studio Odyssey



織姫の純愛なんて


 ああくそう!
 なんだってんだ!ついてねぇ!!
 俺が何をしたってんだ。
 何で、七夕の夜に、久しぶりのデートだってのに、別れ話なんか聞かなきゃならねぇんだ。あいつはアホか!「よく考えたんだけど、私たち、もうダメだよ」って、何でそんな話を、七夕の夜にするんだっつーの!!
 そういう話は、昨日でも一昨日でも先週でも先月でも、何時だって、できたじゃねぇか。
 ──まぁ。
 それくらい前から、もうわかっていた話って気も、しなくもない…


 蒸し暑い初夏の夜。
 夜蝉が遠くで鳴いている。
 コンビニ袋が、今日の会議の資料が入った革の鞄にこすれて、かさかさと小さく音を立てている。
 ちくしょう…全然、うれしくねぇ…
 半年前から地道に下地作りをして、予算を組んで、人材をそろえて、やっとの事でプロジェクトのスタートが決まったって言うのに、全然うれしくねぇ…
 せっかくがんばったのに、一緒に喜んでくれる奴もいねぇ…クソ…つていねぇ。
 しめった風が抜けていく。
 七夕の夜だってのに、ファンタジーもなにもあったモンじゃねぇ。っていうか、クソ暑ぃ。死ね。死ね!いや、何がと言われても、別に対象なんざねぇけども。
 夜空には雲ひとつない。
 駅からアパートまでの帰り道。
 コンビニに寄るついでの、少し遠回りになる裏道。
 見上げれば、たくさんの星が見える。
 ああ、よろしゅうござんすね。雲ひとつありませんよ。織姫さまと牽牛さまは、今頃夜空で、楽しくおデートしていらっしゃるんでしょうね。それともどこかの星雲にでもしけ込んで、今頃はピロートークの真っ最中ですかね。ああ、そうですか。当然ですか。そーですか。
 死ね。
 空が抜けちまえばいい。
 そんでもって、地に落ちて、死んじまえばいい。何が七夕。何が織姫と牽牛。年に一度だけ出会うことができる純愛だ。
 そんなモンあるか、ヴォケ。
 そんなもんがありゃ、今の俺はいねぇっつーの。
 あー、くそ、ついてねぇ。むかついてきた…やり場のない怒りがこみ上げてきた。誰かに無駄にあたりてぇ…
 かさかさと、俺の歩調に合わせて、コンビニ袋が小さく音を立てていた。
「…」
 かさかさと…
「死ね、クソ!!」
 あー、あの中、アイス入ってんだよなぁ…と、夜空に弧を描く白いビニール袋を見て思っている俺がいた。
 そして俺は、たぶん──


 暑さとそんな気分のせいで、幻覚を見た。


「いたぁ!?」
 何か聞こえた。
 目で追っていたビニール袋の軌跡が、空で何かにぶつかったように、明後日の方向に飛んでった。いや、何かにぶつかったっつーか、それはぶつかったんだ。
 空で。
 つーか、空中で。
 女に。
 コンビニ袋の中からアイスが飛び出して、女の顔に当たって──いやぁ、バニラ買えばよかったな、俺。なんでガリガリ君にしたんだろうな…いや、そうじゃねぇ!?
 俺が投げたコンビニ袋に、女が当たった。空中で。
 だから当然、女はそのまま、地面に向かって落ちて──「…ありえねぇ」俺はぽつりとつぶやいていた。
「いたたた…」
 女が、顔をしかめて言う。
「つーか、マジありえねぇ」
 俺はつぶやく。「とっさに駆け出して、助ける俺がありえねぇ…」
 落ちてくる女に向かって、俺は駆け出していた。んで、なんとか女の身体が地面に叩きつけられるよりも速く、女に手を伸ばしていたんだった。
 もちろん、女一人を受け止めるなんてこたぁ、俺にとって容易──なはずもなく──「いたたた…何?何が起こったの?」とつぶやく女は今、俺の胸の上にいる。つーか、俺を下敷きにしている。
「…あのー」
 俺はそいつに向かって、目を細めた。
「重いんスけど?」
「うわ!?何!?」
「それ、俺の台詞」
 俺は睨みつけるようにして、その女に向かって言った。「あとあんた…」
「なんで裸なの?」
「ぇ!?」
 女ははっとして、あたりを見回して言った。
「っていうか、何でここ、外なの!?」
「あー、わかった」
 俺は言った。「あんた、アレだ」
「頭オカシーんじゃないですか?」
 0.2秒で殴られた。
 クソついてねぇ…


「どーしてくれんのよ!!」
 と、俺のアパートに入るなり、女が文句をたれた。ので、
「知るか、ボケ」
 俺は鍵をテレビの上に投げながら毒づいた。
「せっかく、一年ぶりのピロートークの最中だったのに!!」
「死ねよ、お前。つーか、服出してやるから、着替えろ」
「つーか、このスーツ、汗くさくねぇ?」
 くんくんと、俺のスーツの袖を鼻に近づけて、「うわ!?」と、女は顔をしかめた。
「あーそうですか!そんなら裸でお外を走り回ってらっしゃいな!」
「あんた、そんな性格だから、彼女いないんだろうね…七夕の夜に、独り身なんてかわいそう…」
「おおぉぉ!?そう来るか!?んじゃああれだ、これ着ろよ!!クリーニングに出して、そのままだぜ!?」
 ポールハンガーに掛けておいた、明日着ようと思っていたYシャツを──日曜にクリーニングから上がってきたばっかりのやつを──俺は女に向かって投げつけた。
「これで文句ねぇだろ!」
「ありがとー」
 馬鹿女が笑ってる。
「着替える。あっち向いてて」
「素っ裸で降ってきた奴の裸なんざ、今更見ても、一文の特にもならねぇ」
「エロ本3冊分くらいにはなるね」
「ヤンジャンのグラビア、1ページ分の価値もねぇ」
「私の裸は、270円の価値ですか」
「バカ、500ページ中の数ページだ。銭だな。いや、それ以下。っていうか、むしろマガジンのグラビア以下。なくても問題ないくらい」
「死ね」
「お前が死ね」
 コンビニ袋からガリガリ君を出す。冷凍庫に入れようとして、やめて、袋を開けると、案の定、砕けている。女がユニットバスの方にそそくさと小走りに消えていく。ガリガリ君を口の中に放り込む。
 ドリンクホルダーには、ウーロン茶のペットボトルが刺さっていた。
 二杯分くらいはありそうだと思って、「…アホくさ」つぶやいてそれを取った。「コップがねぇよ」
「スーツさんきゅー」
 戻ってきた女が、俺に向かってスーツを投げた。
「おっと」
 と、俺はそれを足で受け止めた。右手にはウーロン茶のペットボトル。左手にはガラスのコップと、俺が普段コーヒーを飲むのに使ってるマグカップ。
「…動けねぇんだけど?」
「じゃあ、変なことできなくてよかったわ」
 女が笑う。
 Yシャツ一枚を、素肌の上に羽織っただけの格好で笑う。
「…」
 片足立ちのまま、俺は女をじっと見ていた。
「な、なに?」
 女がとまどうように聞いてきた。から、
「なんだろう…」
 俺は言った。
「すげぇ、萌えるシチュエーションな気がするんだが、まったく、何の感情も抱かねぇ…」
「まぁ、そんな不格好な状態の男にそんなこと言われても、殴り殺したい感情も生まれてこないわ」
「死ね」
 俺は口の中のガリガリ君を飛ばした。「汚っ!?」女がとっさに顔を隠した。スーツの内ポケットで、ケータイが着メロを鳴らしていた。
「しかも平井 堅!?似合わねぇ!?」
「うるせぇ」
 ガリガリ君のあまりを飲み込んで、俺はウーロン茶とコップをテーブルの上に置いた。内ポケットからケータイを取り出して、「とりあえず、茶でも飲んで、静かにしてろ」コールに応えるために、ベランダに出た。
 液晶には、彼女の名前が点滅していた。


「…もしもし?」
 俺が探るように言うと、小さな声が帰ってきた。
「もしもし?」
 ああ…
 俺は彼女の声に、ちくりと胸の奥が痛んだ。かすれた、弱い声。
 ああ、くそう。何だって、数十分前に別れ話を切り出された相手から、こんな時に電話なんだよ!ブチ切れて切ってやる!逆ギレ?しらねーよ。ああそうさ、俺は悪人なのさ。クソついてねぇ。
 つーか、あの女も別にどうとも思わねぇが、こんな時間にYシャツ一枚で男の部屋でウーロン茶飲んでんだ。当然、食ってやるから待ってろよ!!
 ああ…
 つれぇ…
 それは言い過ぎとしても、さっさと切ってやろうと思ってたのに。
 なまじ、つきあいが長かったから、わかっちまうから、つれぇ。「…お前」
「何で泣いてんだよ」
 ああ、ひでぇよ、お前。そう言うのは、気づいてても、言わねぇもんだろ。しかも原因はわかってるだろ。彼女は、大学の頃からつき合ってた男と、別れた直後なんだよ。
「ごめん…」
 ケータイの向こうで彼女がつぶやく。
「なんで謝るんだよ」
「わかんない…」
 うぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?
 けど、実はこいつのこういう所、結構好き。いやまぁ、それはともかく──俺はケータイを握り直して、つぶやくようにして言った。「なあ…さっきの話なんだけど」
「もうダメだって──俺の事、嫌いになったの?」
「そうじゃないけど…」
「じゃあ、何で?」
「今でも好きだけど、でも、なんか──」
 いや、ちょっと待ってくださいよ。今でも好きなら、別にお別れしなくてもいいんじゃないですか?もうダメだよって、何がダメなんですか?具体的にわかりやすく教えてくださいよ。っつーか、おめぇはうるせぇよ!窓を叩くな、このクソ女!あんだよ!?
「でもなんか──」
 ケータイの向こう、彼女が小さくつぶやいた。
「好きな分だけ、離れてる間が苦しくって──その間に、ものすごく不安になっちゃって──だから、別れた方がきっといいと思ったんだ──」
 あ?何?口パクじゃわかんねぇよ。つーか、あんまり窓際くんなよ。そんな姿、ご近所に見られたら、俺が誤解されんだろーが。ん?コップ?あるだろ。テメーでウーロン茶でも入れて飲めよ。あ?だから、何言ってるんだか、わかんねーっつてんの!!
「──ごめんね…」
「なんだよ、それ」
 ケータイの向こうに向かって言う。
「意味わかんねぇ」
「だよね…私も、自分で変な事言ってるなぁって、わかってる。それで──」
 彼女が、小さく言う。
 しびれを切らした女が、がらりと窓を開けて、言った。
「それで別れようって言ったのに、こうして結局、電話しちゃって──」
「暑い。窓開けて。あと、氷ないの?」
 ああ…
 神はいる。
「…誰か…いるの?」
 今なら信じられる。
「女の…ひと?」
 そして言える。
「ご…ごめんね。切るね」
 ぷつりと、彼女の声が途切れた。
「…」
「?」
 ゆっくりと俺はケータイを耳から離して、言った。
「お前は死ね」
 クソついてねぇ…


「ええぇ!?彼女いたの!?」
 テーブルの向かいに座った女が、目を丸くして言う。
 こいつ、殺していいですか?
「ああ──だが、てめぇのおかげで、もうかんっぺきに終わったがな」
「マジで?」
「大マジ」
「慰めて欲しい?」
「お前を殺したい」
「ごめん、それは勘弁。身体で許して」
「いや、それならいらない」
「死ね」
「お前がな」
 マグカップに手を伸ばす。
 何個かの氷が浮いている。中身はよく冷えたウーロン茶。カップの周りに付いた水滴が、妙に違和感。口に運ぶ。冷たいお茶が口の中に流れ込んできて、ますますの違和感。
「ああ…くそぅ…」
 だから、俺はつぶやいた。
「なんなんだよ、ちくしょう」
「あのさ…電話…」
 女が、小さく聞いてきた。「してあげなくていいの?」
 馬鹿ですか、あなたは。
「俺は、振られたの。電話してどうするわけよ」
 ため息混じりに言うと、女は少し身を乗り出して、俺に向かって言った。
「本当に嫌いになったんなら、電話なんかして来ないと思うけど?」
「しらねぇよ…つーか、振られた理由も、よくわかりません」
「彼女、なんて?」
「あ?なんだっけな…『好きな分だけ、離れてる間が苦しくって、だから、別れた方がきっといいと思った』とかなんとか」
「毎日逢う事は、できなかったの?」
「出来るかっつーの。お互い、仕事があんだからよ」
「仕事して、逢えないでいる間に心が離れてって──ってことかな?」
「知りません。つーか、知りたくもありません。もういいです」
「いいわけ?私には、そーは見えないなー」
「うるさいです。貴方の問題じゃないです。つーか、ほっといてください」
「…」
「あんだよ、なんか言いたいことがあるなら、聞くだけは聞いてやるよ」
「…」
「つーか、何か言えよ」
「…死ね」
「ありがとう。それで決心が付きました。今から死ぬんで、出てってください。Yシャツは明日着るので、置いてって下さい」
「アホくさ」
 テーブルの上のコップを手にとって、女はそれを口に運んでいた。
「頭オカシー貴方に、言われたくありません」
 俺もマグカップを口に運びながら、言った。


「あのさぁ…」
 女が、ぽつりとつぶやくようにして言った。
「あ?」
 俺は女に向かって、睨みつけるようにして振り向いた。けれど、女はコップを両手で持って、俺の方を見てはいなかった。俺の向こう──窓の向こう──ベランダの向こう──夜空を見て、軽く笑うようにして言っていた。
「あるところに、とても勤勉なオンナノコがいました」
「なんだそら」
 マグカップを口に寄せる。氷が唇に当たっただけで、口の中には何も流れ込んでは来なかった。
 テーブルの上のウーロン茶に手を伸ばす。少しだけ残ってる。女は続けている。
「とても勤勉なオンナノコは、それはもう、誰もが感心するくらいに勤勉で、周りの人は心配していました」
「勤勉、いいじゃねぇか」
 ウーロン茶をマグカップに注ぐ。少し残った。ちょいと、女に見せる。
「いや、だって、一生勉強して過ごすのかってくらいの勤勉さだよ?彼氏も出来ないだろうし、結婚も出来ませんよってくらいの」
 差し出された女のコップに残りのウーロン茶を入れてやった。「まぁ…女の幸せが結婚がどうかっつーと、どうだか知らねーけど」「まぁでも、彼氏の一人くらいは作ってみて、遊んでみてもいいと思わね?」「処女は処女でいいじゃねぇか」「そう言う意味じゃない」「で?」
 空になったペットボトルをコンビニ袋に押し込みながら、俺は女に続きを促した。別に、勤勉なオンナノコの話に興味があったわけじゃなかったが、沈黙よりはマシだった。
 女は続けた。
「あまりに勤勉な彼女を心配したお友達は、その子にオトコノコを紹介してあげました」
「ああ、わかった。そいつが犯人だ」
「なにそれ」
「なんだよ、火サスじゃねーのかよ」
「むしろ、月9だね」
「そんな月9は、視聴率とれません」
「まぁ、元はリアル話だし」
「マジ?」
 女は笑った。そして、続けた。
「で、オトコノコとつき合うようになったオンナノコは、今までの勤勉さはどこへやら。毎日毎日、オトコノコと遊んでばっかりになりました」
「あ、わかった」
「ん?」
「そのアーパー女は、お前のことだな?」
「あはははは」
 女は笑った。笑って、言った。
「正解」
「ああ、それなら、空から裸で降ってくる非常識さも納得がいく」
「脚色してるけどね。本当は、オトコノコを紹介したのは、友達じゃなくて、私のお父さん」
「アーパー女のパパも大変だな…つーか、その話、オチあんの?」
「あるよ」
 女は笑った。
 笑って、言った。
「そして二人は、お父さんにとんでもない勢いで怒られて、逢えなくなるの」
「アホなオチだ…」
「でもね──」


「7月7日の夜にだけ、二人は会うことを許されたの」
「はい?貴方、頭オカシーですか?」
 眉を寄せて振り向いた俺の視界の中で、女は微笑んでいた。



「あー…」
 女が、少し苦笑してつぶやく。
「時間切れだ…また来年かぁ…」
 いや──まて──
「ま、いっかぁ…また一年、機織りがんばれば」
 っていうか、ちょっと待て。いや、かなり待て。
 女は軽く息を吐き出して、笑った。
「7月7日の夜っていってもさ、0時までって、ずるいと思わない?」
 笑う女の微笑みが、さっきまでと同じ口調のその言葉が、俺には、すごく寂しそうに見えた。
 女はゆっくりと自分の腕を動かす。Yシャツの袖から覗いていた、透けるように白い肌が、さらにその白を強くしていくようで──
「お…おい…」
 細く口許を緩ませ、女は、俺に向かって言った。
「彼女、電話してあげなよ」
 軽く。
 だけと、今までで一番、優しい声で。
「七夕の夜に、別れ話なんて、私が許さないよ?」
 微笑む。
 その微笑みが、消えていく。
「彼女、大事にしろよ。あと、仕事もさぼんな」
「ちょ…おまえ…」
 笑って、彼女が言った。「フツーなら、私たちみたいな事になれば、別れちゃうでしょ?貴方はまだ、そこまで行ってない。仕事も大変だろーけどさ、彼女だって、わかってくれるさ。ちゃんと話してあげればよ。だから──」

「一年にたった一度しか逢うことの出来ない恋人たちの不安よりはきっと、それはちっさい不安だから」








 ああ…
 そういやぁ、そんな話だったっけ。


「…もしもし?」
 俺が探るように言うと、小さな声が帰ってきた。
「もしもし?」


 織姫と牽牛が引き裂かれた理由って、そういやぁ、そんな話だったっけ。


「…どうしたの?」
「ん…いや、今日、七夕」
「そうだけど…」
「織姫に怒られた」
「──何言ってるの?」
「俺には、牽牛は無理だ」
「よく…わからないんだけど…来てた人、帰ったの?」
「ああ、ノロケ話して、帰った」
「そう…」
「ああ、それで、七夕の話なんだけど…」


 夜空に輝く天の川の東に、天帝の娘で、織女と呼ばれる、美しい天女が住んでいました。
 織女は毎日毎日機織りに精を出し、他のことには見向きもしませんでした。
 天帝は娘の働きぶりにはとても感心していましたが、年頃の娘なのにお化粧ひとつせず、恋する暇もない彼女を不憫に思い、天の川の西にすむ働き者の牽牛という牛飼いの青年と結婚させることにしました。


「俺は、牽牛にはなれねぇし、たぶん、お前も織姫にはなれねぇよ」
「…どういうこと?」
「たぶん、俺とお前、同じ事考えてるから」
「なにが?」
「お前が言った、別れの理由。ただ──結論、違うけど──」
「──うん…」
「ごめん。本当は俺も、お前とずっと一緒にいたい──けど、もしもそれをして、お前と一年に一回しか会えないとかいう話になったら──その方が嫌だから──」


 しかし、結婚してからというもの、織女は毎日の楽しい暮らしに夢中になり、すっかり機織りをしなくなってしまったのでした。
 これに怒った天帝は、二人を再び天の川の東と西に引き離しました。
 しかし、悲しむ二人に、天帝はひとつの約束をしたのでした。
 「毎年の7月7日の夜、ただ一晩だけ、この川を渡って、逢うことを許す」と。


「──ごめんな」
「謝らないでよ…私から先に言いだしたことじゃない…」
「違う。俺、来週から、新しい仕事が始まるから、本気言って、今までより逢えなくなると思う。けど──出来るなら、来年の7月7日までの毎月7日は、俺に先約、取らせてくれねーか?」
「え…?」
「いや、本当なら週末は全部とか言いたいトコだけど…それすると、織姫と彦星よりも最悪な結末を、上司がもたらしてくれるような気がするからさ。あぁ、俺の一方的な話だな…わりぃ」
「ううん…」
「お前がよければだけど──」
「ううん…でも、ふたつ、質問があるかも」
「なに?」
「予約以外は、ナシ?」
「当店は飛び込み大歓迎ですが、それが何か?」
「じゃ、あともうひとつ」
「なに?」
「来年の7月7日以降の予約は取れないの?」
「ああ、それは取れない」
「…取れないんだ」
「たぶん、来年の7月7日以降は、一緒に住んでるから、取る必要もない」


 ケータイの向こう、彼女が笑う。
 ああ、よくもまぁ、こんなに恥ずかしい台詞が出てくるモンだと、俺も笑う。
 夜空の向こう、星が瞬いてる。
 つーか、笑ってる。
 俺は軽く息を吐くと、電話する直前まで食っていたガリガリ君の棒を、ベランダからその星に向かって八つ当たり気味に投げつけてやろうとして、ふと、その手を止めた。
 なんつーか…
 ちょっと気になった。
 見てみた。
 クソついてねぇ…

「どうしたの?」
「いや…この歳になって、ガリガリ君、コンビニで取り替える姿ってどうかと思った」
「なにそれ?」
「こっちの話」
 テーブルの上に置かれたままのコップに中に、それを俺は投げ入れた。
 溶けた氷が、軽い音を、初夏の夜に響かせた。