さざぁん、ざざぁんという寄せては返す波の音がうるさくて、スピットは目が覚めた。
あと、とてつもなく、暑かったのもある。
「暑っ!?」
ばっと跳ね起きる。
そして辺りを見回して、理解した。
暑いはずだ。
太陽は南天高くに、煌々と輝いている。
そして下は砂浜。絶え間なく聞こえる波の音。ここは、何処かの海岸だろう。
思い返す。アルベルタに向かう船の上で、魔物の襲撃を受けている船と出会って──助けて──そう、襲撃していた海賊船の沈没に巻き込まれたんだ──そうか──でも、死なずに──
「暑っ!?」
じりじりと焼ける砂の熱に逃げだし、スピットは近くにあった椰子の木の下に転がり込んだ。
「…死ぬね」
木陰でほっと一息。
椰子の木に寄りかかり、砂浜を見回した。
無数の木片が打ち上げられている。しかし、量から言って、三隻の船のものとは思えなかった。自分たちが乗っていた船は、無事にアルベルタについたのだろう。
「長老とかってじいさんは──」
スピットは辺りを見回した。砂浜に人影はない。運──と言ってしまえばそれまでかも知れないが、あの身体で沈没の渦に巻かれたとしたら、生き抜ける可能性は低いだろう。それくらいは容易に想像がついた。
「──仕方ネェな」
よいしょと立ち上がり、頭に手をやる。しかし、そこにはいつもあるはずのお気に入りの帽子は、当たり前だけれど、なかった。
「帽子さがさねぇと」
ため息混じりに、手持ちぶさたになった手で潮にごわつく頭を掻いて、スピットは砂浜を歩き出した。
歩きながら、スピットは魔法の力を借りたパーティの意思伝達を試みてみたが、誰にも届かないようだった。どうやら、魔力が薄いようだ。冒険者をやっていると、こういう事はしょっちゅうだが、いつも、必要なとき限って、この力は使えない事が多い。同じく、ギルドメンバーたちにも話しかけてみたが、これも届かないようだ。
「打ち上げられたの、俺だけなんかな…」
頭を掻きながら、スピットは砂浜を歩く。そういえば、腹が減った…武器はなくても魔導士の自分には問題はないけれど、帽子と荷物と、ジジィ…
砂浜をどれくらい歩いたか──空腹のせいでものすごく長い距離のような気がしていたが、実際はそれほどでもない──砂浜の向こうに、黒々と波にぬれて光る大きな岩があった。
ふと、その岩の上に人の影。
照りつける陽光に浮き上がったシルエットは、手に帽子を持っている。自分のものと同じ形の帽子。
「あ、すんません、それ、たぶん俺の──」
駆け寄りながら言う。
影が、自分に振り向いて言葉を発した。
「…スピさん!?」
「なんだ」
スピットは足をゆるめ、頭を掻きながら言った。
「アピか」
さざぁん、ざざぁんという寄せては返す波の音に、一行はぽかーんと立ちつくしていた。
「…どうしましょうか?」
ざざぁん、ざざぁんと、波は石の堤防を、ひっきりなしに打ち付けている。
ここはアルベルタ。
交易により栄えた、商業都市である。
「…どうしましょうか?」
もう一度同じ台詞を吐き、騎士、あおいるかは水平線の向こうに消えていく帆船を眺めていた。
帆船は、自分たちが乗っていた船だ。イズルードからアルベルタまでを往復する、定期船である。つまり、
「まぁ…」
魔導士、アブこと、アブドゥーグが言う。
「我々は無事、アルベルタについたと言うことで、オーケーな方向で」
「目的地には、ついたね」
うんうんと軽く頷くのは、同じく魔導士の焼豚こと、グリルポークだ。
ざざぁん、ざざぁんと波が打ち付ける堤防の上に並んだメンツの中、騎士の迦陵こと、迦陵頻伽(かりょうびんが)が、水平線の向こうを見つめながら、言った。
「一部、たどり着けていない人がいますけど?」
「貴い犠牲だった…」
くっと目頭を押さえ──嘘だが──アサシンのシンこと、シンティス。
「そうだな」
同じくアサシンのアースグリムが、水平線の向こうに向かって言っていた。
「俺たちは忘れない!」
握りこぶしをつけて。
でも、
「十分くらい?」
「うん」
軽く言ってのけたプリースト、玲於奈の声に、皆、一様に頷いたのだけれども。
「なぁ…」
その中、目を細め、仲間たちに向かってけだるそうに言ったのは、アサシンのラバこと、ラヴァスだ。ラバは面倒くさそうにぽりぽりと頭をかきながら、言ったのだった。いや、実際に、面倒くさかったのだが。
「どーすんだよ、こいつら!」
と、身体を開いて、皆に自分たちの後ろを見るように促すが、誰も振り返らない。みんなわかっているのだ。
振り返ったら──負けだと。
「どうしようか?」
アーチャー、イブリンが、現実から目を背けたまま、水平線の向こうに向かって呟いていた。
「どーすんだよ!オマエら!?」
両手を振り上げて言うラバの後ろ、翡翠色の髪の少女がいた。
「あの…」
そしてその彼女の後ろには、あの船の乗組員たちが、数十人と、いた。
「──ごめんなさい」
彼女は堤防の上の冒険者たちの背中に向かって、ぺこりと頭を下げながら、言っていた。「私たちのせいで、みなさんを巻き込んでしまったようで──なんとお詫びしたらよいか──」
そろり、彼女は全く動く気配のない堤防の上の冒険者たちを、見た──
「どうしましょうか?」
「リダ、行方不明だしね…」
「いても、意味ないかと思いますが」
「あー、カモメが飛んでるねぇ」
「カモメはいいな、自由で」
「…鳥になりたい」
「同感」
「とりあえず、お腹も空いたね」
「あ、あのー…」
翡翠色の髪の少女は少し、小首を傾げていた。
「ったく…」
ラバの声が、アルベルタの青い空に吸い込まれていった。
「オマエら、現実を直視しろ!!」
その頃、アピに連れられ、スピットは海岸をそのまま西に向かって歩いていた。
灼熱の太陽が照りつける中、海岸にはこの地方独特の作りをした高床式の建物がいくつかあった。屋根は乾燥させた草によって作られたもので、壁はない。海からの風を受け、熱がこもるのを避ける、この南国地方独特の作りだ。
その独特な建物を見て、スピットはアピから渡された自分の帽子をなおしながら呟いた。
「ココモビーチか──」
アピが小さく頷いた。
「そうみたいです」
ココモビーチは、コモド地方にある砂浜だ。
アルベルタからの方角で言うのなら、はるか西。定期船が出てはいるが、その距離は相当に遠い。どこをどう流れて、この砂浜に着いたのか、航海術も潮の流れも知らないスピットは、首を傾げるしかなかった。
気づいたアピが、ひとつの高床式の建物を指さしながら言う。
「コモド沖には、海流の交差する場所があるんだそうです。漁師さんが言っていました。あそこです」
「海流ったって…」
帽子をなおしながら、スピットはため息。
「アルベルタ沖からここまで、どれだけの距離があると──」
「数ヶ月前から、海流の流れが、恐ろしく速く、そして、おかしくなり始めているのだそうです」
アピは自分が指さした建物へと向かいながら、スピットに振り返らずに言う。
「なんでも、『魔女の復活が近づいているせい』なのだそうです」
「魔女?」
スピットは小首を傾げた。
「…魔女」
小さく呟く。そういえば、あのドレイクも魔女がどうとかと言っていたような…そして──巫女と護る者とか──
はしごを登り、アピがその建物の中へと入っていく。おっととスピットは思考を止め、後を追いかけようとはしごに手を伸ばして上を向いて、帽子のつばを下ろす。「どーしました?」はしごの途中のアピが、スピットに視線を落として聞いていた。「上に、みんないますよ?」「いや…なんだ…みえてるぞ?」「あっ!?」あわてて、アピははしごを登りきった。
スピットは後を追って、はしごを登っていった。
はしごの上、高床式になったその部屋の中には、数人が円陣を組むようにして座っていた。「…スピさん」アピが、聖衣のすそを押さえたままちょこんとその輪からはずれた場所に座わり込んで自分を睨むようにしていたが、スピットは我関せずという風に帽子を直す。
「なんだ、オマエらも落ちたのか?」
「ふはは、しかもスピたんがビリッケツだ」
にやり、笑うのはアサシンの佐倉まゆみだ、長い髪を肩の辺りで二つに分け、見た目は女の子らしい彼女だが──その実はまた、別の話。
「死ぬかと思ったけども」
目を閉じて腕組みをしたまま、いるるが頷いていた。隣には、苦笑いのウィータもいる。
「助けに来たはずが、巻き込まれた──と」
スピットは軽く口を曲げた。
「落ちたのは、これで全員?」
「と、後は騎士きゅんだね」
まゆみ嬢は言いながら、ちょいと部屋の奥を顎で指し示す。スピットがそこに振り向くと、そこにはひとりの騎士と、横たわる老人、取り囲む、何人かの漁師の姿があった。
スピットは帽子を取りながら、老人に向かって歩み寄る。
「なんだ、生きてたか」
声に、老人の顔が少しだけ動いたような気がした。
「貴方が、長老を?」
騎士が言う。そして騎士はゆっくりと立ち上がると、小手を外した右手をスピットに向かって差し出した。
「俺はフレックス。一族を代表し、礼を言う」
「スピット」
と、右手を絡め、スピットは返した。
「ノリだ、気にすんな」
背後ではいるるが、「ノリかよ!?」なんて言っていたが、「いつものことだし…」と続くウィータの台詞には、最もだと、誰もが頷いていた。
スピットは続ける。
「詳しい話はよく知らないが、助けてくれと頼まれたんでな」
「ありがとう」
騎士、フレックスはこくりと小さく頷いた。年の頃は自分と同じか、少し上か。栗色の短髪に、端整な顔立ちが、りりしい騎士というイメージを醸し出している。
護る者──騎士らしいと、スピットは思った。
「じいさんは、大丈夫なの?」
話を変えるように、帽子を頭の上に戻しながら、スピットはちょいと横たわっている老人に視線を送った。老人は横たわったまま、身動きひとつしない。しかし、先ほど自分が声をかけたときに、少しだけ顔が動いたようだ。死んではいないのだろう。
「──生きては、いらっしゃるようだ」
含みを持った言い方で、フレックスが言った。「そうか」と、スピットは帽子に手をかけたまま頷く。
「まぁ…あの沈没に巻かれたら、な」
「話があるのだが──いいだろうか?」
騎士が言う。
スピットはつばの下から、騎士を盗み見た。
「彼らのギルドマスターであり、パーティリーダーであるという君に、話があるのだが──いいだろうか」
背後にいたまゆみ嬢、いるる、ウィータ、そしてアピが、身をこわばらせるようにして息を飲んだのがわかった。
「かまわんよ?」
だからスピットは帽子をちょいとあげて、軽く笑って言った。
「ただいまー」
門を開け、声を大にして言うのは誰であろう、イブリンである。
少し大きな庭の手入れをしていたその家の主が、門から入ってくる実の娘に気づき、「おお」と顔を上げた。
「イブ、お帰り」
「ただいま」
イブリンは笑う。ここ、アルベルタの実家に返ってきたのは、半年ぶりくらいだろうか。前は、結婚の報告の時に来たのが最後だ。
「ご無沙汰しています」
と、イブリンの隣に姿を現したのは、彼女の夫である、アブ。
「元気そうだね」
笑い、イブリンの父は彼の胸元を軽く叩いた。
「まだ、冒険者なんかやってるのかね?」
「いや…はぁ…まぁ」
アブは苦笑するしかない。冒険者は無職と限りなくイコールなのは、誰もが周知の事だ。イブの父は軽く笑いながら、「それもいいが、若い内だけにしておけよ?」と、家の方に向かって声をかけた。
「かぁさん!イブがついたよ!なにか飲み──」
「あ、そうだ、お父さん」
咄嗟、イブリンは会話に割り込んだ。
「今回は、事前に話していたけど、仲間たちも一緒なんだけど…」
「ああ、そういえば、そんな話もしていたな。じゃあ、みんなに、何か飲み物でも──」
「人数、多いけど、平気かな?」
「ああ、かまわんさ。娘たちの評判も、聞きたいところだしな」
イブリンの父は笑って、軽く言った。だから、アブも、軽く笑いながら続いた。
「ええ、もう、大評判ですよ。ですから、娘さんたちには、たくさんの仲間がいます」
「光栄な限りだな」
「ええ」
にっこり。アブ。
「卒倒するくらいに、たくさんです」
「みんな、オーケーだってー!」
両手を口の脇の添えて、イブリンが門の向こうに向かって叫んだ。
と、当然の事だが──
「んなッ!?」
目を見開き、素っ頓狂な声を上げたのは誰であろう、言うまでもなく、イブリンの父だ。アブはにこりと笑ったまま、軽々しく、言ってのけた。
「たくさんでしょう?」
門から、ぞろぞろといつもの仲間たちに続いて、翡翠色の髪の少女、そしてあの船の乗組員たちが──
「な、何人いるんだ!?」
「んー…」
イブはぞろぞろと門から入ってくる皆から視線を外して、軽く言った。
「いつもの仲間も含めて、二、三十人かな?」
卒倒するほどたくさんというより、イブリンの父はその人数に、卒倒した。
「あらあら」
家の中から庭の風景を見た母が、目を丸くしたまま呟いていた。
「飲み物を出そうにも、カップが足りないわ」
「あ、お構いなく」
アブがちょいと頭を下げていた。
寄せては返す波が、砂浜をぬらしている。
ココモビーチ。
南国、コモド地方独特の木々が作る木陰に、スピットはゆっくりと腰を下ろした。ちょいと帽子を直しながら、呟く。
「暑いな」
「南国ですからね」
アピが笑う。
「スピさん、マント取れば涼しくなりますよ?」
「イヤダ」
と、スピットは額の汗をぬぐった。
「格好良さは最優先だそうで」
苦笑しながら、いるるはひょいと騎士、フレックスに向かって肩をすくめて見せた。
高床式の建物の裏手、森と砂浜の境目あたりに、スピットたちはやってきた。「外で話そう」というフレックスの言葉に応えて、である。
「オトコノコは、常に格好良くなきゃならねえ」
スピットは木陰から、フレックスを目を細めて見上げながらに言った。軽く、笑うように。
「女の子に、『助けて』と言われたら、何があろうと、助けてやらなきゃなんねぇ。巫女だとか、護る者だとか、そんなことはさておいても──な」
フレックスが少しだけ身をこわばらせたのが、スピットにはわかった。にやりと弛む口許を隠すように、ちょいと彼は帽子のつばを下げた。
「──やはり、ご存じだったのですか?」
フレックスが言った。
「我が民のこと──そして、『魔女を封印する力』を持った巫女のこと」
その言葉は重く、南国の風の中では不釣り合いになどによどんでいた。
フレックスは思案するような顔のまま視線を落とし、ぎゅっと右手を握りしめていた。
「知らないよー」
軽いスピットの声が響く。はっとしたフレックスが顔を上げると、彼はぷいとそっぽを向き、頭の上の帽子に手をかけていた。「やぁ、今、海で魚が跳ねたぞ?」
「スピさん」
アピが、その彼の横顔に向かって言った。
「真面目なお話なのです」
「真面目なお話は、キライだな」
帽子に手をかけたまま、スピットは口を曲げながらフレックスに向き直る。
眼前の騎士は神妙な面もちで、ゆっくりと頷いていた。アピが続ける。
「フレックスさんに、だいたいのお話は伺いました」
「『魔女の復活が近づいている』?」
気になっていた言葉を紡ぐ。
「ドレイクもそんなことを言っていたな…魔女っていうのは、『コモドの魔女』のことか──」
コモドの魔女というのは、冒険者たちの間では有名な話だ。ここ、コモド地方にある洞窟の村、コモドに封印されたという、魔剣を手にし、闇の力にとりつかれた魔導士の話だ。十数年ほど前に勇者たちの手によって封印され、今も、コモドに住む者たちによって封印が守られているという、真実の歴史のひとつ。
「おおむね、それと同じです」
フレックスが言った。
「ただ、魔女と言っても、それとは違います」
「何種類もいるわけね。まぁ、魔女ってな、固有名詞じゃねぇだろうけど」
「我々の民が守り続けてきた『魔女』の封印が、今、解けようとしています」
フレックスはまっすぐにスピットを見つめながら、続けた。
「コモドの魔女よりもはるかに凶悪で、残忍で、強い闇の力を持った者です。この人間界と魔界とを隔てる魔壁の中に封印されたそれが、世界のバランスの崩壊と共に、人間界によみがえろうとしています」
「…へぇ」
興味なさそうに、スピットは喉を鳴らした。
世界のバランスが崩れはじめ、魔壁が崩壊するという噂は、今に始まった事ではない。一部の冒険者たちは知っている。来るべき終末の時──Ragnarok──とそして、その時に世界を変える力を持った者の前に現れるという、伝説の鉱物、エンペリウムのことを。
そしてスピットたちもまた、その事を知る、一部の冒険者たちであった。
フレックスはどうやら、スピットたちがそのことを知っているのを、周知のようだ。きっと、自分が見つけだされるまでの間に、アピたちとそんな話をしていたのだろう。
「我々の民は、流浪の旅を続けながら、魔女を封印する力を持つ者を護り、育ててきていました。そして今、魔女の封印が、解けようとしています。我々は、巫女と共に、再び魔女を封印しなければなりません」
「──巫女、か」
帽子をなおしながら、スピットはつぶやいた。
「ユイちゃんって、言ったっけ?」
アルベルタは、商業都市として栄えた町だ。
町中は、どこも商業都市らしく、綺麗に区画整理され、近代建築の家々が立ち並んでいる。商人の町とも呼ばれるだけのことはあって、ひとつひとつの家も大きく、庭も広い。
そして例外なく、ここ、イブリンの実家も近代的な石造りの豪華な建物だった。
「ほー」
広いリビングを見回しながら、あおいるかは感嘆した。
「大きい家ですねー」
「そうかな?」
リビングの大きなテーブルに、イブが小首を傾げながら座る。「適当に座って」そして、
「えっと、彼女はじゃあ、私の隣に」
翡翠色の髪の彼女を、自分の方へと招き寄せた。
「よく、状況がわからないんだが──」
と、イブの向かいに頭をかきながら座るのは彼女の父だ。リビングに通された、いつもの仲間たちと翡翠色の髪の彼女、人数分のカップをトレーに乗せて現れた母が、テーブルにカップを置きながら呟いていた。
「でも、本当によく似てるわね」
「そっくりですね」
目を伏せ、うんうんと頷くのはアブ。隣に座ったラバが、いち早くカップに手を伸ばしていた。「これ、なんだろ?」「フェイヨン特産、リンゴジュースかと」同じくカップに手を伸ばしていたシンが、中の半透明の飲み物を見て言っていた。
「アルベルタに向かう途中で、モンスターに襲われていたところを助けたの」
かくかくしかじかと、イブは説明をはじめた。
リビングでは、「ぉ!?青箱だ!!」棚の上に置かれている様々な調度品を見ながら、あおいるかが声を上げていた。「あけちゃえー」と煽っているのは迦陵だ。
もっとも、「そしてゼロピというオチだな」「むしろ、仕様かと」と、他の調度品を見ながら言ったグリムと玲於奈の言葉通りの結果に、なったわけだけれど。
「_| ̄|○(レンパイカイドウ、マッシグラ…」
「あ、古木の枝だ」
焼豚が、枯れた枝を一本見つけて、ぶんっと軽く振るっていた。
「ばかものー!?」
魔物を召還することの出来る古木の枝から呼び出されたダンゴムシのようなモンスター、アクラウスとリビングの調度品を見ていた仲間たちとの一戦が終わった頃、
「──と、いうわけ」
イブの話も、ちょうど終わっていた。
「ご迷惑をおかけして、すみません…」
ユイ、と紹介された彼女が、ぺこりと頭を下げていた。
「はーはー…」
「死ぬかと…」
リビングで息を切らしている連中に、ラバが「ほらよ」とリンゴジュースを口にあてながら、もう片方の手に握られたそれを差し出していた。
「ユイ…さん?」
ぽつりと呟くようにして言ったのは、イブリンの父だ。
「はい?」
ユイは少し首を傾げて視線を返した。
「あ…いや…なんでもない」
言葉を濁し、妻に視線をちらりと送る。きっと、同じ事を考えていたのだろう。彼女もまた、目を伏せて小さく頷いていた。
「しかし、よく似てるよな」
それに気づかなかったラバが、素っ気なく言っていた。
「アピにそっくりだ。うり二つを通り越して、うり三つくらいだな」
「それで、今、アピはどこにいるんだい?」
話を逸らすようにしてイブに視線を送った義父に、アブは眉を寄せていた。質問を投げかけられたイブが返す。
「パーティもギルドも届かないから、わからないけれど──スピが一緒のはずだから、きっと大丈夫だと思う」
「スピットくんか」
苦笑混じりの物言いに、リンゴジュースを飲み干したラバが続いた。
「つーか、なんでまたアイツは、こうしていつもトラブルに巻き込まれるかね」
「愚問です、ショボセンパイ」
シンがきっぱりと言った言葉に、あおいるかとグリムの声が重なった。
「仕様です」
「『マテ』って突っ込む人がいないねー」
玲於奈が笑っていた。
「この子と、彼女の仲間たちも、このままにしておくわけにゃ、いかねーだろうし──アブ、ジュースいらないなら、くれ」
「どうぞ」
「サンキュ」
「一○Mzです」
「出世払いな。んで、結局どうするわけさ?」
リンゴジュースに口を付けながら、ラバは皆を見回した。
しかし皆、一様にいつも通りの表情で、ちょい、と小首を傾げるばかり。「流石だ…」ラバがぼやく。
「何も考えてネー」
「いつものことですが」
アブが頷いていた。
「あの──」
沈黙を続けていたユイが、そっと顔を上げて、言った。
「私は、一刻も早く、コモドに行かなければならないんです」
「なぜ?」
リンゴジュースを飲みながら聞いたラバに、彼女は一瞬、躊躇した。
ほんの少しの沈黙。
言うべきか──言わないでいるべきか。それは、偽りの真実。私はそれを護る者。
彼らは冒険者。
きっと、彼らはこの世界の真実を求める者。
「なぜ──」
呟いた自分に、皆の視線が集まったその刹那。
彼女はしっかりと、告げた。
「それが私の、『運命』だからです」
「封印の力を持った彼女の名は、ユイ」
フレックスが言う。
「魔女を再び封印できる力を持った、選ばれし巫女です」
「つまり──フレックスさんの話はこうだ」
スピットは帽子をなおしながら、立ち上がった。
「魔女の復活を阻止するため、なんとしてもユイちゃんを見つけだし、コモドに連れてくるのに、協力して欲しい。と?」
「──」
答えを返さないフレックスに、スピットは自分の質問を肯定したと受け取って、
「まぁ、パーティかギルドが届くところまでいきゃ、仲間と連絡が取れる。すぐさ」
軽く笑う。
が、空気は重く、その軽い物言いで放たれた彼の言葉は、易々と空間に押しつぶされてしまったのだった。
「──ん?」
スピットが帽子にかけた手に少し力を入れ、推し量るような視線をフレックスに投げかけたとき、
「そうではないのです」
アピが言った。
「今夜、魔女の封印を再び、コモドで行うのです。その準備は、半年も前から、ずっと続けられてきました」
「──ご苦労なことだ」
なるほどと理解する。「時間が、ない訳ね…」
「コモドへのルートが、冒険者たち、私たちに公開されたのは──」
言葉を続けたのはウィータだ。
「今日のための、布石だったというわけみたいよ」
ここ、コモド地方へのルートが冒険者たちに公開されたのは、今から数ヶ月ほど前の話だ。それまではこの地には、冒険者は誰ひとりとして、立ち入ることは出来なかった。
スピットは頷く。
「冒険者たちに紛れ込んで、フレックスたちの民っていうのが、潜り込めるように──ってわけか」
「凶悪な魔女の復活となれば、力をもった冒険者たちが、無意味に血湧き肉躍っちゃうし」
いるるが腕組みをしながら言った。
「かと言って、そいつらに邪魔されて、再封印もままならなくなっちゃ、世界の終わりだし」
「いわゆる、Ragnarokってヤツだね」
まゆみ嬢は軽く言ったけれど、それが彼女なりの事態を把握した上での物言いと感じ取れた。スピットは口許を曲げ、視線をアピに向けた。
「それで?」
短く、言う。
だから、アピもわかって、
「魔女を封印しようと思うのです」
短く、
「誰が?」
まっすぐに言った。
「私がです」
「なぜ、コモドに行かなければならないのです?」
ユイに向かって問いかけたのはアブだ。
「──私を、待つ人たちがそこにいるからです」
ユイは返し、顔をうつむかせた。
ほんの少しの言葉のよどみをわかって、アブは神妙に頷いた。
「となると、困ったことになりましたね…」
「なにが?」
二杯目のリンゴジュースを飲み干したラバ。横目にアブに聞く。
「別に、困らネェだろ?」
「うーわ…」
あおいるかが天井を見つめながら、両手でリンゴジュースを握りしめて、ぼやいていた。
「やる気だ…」
「毒くらわばなんとかって話もあるしな」
グリムは言いながら、玲於奈を見た。「コモドのポタって持ってたっけ?」
「コモドのポタはない」
ポタ──ワープポータルという、聖職者の魔法だ。祈りの言葉と共に、大地に空間を越える場所を作り出し、世界中の至る所へと一瞬にして飛ぶことの出来る魔法だ。
聖職者、玲於奈はジュースを口にあてながら言った。
「と言っても、アルベルタにポタ屋なんかいないだろうから、歩くしかないかもだけど」
「え?」
と、ユイが顔を上げて、冒険者たちを見た。
「は?」
返したのは、ラバだ。
「コモドに行かなきゃならないんだろ?」
「となければ、善は急げ、ですよ」
ぱっと椅子からアブは立ち上がる。
「善──かなぁ」
と迦陵が呟いていたが、シンが軽く言ってのけていた。
「どうなんだろう」
「善だろ」
アブに続いて立ち上がったラバが、皆に向かって言う。笑いながら。
「困ってる女の子助けるってのは、正義の味方のやるこった」
「ラバがいうと、説得力がないですねぇ」
「オマエが言っても、ないけどな」
「失敬な!」
「あと、スピが言っても、ない」
「それは同感です」
「あの──」
立ち上がった冒険者たちに、ユイが手を伸ばした。
「えっ?」
「ではみなさん、準備を」
言うアブに、仲間たちが「ほーい」「うい」「倉庫行ってくるか…」と、リビングを出ていく。
リビングに残されたのはアブ、イブ。そして彼女の両親と、ユイだけになった。
「私は、アルベルタに残るよ」
イブが言った。
「さすがに、あの大人数となると、移動だけで大変でしょうしね」
アブが笑っていた。
「コモドに行かなくちゃいけないのは、ユイちゃんだけでいいの?」
「あ…あの…」
ユイは二人を交互に見ながら、言葉を探す。けれど、どう反応したらいいのか、わからなくて──
「私の妹、アピっていうんだけど」
イブが笑っていた。
「ユイちゃんに、そっくりなんだ」
「あ…お会いしました」
沈没しそうになっていた自分たちの船を助けに来た彼らの仲間のひとり。自分と同じ、翡翠色の髪をしたプリースト、アピ。
彼女は、自分にそっくりだった。
それはうり二つというより──イブが笑って続けていた。
「アピは、本当は、私の妹じゃないんだよ」
「え…?」
「おや…その話をしてしまいますか」
アブが苦笑していた。
頷くイブに、アブが続く。
「これは、内緒です。パーティメンバーの誰も、知りません。私も、戸籍を見るまでは知りませんでした。貴方にそっくりな私の義妹、アピは、拾われっ子です」
「──そ、そうなんですか…」
どう反応したらいいかわからなくて、ユイは眉を寄せている。イブはそんな彼女を見ながら、笑っていた。
「でも、アピは私の妹だし」
「そして、私たちの仲間です」
アブはどんっと自分の胸をこぶしで打って言う。
「そして今は、あなたも私たちの、仲間なのです」
「ユイちゃんは、任せたよ、アブ?」
「任せなさい。義妹を守るつもりで、コモドまでお送りします」
アブは軽く笑っていた。
「さて、何が待ってるかは知った事じゃないですが、冒険の香りがしてきましたね」
「──決心は、ついたのか?」
ぼそりと紡がれる言葉に、アピは小さく頷いた。
コモド地方、ココモビーチにぽつんと建つ、高床式の建物の中。
差し込む陽光に照らされた彼女の手を、ぎゅっと握りしめられた彼女の手を、スピットは口を曲げて見ていた。
魔女を封印する──アピの台詞はスピットの理解を超えていた。アピに封印できるのなら、別に巫女とかなんだとか、そんなのはどうでもいいじゃないか。何処かその辺のレベルの高いプリーストを連れてきて、封印して貰えばいい。
「──まぁ、関わりあっちまったのが、運の尽きか」
帽子のつばをちょいと下げて、スピットはつぶやいた。「なにが?」とウィータが聞き返していたけれど、別に応えはしなかった。
「すまない──」
横たわっていた老人が、フレックスに支えられて、身を起こしながら言う。
「我々の民が護らなければならいはずのものを、あなたに委ねる事を、許して欲しい」
「いえ」
アピは短く返し、そっとその場に座り込んだ。老人と視線を合わせる。と、老人はしわがれた顔に埋もれていた瞳を、大きくした。「──力だけではなく」
ぽそりと、呟いた。
「御姿まで、ユイによく似ておる」
「お会いしました」
アピは笑った。
「ちょっとだけですけど──私なんかより、ずっと聖職者に向いてるかもと思いました」
「──決心は、ついたのだな?」
「私も、聖職者ですから」
微笑みながら、そっとアピは言葉を続けていた。
「たくさんの人たちを護り、そして世界を闇の者から護るのは、持って生まれた天命なのです」
「巫女の力は、天より賜りし、『運命』の力」
老人はそっと手をかざす。アピの翡翠色の髪が、風の中に揺れていた。
「今より、あなたの中にある、『運命』の力を覚醒させる」
「はい」
そっと、アピは瞳を閉じた。続いて、老人もそっと目を伏せると、口の中で小さく呪文の詠唱をはじめたのだった。
風が、優しく吹き抜けていた。
スピットは帽子のつばの下から、その光景を盗み見ている。老人の口から聞こえてくる呪文は、聞いたことのない呪文だった。魔導士たちの使うものでもないし、聖職者たちの祈りの言葉でもない。古文書に記されているような古めかしい響きと、独特の雰囲気を持つ──失われた魔法のそれだと思った。
小さな光が、老人のかざした手と、アピのおでこの間に生まれていた。
「──戻れぬぞ?」
老人が、小さく言葉を紡ぐ。
「覚悟は出来ています」
ゆっくりと目を開き、アピが言った。
老人が頷く。そして、言う。「ユイも──巫女も、同じ事を言った。あなたとユイは、顔だけでなく、力、そして心までも、よく似ている」
翡翠色の髪が、光に照らされて輝いていた。
老人の呪文が、最後を結んだ。
「闇の魔女を封印する力を、その命と引き替えに」
ぱんっと、かんしゃく玉がはじけるときのような音とともに、光がはじけた。
その一瞬に、スピットは目を見開く。言葉を発しようとして口を開いたが、喉から声が出なかった。
光が風にさらわれて、消えていく。
彼女の翡翠色の髪が、静かに揺れていた。
「んな──」
言葉になんて、なってはいなかったけれど、スピットは声を発した。視線の先、ゆっくりと立ち上がったアピが、軽く笑いながら振り向いていた。
「スピさん、今の呪文、覚えました?」
「あ──いや──ああ」
老人が口にしていた呪文は、はっきりと覚えている。失われた魔法のそれだと思ったから、咄嗟に覚えようとして、頭の中で繰り返していた。唱えろと言われれば、たぶん唱えられるだろうけれど、
「いや、そうじゃネェだろ!?」
スピットはアピに食ってかかろうとしたけれど、アピは軽く笑いながら続けていた。
「その呪文、この長老さまとスピさんしか、この世に知る方はいません。魔導士はスピさんだけですから、使える方も、二人しかいません。しっかり、覚えておいてくださいね」
「いや、そうじゃなくて、今、お前──」
「さて」
アピは皆を見回し、言った。
「では、コモドに向かいましょう」
風向きが変わって、風に潮の香りが強くなっていた。
十六夜の夜が、ゆっくりと近づいてきていた。
ShortCut Link: