studio Odyssey



Over the Same Roof


Act-3

 雲一つない空が広がっている。
 しかし、このくらい高い所でも、ネオンの光が届き空には星がまばらにしか見ることが出来ない。
 いつもの様にマイルドセブンのメンソールを吸いながら彼女を待つ。
 いつもなら週に4、5回くれば、3、4回は会うことが出来るのだがここ一週間は毎日来ているのに会うことが出来ない。しかしあきらめずにまた、今日も来てしまう。

 しばらく煙草をふかしていると、

 ぎぃぃぃ。

 聞きなれた無気味な音が聞こえる。

 ぎぃぃぃ。バタン。

 煙草の火を消し、床に寝転がって上半身だけを起こす。扉に背を向けたまま、振り返りたいのを我慢して彼女がくるのを待つ。
 そろそろかと思った時ちょうど後ろでガサガサッという音が聞こえ、
「うりゃ!」
 という掛け声とともに両頬に冷たい物を押し付けられた。
 驚いていきおいよく振り向くと、一瞬目を丸くした彼女がクスクスと笑いだした。
「ゴメンゴメン、そんなに驚くとは思わなかった」
 そう言う彼女の両手には缶ビールが握られている。
 彼女は缶ビールを両方差し出して聞いた。
「どっちがいい?」
 よく見ると二つの銘柄は違う。
「じゃ、こっち」
 そう言ってキリンの一番絞りを指さす。すると彼女はそれをこっちにほうり投げて、自分が持っているアサヒスーパードライを開け、こちらに差し出した。
 こっちを飲めということかと思いビールを持っていないほうの手を差し出すと、彼女は笑いながら言った。
「乾杯」
 ちょっと考えれば分かることを、勘違いして恥ずかしくなり、急いで缶を合わせようと、ビールを開けると、
 ブシューーーーー。
 と勢いよくビールが溢れてきた。
 缶を開けた手に掛かったビールを振り落としながら、逆の手に持った溢れつづけるビールを啜ろうとして口を近づけると、
「かんぱ〜い」
 と言って、彼女は缶をぶつけてきた。
 その振動でまたビールがこぼれるのを見て彼女はまた笑った。
 今度はちゃんと溢れるのが納まるまでビールを啜る。

「はい」
 そう言って彼女はハンカチを差し出してくれたが、それを手で制し、ポケットに入れてあるハンカチを出して手を拭く。
「ここもっ」
 彼女は持っていたハンカチで乾杯の時ビールのついた鼻の頭を軽く拭いてくれた。
「あ、どうも」
 間の抜けたお礼を言うと、彼女は軽く微笑みながらハンカチをポケットに仕舞い、ビルの端の方に歩いて行った。
 もうここは、ビールで濡れいていつもの様に座ることができない。しかたなしにというわけでもなく、彼女の方に向かう。
 彼女はビルの端で下に見えるネオンを真剣な顔で眺めていた。
 その顔に気付かない振りをして、彼女の隣りに並びながら、
「まったく、いつのまに振ったんだか」
 と言うと、彼女はいつものように笑みを浮かべて
「わたす前にね」
 そう答えた。少し不思議に思い訊ねてみる。
「ビールわたす前?」
「その時しか振る時ないでしょ」
「ん?じゃぁ、こっち選ばなかったらどうしたの」
 そう聞くと彼女はこともなげに答えた。
「大丈夫。これには自信あったから」
「なんで?」
「前にそれ好きだって言ってたでしょ」
 彼女は一番絞りを指差してそう言った。
 言われてみれば昔そんな話をしたかもしれないが、そんな話を覚えてくれていたかと思うと顔がにやけそうになる。それをごまかすために、ビールを口につけようとして、ちょっとしたことを思い出した。
「んで、なんに乾杯だったの?」
 先週のオーディションの事があったので、それだとは思ったが確認の為に聞いてみると、彼女はちょっと悲しそうな顔をしてから、
「ん、ダメだった」
 作り笑顔でそう言った。
 なんと声をかけたらよいのか分からない。下手な慰めなどしてもよけいに落ち込ませることにしかならない。
 しばらく無言の空間が過ぎると彼女の方から話しかけてきた。
「まったく、嫌になっちゃうよね。あのセクハラオヤジ」
 前回に聞いたオーディション時の社長の話であろう。
「肩揉まれたんだっけ?」
「そう。しかもタダで。ムカツクったらありゃしない」
 この前と言ってることが違う。そう突っ込みたくなるが、やめておく。
「あーぁ。これからどうしようかなぁ」
 彼女はそう言いながら、また、下に見えるネオンを眺めていた。
「ねぇ、ネオンって、綺麗だよね」
 いきなり何を言い出すかと思ったが
「ん、物によるけど、看板の中では豪華だよね」
 と答える。それを聞いて彼女は続けて言った。
「けどさ、やっぱりその影に隠れてしまって目立たなくなる物もあるよね」
「ん、そうだね」
「看板って目立つのがお仕事でしょ」
「店とかの内容や場所を教える物だからね」
「じゃ、やっぱり目立たない看板って、意味ないよね」
「目立たないなら、書き換えればいいじゃん」
 彼女の問いにそう返し、続けて言う。
「自分っていう下地が出来てるんだから、あとは自分でどれだけよく魅せることができるかでしょ。どんな看板にすればいいかは自分がよく知ってるんじゃないの」
 返事は無く、静かに時が流れていく。
「ねぇ、いつか自分に合った看板ができるのかなぁ」
 まだネオンを見ながら、言った。
「あきらめなければ、きっとできる」
 力強くそう言い返す。
 彼女は屋上の淵に両手をかけて身体をくの字に曲げながら、伸びをすると
「看板ができたら、絶対みてよね」
 振り向いて、いつもの笑顔でそう言った。
「ん、生きてればね」
 笑いながらそう言い返す。
「ひっどーい。生きてる内に、あのネオンに負けないくらいの看板をつくる!」
 そう言う彼女に向かって、首を横に振って返事をする。
「無理じゃないもん、絶対に作ってやるんだから!」
 もう一回首を振る。今度は彼女が誤解しないように、指を上に向けて。
「?」
 彼女は指の挿す方を見る。
 そこにはネオンの光にも負けず、輝く星が見える。
 彼女は一度笑顔を向けると、もう一回空に向かって、大きな声で言った。
「絶対に負けないんだから!」


 床に転がっている二つの、既に空になっている缶を拾う。
 そして床に転がっている三つ目のものに声をかける。
「大丈夫?」
 彼女は立ちあがって、平気と言うように頷いてから言った。
「ねぇ、飲み足りなくない?」
「んじゃ、行く?」
 そう訊ねると、彼女は缶ビールを入れてきたビニール袋を取りだし、袋の口を開き、
「行こう!」
 と言って、ビニール袋に空き缶を入れると、扉に向かい歩いていく。
 先に歩く彼女を見てから、空を眺めてみる。
 幾つかの星が見える。
「先行っちゃうよ」
 彼女に呼ばれ、ようやく歩き始める。
 そして歩く彼女を追い抜いて、一足先に扉に手をかけ、

 ぎぃぃぃ。

 と、扉を開けてあげる。開いたほうの手で、中に入るようにすすめると、
「ありがとう」
 微笑みながらそう言って、中に入る。それを見ながら、聞きたかった事を聞いてみる。
「ねぇ、今更だけどさ」
「え?」
「名前」
 クスッと彼女の笑う声が聞こえ、それに続いて彼女が言った。

 ぎぃぃぃ。バタン。

 慣れ親しんだ音を立てて、扉を閉める。

 空には煙草の煙のような雲と、幾つかの星。