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――行く年来る年、ねえ。
正直なところ、年が変わるという実感はない。子供の頃ははしゃいだりしたが、今はそういう気も起きない。
結局、年の瀬だとか正月だとかを感じさせるのは世間の空気や TV 番組くらいのもので――まあ、そういう文化自体が人間が作ったものである以上、仕方がないのかもしれない。
そんな大晦日 12 月 31 日の 24 時 30 分、または元日 1 月 1 日の 0 時 30 分、俺は珈琲なんぞを飲みながら、特に平時と変わることもない風で居る。
都会でもなければ田舎でもない、半端な住宅地。それでも寺や神社なんかはなくて、だから除夜の鐘や、初詣なんていうイベントとも無縁。
尤も、そのイベントのキーマンである幼馴染や恋人の類は勿論、それに繋がるらしいフラグも全くない。
つまりは俺にイベントがないわけで、それはイコール、特別な日でも何でもないということだ。
諦観の中でも何となく、フラグを求めて手を伸ばす。空を切る。手を広げる。擦り抜ける。
さてどうしたものか――
――ふと、
天啓が降りた。外に出よう。
家の中に居たってさしたるフラグは立たなかろう、外をうろついていれば幾分かはマシだと思った。
冬休みに入ってから自宅に篭って自堕落に浸かっていた所為で、運動不足。それが却って久しぶりの外出の新鮮さを強めてくれた。
行くアテもないので人の流れに沿っていくと、寺が見えた。ここに住んで長いが、こんなところに寺があるとは思わなかった。
――ああ、道理で鐘の音が近くから聞こえたのか。
と、早くに気付くべきだった疑問が現れて、解かれる。
そのまま寺に入っていくと、やはり、何処を見てもカップルか家族連れの類。俺のような単騎突撃を仕掛けた勇者は、他にないようだった。
何処か居心地の悪さや恥ずかしさのようなものを覚えながらも、折角だからと歩を進める。
幾つかある長腰掛けのうち、一番奥の人が座っていないそれに目が止まる。
若干歩調を速めて確保、積もっていた僅かな雪を払う。運動不足で体が重い、少し休もう。
座って、正面の鐘と、その周囲の群衆を見る。
その人間模様――というのは少し違うかもしれないけど――を見ていると、中々面白くて、どれだけの時間か、見入ってしまっていた。
一つの声で、心の静寂は破られる。
――隣、良いですか?
何処か不敵に、それがまた可愛らしく、少女――という印象を持ったが、恐らく俺と同じくらいだろう――の声が掛かった。
少女、言う。
あなた、一人なんですか?
そちらさんも、お一人ですよね。
そう見えます?
でなきゃ、ここ座らんでしょう。
ですね。
あはは、と静かに笑い合った。