studio Odyssey



語り継ぐべき『物語』。


 さざぁん、ざざぁんという寄せては返す波の音がうるさくて、スピットは目が覚めた。
 ああ──そういえばこんな事、前もあったぞ?
 そっか──理解して、スピットはゆっくりと目を開けた。
「全部夢だったと、そーゆーオチだな」
 ぽつりと呟く。
 と、即座に声が返ってきた。
「おはようございます」
 どきりとして見目を見開くスピットの視界に、彼女の顔が映り込む。横になっていた自分を、浜辺に座り込んで覗き込む、自分と同じ色の髪をした聖職者、アピの姿。
 彼女は軽く笑っている。
 しかし、よく見ればその聖衣はぼろぼろで、笑う顔もすすに汚れている。それはちょうど、自分が最後の呪文を唱える直前に見た彼女の姿と、相違なかった。
「朝ですよー」
 笑う頭の上には、スピットのものである、薄汚れた帽子があった。
「ほら、海の向こうに、朝日が昇ってますよ、スピさん」
 笑って言うアピに、スピットは軽く口を曲げると、彼女の頭の上から自分の帽子を奪い取るように、素早く右手を動かした。「あっ」アピが短く声を上げていた。
「──せっかく探して、拾っておいたのに」
「さんきゅ」
「お礼は先に言って貰いたいものです」
 ぷっと、アピは頬をふくらませていた。
 スピットは「はいはい」と軽く彼女をいなしながら、帽子を頭の上に載せて、位置をただした。その隙に辺りをくるりと見回したが、他には誰の姿もなかった。そして──右手で握りしめていたはずのあの杖も、なくなっていた。
「杖は?」
 呟く。と、アピが小首を傾げて返す。
「アークワンドは何処かに行ってしまったようです」
「いや…俺が最後にもってた──いや、いいや」
 ゆっくりと、スピットは浜辺に立ち上がった。身体はどこも痛くない。きっとアピが癒しの祈りをかけてくれたのだろう。アピが続いて、ゆっくりと立ち上がっていた。
 そのアピに向かって、スピットは笑いかけた。
「──生きてるな」
「生きてますねぇ」
 アピも軽く笑う。
 スピットは帽子に手を駆けて曖昧に頷くと、彼女に、
「フレックスとユイさん──それに、他の連中は──」
「あ──」
 アピはちょっと目を丸くした。
 そして、にこりと笑った。
「勝ちました!」
「は?」
 帽子に手をかけたまま聞き返したスピットの耳に、
「なんだよもー!!」
 奴らの声が響いた。
「いよーし、勝った!ちゃんと払えよー」
「なんでスピさん、こーゆーシーンで、そーゆーことゆーかなぁ」
「普通、命を賭けた戦いの後は、ハッピーエンドで抱き合ったりするものです!」
「スピにそんなことを求めるのが、そもそも筋違いと言うものだ」
 ぞろぞろと、浜辺の向こう、茂みの中から仲間たちが姿を現した。
 先頭を、ずんずんずんっと、まゆみ嬢。肩を怒らせながら、
「あんなことやこんなことを期待していた私たちのこのうっぷんは、どーすればいいですか!?」
 言う。
「何を期待していたんだか…」
 ぽりぽり、頬を掻くのはいるるだ。
「つか、いるるも百ゼニーだぜ?」
 と、手を差し出すのはラバ。「ちぃ!ばれてましたか!?」いるるが舌を打っていたが、かまわず、彼は手を突き出していた。
「ありがとう、スピ。おかげで儲かりました」
 びっと親指を立てて右手を突き出すのは、アブだ。
 なんとなく、わかった。わかったけれど、スピットは「はぁ…」と呟いて、聞いてみた。
「賭け?」
「ぉぅぃぇ」
 グリムが大まじめに返す。続くのは、彼の隣に立った玲於奈。
「スピさんは、女の子の気持ちを、ちっともわかってないっ」
「そーだ!ここは死闘を乗り越えたアピさんを、ぎゅっと抱きしめたりするべきシーンだ!」
 口の両脇に手を当ててぶーぶーと文句を言うのはウィータ。
「女性の敵ー」
 迦陵が続くと、即座にあおいるかが、
「ナンパ師の、風上にも置けませんね!」
 大まじめに言っていた。
「金返せー」
 シンティスの台詞を皮切りに、負け組の皆から「金返せー」コールが巻き起こった。
「いや、とりあえず、先にお金だネ」
 にやにや、グリがブーイングを続ける皆に、手を差し出していた。
「──バカ野郎どもが…」
 だから、仕方がなくて、スピットはちょいと帽子をなおして、口許を弛ませた。
「お元気そうで、何よりで──」
 わいわいやる仲間たちの向こう、ひとりの騎士と翡翠色の髪の巫女が、笑っていた。


「──コモドには、戻らないのですか?」
 ざざぁんざざぁんという、絶え間ない波の音が響く朝の浜辺に、ユイの小さな声が響いていた。
「いやぁ…無理らしいしな」
 スピットは苦笑する。
 その後ろでは、ラバが皆から集めたお金を勘定しながら言っていた。
「ドレイクと戦った場所、あるだろ?あそこ、カジノの真下でな、カジノごと吹っ飛ばしちまったから、戻るに戻れねーって訳よ」
「お尋ね者ですかねぇ」
 アブも苦笑している。
「あー、そういえば、カジノって、来月にもオープンするって、準備急いでたんだっけ?」
「…俺たちは、一生カジノで遊べないのだろうか」
 まゆみ嬢の問に、いるるが目を細めている。
「そうですか…」
 残念そうに顔をうつむかせたユイに、
「それに、スピさんのお兄さんもコモドにいるようなので」
 アピが笑いながら言っていた。
「スピさんとお兄さんは、会うと喧嘩しかしないのです」
「前回は、スピ兄の勝利だったけど」
 ぽつり、玲於奈。スピット、むっ。「本気だしゃ、あんなやつ…」「前回は、本気ではなかったっけ?」ウィータが呟いていたけれど、スピットの耳には届かない。いや、届いたとしても、認識されない。
「俺たちは、コモドに戻るよ」
 騎士、フレックスが、一歩前に踏みだして言った。
「スピットのお兄さんにも報告しなければならないし、何より、元々は俺たちの問題だからな」
「そか」
 笑うスピットに向かい、フレックスは右手を差し出した。ふと、その手を止め、右手を包んでいた甲冑を外す。そして再び、彼は右手をスピットの前につきだした。
 ぽりぽり、首筋を掻いていた左手をスピットは帽子に伸ばした。
 朝凪の終わりを告げるように吹き抜けた風が、冒険者たちの髪を揺らして、駆け抜けていった。
 スピットは仲間たちの前へと、一歩を踏み出す。そしてそっと、右手を差し出した。
「ありがとう」
 絡められた右手を強く握り返し、騎士は魔導士を真っ直ぐに見て、言った。
「そして、すまなかった」
「意味がわかんね」
 スピットは軽く返す。フレックスは、「元々は、我々の問題だった魔女の封印というこんな事件に君らを巻き込み、その命を危険にさらしたことを──」と、続けようとして、止めた。
 やめて、フレックスは笑った。
 笑って──言った。
「そうだな」
「ああ」
 左手の帽子をちょいと頭の上に載せ、翡翠色の髪の魔導士は、風の中で屈託なく笑いながら言う。
「ついでだ」
 背後に立っていた仲間たちが、「ついでかよ!?」と声を上げていた。
 その絶妙のタイミングに、ユイが思わず吹き出す。
 風の中、揺れる髪を押さえて屈託なく笑う少女の微笑みに、スピットは続けた。
「ついでだろ?」
 彼の手から自分の手を離し、その手で帽子のつばをちょいと下ろし、にやり。笑う。
 そして、言う。「オトコノコってのは──」
「惚れた女を助けるついでに、世界を救っちゃうくらいが丁度いいと思うんだが、どうだ?」
 その軽い物言いに、同じようにフレックスも軽く頷いて、返した。
「そうだな」
 彼女の、風の中に踊る翡翠色の髪の向こうの瞳が、振り向いた彼を映す。
 その瞳が、瞬いていた。
「ユイ──」
 寄せては返す波の音の向こうに聞こえた声に、スピットはくいっと帽子を下げて、振り向いた。
「これからは、『護る者』と、『巫女』ではなく──その──俺と──」
「まゆみ嬢」
「らじゃ!」
 スピットの声に、まゆみ嬢がとうと飛ぶ。そして、フレックスの背中を蹴り飛ばす。「あっ」と、ユイが短く声をあげた。
 体勢を崩したフレックスが、ユイの身体を押し倒して、砂浜に倒れ込んだ。
「よし!」
 ぐっとまゆみ嬢はガッツポーズ。
「ヤッテヨシ!!」
「なにを!?」
 こぶしを握りしめたいるるに、ウィータが目を丸くした。
「あ──」
 ユイは思わず目を背けた。
 砂浜に押し倒された自分の眼前に、彼の顔が、くっつきそうになるほど近づいていた。どうしたらいいかわからなくて、ユイは咄嗟に目を背けて両手で顔を覆っていた。でも──目をそらす直前に認めたフレックスの顔も、自分と同じように、真っ赤になっていたような気がした。
「す、スピット!?」
 ばっと身を起こして、フレックスが叫んだ。
 その言葉を受けて、スピットは笑うようにして声を上げた。
「あおさんっ!」
「ほい!」
 呼ばれたあおいるかは、右手の親指と人差し指でわっかを作り、それを口にくわえて口笛を吹き鳴らした。
 朝の浜辺を、口笛の軽やかな音が勢いよく突き抜けていく。
 それに応えて、一匹のペコペコが駆け寄ってきた。騎士、あおいるかの駆る、自慢のペコペコだ。
 スピットは笑う。笑いながら、そのペコペコの鞍を止めるベルトに手を伸ばし、帽子を押さえて、仲間たちに向かって叫んだ。
「準備はいいか!?」
 アピが逆側のベルトに手を伸ばす。
 あおいるかが鞍上に飛び乗る。
 ラバがお金を道具袋にしまい直すのを見て、アブが「あとでちゃんと分けてくださいよ」と、釘を差す。「ちっ!」ラバの舌打ち。
 長い髪をとめるバレッタの位置を直すウィータの隣では、玲於奈が仲間たちに速度増加を唱えている。
 両手のジュルを腰におさめるグリム。同じように腰に短剣をしまうシン。「では、後は若い二人に任せて」とか言って、にやりと笑うまゆみ嬢の服をひっぱるのは、いるるだ。苦笑するグリに、迦陵も笑う。
 仲間たちを見回し、スピットは帽子に手をかけたまま、叫んだ。
「総員、撤退!!」
「おぉ!!」
 走り出すペコペコ。翡翠色の髪を潮風にゆらしながらのスピットの声に、仲間たちが続いて、駆けだした。
 誰も彼も、風の中に笑いながら。


 やがて──
 優しく吹き抜けた風に、フレックスは笑った。
 軽く息を吐き出す。
 すっと、肩に掛かっていた力が抜けたような気がした。浜辺にすとんと腰を下ろし、消えた仲間たちの後ろ姿を、そのはるか向こうに見つめて、小さく呟く。
「語り継ぐべき物語が、増えたな」
「──そうね」
 そっと、その肩に彼女は頭を寄せた。
 彼女は静かに瞳を閉じる。
 語り継ぐべき物語。これから千年──ううん、もしかしたら、ずっと。
 次の誰かのために──語り継ぐべき物語。
 彼女は微笑みをたたえた口許をそのままに、やさしい言葉を風に乗せた。
 寄せては返す波の音が、ずっとずっと、響き続ける、その世界に。

「私たちの、物語」











 冒険者たちは世界を駆け抜けていく。
「とつ、げき!」
 先陣を切るのは魔導士、スピット。
 砂の町、モロクの南西。
 サンダルマン要塞遺跡。
「一路、アルベルタ!!」
 続くのはアブだ。「嫁が待っています!さあみなさん!急ぎましょう!!」
「え!?アルベルタなの!?プロンテラじゃないの!?」
 先行して走り出していたスピットが、目を丸くしながら振り向く。
「そういえば、アルベルタには彼女の仲間が置きっぱなしだったっけ」
 ラバが思い出したように言と、
「あっ!」
 と、皆も思い出したように──「ワスレテタっ!?」いや、思い出したようだ。
「とりあえず、サンダルマン要塞遺跡の突破です」
 鞍上のあおいるかが、槍を握りなおしながら言った。
「ここは、ゴブリンアーチャーやガーゴイルなど、なかなかの強敵が──」
「あ」
 彼の台詞を割ったのは、ウィータだ。
 ウィータは先陣を切るスピットの向こうに、その魔物の一団を認めていた。
「い?」
「う」
「えー」
「ぉ?」
 ひゅんっと、空気を裂いた何かの音。
 続いて、ぱたり。
「ヴォケー!?」
 ラバが身構えて駆けだした。
「早速か…」
「はやいなー」
 続くのはグリムとシン。
 ウィータが魔物の一団に向けて矢を放った。「開戦っ!」
「んまー、一日一死は基本と言うことで」
「プロベンツアー=死にツアー」
 まゆみ嬢、いるるが前線に飛び込む。
「ゆけ!アサシン戦隊、ショボピクミン!!」
 杖を振るうのはグリ。
「支援はするよー」
 と、手を振りながら笑う玲於奈と同じく、
「がんばれー」
「がんばれー」
 手を振る騎士のあおいるかと迦陵。
「マテェイ!?」
「戦うのは、私たちだけカー!?」
「コラマテ!手伝えよ!?」
 魔物の一団を押し返すアサシンたちの中、ラバが振り向きながらに叫んでいた。
「ぐぇ!?」
 と、聞こえた妙な悲鳴に、「ん?」何かを踏みつけたぞと、ラバは下を向いた。
「ああ、すまん」
 軽く会釈をしながら、ラバはガーゴイルの矢の前にぱたりと倒れたスピットから、その足を退けた。「見えなかったよ、バカスピ」
「りざれくしょーん」
 アピの祈りに、スピットはばっと起きあがった。
「上等だ、ショボ!!」
「なんだと!?へっぽこ!!」
 と、早速と、取っ組み合いでもはじめそうな勢いに言い合う二人。
「やるか!?」
「やらいでか!!」
「テメーとは、いっぺん勝負つけなきゃと思ってたトコだ!!」
「いやー…はじめる前に、この敵をなんとかしたほうがいいのではと…」
「お、押されてるー!?」
「い、イクぅ!?」
「がんばれー」
「おなじくー」
「それだけ?」
「努力だ!」
「気合いですね!」
「むしろ、根性だ!」
「とにもかくにも──」
 スピットは帽子に手をかけると、にやりと口許を弛ませて、魔物の一団に向き直った。
 冒険者たちは世界を駆け抜けていく。
「しまったー!?」
「なんだ!?」
「杖がないっ!?」
「死ねよ!!」
「まぁ、いいさ!」
 その冒険者たちは、世界を駆け抜けていく。
 語り継がれる物語の英雄なんかには、興味はない。
「行くぞ!!」
 彼らは冒険者。
 それぞれ、思いは違えど、この広大なミドカルド大陸を駆け抜けていく、冒険者たちだ。
「野郎ども!十秒稼ぎな!!」
 風が渦を巻く。
 響く詠唱に巨大な魔法陣が生まれ、風の中に生まれるのは、雷の迸り。
 仲間たちが目を見開く。
「やっぱそれか!?」
「つか、それ以外にはない?」
「ちょっとは周りのことも考えろ!バカスピ!!」
「スピさんには、ムリな注文でしょうねー」
 彼らは冒険者。
 語り継がれる物語の英雄とは違う。
「行くぜ!」
 響く呪文の最後が響くのと同時に、光が世界を駆け抜けた。
 彼らは冒険者。
 その毎日のすべてが冒険で、
 そして、その毎日のすべてが──




 彼らの物語となることを、彼らは当たり前のように知っている。