studio Odyssey



『無駄』な命。


 誰かが、言葉にならない声を上げた。
 闇の中、漆黒の空のそれよりも黒い力が、うごめいていた。空間のすべてが、その力に支配されていく。生ある者たちの皮膚を突き刺し、闇の力が心を撃つ。
 魔力を持たない者にも、聖職者でないものにも、誰にでもわかる。
 それは闇の力。
 空間が軋み、魔物の咆哮のそれのような音が響いた。
「何が起こってんだ!?」
 誰かが、闇に向かって叫んだ。
 翡翠色の髪の巫女が、駆けだした。
「あっ!おい!!」
 冒険者たちがその後を追う。
「何が起こってんだよ!?」
 翡翠色の髪の巫女──ユイ──は、その闇の力が生まれる場所へと向かって走っていた。
 間に合わないかも知れない。
 魔女の封印が解けてしまった。世界が闇の力に支配されてしまう。
 私はそれを『護る者』。
 たとえそれが偽りの平和であったしても、千年続いたこの世界の真実を、護らなければ──
 少女は闇を駆け抜けていく。
 目指す場所はただひとつ。
 封印の祭壇。たとえ──
 この命に代えても。


 スピットは、両の手で握りしめた杖を、高々と突き上げた。
 エンペリウムの生む光と風が渦を巻き、彼の帽子を舞い上がらせる。その足下には──巨大な魔法陣。
 誰もが目を見開いた。
 輝く魔法陣によって生み出された空気の流れが、スピットを中心に渦を巻く。辺り一面を飲み込む風は、祭壇を、その上にある輝く『運命の石』を、魔女を飲み込み、すさまじい勢いで加速していく。
 光の粒子が弾け、雷がほとばしった。
 雷鳴が幾重にも重なり、すべての音を飲み込んでいく。
 魔壁からの轟音も、誰かの声すらも。
「これが俺らなりの、覚悟だ」
 そして風が、その雷鳴すらも飲み込んだ。
 一瞬の静寂に、彼の口が言葉を紡ぐ。
 呪文の、最後の言葉が響き渡る──
「ロードオブヴァーミリオン!!」
 光が、圧となって駆け抜けていく。全ての音を飲み込んで、全ての色と物質すらも飲み込んで、辺りを一面を、真っ白に吹き飛ばしながら。


 巻き起こった爆発に、誰もが目を閉じた。
 風と光が、その祭壇のある洞窟にあったすべての物質を飲み込んでいく。
「正気か!?」
 叫んだのは、騎士、フレックスだ。
「こんな馬鹿な事を──」
「すみません」
 駆け抜けた光の中から、ハンター、ウィータの姿が現れた。彼女の長い髪が、風に揺れていた。
 そして、その手に握られた弓は──二本の矢がつがえられた弓は──まっすぐに風の中心を差していた。
「馬鹿なんで」
 爆発によって生まれた衝撃に、岩盤を亀裂が走り抜けた。
 ウィータは引き絞った弓の狙いを定める。爆発の中心、そこには、闇の魔女。
 彼女の手から、矢が放たれた。
「ダブルストレイフィング!!」
 矢が風を切り、空間を突き抜けていく。
 その後ろを追うように、光の中から二人のアサシンが駆けだしていく。
「初めからこうするならこうすると──」
 両手に短剣を構え、いるる。
「いっくぞー!」
 両手のジュル振りかざしながら、まゆみ嬢。
「戦うつもりか!?」
 祭壇へと向かって駆けだしていく冒険者たちの背中に向かって、フレックスが叫んでいた。
「野郎ども!!」
 魔法の中心にいた魔導士、スピットが揺れる髪をそのままに、再び杖を構え直していた。
「真実を求める冒険者たちの底力!みせてやれ!!」
『かまうな!我らが魔女を奪い返すのだ!!』
 地底湖の壁を突き破って、闇の者たち──パイレーツスケルトン──が、祭壇の洞窟へと躍り込んでくる。
 エンペリウムが放つ光の中には、不死の力の包まれた、闇の魔女。


 頭蓋と顎とをうち鳴らしながら、手にした曲刀を振りかざし、無数のパイレーツスケルトンが冒険者たちに向かって躍りかかる。
「邪魔だー!!」
 応えて返すのはまゆみ嬢。
 振り下ろされた曲刀を左手のジュルで受け流し、勢いに回転しながら、不死の海賊兵の腹部に向かって蹴りを繰り出す。背骨を打ち抜かれたそれが、一撃に崩れ落ちた。
「祭壇へ!!」
 崩れた不死の海賊の向こうから、次の海賊が襲いかかる。しかし彼女は体勢を立て直すことなく、その脇を抜けて行く。それは自分の背後から、今まさに自分の頭蓋めがけて曲刀を振りおろさんとする闇の者を撃つ矢の存在を、わかっていたからだ。
「スピひとりじゃ、ドレイクなんか、倒せるわけないよ!?」
 銀の矢が、骨の塊を打ち抜いた。聖なる力を秘めたその矢の一撃に、不死の海賊が崩れ去る。
 ウィータは次の矢を弓へとつがえながら、声を上げた。
「いるるさん!ここは私といるるさんで!!」
「数が多すぎるな」
 両手の短剣を神速の勢いで振るいながら、アサシン、いるる。
「向こうが物量作戦なら、こっちも物量作戦で望みたいところだ」
 幾重にも重なったパイレーツスケルトンたちが襲いかかってくる。その数は計り知れない。砕けた洞窟の壁から地底湖へと、次々とその闇の者たちは躍り込んでくる。
「フレックスさん!!」
 次々と襲いかかる曲刀を、すんでの所で素早くかわしながら攻撃を繰り出す、いるるの声が響いた。
「部隊の建て直しを!!俺たちは、スピさんを護る!!」
「ま、待て!!」
 迫り来るパイレーツスケルトンに、剣を引き抜きながらのフレックスの声が答えた。
「正気なのか!?魔女を再封印せずに、倒すつもりでいるのか!?」
「どうでしょうね?」
 けろり、答えたのはウィータ。
「さー」
「しらない」
 いるるとまゆみ嬢も攻撃する手をはたと止め、彼に向かって軽く言った。
 パイレーツスケルトンたちが、その一瞬の隙をついて、束となって前衛の二人に向かって躍りかかった。その数を瞬時に認識することは、手練れの冒険者であっても不可能だったろう。視界のすべてを埋め尽くすほどの闇の海賊。無論、いるるにもまゆみ嬢にも、その数を正確に把握することはできなかった。
 ただ、
「おおっ」
「まずっ」
 二人が同時に叫ぶ。
「ハイド!!」
 二人の姿が、空間からかき消えた。
 パイレーツスケルトンたちの、光のない目が目標を見失う。しかし、躍りかかったそれらは攻撃を止めることも出来ず、二人がいたはずの場所に、飛び込んできた。
 団子状態になったその場所へ──
「グリムトゥース!!」
 二人の声が響く。
 魔法の力にも似たアサシンのスキルに、岩石の茨が大地を駆け抜けた。生まれた茨が、闇の海賊たちの体をうち砕いて行く。断末魔の叫びの変わりの、乾いた骨が砕ける音が響いた。
「早く!今のうちに!!」
 しゅんっと、そのつかの間の静寂の中に、まゆみ嬢が姿を現した。
「早いオトコもたまにはいーモンだ!」
「何がだよ」
 同じく現れたいるるが、はぁとため息。
「だけど──」
 再び彼は両手の短剣を握り直し、祭壇の向こうから迫る闇を見据えたのだった。
 そこには、奇襲をあきらめた不死の海賊たちが、曲刀を手に、じりじりと陣形を立て直しはじめていた。
 いるるはさっと視線を左右に走らせる。視界を埋め尽くすほどの闇の力。思わず口許を弛ませてしまう。
「こいつはずいぶん、でっかい話になってるなぁ…」
「いるるん的には、戦闘なんかしないで、ぼーっと眺めていたいかぇ?」
「怠け者のショボピクミンに、何を望みます?」
「…萌え?」
「あひゃ!?」
「まあ、いるるんは受けだから。ムリヤリ巻き込まれるのって向いてるよね」
「受けチガウ…受けチガウ…」
 やりとりに、二人は軽く笑う。そして一瞬だけみせた真面目な表情に、二人はこくりとうなずきあった。
 ウィータの声が響く。
「フレックスさん!陣形を組み直して、パイレーツスケルトンの軍勢を迎え撃ちましょう!」
「いくぞ!!」
「おー!!」
 前衛にたったアサシン二人が駆けだしていく。
 迎え撃つパイレーツスケルトンの軍勢が動き出す。地底湖の水面に白波を立て、冒険者たちに迫る。
「無駄に命を落とすな!!」
 フレックスが叫んだ。
「君らが戦う必要などない!!」
「そりゃ、無理な話だ」
 光の中、にやりと口許を弛ませるのは翡翠色の髪の魔導士。
 光と風を生むエンペリウムの前、彼は、仲間たちを背中に見て、言った。
「『無駄』に、命を落とさせたくなんか、ないからな」
 彼の眼前に、闇が飛び降りてきた。
 風にたなびくのは、ぼろぼろのマント。
 肉のない顔が、表情など、作ることも出来ないはずの顔が、彼に向かって不敵に笑いかけた。くぼんでいるだけの、眼窩の奥で、闇の力が揺れていた。
『貴様たちの行為、そのものが、無駄なのだ』
 ドレイクの声が、直接脳に響く。
 スピットはアークワンドを握りなおして、返した。
「その言葉、そっくりてめぇに返してやるよ」
 にやり、口許を曲げてみせる。
 巨大な闇の力を前に、スピットは腰を落として、両足で大地を確かめた。
 心を惑わす死の恐怖に逃げ出そうとする気持ちを、確かに、信念につなぎ止めるために。


 フレックスは眼前の光景を、ただ眺めている。
「…そんな…無茶苦茶な」
 握りしめていたはずの剣が、右手からすり抜けそうになる。
 地底湖の向こうからなだれ込んでくる、無数の闇の者。
 その数は、この場所のすべてを埋めつくさんとする勢いだ。
 しかし、二人のアサシンはその闇の壁へと向かって駆けだしている。フレックスは剣を握り直し、叫んだ。その声が、彼と彼女に届きはしないと、わかっていたけれど。
「死ぬぞ!?」
 誰も止められはしない。
 その場所まで駆けていき、彼と彼女の手を引くことの出来る者など、いない。
 風が吹き続けている。
 光の奔流の中心には、輝く運命の石、エンペリウム。
 翡翠色の髪の巫女──となった──ひとりの聖職者が、呪文を続けている。
 光の中には、強大な闇の力。不死の力を身にまとった、魔女。
 そしてそれを奪わんとする不死海賊団のキャプテン、ドレイク。
 対峙するのは巫女を『護る者』──となった──ひとりの翡翠色の髪の魔導士。
 フレックスは剣を握りなおした。
 彼らは──
 勝てると思っているのか!?
 足がすくむ。
 闇の力の奔流に、心が萎縮しているのがわかる。自分は騎士だろう!騎士で、そして、巫女を『護る者』であったはずだ!!
 だが──
 萎縮した心が、答えを返す。
 勝てるわけがない。
 勝てるわけなど、ないのだ!
 魔剣を手にした者たちですら、コモドの魔女を封印するのがやっとだった。自分たちは、魔剣すら手にしていない。そしてこの魔女は、コモドの魔女を越える魔力を有していたと、古の書物にも記されている。
 勝てるわけがない──命と引き替えに、魔女は、再び封印するしかない。
「何故だ!」
 フレックスは叫んだ。
 わかっている。本当は、自分もわかっている。
 眼前に広がる光景。
 祭壇にいる巫女の姿。
 そして、『護る者』の姿。
 わかっている。本当は、自分が一番よくわかっているのだ。
「何故、命を賭してまで、戦う!!」
 それが、同じであるということは、自分が一番よくわかっているのだ。
 だが──
「プロンテラ騎士団!!」
 声が響いた。
 騎士、フレックスの横を、ひとりの剣士が駆け抜けていく。手には大降りの両手剣。かなりの年代もののように見て取れたが、その切っ先は、どんな真新しい剣よりも、強く輝いていた。
 その剣士を、フレックスは知っている。
 翡翠色の髪の剣士。そういえば──今、祭壇にいる『護る者』となった魔導士と、よく似ている。
「第九八騎士団遊撃隊、隊長の名において命ずる!!」
 剣士は剣を振り上げて叫んだ。
「および、副隊長命令!」
 剣士の隣に駆け出して来たのは、彼の相棒である聖職者だ。
 王家に使える騎士団を率いる彼らは、歴史の影に隠れた王家直属の第九八騎士団遊撃隊の、剣士にして隊長となった二人目の男と、その相棒である聖職者だ。
 翡翠色の髪の剣士は剣を手に、一喝するようにして、力一杯叫んだ。
「クソ弟は、俺が後でオマエらの分も殴ってやる!!」
「同じく、私も今回は手助けしましょう!!」
 祭壇の上にいた翡翠色の髪の魔導士が、届いた声に肩越し振り向いて、呟いていた。
「──なんで、クソ兄貴がこんなトコに」
 少し前に、自分の兄が呟いていたのと同じ言葉を。
 剣士は剣を振り下ろし、闇に向かって叫ぶ。
「今は、全力でやつらを援護しろ!!」
 聖職者の祈りの言葉が、それに続く。
「シグナムクルシス!!」
 聖職者の頭上に生まれた十字の輝きが、まばゆい光となって空間に弾けた。シグナムクルシス。それは不死の力に支配された者たちの防御力を下げる、神への祈り。
 そして神々しい輝きは、兵士たちの萎縮していた心を、強く突いた。
 彼の声が響く。
「とつ、げき!!」
 呼応するように、兵士たちが剣を、槍を構え直す。そして不死の兵団へと向かい、兵士たちは雄叫びとともに、剣士を先頭に駆けだした。
 やがて、洞窟のすべてを埋め尽くすほどの、剣戟の音が響き渡りはじめる──
 騎士、フレックスは剣を握りしめたまま、その景色を見つめていた。


『よそ見をしている暇はないぞ?』
 声に、スピットは振り向いた。
 視界の中に、巨大な曲刀が飛び込んでくる。飛び退く。すんでの所を走り抜けていった剣の切っ先が、スピットのぼろマントの裾を裂いた。
「てめぇ、新しいキズをつけんなや」
『お前に、用はないのだ』
 ドレイクは剣を構え直す。
 海賊らしく、その構えは剣士のするそれとは明らかに違った。言うなれば、素人のような不細工な構え。しかし、発せられる威圧感は手練れの騎士の誰よりも強い。
「俺も、お前に用なんかねぇよ」
 アークワンドを握り直し、スピットは身構えた。
 近接されたら負ける…魔導士の戦い方をしなければ──しかし、自分の背後には翡翠色の髪の巫女。
『用があるのは、封印の巫女』
「お取り込み中だ」
 スピットの後ろからは、小さな呪文の詠唱が響いている。闇を覆う光の力が、少しずつ弱まっている。封印が解けきってしまうのに、そう時間はかからないだろう。
 それまでにドレイクを倒し、呪文の詠唱をはじめなければ──魔女をうち倒すだけの魔力を、ため込まなければ──
『退け』
「嫌だ」
 ドレイクの光のない目が、揺れた。
 スピットは両足に力を込めた。
『ならば、死ね』
 剣を振り上げたドレイクが、一瞬のうちに眼前にまで肉薄した。スピットは目を見開く。右手のアークワンドを振りかざそうとするが、左の肩口をめがけて振り下ろされて来る曲刀には、逆手では間に合わない──「セイフティウォール!!」
 左手に握っていたブルージェムストーンが光った。と、同時にスピットの身体を光の壁が包む。物理攻撃の絶対防御魔法、セイフティーウォールだ。
『猪口才な…』
 にやり。肉のない顔が笑う。曲刀が光の壁に阻まれ、甲高い音を立てた。ドレイクは返す力で第二撃を光の壁に向かって繰り出す。かんっと響く音。にやり。ドレイクは笑う。
『お前の脆い壁は、何時、砕け散る?』
 絶対防御魔法と言えども、その耐久力は決まっている。ドレイクは、コルセアの奥に揺れる光のない目でスピットを見下しながら、かたかたと顎をうち鳴らした。『何時、砕け散る?』
『お前の脆い心と同じくて』
 金属のぶつかりあうような音が、風の中に響く。
 あざけり笑うようなドレイクの声が、耳をつく。
 翡翠色の髪の巫女は、振り返りたい衝動を必死にこらえていた。
 今、この呪文を止め、振り返り、彼に補助魔法を描けることが出来たのなら──キリエを──ブレスを──速度増加を──共に戦うことが出来たのなら──
 薄紅色の唇は、封印の呪文を紡ぐ。
 輝くエンペリウムの光は、少しずつ弱まりはじめている。魔女の封印は、あと、少しで解ける。ここで呪文を止めるわけには行かない。不完全な解呪のもたらす恐ろしさなど、聖職者である自分はよくわかっている。
 だけど──
『次で十二回目──愚かな魔導士と思っていたが、そうでもなかったようだな』
 それはいかなる魔導士のもたらす光の壁であろうとも、越えることの出来ない壁。
 ドレイクが大きく曲刀を振り上げる。
 アピの唇が動きを止めた──護らなければ──!!
「俺は、『護る者』だからな」
 その耳に、彼の声が響く。
「お前なんかに、砕かれねぇよ」
 握りしめられた杖が輝く。
 生み出された魔法陣が、ドレイクを捕らえる。「お前なんかには、砕けねぇよ」
 ドレイクの光のない目が、口許を弛ませる魔導士を映した。その口が、呪文の最後を結ぶ。
「ユピテルサンダー!!」
 振り抜いた杖の先から、雷弾がほとばしった。単一目標への雷の最強魔法、ユピテルサンダー。雷弾は過たずにドレイクを撃ち、その身体を吹き飛ばす。
 背中の向こうの巫女に向かい、スピットは言った。
「覚悟を決めれば、なんだって出来るんだろ?」
 再び彼の足下に光の壁が生まれ出る。
 光の中、スピットはアークワンドを握りなおしていた。
 アピの唇は、再び呪文を紡ぎはじめる。


『──勘違いしていたようだ』
 祭壇の端にまではじき飛ばされたドレイクが、雷のまとわりつくマントを投げ捨てながら立ち上がっていた。ずれたコルセアをなおし、ドレイクは右手の曲刀を握り直す。
『人間などという下等な、真実の歴史をひた隠すような、愚かな弱い生き物を、勘違いしていたようだ』
「いや、勘違いしたままでもいいぞ?」
 光の壁の中でスピット。
「ついでに、そのまま死んでくれ。ああ、もう死んでるから、ダメか。成仏してくれ」
『人間という種は、やはり──』
 コルセアの奥、光のない目の中で、闇の力が揺れていた。
『滅んでしかるべきなのだな』
 ごうと、風が渦を巻いた。
 闇の力がドレイクの身体を包む。『ツーハンドクイッケン!!』それは両手で握りしめた剣の剣速を、極限にまで高める力。『マキシマイズパワー!!』それはいかなる攻撃も、最大攻撃力で叩きつけることの出来る力。『速度増加!!』そしてそれは、文字通り、自らの身体を羽根のように軽くし、素早く動けるようにする力だ。
「──フルブーストかよ」
 スピットはげんなりと呟いてみた。
 ドレイクが、ゆっくりと剣を下段にかまえていた。
『巫女と、そして護る者。今ここで、我らの未来のために、潰しておかねばなるまい』
 そして駆け出す。
 矢よりも速く、雷のそれと同じ速さでドレイクはスピットに迫った。剣が振り下ろされる。光の壁が甲高い音を立てる。一、二、三──
 スピットは素早く魔法を唱えた。瞬時に生まれ出た魔法陣から、彼の呪文の最後の響きと共に、五つの精霊球がドレイクに襲いかかる。
「ソウルストライク!!」
『インデュア!!』
 過たず五つの精霊球はドレイクを撃ったが、瞬時にドレイクが発した力は、いかなる攻撃の痛みも麻痺させる力だった。ドレイクはにやりと勝ち誇ったように笑い、ためらうことなく光の壁を撃つ。
 剣戟の音が、途切れることのないひとつの音として、響いていた。
『──終わりだ』
 一瞬の静寂に、その声が鼓膜を貫く。
 その瞬間は──翡翠色の髪の巫女が、呪文の最後を結ぼうとしていた時──魔導士が素早く次のセイフティウォールを一歩後ろに生み出そうと、左手にブルージェムストーンを握りしめ、右手の杖を──
『お前はよく戦った。だが、Ragnarokを越えて、我らの作る次の時代へとは、進めなかったようだ』
 巫女の呪文が最後を結ぶ。
『永劫の闇の中で眠れ』
 剣が振り下ろされた。
 一閃。
 光の壁が砕け散る。
 彼の目に、次の一撃が映る。曲刀が、返す力で振り上げられてくる。かわせない。退く足がついた地面から立ち上ろうとする光の壁は、間に合わない──それは、足下からわき上がる恐怖よりも速く、彼の身体を駆け抜けていった。
 光が弾けた。
 呪文の最後に、エンペリウムの輝きは祭壇の洞窟を照らし、魔女の封印を解いた。
 誰もが、その光に、祭壇を見た。
 そして皆、その目を見開いた。
 翡翠色の髪の巫女が振り返る。
 その目に、ひとりの魔導士が崩れ落ちる様が飛び込んでくる。何か、赤いものが散っていたけれど、それがなんだか、アピにはわからなかった。曲刀の閃光を追いかけた赤いそれがなんなのか、彼女にはよくわからなかったけれど、ひとりの魔導士が生まれ出た光の中で崩れ落ちる様が、彼女には永遠一瞬のように見えた。
 口を動かそうとする。けれど、刹那の時の中、言葉を形作れない。
 闇の者が、大きく一歩を踏みだし、自分に迫る。
 振り上げられた曲刀が、不気味に光っていた。
 光のない、くぼんでいるだけの、人で言えば目にあたる部分の最奥で、闇がちろちろと笑っていた。
 彼女は再び大きく目を見開く。
 閃光が、風を、光を、裂いた。
 翡翠色の彼女の髪が、ふわりと、風の中で揺れた。


 不死の海賊王、ドレイクは高らかに宣言する。
 曲刀を突き上げ、エンペリウムの輝きが消えた祭壇の上で。
 封印の魔女の身体を背に、あふれんばかりの闇の力を受け、赤く血に濡れたブーツで大地を踏みしめ──倒れた、愚かなる護る者と巫女と、すべての人間たちを見下しながら──高らかに宣言した。『時は来た!』
『我らが魔女の手によって、愚かな人間たちの前に、時は、真実を明かすときを迎えたのだ!!』
 それは、千年の偽りの平和の、終焉──

昔、神と人間、そして魔族による戦争があった。
その長きにわたる聖戦の末、壊滅的な打撃を受けた三つの種族は、
滅亡を避けるために長い休戦状態へ入るしかなかった。
千年のいつわりの平和…

この長い平和は、ミドガルド大陸で生活している人類から悲惨な
戦争と、過去に受けた傷を忘れさせてしまっていた。
彼らは過去の過ちを忘れ、己の欲望を満たすために自らの文明を
発展させていった。

そしてある日、

少しずつその平和のバランスが崩れる異常気象がミドガルド大陸の
所々で現れ始めた。

人間界と神界、魔界を隔離する魔壁から響いて来る轟音、
凶暴化する野生動物、頻繁に起こる地震と津波。
そして、いつの頃からか広まっていった魔物たちの噂。

平和の気運が崩れて行くなか、この世界の平和を支えているという
イミルの爪角の噂が少しずつ冒険者たちを中心に広がって行く。

そして、世界は、
Ragnarok──神々の黄昏──の時を迎える。