studio Odyssey



私たちの──


 私は、闇の中にいた。
 見回しても、どこもかしこも、闇。
 ただ、まっくらなだけの空間。
 その中に、ぽつんとひとり、私。
 ああ、これは夢だ。
 すぐにそう思った。
 私の周りには、いつもみんながいる。ずっとずっと昔から、きっと前世とか、そういう時代から、ずっと一緒だったに違いない、仲間たちがいる。
 だから、この何もない闇は、夢だ。
 ああ、夢ならはやく醒めて欲しいなぁ。
 闇は絶望。恐怖。世界の終わり。
 私たちには、あり得ないもの。
 どんな闇の向こうにも、私たちはいつも一筋の光を見つけだせる。人はそれを幻だとか、夢だとか、そう言うけれど、私たちは、何時だってそれを見つけられる。
 だから、私は闇の中なんかにいない。
 絶望の中になんか、いない。
 ほら、光が見えた。
 私が目を開くことは、必然。
 私たちが闇の中に、希望の光を見つけることは、簡単なこと。


 私はそっと目を開いた。
 頭がぐるぐると回っている。ふらふらする。あれ?何でだろう。ちょっと考える。
 そうだ、思い出した。
 祭壇でドレイクに襲われて、私、意識を失っていたんだ。こまったな…どれくらい意識を失っていたんだろう。
 私は辺りを見回した。
 そこは、何処かの洞窟の中のようだった。いくつかの燭台に灯がともり、壁に張り付いたわずかな光苔が弱く光りを放っている。
 闇──が支配していたわけではなかったけれど、しんとして冷え切ったその場所の空気は、限りなくそれに近かった。
 大きな大きな空間の中心に、私。
 大きな、禍々しい文字によって構成された、魔法陣の真ん中。
 奥に呪術で使うような祭壇があった。
 あれ?祭壇?
 どうして?
 祭壇の奥には、黄金色に弱く光る運命の石──エンペリウムがあった。
 あれ?
 どうして私はこんなところにいるんだろう。魔女はどうなったんだろう。スピさんは、魔女を封印出来たんだろうか──咄嗟に私が唱えたキリエエレイソンは、間に合ったんだろうか──
 身体が痛くて、その場所に手を触れてみた。
 聖衣が、剣の切っ先で斬られたままになっている。ああ──と、ちょっと思った。
 服がこのままってことは、まだ、終わってはいないんだろうか──服の下の皮膚には、ちょっとの刀傷があった。あっと思って、ヒールを唱える。ぽっと淡い光がその傷口を照らし、見る見るうちに跡を消していったけれど、ほんの少しの、跡が残った。
 あ…
「──傷物になっちゃった…」
 ぽつりと、口をついて言葉が出た。
 突っ込んでくれる誰も、そこにはいてくれなかったけれど──
「…気づきましたか?」
 突っ込んでくれる誰もいないと思った空間の向こうから聞こえた声に、私は振り向いた。左手で、咄嗟に床にバイブルを探した。もちろん、そこにそれはなかったのだけれど。
 闇の向こう、悲しげに微笑む、私が、いた。
「よかった…傷がひどくて…死んでしまったのかと」
 私が言う。
 いや、私じゃない。それはそうだ。私はここにいるのだから。あれ?何を言ってるんだろう…
 私と同じ翡翠色の髪を揺らして、彼女が言った。
「アピさん?」
 私は答えて返す。
「ユイさん──ですか?」
 同じように首を傾げ、私は彼女に向かって聞いていた。


 その場所は、闇の中にあるのと同じだった。
 いくつかの燭台と壁の光苔が、その洞窟の中を照らしてはいたけれど、私にとってはその場所は闇そのものと同じだった。
 永遠と、同じ。
 闇と同じ、その場所。
 私はそっと目を伏せた。もう、終わりなのだろうか──私は、そして、私たちは。
 この、世界は──
 私を包むのは、闇。
 そこに何かがあったとしても、すぐに、闇に飲み込まれてしまう。この場所も、いずれは闇に飲まれてしまう、私と同じに──
 ふいに、声が聞こえた気がして、私はそっと、声のした方を振り向いた。
 その場所に、私が、いた。
 いや、彼女は私じゃない。
 同じ色の髪、そっくりな顔立ち。
 だけど、彼女は私じゃない。
 もしかしたら、私よりも強くて、美しくて──「…気づきましたか?」
 私は彼女に向かって声をかけた。
 もしかしたら、彼女は私よりも強くて、美しくて、もしかしたら私なんかより──希望?
「傷、痛みますか?」
 私は、細く微笑みながら聞いた。
「あまり得意ではないから、応急手当程度の回復しかできないけど」
「あ、大丈夫です」
 答えて、彼女はよいしょと立ち上がった。そして私に向かって歩み寄りながら、
「ここは──どこです?」
 きょろきょろと辺りを見回して聞いた。
「どこでしょうね」
 私ははぐらかす、と言うわけでもなく、返す。
 彼女は「あはは」と軽く笑いながら、私の隣に腰を下ろした。
「謎の場所ですね」
 それは、そうかも知れないけれど──
 彼女──アピさんは──私の隣に座ったまま、きょろきょろと辺りを見回していた。何かを探しているというよりは、興味にきょろきょろとしているという感じだった。
 私はその様がおかしくて、少しだけ口許を弛ませた。
「何を、キョロキョロしているんですか?」
「いえ、何か面白そうなものでもないかなーと」
 きょろきょろと辺りを見回しながら、アピさんは返す。これは、私に対する気遣いなんだろうか──それとも、彼女は本気なのだろうか──よくは、わからなかった。
「魔女に連れ去られたのは、覚えていますか?」
 私は彼女の横顔に向かって、聞いてみた。
 たぶん、彼女はまだよく状況をわかっていないのだろうと思ったから。
「あ、そうなのですか?」
 彼女は私を見て、びっくりしたように目を丸くした。
 けれど、それだけだった。びっくりしたように、目を丸くするだけ。
「?」
 そして私に向かって、首を傾げてみせるだけ。
「あ、ごめんなさい」
 そして、言った。
「私、ドレイクにやられてしまって、そこから後ろ、まったく覚えていないのです。どうなってしまったのです?」
 無垢な表情で聞く彼女に、私は唇をかんだ。
 そして、私は闇に向かってぽつりと呟いた。
「その──」
「あ、その前に」
 ぽんと手を叩いて、彼女が言った。
「順をおって、お話しましょう?何もすることがないですし」
 彼女は、笑っていた。


「──それで、私たちはコモドに流れ着いたのです」
 私は、隣に座るユイさんに向かって静かに話し始めた。
「そこで、私たちはユイさんの長老さんに、封印の魔女のことを聞きました。ユイさんが、命を賭して、魔女を封印する巫女なのだということも聞きました」
 そして私は、ユイさんをちらりと盗み見た。
 彼女は静かに何処かを見つめながら、私の話を聞いている。相づちでも打ってくれれば、もう少し話しやすいのだけれど、どうにも、彼女はそういう雰囲気じゃないような気がした。
 だから、そのまま続けた。
「それで、スピさんが封印の呪文の最後を結ぶ魔導士になって──あ、スピさんというのは、私と一緒にいた、同じ髪の色の魔導士さんです。へへ、私、もともとの髪は赤かったんですけど、スピさんと同じ色にしてみたのです。似合いますか?」
 言ってみて、似合いますかというのも変だなと思った。よくよく考えてみれば、私とユイさんの髪は一緒だ。それに、顔もそっくりだ。
 似合わないとも言えないじゃないか。
 私はすぐに話を続けた。
「えっと──それで、私たちは、ユイさんの代わりに、魔女を封印することになったのです。でも──ダメですね、私。直前で怖くなってしまって──命を賭けてなんて出来なくて──スピさんにこぼしてしまったのです」
 私はぽりぽりと頭を掻いた。
「覚悟なんて言葉は、キライですって」
 ぴくりと、ユイさんが身体を強ばらせたのがわかった。
 でも、私は言葉を続けていた。
「格好悪いですかねって──でも、そうしたらスピさん、つきあってやるぜって言ってくれたのです。だから、私たちは魔女を封印するのではなく、倒してしまおうと──ユイさん?」
 私の隣に座っていたユイさんが、膝を抱えていた。
 そしてその抱えた膝に、顔を埋めていた。
「ユイ──さん?」
「どうして、そんなことをしようとしたの?」
 その声が、震えていた。
 だから私は──
「──ごめんなさい」
 そう、小さく返すことしかできなかった。


「どうして、そんなことをしようとしたの?」
 私の口をついた言葉に、
「──ごめんなさい」
 アピさんが弱く返す。それまでの彼女の言葉のどれよりも弱く、切ない響き。
 違う。そうじゃない。
 私が言いたかったのは、そういう事じゃない。
 言葉を探す。探して探して探して──でも見つからない。いい言葉が見つからない。震える唇から、続けるべき言葉が、出てこない。
 出てくるのは、嫌な言葉。
「どうしてそんなことをしようとしたの?もしも貴方たちが余計な事をしなければ、魔女は、私がちゃんと封印したのに。この命を賭けてでも、ちゃんと封印して──この平和を守り通したのに」
 違うんだ!
 本当に私が言葉にしたいのは、そんな事じゃないのに!
「あなた達なんかと出会わなければ、私はちゃんと、覚悟していたのに」
「──ごめんなさい」
 違う!
 謝るのは、私の方なのに!彼女は何も悪くないのに!
 彼女は私の代わりとして巻き込まれて、それで──ただそれだけなのに──
「ただ──」
 アピさんはぽつりと呟いて、頭を掻いた。「ただ──なんでしょう──その──」
「船で会った時のユイさんは、自分のことを省みずに、みんなを助けて欲しいと言ってらしたので──私たちがちょっとでも、ユイさんの力になれたらなぁと──」
 違うんだ!
 私が本当に伝えたい言葉は──
 苦笑するように笑って、アピさんが優しく言った。
「軽率でした」
「違う!」
 口をついて、言葉が漏れた。
 喉の辺りにあったはずの、私の心の堰が切れてしまった。唇が震えている。震えて、言葉を紡ぎ出している。
「私だって、本当は覚悟なんて、出来てなかったのに!でも、それでも、それは私の『運命』だから──私たちは、そうするしかなくて、心を押し殺して、そうするしか道はなくて、だから私は、固く、心を固くして、それで、覚悟しようとしていたのに!」
 ああ、私は何を言っているんだろう。
 自分でもよくわからない。心の中から、感情が先に喉を通り抜けて、口から吐き出されている。
「あなた達と出会わなければ、私たちは──」
 嫌だ。こんな自分は、嫌だ。
 私は両手で抱え込んだ膝を、ぐっと引き寄せた。もっともっと心を固くして、何者をも、私の心に触れることが出来ないようにしよう。心を固くして、私の決心を、誰にも壊させないようにしよう。
 私を引き留める誰かがあったとしても、私はそれを振り切ってみせよう。
 涙のひとつもみせずに、すべてを振り切って、駆け抜けて──
「ごめんなさい」
 そっと、アピさんが呟いた。
 それは、軽い微笑み。
 ぽりぽりとおでこを掻きながらの、それは、軽い物言い。
「私たちは、ダメなのです」
 そして彼女は、私を覗き込んで、言った。
「私たちは、ユイさんのような方を、放ってはおけないのです。長老さんが、私を見て、言っていました」
 小さく頷き、私が、私に向かって言っていた。
「私たちは、力だけでなく、心までもよく似ていると、そう言っていました」


「私は、覚悟なんて言葉はキライです」
 私は静かに言葉を続けた。
「私は、本当は自分が言っているそんな言葉が、嘘だとわかっているので、キライです。たぶん、スピさんは笑います。スピさんは『覚悟』という言葉を、簡単に使います。でも、スピさんは嘘つきなので、本当はそんなの嘘だと、みんなわかっています。あれ?何言ってるんでしょう?」
 私がゆっくりと顔を上げて、私のことを見つめていた。
 翡翠色の髪の奥の瞳が、揺れていた。
 それは、私が一番嫌いな、私の表情だった。鏡で自分を見る時と同じ。それは、私の一番嫌いな、私の表情。
 だから、私は優しく微笑むんだ。
 その表情の私を私は見るとき、私が笑ってくれたら、どんなにうれしいだろうと、いつも思うから。
 本当の私の心の中はぐちゃぐちゃで、笑うことなんか出来やしない。心に押しつぶされて、私を見つめる私は、笑う事なんて、出来やしない。
 でも、今、私は、私に向かって微笑むことが出来る。
 せいいっぱいに、私の心で。
 もうひとりの、私の心に。
 私と、私。
 ふたつは違うけれど、でも、同じ。
「本当は、誰も、命を賭けて誰かにためになんて、出来ないと思うのです」
 だから、言う。
「私は──死にたくありません」
「でも──」
「闇は、何故、闇なのでしょう?何故、人はそれを闇と、認識するのでしょう?」
「でも、私たちには、それ以外に道はないから──」
「それは──」
 私は静かに目を伏せて、私に向かって、言った。
 私が一番嫌いな私に、私が一番好きな私が。
 見回しても、どこもかしこも、闇。
 ただ、まっくらなだけの空間。
 その中に、ぽつんと、私たち。
 闇は絶望。恐怖。世界の終わり。
 でも、私たちは知っている。
「闇は、何故、闇なのでしょう?何故、人はそれを闇と、認識するのでしょう?」
 それは──
「私たちが、闇の向こうに、光を見つけることが出来るからなのです」
 どんな闇の向こうにも、私たちはいつも一筋の光を見つけだせる。人はそれを幻だとか、夢だとか、そう言うけれど、私たちは、何時だってそれを見つけられる。
「ほら──」
 だから、私は闇の中なんかにいない。
 絶望の中になんか、いない。
 ほら、光が見えた。
 私が目を開くことは、必然。
 私たちが闇の中に、希望の光を見つけることは、簡単なこと。
「聞こえませんか?」


「私たちの心を支えてくれる、強い強い、仲間たちの足音が」


 冒険者たちは、その洞窟を駆け抜ける。
 眼前に迫るのは、不死の力に支配された生亡き者の群れ。弱く輝く光苔とランタンに灯りに照らし出される、無数の影。
 先陣を切る魔導士が、杖を振りかざし、力の限りに叫ぶ。「行くぞ!!」その先端から、雷がほとばしる。
 仲間たちが力強く返す。武器を手に、冒険者たちが駆け抜けていく。
 闇を裂くのは一条の銀の矢。

「アピさん──?」
 そっと、私が呟いた。
「はい?」

 疾風のごとく、槍を手にした騎士が立ちはだかる闇の壁へと、声を上げて突っ込んだ。
 一閃した槍の一撃に、闇が砕け散った。
 そしてその場所へと、両手の短剣をきらめかせた、アサシンたちが切り込んでいく。「行け!!」わずかに生まれたその空間を、アサシンたちが広げていく。「ここは、私たちに任せてください!」声に続いて生まれた魔法の力が、闇を押しのけるように氷の壁を生み出した。
 突き進むべき道がそこに生みだされる。

「内緒の話だけれど──」
 そっと、私が私に寄り添うように、身体を寄せて、その瞳を閉じていた。
「私の母は、『運命の日』に生まれた私たちを、捨てたのだそうです」
「たち?」

 ランタンと光苔の弱い光に照らし出された氷の結晶が、闇の者の振るう曲刀にはじかれ、粒子となって飛びちった。戦線の先頭にいた騎士たちが飛びすさる。と、魔導士が前に飛び出し、魔法の業火を立ち上らせた。
 不死の肉体が業火の前に砕け散る。「はやく!!」聖職者の祈りが、その先の道に、聖域を作り出した。

「母は、私たちにいつか訪れるであろうこの日を、憂いていたのかもしれません──」
「そう──ですね」
「結局、私だけが見つけられ、数年の後に、母は一族を追われました──私にこっそりと、その事だけを教えて──貴方には、血を分けた、双子の妹がいる──と」
「それで──?」
「それで?」
 私はそっと微笑み、私に寄り添ったまま、続けた。
「本当の事を言えば、妹を恨みもしたわ…もしも私でなく、あの子が先に見つかっていたのなら──と」

「行け!」
 アサシンが両手のジュルを振りかざしながら叫ぶ。
「ここは俺たちが押さえます!」
 同じく、槍を手にした騎士が叫んだ。
「任せた!!」
 杖を手に、魔導士は駆けた。
 その後ろに、剣を手にした騎士が続く。
 魔導士は一瞬だけ振り返り、皆に向かって言った。
「プロンテラに帰ったら、今日の飲み代くらいは出してやるよ!」
「安すぎだ、ターコ!!」
 闇の向こうに、二人の姿が消えていく。
 それを見送って、「さーて…」赤い髪のアサシンは両手の短剣を構えなおした。
「祭りだ、みんな!」
「おう!!」
 力強い声が返ってくる。

「でも、今は、どうなのかなと思う」
 私は、静かに微笑んだ。
「もしも私でなくて、あの子が封印の巫女だったとしても──」
 そう──もしもあの子が私と同じ立場だったとしても──ううん、しても、なんて言うのは、変だ。
 私はここにいる。
 今、ここで、こうしている。
 だから──同じだ。「彼女はきっと──」

 無数の不死の力を前に、冒険者たちが身構える。
「祭りだ、みんな!」
「おう!!」
 力強い声が返ってくる。
「派手に行け!!」
 冒険者たちが、一斉に闇に向かって駆けだした。


「もしも私でなくて、あの子が封印の巫女だったとしても──彼女は、貴方と同じにするかも知れないなって」
 私は細く微笑む。
 それはもしかしたら、私の闇の中に生まれた、小さな願い。
 ともすれば、希望。
 ともすれば、夢、幻──光。
 私の、本当の『覚悟』。
「同じです」
 彼女は微笑んで、言っていた。
「お姉さんも、ここにいるじゃないですか」



「ありがとう」
 私たちは闇を前に、ゆっくりと二人、立ち上がった。
 握りしめた私の手。
 私と、私の、手。
 そして私たちの耳に、確かな足音が届く。
 聞こえる。
 心強い──足音。
「アピ!!」
 翡翠色の髪の魔導士。
「ユイ!!」
 そして栗色の髪の騎士。
 二人の、『護る者』の姿。


「フレックスさん!!」
 わずかな燭台と壁に生えた光苔が照らす洞窟の中、アピとユイの声が重なった。
 ので、
「マテェイ!!」
 スピットは杖を大きく振るって言った。
「アピくらいは、俺の名を呼ぶべき!っていうか、そうすべき!!」
「あと、スピさん!」
「オマケかよ!?」
 スピットは両手を振り上げて叫んだ。
 アピは笑っている。隣のユイも、思わず吹き出しそうになった。
『余裕なものだな』
 その場所に、声が響いた。
 四人が身を強ばらせる。
 アピとそして、ユイが振り向いた。
 振り向く先はその部屋の奥。祭壇がくみ上げられた場所。弱く輝く、エンペリウムの前。二人がその場所を見据えると、闇の力が渦を巻き、人の形を成した。
「こちとら、冒険者なんでね」
 右手の杖を握り直し、スピットは闇に向かって言い放った。
「冒険の合間に、人生やってんだ」
 人の形を成した闇の正体は、封印の魔女。
 不死の力に肉体を支えられた、醜悪な姿。魔女は肉のほとんどない顔を嘲笑するようにゆがませて、言葉を吐いた。
『意味のない、生きる目的だな──死に生きる人間の低俗な考えなど、その程度のことか』
「闇の力に支配された魔女に、我らの生き方を語る資格はない」
 剣を握りしめ、フレックスは踏み出す。魔女と封印の巫女の間に入り、切っ先の向こうに、魔女を捕らえた。遅れて、魔導士がその隣にゆっくりと姿を現す。
「意味のあるなしは、俺たちが決める。黙ってろよ、ババァ」
『そうか──』
 魔女はゆっくりと右手を胸の辺りにまであげると、手を返し、手のひらをじっと光のない目で見つめて呟いた。
『力はまだ完全ではないが──お前たちのような、下等な生き物を殺すのには十分だろう』
「自分が、一番下等なことに気づけよ?」
『犬でも、もう少しはまともに吼える』
 そっと、魔女は右手を四人に向けてかざした。
『お前たちとの力の差は、先ほど、嫌と言うほどその身体に味あわせたはずだが?』
「どこだろうな?」
 肩をすくめ、スピットは自分の身体を魔女に向かって見せた。五体満足なその様に、魔女は苦笑した。『ならば──』
 その手に、闇の魔力が集まった。
『無駄にその命、散らすがよい!!』
「無駄かどうかを決めるのも、俺たちだ!!」
 握りしめた杖を、スピットは振るった。


「ソウルストライク!!」
 二人の魔導士の呪文が、同時に響いた。
 互いの、五つの精霊球が弧を描く。
 五つは過たずに衝突しあい、はじけ飛んだ。衝撃に空気が軋む。壁面を亀裂が駆け抜ける。それが合図だった。
 アピとユイが同時に胸の前で腕を組んだ。二人の祈りの言葉が重なって響く。「キリエエレイソン!!」弾けた光の衣が、騎士と魔導士の身体を包んだ。
 剣を斜に構え、騎士が祭壇を駆け上がっていく。「ツーハンドクイッケン!!」その身体が、かっと輝く。
『突き進む事しか知らない、愚かなる騎士か』
 魔女が右手を迫る騎士に向けてかざす。そして空間を見つめたまま、魔女は短く呪文を唱える。
『ファイヤーウォール!!』
 騎士が駆け抜けようとした場所に、業火の柱が立ち上った。その魔法はスピットも知っている。魔導士の多くが使う、中級の火魔法のそれだ。
 だが、魔女の放った火柱の魔法は、自分の知る魔導士の誰が使うものよりも大きく、厚く、禍々しいまでの闇の力を放っていた。生ある者の命の灯を、一瞬で飲み込んでしまうほどに。
「ユイ!!」
 剣を握りしめたまま、フレックスは叫ぶ。彼は真っ直ぐに前を見据えたまま、その駆け抜ける足を止めない。スピットは火柱を回り込むようにして駆けだした。フレックスの声が響く。
「インデュア!!」
 騎士の身体が、業火の中へと飛び込んでいく。「ヒール!!」ユイの声が響いていた。
『死をも、いとわぬと見た』
 魔女が炎を突き抜けてきた騎士を見て、にやりと口許を弛ませた。
「覚悟は出来ている!」
 騎士は炎をまといながら、剣を大上段へと振り上げた。魔女に狙いを定める。捕った──!!
 しかし、魔女は口許を弛ませたまま、騎士に手をかざす。素早くその口が呪文を紡ぐ。迫るフレックスの身体に向けて──
『フロスト──』
「ナパームビート!!」
 何処かから響いた声に、騎士に向けてかざした魔女の手が、ばんっと弾かれた。魔女が声の響いた場所を見た。いつの間にか自分の隣にまで回り込んだ魔導士が、杖を手に自分を見据えていた。
『おのれ──』
 視線を戻す。眼前にまで迫った騎士の、その手に握られた剣が、かっと強く輝いていた。
「バッシュ!!」
 大上段から振り下ろされてくる剣に、魔女は短く呪文を唱えた。風が舞う。その身体を風がさらう。
 騎士の剣が、床を撃った。
 衝撃に、大地を亀裂が走り抜けた。祭壇の一部が、その力の奔流に崩れ落ちた。
 騎士の舌打ち。
「どこへ──!?」
 フレックスは、素早く左右に視線を走らせた。
 左。
 スピット。
 その背後に魔女。
「後ろだ!!」
『小癪な真似をしてくれたな…』
 その声に、スピットは振り向いた。眼前に、魔女の、死の力に崩れかけた手があった。
『まずは貴様から殺してくれる』
「誰に向かって、物をいってんだ?」
 にやり、スピットはその手の向こうの魔女を見据えたまま、腰だめにかまえて呪文を唱える。
「間に合わうものか!?」
 剣を握り直し、フレックスは飛び出した。いかなる魔導士と言えども、詠唱なしに呪文を唱える魔女を前にして、呪文を唱える余裕などありはしない。
『覚悟を決めたか?』
「ハナからしてる」
『ならば死ね。お前の得意とする、風の魔法で』
 その手に、闇の魔力が集まった。『ライトニング──』フレックスが魔女に向かって飛びかかった。──間に合うか!?
「ヒール!!」
 その癒しの祈りがかけられたのは、スピットではなかった。無論、フレックスでもない。
 アピの癒しの祈りが魔女の不死の身体を癒す。魔女は目を見開いた。
「聖なる癒しは、不死にとっての刃」
 スピットと魔女の間にあった、死の力に包まれた手は、もうなかった。
 魔女の光のない目に、魔導士の呪文の最後を結ぶ口が映る。「風魔法ってのは、こういうモンだ──」
「ユピテルサンダー!!」
 振り抜かれた杖の先端から、雷弾がほとばしる。雷弾は魔女の身体を壁際にまで吹き飛ばし、爆音と共にその場所をうち崩した。
 魔女が一瞬前にまで立っていた場所に、フレックスが飛び降りてくる。
「大丈夫か!?」
「まだだ!!」
 スピットは杖を振るい、構え直す。そして唇は素早く次の呪文を紡ぐ。
 フレックスが剣を握りなおして、もうもうと舞う土煙の向こうを見た。闇の力は消えていない。
「アスペルシオ!!」
 アピは聖水を手に、祈りの言葉を唱えた。澄んだ水が輝きとなって、フレックスの剣を包む。洗礼により、武器を聖なる武器へと変化させる聖職者の祈り。
「イムポシティオマヌス!!」
 ついで、ユイの祈りの言葉が響いた。それは祝福を受けた者の、秘めたる力を呼び起こす祈り。
「押し切る!」
「上等だ!!」
 スピットは再び杖を振るった。繰り出すのは雷弾の魔法、ユピテルサンダー。生み出された雷弾は雷とともに風をまとい、舞う土煙を飲み込んで、魔女の身体に炸裂した。
 不死の力に包まれた魔女の身体が、風の向こうに露わとなった。
 雷が包む魔女の身体へと向けて、フレックスはひとつ小さく頷くと、駆けした。
 振り上げた両手剣が、強く輝く。
「終わりだ──!!」
 これですべて。
 古から続く、『巫女』とそして、『護る者』の運命──偽りの平和──何もかも!!
 フレックスは大きく前へと踏み出した。
 そして輝く剣を、渾身の力で闇へと向けて叩きつけた。
「ボウリングバッシュ!!」
 閃光が闇を切り裂く。圧縮された空気が、空間を駆け抜けていく。
 続く、爆音。
 誰もが、風の中で目を伏せた。


 やがて、空気が平穏を取り戻す。
 騎士は、ゆっくりと剣を握り直す。
 魔導士もまた、小さく息を吐いて、杖を握りなおした。
 静寂。
 わずかなランタンと光苔の灯りが照らす空間の奥、運命の石、エンペリウムが弱く輝いている。
 静かな時。
 その静寂を破って、声が響いた。
 脳に直接響くような、禍々しい、声。
 騎士が剣を取り直す。魔導士が呪文を再び唱えはじめる。しかしそれよりもはやく──魔女の呪文が最後を結んだ。
『FIRE IVY!!(ファイヤーアビー)』
 大地を無数の亀裂が駆け抜けた。
 フレックスが飛び退く。スピットは亀裂を素早く追う。こんな魔法は知らない。どんな魔法書にも乗っていない。亀裂は部屋のすべてを、縦横無尽に走り抜けた。
 何が──!?
『人間ごときが──』
 魔女の声が響いた。
 亀裂から、無数の炎の茨が立ち上った。
 茨(アビー)──その炎は意志を持ったように、空間を埋め尽くさんと成長した。フレックスが剣を振るった。剣圧に生まれる風に、炎は一瞬途切れたが、それはそれだけだった。亀裂の向こうから次々と成長する炎は、やがて騎士を飲み込んでしまう。
「フレックスさん!?」
 悲鳴にも似た、ユイの声が響いた。
「スピさん!!」
 アピの視線の向こう、炎の茨がスピットを襲う。スピットは杖を振るい、風を呼び起こそうとするが、闇の魔力の前に力がかき消されてしまう。
「くそ──っ」
 睨み付けるように一瞬、スピットは魔女を見た。魔女は不死の力に支えられるだけの、ほとんど肉のない顔を、嘲笑するようにゆがませていた。
『これが魔法というものだ。人間の魔導士よ』
「スピさんっ!!」
 見開いたアピの目に、炎に飲み込まれていく魔導士の横顔が映った。


『結局は、同じことだったな』
 ゆらりと魔女は立ち上がると、静かに歩き出した。
 業火が、静かに消えていく。
 倒れた二人の『護る者』の姿が、その場所に露わになる。
 すすに汚れた鎧。右手に剣を握りしめたままの騎士が、わずかに体を動かした。渾身の力で、なんとか顔を動かす。そして、二人の巫女に向かって歩み寄る、魔女の背中を睨み付けた。
「ま…まて」
 その弱すぎる声は、魔女の耳には届かなかった。
「…くそ」
 魔導士の弱い声。
 もともとぼろぼろのマントが、炎に焼かれて、見るも無惨な姿になっていた。それは、横たわり、指先を動かすこともままならない、魔導士の彼の姿と同じくして。
 魔導士は翡翠色の髪の奥の目で、魔女がゆっくりと二人の巫女の前に立つのを見た。
「ヒール!!」
 アピが短く、癒しの祈りを魔女に向けて放った。炎のそれが燃え上がる瞬間のような、ぼっという短い音と共に魔女の肩口が吹き飛んだが、魔女はその場所をちらりと横目で見ただけだった。
『無駄なことを』
 魔女は左手を伸ばした。
 そしてその伸ばした手で、彼女の喉もとを掴みあげた。
 苦痛にアピが目を伏せた。次の祈りの言葉を発しようとするけれど、押さえつけられた喉から声が出てこない。「アピさん!!」ユイが、胸の前で腕を組む──魔女が彼女を見据え、口の中で短く呪文を唱える。
 ばんっと彼女の身体が宙に舞った。
『まだ、わからないのか──』
 左手に力を込め、魔女はアピの身体を軽々と持ち上げてみせた。アピが苦痛に顔をしかめていた。両手を魔女の手首にかけ、強く握り返すけれど、彼女の細い腕では、魔女の強大な闇の力にあがらう事は出来なかった。
 魔女の声が響く。
『いかに命を賭けて事をなそうとしても、お前たち人間のような無力な生き物には、不可能なことなのだ』
 魔女の、嘲笑するような声が響く。
「そんなこと、ない──」
 うっすらと目を開け、アピは魔女を見据えて、震える唇から言葉を紡いだ。
「私たちの『覚悟』は──『運命』だって、変えられます」