studio Odyssey



Report 3

 あるエルフプレイヤーのレポート。またはそのエルフの別の人格か、それに類するものの書き留めたこと。

01:Session05-06

 さて、セッションも回を重ねてきて、各々の役割分担、ロールプレイは大分安定してきた。
 今回の反省会でも大きな反省点はなく、スムーズにセッションは進んでいるように思われる。ルール的な問題点はないこともないが、参加者たちは楽しんでプレイをしているようであるし、特に大きな問題はないだろう。
 今回は実際のセッションではなく、リプレイという観点から、このセッションを考えてみる。

リプレイを書く

 オンラインセッションの利点のひとつとして、実際に遊んだ記録を、リプレイとして残す作業が非常に簡単であるという点がある。
 従来型のセッションではセッションを録音しておいたとしても、それをテープから起こさなければならない。この手間は非常に大変な作業である。が、オンラインセッションの場合、ログを残してさえいれば、それほど難しい事ではない。
 当然のことながら、オンラインセッションでは会話の行き来等があるため、文章の入れ替えや語尾の統一等、手を加えるべき箇所は多くあるが、従来型のセッションとは比べものにならないほど、この作業は簡単である。

リプレイ執筆にあたって

 リプレイを書くにあたって、注意すべき点を上げる。
 少なくともこのリプレイは、参加者たちの遊んだ記録であると同時に、オンラインセッションでのプレイ風景をレポートする目的がある。そして、公開されているリプレイは、ある程度、読み物として楽しめるようにと考えて作られている。
 そのため、プレイヤー達の間でも初期のセッションで話題になっているが、「読み物としての面白さ」と「TRPGを楽しむという目的」に関してのトレードオフが行われている。結論から言って、「読み物としての面白さ」を考えることはあまりせず、「TRPGを楽しむ」事にこのセッションは重点を置いている。
 今回、ストーリーの中にジェダの両親が登場した。
 これは「読み物としての面白さ」と「TRPGの面白さ」の双方を持っていると言えるだろう。設定としての存在でしかなかった、ジェダの「学院を飛び出した理由」をここからうかがい知る事が出来るし、ストーリーとしても重要なポイントである。
 が、今回登場したリジェル氏に関しては「読み物としての面白さ」と「TRPGの面白さ」の、非常に危うい境界にあると言える。
 「TRPGの面白さ」という観点から言えば、プレイヤーたちは皆、Ragnarok Onlineをプレイしており、Ridgelという名の騎士を実際に知っている。本編でも「ゲスト」と呼ばれて歓迎されているし、いろいろと突っ込みを入れては楽しんでいる。
 これは「TRPG」というよりも、「この面子でのセッション」として考えた時には、楽しくプレイできる事であり、TRPGで達成しなければならない唯一の目的である「皆が楽しむ」という目的を達成する上では、いい起爆剤である。
 が、「読み物としての面白さ」を考えたときは、いささか問題である。
 知っている読み手は、面白く笑えるだろう。だが、知らない読み手には、何が面白いのかがわからない。それは言わば、パロディに近いものがある。パロディというのは非常に危険なジャンルで、「わからない人にはまったくわからない笑い」の集合体でしかないのである。
 もっとも、パロディが悪いという事はない。パロディはひとつのジャンルとして成立するし、それが十分に面白いものになると私も知っている。
 問題は、そのリプレイをどのような目的で作っているのか、である。
 あなたがもしもオンラインセッションを行い、それをまとめ、公開するのであれば、そのリプレイの目的というものをまず第一に考えなければならないだろう。

パロディ的要素

 結論から言って、このセッションは、恐ろしくパロディ的要素が多い。
 うっかりしていると、出典がなんなのかわからないままスルーしてしまうような台詞がごろごろしている。プレイヤーたちがRagnarok Onlineというゲームの仲間たちであると言うことから、当然、このゲームの話も多く出てくるし、ジェダ、ソアラ、アルス等は、当たり前のようにソードワールドRPGのリプレイ、小説の話をそこかしこでちらちらとしている。他にもアニメや漫画、ゲームの話等がちらちらと顔を出しては、本編に関係のないところで流れていく。
 これらの多くは、カットしようと思えば出来るものである。
 リプレイの編集にあたって、これらの多くをカットするかどうかというのは、編集者の采配である。私はあまりカットをしてはいないが、それはこのリプレイが「TRPGを楽しむという目的」に重点を置いているのと同時に、「わからなくても読み物として楽しめるレベル」を、編集時に意識しているからである。
 特に、ソードワールドRPGを知らず、これからやってみようかと考えてリプレイを読んでいる方からすれば、ルールに関してもわからない事だらけであろうし、当たり前のように出てくる、ソードワールドリプレイのキャラクターたちの名前等もわからないだろう。
 だが、私はあえてそれらをあまり削らない。
 それはパロディであると同時に、実際の「セッションの風景」でもあるからだ。
 そしてその実際の風景こそが、「リプレイ」としてTRPGを紹介する上で重要であると考えているためだ。
 文庫本として発行されている公式のリプレイは、セッションの風景を収録したもので、リプレイという形式を通してTRPGを紹介するものであると同時に、「読み物」である。編集の段階で無駄は出来る限り省いているし、ルールの矛盾点等も、可能な限り修正されている、言わば模範的なものと言えよう。
 が、実際のセッションはこのリプレイのようにパロディ色が強いし、ルール的なミスも腐るほどある。決して、「読み物」として成立するものではない。
 そのため、あえて私は「読み物」である以前に、「セッションの風景」であることを前提としてリプレイの編集を行っている。それは商業的な意味合いもなく、ページの都合も存在しない、このWeb、オンラインというメディアであるからこそ出来ることだ。
 もちろん、それではただの自己満足に過ぎない。
 参加者たちの思い出作りという意味合いで言うのであれば、それはそこまでで良いだろう。もちろん、このセッションの参加者たちがこの先の事を考える必要などはない。が、リプレイを編集するという目的が、「それ以外」なのであれば、パロディ的要素のさじ加減も含め、「読み手」の事を常に考えてリプレイを起こすべきである。
 なお、このセッションではソードワールドRPGそれ自身に関してのパロディ的な要素(というよりも引用的なもの)は、多くはそのままで、なんの説明もなく掲載されている事が多い。これはソードワールドRPGにあなたが興味を持ち、その世界に入り込んだとき、あなたがそれらを見かけた時の面白さを残すようにしているためである。

役割分担

 リプレイ編集を行っている段階で、気づいた事がある。
 実際はプレイ中にも気づいていたし、少し考えるべき場所かも知れないとは思っていたが、リプレイを起こしていると顕著に見えてくる問題がある。

ソードワールドRPGの技能

 ソードワールドRPGは、技能という概念でキャラクターの色づけを行っている。それ以外は特にルールとして決められてはいない。
 ソードワールドRPGの場合、技能をとれば「その技能が使うことのできる能力」は基本的にすべて無条件で使うことができるようになる。(魔法等はこの意味に入らない)
 実は、ソードワールドRPGで一番難しい部分はここなのである。
 技能は種族によっては取れないものもあるが、人間種族はすべての技能をマスターできる。ファイターでプリーストでセージでレンジャーでシーフでバードでソーサラーでシャーマンも可能なのである。
 だが、それは可能ではあるが、「してはならない」事なのである。「するべきではない」事ではない。してはならない。

ロールプレイングゲーム

 では、それは何故か。
 答えは簡単だ。
 それをすると、その瞬間にそれはもはやロールプレイングゲームではなくなるからだ。
 ロールプレイとは、役割演技と訳される。つまり、与えられた役割を演技し、楽しむゲームがRPGなのだ。RPGはウルトラマンを必要としない。完全無欠も、絶対無敵もプレイヤーには求めない。そして、プレイヤーはそれを求めてはならない。
 今回の成長申告の中でも触れられているが、ソードワールドRPGは複数の技能を伸ばすよりも、1つの技能を集中的に上げた方が、「ゲームとして」も有利である。そしてそれが有利である理由は「役割を分担する」ためにある。
 TRPGは一人では出来ない。仲間が必要だ。そしてセッションに参加する者は、全てがそのゲームのプレイヤーであり、主人公である。そこに例外はない。だからこそ、役割を分担する必要があるのである。
 ソードワールドRPGは、実際問題として、この役割を分担するシステムが弱いと言える。簡単に遊べることを前提にしている分、この部分は弱いのである。シティアドベンチャーが続けば戦士系は暇になりがちだし、戦闘が何ターンも続けば、スペルユーザーは暇になる。
 この問題点に関しては、ソードワールドRPGに、ルールとしての答えはない。
 この問題を解決するのは、そのセッションのGMが、いかにして各々のプレイヤーキャラクターの持つ技能、言い換えれば個性を引き出すかにかかっている。そして別の側面から見れば、協力しなければ解決できないようにし向けるかにかかっている。
 TRPGは出される問題を、ダイスとキャラクターの能力値によってクリアするゲームではない。もしもTRPGがそのようなゲームなのであれば、それは一人でも出来る。コンピューターRPGと何ら変わらない。
 TRPGは「出来ないこと」も含め、楽しむゲームである。

ちょっとした考え方

 さて、先に「ソードワールドRPGには、役割を分担する上での問題に関しては、ルールとしての答えはない」と書いたが、正確には違う。
 ないことはないのだが、それはGMの一存に任されがちなのである。
 というのも、何かしらの判定を行う際、それに使うことの出来る技能やボーナス等はルール上で決められている。が、そうでないイレギュラーな事の方が多いというのが現実なのだ。
 その時に、「何を用いてどのように判定させるか」「判定なしでそのまま通すのか」はすべてGMの一存なのである。
 森で道に迷ったとしよう。
 あなたは北の方角が知りたいとする。
 あなたは切り株の年輪から北の方向を知る術を知っている。現実の知識として。あなたは切り株を探し、北の方角を知る。
 ソードワールドRPGでは、これはダメなのだ。
 あなたは北の方角を知る術を知らないか、または切り株を探せないのが、ソードワールドRPGなのだ。それを知ることが出来るのは、レンジャーであり、そして判定を行うべきなのである。
 ソードワールドRPGのプレイヤーであり、ソードワールドRPGのルールを熟知している者であれば、それはレンジャーではなく、冒険者レベルで判定しても良いのではないかと考えるだろう。だが、それはダメなのだ。極端な言い方だが、ならばその判定を用いるとき、あなたのパーティにいるレンジャーは、何のために存在するのか。
 ソードワールドRPGで、乗馬の際の判定がある。
 これは冒険者レベルを用いて判定する。一般的な乗馬の判定は行わずとも良いのだが、ここではその細かい話は抜きにしても、私個人の意見としては、乗馬の判定を冒険者レベルで行うというルールも、いささか疑問ではある。
 想像して見て欲しい。極端な例であることは重々承知しているが、考えてみて欲しい。
 ソアラが馬に乗る時と、アルスが馬に乗るときのボーナスの差が、このセッションの時点で、ないのだ。
 かたや錯乱呼ばわりされているエルフのシャーマン。かたや傭兵のファイターである。あなたも普通に思うだろう。アルスが乗れるのは当然で、ソアラが落っこちた方が面白いじゃないか、と。
 もちろん、落ちると彼女の場合は死のリスクすらつきまとったりもするのだが…それはおいておくとしても、この判定、もしも冒険者レベルでなく、ファイターレベルで行えば、ソアラはファイターを持たないためボーナスがなく、アルスはファイターを持つために修正がつき、なんと6もの差になるのである。どうしても馬に乗らなければならないとき、ならばプレイヤーたちはどうするか。
 それがRPGである。
 GMは全ての判定に関しての権限を持つ。全ての判定を、すべてのプレイヤーに行わせなければならないと言うわけではない。そして全てのプレイヤーも全ての判定に参加しなければならいと言うわけではない。
 それがRPGである。
 ちなみにこの例の時、ダンデムという方法をプレイヤーが提示して来たとしたら、私ならば目標値15程度で、引っ張り上げるアルスにファイター+敏捷の判定を行わせ、その結果を15から引き、ソアラにそれを目標値として判定させるだろう。アルスの期待値で13。ソアラは1ゾロ以外は落ちないが、ダイスを振るという偶然性で、面白い結果が起こるかも知れないからだ。
 アルスが1ゾロを出したら、二人で落ちる等をして。

 馬から落ちたら3メートルの落下なので、落ちたメートルx3がダメージ。9点のダメージで鎧と冒険者レベルの減点が効く。けど…1ゾロで死んじゃうんですけど…