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尋常でないほど息が上がっている。
理由は一応わかっている。一つはそれなりに急な階段を登っているからだ。しかしそれはあくまで副産物の一つにしか過ぎない。
本当の理由は、恐いんだ。
ここまで登る前まではぜんぜん恐いものだとは思わなかった。
ただ、ぎりぎりまで歩いて、下を見下ろして、飛び降りるだけ。そんなの簡単な事だと思っていた。そこに恐怖を感じるなど思いもよらなかった。
しかし、だんだん高度が上がるにつれて、そんな甘いものでないことがわかってしまった。
高所恐怖症だというわけではない。学校の屋上から眺める景色は好きだったし、修学旅行で登った東京タワーだって下を見下ろしてもぜんぜん恐いなんて思わなかった。
おそらく僕は、飛び降りるという事が恐いのだろう。空に飛び立ち、そして落ちていく。ただそれだけだ。
最初にちょっと勇気を出せばそれで全てが終わる。それだけのことだと思っていたのに……。
ついに飛び降りる事ができる場所へとたどり着いてしまった。更に上でも可能なのだろうが、足が震えてそこまで行けそうにない。しかし、ここでも高さは十分なものだ。
覚悟を決めなければならない。
必要なのは度胸と勇気だ。それぐらいわかっている。
ゆっくりと歩みだし、淵へと進む。それだけの事がどうしても出来ない。下を見下ろすことすら出来ない。
ひとまず落ち着くために、目を瞑り深呼吸をした。新鮮な冷たい空気が肺の中に入り、恐怖に怯えて熱くなっている体を少しだけ冷やした。
深呼吸を何度か繰り返す。いつの間にか呼吸は整い、上昇した体温も常温に戻っていた。
亀の如くゆっくりと、それでも確実に前へと進む。
十分に時間をかけつつも、何とか淵までたどり着いた。そこから見ると、登ってきた距離よりはるかに高い気がする。しかし、もう体温は上らなかった。
足をギリギリまでもっていく。もう足の指の下は何もない空間だ。
今まで感じていたよりも遥かにリアリティのある恐怖が体を突き抜ける。でも、もう後には引き下がれない。
あと、一歩踏み出すだけで全てが終わる。
終わるまではちょっと恐い、ただそれだけだ。
両手で顔を数度たたき、震えるひざも叩いた。
もう一度目を瞑り、今度は両手を開く。今まで感じることの出来なかった風の音や、小鳥のさえずりなどが聞こえてきた。なぜだか少し、安心できた。
下から声が聞こえた。誰のものだか分からなかったが、もはや確認するほどの余裕もない。
そして、両足を軽く曲げ、飛んだ。
浮遊感は一瞬で、その後はものすごい風圧しか感じることが出来なかった。
気づけば水の中にいた。鼻に水が入ったのか、喉の奥の方がずきずきと痛む。
死に物狂いで水面へと上がり、プールサイドで足だけ浸け座って待っている友人のもとへと泳いだ。
「おめー、飛ぶのおせーよ。なにがあれぐらい余裕なんだ?」
「うるぜー、ヤスダどこ行ったんだよ」
「あー、お前があんまりおせえから今度は10Mから飛び込むっつって登っちまったぞ。ほら、今こっちに手を振ってるのヤスダだろ?」
その視線の先には俺が登ることのできなかったもう一段上に上っている人影が見えた。
「げ、マジか。あいつもよくやるな、もう俺二度としねぇ」