけど」
 くすりと、アピは軽く笑った。
「そりゃそうだ」
 返すように口を曲げ、スピット。さて…じゃー、そろそろ…ネタでも振っておくか。
「でも、綺麗だな」
「え?」
「いや、よく似合ってるよ。それに、俺と同じ色だなんて──」
 そっと、スピットは彼女の背中から腕を回した。
「可愛いな、アピ」
「え──…」
 肩の上から腕を伸ばし、そっと彼女を引き寄せる。
「あ──」
 小さく響いた彼女の吐息に、
「おおおっ!?」
「萌え」
 もはや隠れることはあきらめたのか、樽の影の奴らは握りこぶし。
「ららら、らぐなろくは全年齢対象でお願いしますッ!!」
 ろれつの回らないような調子でいうのはハンターのウィータ。
「そこだ!行け!!スピット!!」
 みなの気持ちを代弁していうのは、アサシンのシンティスだ。
 皆の視線の先、
「あ──」
 アピの、先の吐息のような声とは違った、普通の「あ──」
「ん?」
 気づいたスピットが、彼女と同じところを見た。
「なんでしょう、あれ」
「なんだろう?」
 二人の視線の先、そこは漆黒の海。
 月明かりに照らされた、静かな海。の、はずが──
「…燃えてますね」
 腕の中のアピ。
「だよなぁ」
 彼女の肩口から、その向こうを見ながらに、スピット。
「船ですね」
「しかも、二隻だな」
「こっちに向かってきますね」
「嫌な予感がするなぁ…」
 漆黒の海に、真っ赤な火の手。
 そこには、二隻の船。
 火の手をあげているのは、白い中型の帆船だ。そしてもう一隻は真っ黒な帆を張ってはいるものの、いつ沈没してもおかしくないようなぼろぼろの船体で──
「スピさん、あっちの黒い船のマストの上、見えますか?」
「ああ」
 スピットはアピの言うその場所にある、風になびく旗を見て、呟いた。
「──海賊旗だな」
 二隻の船は、急速なスピードでこちらに向かって来る。
 ぐんぐんと大きくなっていく船体に、スピットは「ああ…」と、苦笑するように口許を曲げた。
 それはもう、眼前にまで迫ってきていた。
 そして、甲板の上の光景も、彼らの目にしっかりと映ったのだった。
「むしろ、こっちがネタか…」
 甲板の上には、戦いを繰り広げる者たちがいた。相手はよくわからない。よくわからなかったが、感覚で理解できた。
 包み込む死の力。
 うごめく、闇の影。
「──魔物の襲撃か」
 マストの上にいた船員が、叫んでいた。
「逃げろ!!」


「──さて」
 スピットは腕をほどくと、にやりと口許を曲げたまま、言ったのだった。
「行くか」
 すっとスピットの腕を抜けたアピが言う。
「いるかさんっ!」
「ほい」
 隠れていたあおいるかはぱっと飛び出すと、右手の親指と人差し指でわっかを作り、それを口にくわえて口笛を吹き鳴らした。
 夜の闇を、口笛の音が勢いよく突き抜けていく。
 遅れて、こちらの甲板を叩き壊して、一匹のペコペコが飛び出してきた。騎士、あおいるかの駆る、自慢のペコペコだ。そしてその背中には、たくさんの荷物。冒険者たちの装備がくくりつけられている。
「総員、戦闘態勢!!」
 翡翠色の髪を潮風にゆらしながら、魔導士、スピットは叫んだ。
「ちーっ!いいところだったのにィ!!」
 ペコペコから荷物を素早く引きはがし、まゆみ嬢はちっと舌打ち。
「んまぁ、パターンか」
 そのまゆみ嬢から投げ渡された装備を手に返すのは、いるる。
「なんです?戦うんですか?」
 投げ渡された荷物を取り落としそうになりながらも、アブは杖を手に身構え、
「いやー、誰か、もうノリ気だし」
 苦笑するシンティスに、
「だね」
 と頷くはイブ。
「アルベルタでバカンスって話じゃなかったの?」
「このメンツの旅で、そんなことがあるわけがない」
 玲於奈の愚問に、グリムが軽く返す。
「パイレーツスケルトンって、なに属性だっけ?」
「突貫の前には、無意味では?」
 たくさんの矢がおさめられた矢筒を腰に巻くウィータに、剣を引き抜きながらの迦陵。
「あれだけ燃えてれば、火魔法撃ちまくっても、別に問題ないネ」
 軽く言うのは火魔導士、グリだ。
「助けに行くんだか、沈ませに行くんだか…」
 最後の二人分の荷物を受け取り、ラバは軽く言ってのけた。
「ほらよ」
 ぽいと、ラバは受け取ったふたりの荷物を闇に向かって放り投げた。ひとつはアピに、そしてもうひとつはスピットに。
「サンクス」
 受け取った荷物からぼろマントを引き抜き、スピットはそれを身にまとった。右手には魔導士の証である杖、アークワンド。
 そして──
「これがなければ、スピさんは完成とは言えません」
 アピが最後にそれを投げた。
「行くぜ、野郎ども!」
 宙を飛んだつばの広いハットを左手で受け取り、スピットはその薄汚れた帽子を頭に乗せて駆けだした。
 帽子を片手で押さえたまま、彼は飛ぶ。
 ごぅんという鈍い音。
 船尾に、その船が接舷した。
「な、なんだ君らは!?」
 甲板の上の誰かが、月光を受けながら飛び込んでくる冒険者たちに向かって、声を上げていた。
 魔物たちが、一斉に振り向く。それを受けて──「俺たちか?」
 左手で帽子を押さえつけた魔導士が、にやりと口許を弛ませたまま、返した。
「俺たちはパーティ、プロンテラベンチ──」
 十四人の冒険者たちが、その船へと飛び移る。
「ギルド、Ragnarok!!」