studio Odyssey



no title

Written by : u-1

 このドアの向こうには、美しい夜景が広がっていると、俺は知っている。
 まぁ、別に夜景が見たいわけじゃないんだが、ともあれ、俺はマンションの屋上へと通じるドアを開けた。鍵?ああ、このドアの鍵は、持ってるんだ。ちょいとまぁ、いろいろあって、管理人から以前借りた時に、合い鍵を作っておいたから。
 俺はドアを開け、進む。
 手にしていた煙草を口にくわえて、火をつける。
 ふぅと軽く、息を吐く。
 白い煙が、夜景をにじませた。
 美しい街の夜景。そうだな、たとえて言うなら、どこかの誰かが言ってたように、超セレブの宝石箱の中みたいな感じ。なんつーか、目を細めてしまうくらいの感じ。やっかみもあって。
 俺は屋上の縁へと、煙草を吹かしながら近づいた。
 煙が夜景をにじませる。
 街の明かりに、星ひとつ見えない空。
「まぁ…」
 つぶやく。
「降ってくるんだろうな」
 厚い雲を見上げて。


 俺がどうして、この屋上への鍵を持っているのかという話をしよう。
 あれはどれくらい前だったか、この屋上に、どうしても行きたいと言いだした奴のわがままが発端だ。
「行けよ、勝手に」
「違う違う!」
 ぶんぶんと手を振って、そいつは言う。
「絶対、感動するって」
「屋上ったって、ここより二、三階分、上なだけだろ。ここのから見える景色とかわらん」
「違う違う!」
 今度はぶんぶんと頭を振って言う。
「はす向かいのビル、屋上からだと見えないんだよ!アレがないだけで、すごく視界が開けるんだから!」
「ああ、あれ、こっちより低いしな」
「それに、ぐるっと見回せるんだよ!」
「あんまり、興味がないなぁー」
 叩かれた。


 そいつにとって見れば、重要な事だったのかも知れないと思う。
 俺の視点と、あいつの視点っていうのは、やっぱりいつも違っていた。
 俺はいつも地べたを歩いていて、低い視点からビルを見上げていて、人を見上げていて、街の風景というのを、かすんだ目で見ていた。
 あいつにとっては、俺のその視点というのが、新しいもののように感じられていたんだと思う。あいつはいつも、世界から少し離れたところにいて、俯瞰したような視点から街を見ていて、その世界で生きている人たちを、あこがれのまなざしような感じで見ていたんだと思う。
 ある写真家の写真集を、あいつが、本屋でじっと見ていたことがある。
 俺はその写真を見て、面白いと思った。都市を俯瞰視点から取ったその写真たちは、どこか現実味を帯びていなくて、世界がまるで、ミニチュアのように見えた。
「面白いな、それ」
 と、俺は言った。
「え?」
 と、そいつは答えた。
「そう?」
「買うか?」
「うん…いや…いいや」
「気に入ったんじゃないの?」
「ううん」
 笑って、そいつは言った。
「なんか、懐かしい景色だなって思って」


 俺の目じゃ、この街の景色は扁平で、あいつが見ていた街には見えない。
 俺の水晶体は至極普通のそれで、それを通して映る景色を感じる俺の脳みそは、至極普通のそれで、曇り空には陰鬱になるし、夜景は綺麗に映るけれど、現実味がありすぎて、感動的には見えない。
 煙草の煙は俺の身体を包むもので、そこに空気や、風があることを感じさせてくれるもので、よく冷えたビールは、俺が生きている事を証明させるようなもので、軽くなっていく缶は、時間を感じさせるようなものだ。
 屋上へは、あいつとのお別れの日に、上った。正確には、俺はその場所へと、なんとしても行こうとして、この場所への鍵を盗んだんだ。
 あいつにとっては、この場所へあがってくる事なんて、簡単な事で、だからこそ、この場所を別れの場所に選んだに違いない。俺が、なんとかすればここにくることができる事を知っていて、それでたぶん、俺を試すように、この場所を選んだのに違いない。


「来た」
 と、あいつは少しだけ笑った。
「…来たよ」
 と、俺は小さく返した。
「見て」
 と、あいつはその場所を取り巻く世界に、振り向いた。
「綺麗でしょ?」
「そんな話はどうでもいい」
「私のいつも見ていた景色に、ちょっと、近い」
「お前が見てた景色になんて、興味がない」
「ひどいなぁ」
 苦笑して、そいつは言った。
「私は、あなたの見ていた景色に、すごく興味があったし、それを一緒に見られて、楽しかったのに」
「じゃあ、なんて行くんだよ」
「あなた、私の見ていた景色に、興味ないんでしょ?」
 笑う。
 わかる。
 あれは、すねてるんだ。
「んなこた、ねーよ」
「知ってる」
 笑う。
 わかる。
 お互いに。
「ねぇ…」
 少し首をかしげて、あいつは言った。
「私ね、最後に、どうしても、この景色を見て欲しかったんだよ」
 少しだけ、微笑んで。
「私ね、帰っても、きっとここにくる前まで見ていたのと違う景色を、見られると思うんだよね。違う視点で、また、この世界を見られると思うんだよね」
 わかる。
 こいつは、嘘をついてないし、本当にそう、思ってる。
「あなたは、どう?」
「…俺?」
「この世界は、綺麗だね。見下ろしていたときはそうは思わなかったけど、こうして一緒に下から世界を見た後に、こうして眺めると、本当に綺麗だね」
 そういって、世界を少しだけ俯瞰した視点から見つめながら、あいつは寂しげに言った。
「ベランダの灰皿、三日に一回は中身捨てないと、ダメだよ」
「まてよ」
「あと、缶ビールばっかり飲んでないで、たまには野菜ジュースとかも飲めよ」
「待てって」
「あ、昨日のピザの残りは、あげる。チンして食べて」
「待てって言ってんだろ!」
「ばいばい」
 そう言って、そいつは背中の白い翼を大きく広げて、夜空へ向かって羽ばたいた。
「あなたに、最後に私が見ていた景色を見せることができて、よかったよ」
 微笑んで、にじむ世界を瞳に映して、あいつは飛んでいった。


 世界は、綺麗じゃない。
 俺が見上げる街は、綺麗じゃない。
 世界は、輝いてない。
 あいつが見下ろす街は、宝石箱のように輝いてない。
 きっと。
 俺はそう、思う。
 見上げる空には雲がかかっていて、綺麗じゃない。
 見下ろす街の夜景は変わらずに明るいだけで、輝いてない。


 あれから、七度目の夜。
 今日。
 俺はまた、この場所にいる。
 屋上の縁に寄りかかり、新しい煙草に火をつける。風にながれた煙が、空へと上っていく。薄絹をまとったような、空に。
「いいことを教えてやる」
 俺は言う。
「夜空に輝く天の川の東に、天帝の娘、織女と呼ばれる美しい天女が住んでいたんだが、そいつがまた、男もつくらねーで、毎日毎日、機織りに精を出しててな」
 七月七日。
 空は曇り。
「それを哀れに思った天帝は、天の川の西にすむ働き者の、牽牛という牛飼いの青年と結婚させることにしたんだそうだ」
 七夕の夜。
「だが、結婚してからというもの、織姫は機織りをしなくなって、遊びほうけてばかりで、怒った天帝は、二人を天の川の東と西に引き離したんだ」
 薄絹をまとったような空。
 星の見えない空。
「でも、悲しむ二人に、天帝はひとつの約束をしたんだ。毎年の7月7日の夜、ただ一晩だけ、この川を渡って、逢うことを許す、と」
 その方法を、俺は知っている。織姫と牽牛が、天の川をどうやって超えるのか、俺は知っている。
 たぶん、お前は知らない。
 そして、お前はお前がそれを持っている事を、きっと知らない。
 だから、俺が教えてやる。
「白鳥に乗ってくるんだ」
 天の川の中。
 二人の間にある、星座。
 翼を持った、空を飛ぶことのできる種。
「考えて見りゃ──」
 俺は笑って、見上げながら言った。
「おめーは、始めからそれを持ってんだから、ずりーよな」
 風がながれていく。
 翼のはためきに起こった風が、薄絹のような雲を、はらしていく。
 ヴェールの向こう、はにかむあいつがいる。
 空には星。
 綺麗だと思った。
 夜景のように、たくさんの色はなくても、ほんの少ししかなくても、綺麗だと思った。宝石箱の中に、どれだけたくさんのルビーやサファイヤやアメジストがあったとしても、たったひとつのプラチナのダイヤモンドリングの方が輝いて見えるように、空に、あいつが降りてくる空の向こうに輝く星の方が、本当に綺麗だと思った。
 俺は手を伸ばす。
 あいつが手を伸ばす。
 俺の手が、その真っ白な翼に触れた。
 仕方なくて、笑う。
「おかえり」
 何も言わずに、そいつは真っ白な羽で、俺の頭をこづいた。
「いてっ」
「ばか」
 そしてはにかみながら、そいつはゆっくりと羽を動かした。
 俺を包むように。
 だから俺も、引き寄せた。
 その羽の中に、ふたり、収まるように。


author:
u-1
URI
http://www.studio-odyssey.net/thcarnival/x05/x0507.htm
author's comment:
 前回の羽付き人の話の、いきなり最終回風味。