studio Odyssey


第十六話




「お早うございます」
「うん、おはよう」
 秘書との挨拶もそこそこに、彼は自分の部屋へと入っていった。
 別段急ぐことがあるわけではなかったのだが、早く椅子に座りたかったのである。どうもこのところ腰の調子が悪くて…
 ゆっくりと椅子に腰を下ろして、彼は大きくため息を吐き出した。
「やれやれ…」
 と呟いて、デスクの上の書類をじいと見つめる。朝っぱらからなんだこの量は…さて。読むべきか、読まざるべきか。個人的には、面倒だなぁと言うところだが、さすがにそんなことばかりも言ってられないし…
 何しろ、自分はこの国──日本の首相なのだから。
 村上 俊平総理は、恐る恐る、まるで危険物にでも手を伸ばすかのようにして、書類に指をかけた。
「こういう書類もだな、もっと面白く、誰でも読みたくなるような物にすれば、情報公開がどうとかと言わなくなるのかもしれんが…」
 かといって、政治的文書が「〜みたいな感じだから」とか書かれていたら、それはそれで問題ありだが。
 コンコンとドアがノックされ、
「失礼します」
 と、いつもの美人秘書がバインダーほどもある手帳を小脇に抱えて現れた。ああ、今日も今日とて、今日の予定か…
 よし。
「キャンセルだ」
「さすがに無理です」
 有無を言わさず突っ込んで、バインダーを開く秘書。手慣れたものである。
「そうだろうな」
 村上総理は書類から手を引いて──読まなくていい良い口実ができた──バインダーを開く美人秘書の言葉に耳を傾けた。
 ちなみに、視線は彼女の足──特に太股の方──に行っていたのだが、まぁその辺はあまり触れないことにしよう。(注*1)
「本日の予定ですが、前日申し上げました予定と変更はございません」
「うん。ならいい」
「えーと…それから、週末の予定が一本増えてしまいました」
「うん。それはいかんな。キャンセル」
「娘さんに会えますが。キャンセルしますか?」
 そう言って、美人秘書は軽く微笑んだ。彼女は総理が大変な子煩悩であることを、よく知っているのだ。
「遙と?何故?」
 村上総理は椅子に座り直して聞き返した。興味ある話である。なにしろ、このところ一人娘の遙とは全然顔を会わせていないのだ。
 遙は、ついこの間までニューヨークに留学していた。だから会おうにも会えなかったのだが、今は彼女も日本にいる。
 よって、会おうとすれば、いつでも会える。
 ──と言う、その気持ちが連絡すらも疎遠にしてしまうと言うのは、よくあることである。
「遙は今、何をしとるんだ?」
 村上総理は、ぽつりと父親らしからぬ事を呟いた。日本の総理ともあろう者が──である。だが、よく考えてみればある意味では、日本の父親の典型なのかも知れない…
「あの…なんといったかな?あ。そうそう、香奈さんだ。あの人の家でお世話になっているらしいが…迷惑をかけているじゃ…」
 一也がいたら、その言葉に大きく頷いていた事だろう。
 美人秘書はバインダーの中のその予定に、くるりと赤丸を付けた。OKのマークである。
「その辺は、ご自分でお確かめになってください」
 こうして村上 俊平総理の週末に、また一つ仕事が増えたのであった。








 第十六話 Nec訪問。

       1

「いや!」
 全てを拒絶するかのように、村上 遙は大まじめな顔を見せて言う。
「何で私が、いい子ぶんなきゃならないんですか!?絶対に嫌っ!!」
「嫌じゃないでしょ。駄目です!」
 嫌がる遙の目の前で、現在、遙の保護者の代わりでもある吉田 香奈は、ぷっと頬を膨らませて、犬でも叱りつけるかのようにして言った。
「ちゃんとした格好しなきゃ駄目です。お父さんが来るんでしょ」
「だから別にいいじゃないですか!」
「だから駄目なんです!」
「この調子で、朝からずっとですよ…」
 椅子に腰を下ろした吉田 一也は、ふぅと大きくため息を吐き出した。作戦本部室にいた三人──平田教授、西田 明美助教授、中野 茂が、苦笑いで一也に返す。
「ご苦労なことで…」
 ここは東京国際空港の片隅にあるNec本部。日本を護ると言う重大な使命を持つ巨大ロボット、『R‐0』を持つ特務機関の本部である。
 そしてここはその内部、Nec本部作戦会議室。要するに、連中のたまり場の事である。
 連中──
「何で遙、きちんと制服を着るのが嫌なの?」
 と聞くのは、そのR‐0のパイロット、吉田 一也。
「べ…別に嫌じゃないわよ」
 ぷん、と唇を尖らせるのは、R‐0専用輸送機、EVR‐ZERO──通称『イーグル』──のパイロット、村上 遙だ。先ほどから、「いや」とばかり言ってる女の子である。
「じゃ、ちゃんと着なさい!」
 怒ったように言うけれど、一也の姉、吉田 香奈に迫力というものはない。それを象徴するかのように、彼女の足元には黒猫のウィッチが、「にゃあ」と鳴いてすり寄ってきていた。足に顔をこすりつけ、遊んで欲しいらしい。
「だから嫌なんですってば!」
「なんでまた?」
 反論する遙に続いたのは、R‐0のハードウェア設計者、中野 茂──通称シゲである。頭の後ろで手を組んで、遙に向かって軽く言う。
「遙ちゃんトコの制服は、かわいいと思うけどな(注*2)」
「でも嫌なんです!」
 キッとシゲを睨み付ける遙。刺すような視線に、シゲはひょいと肩をすくめて見せた。
 それを見て、助教授西田 明美は「はぁ」とばかりにため息を吐き出す。
「遙ちゃんのことだから、スカート丈でも短くして、それで嫌なんでしょう?」
「違います!」
 と、きっぱり。
「あ。それは多分違いますよ明美さん」
 一也が人差し指を立てて、軽い口調で遙に続いた。
「うちの学校の制服って、元々スカート丈は短いんですよ」
「へぇ…」
 と、明美助教授は一也の台詞に目を細めて、
「一也君も、やっぱり男の子なのね」
 と、うれしそうに微笑む。
「なっ…どういう意味ですかそれは!」
「そのまんまよ」
「まさか一也、駅の階段でいつも──」
 口を押さえて後ずさる遙。
「遙っ!」
 一也は椅子から立ち上がらんばかりの勢いで、遙を怒鳴りつけた。遙の方は反省しているんだかしていないんだか、ひょいと肩をすくめて、楽しそうに笑って言う。
「冗談だってば。一也にそんな勇気ないもんね♪」
「それは勇気とは関係ないと思う…(注*3)」
「いいから遙ちゃん。ちゃんと制服を着なさい!」
「それは、い・や・です!」
 香奈に振り向いて、遙は「いーっ」と…子供じゃないんだから。
 一也は大きくため息を吐き出した。
「遙ちゃん!」
 さて、先ほどから何をもめているのかというと──賢明な読者の方ならばもうおわかりの事であろうが──そう。
 今日は総理がNec本部に襲来──失礼。訪問に来る日なのである。
 よって、
「嫌なものはいや!大体!!パパと会うってだけでも、十分にいや!」
 ぷいと顔を背け、遙は腕を組んだ。
「でもその格好じゃ…マズイよ」
 と、一也は眉を寄せる。遙の格好──まぁ、いつもの格好とたいして変わらないわけだが──サテン素材のちょっと小さめのシャツに、この前買った、足のラインがくっきりと出るお気に入りのパンツ。
「どーして?決まってるでしょ?悪くないでしょ?(注*4)」
「まぁ…でもそういう問題じゃないし…」
「あ。一也まで私のことを悪者にするんだ。遙かなしぃ…私…一也のこと信じてたのに」
 と、遙は自分の肩を抱いてうつむく。
「わかったから」
 と、椅子に座り直す一也。
「嘘泣きは止めろよ」
「なによぅ!いーっだ!!」
 いがみ合う二人を見て、明美助教授は小さくため息。まったく仲がいいんだから。
「さて、私たちも準備しなくっちゃね。教授」
「うっ…」
 振り向いた明美助教授の視線に、平田教授は思わず目をそらした。く…居ないということにしようと、一言もしゃべらないでいたのに。(注*5)
「教授。その汚い白衣は止めてくださいね」
 と、明美助教授はにこり。だけれど、その言葉はざくり。
「う…うむ…」
 教授は椅子に座り直し、机の上に肘を置いた。
「だがな明美君」
 真摯な声でいう教授。上目遣いに明美助教授をじっと見つめ、
「これは私の一張羅だぞ」
「はい、わかりました。ずっと昔に学会に出るときに買ったスーツがありましたよね?」
 あっさりと明美助教授に返される教授。
「い…いやだ…」
「何を子供みたいな事を言ってるんですか」
「遙君だっていってるじゃないか」
「彼女はまだ子供です」
「私、もう子供じゃないもん!」
 と言う遙の台詞に、シゲは小声で一也に聞いた。
「この台詞は、どうとるべきだと思う?」
「シゲさん…」
「とにかくも、ちゃんとした格好すればいいんです!!」
 と、保護者(?)の二人が言えば、
「嫌なものはいや!!」
 と、子供(?)の二人が反抗する。
「なんだかなぁ…」
 微笑ましくもある光景に、シゲは苦笑いを浮かべていた。
「シゲさんは?」
「うん?」
 一也に呼びかけられて目を丸くするシゲ。
「シゲさんは着替えないの?」
「だって、オレは別に関係ないじゃない」
「は?」
「ないわけないでしょう?」
 と、シゲの背後にぬっと現れたのは明美助教授。その眉毛が、ぴくぴくと震えている。
「あ…いや…その…あの」
 しどろもどろのシゲに、明美助教授はにこりと微笑みかけた。
「ちゃんとした格好しなさいね?」
 その台詞にものすごい強制力があったことは、言うまでもない。


「こんちはー」
 と、楽しそうに言いながらハンガーの中に入ってきたのは小沢 直樹。一番始めに目に止まったR‐0整備班班長、植木ことおやっさんに向かって、
「みんな居ます?」
 と、二階を指さして言う。
 小沢も、もうここNecの一員のようになりつつあった。暇さえあればやってきて、研究室の連中と他愛のない話をしたり、ハンガーのR‐0やイーグルの話を整備員に聞いたり──で、一也なんかに「暇なんですか?」なんて言われている。
「ああ。居ることはいるが…」
 おやっさんは帽子を深くかぶり直すと、楽しげににやりと微笑んだ。
「かまってくれるかどうかはわからんぞ」
「そりゃつまらない。何かあるんですか?」
 訝しげに眉を寄せて小沢が聞く。
「総理大臣が視察に来るんだとよ」
 と、おやっさんは肩をすくめて見せた。
「総理大臣?」
 総理?ああ…村上 俊平総理か。確か遙ちゃんのお父さんだったな…そうか。総理か。これは、面白い事になるかも知れないな。
「いいネタになりますね」
 楽しそうに言って、自称ルポライター小沢 直樹は、作戦本部のある二階への階段を、弾むような足取りで上っていった。
 さてさて。連中のことだから、何か面白いコトをやってるんだろうな。
 と、軽く笑いながら階段を上がる小沢。その頭上から、ちょっと照れたような彼女の声が降ってくる。
「あ…小沢さん」
 声だけでそれが誰かわかった小沢は、軽く微笑みながら、ひょいと顔を上げて見せた。その視界に、予想とは少し違う風景が飛び込んでくる。
「お…」
 と、思わず気後れ。…初めて見た。
「ど…どうしちゃったの?スーツなんて着て」
 ちょっとどもり気味に言う小沢に向かって、えへへと照れくさそうに頬を掻く香奈。彼女は、紺のスーツに身を包んでいたのである。
「へえ…」
 小沢は香奈のことを、少し身を引くようにして、足元からじっと見た。
 彼女に言わせれば、この小沢は彼氏。よって、
「似合いますか?」
 という問いに、
「あ…ああ。似合ってるよ。なんか、新しい香奈さんの一面て感じだな」
 そういう答えが返ってくると、思わず顔も赤くなってしまうのである。あはは…似合ってるって♪
「へぇ…香奈さんがスーツねぇ」
 腕を組んで、うんうん頷く小沢。
「何かこう凛とした感じが…」
 ──あるか?
 ん?と、首を捻る小沢。(注*6)あ!そうだ。
「なんかこう、就職活動って感じだな」
「えへへ…そ…そうですか?」
 照れくさそうに微笑む香奈。
 だけれど、今のって褒め言葉になるのかな?そう小沢は考えたが、深く考えるのはやめにした。
 香奈さんは嬉しいみたいだし、それはそれでいいや。(注*7)


 総理大臣が来るとなれば、そりゃあ取材陣だって並大抵の量ではない。
「はずかしぃ…」
 と、結局学校の制服を着せられて、総理──彼女にとっては父親でもある訳だが──の出迎えにひっぱり出された遙が、ちょっと頬を赤らめてぽつりと呟いた。
「しょうがないだろ」
 小声で遙をつつく一也。「なによぅ」と、遙は不機嫌そうに一也を睨み付ける。
「だって、総理大臣なんだよ。遙にとってはただの父親かも知れないけど」
「バカ親よ。よく総理になれたもんだわ。昔から悪知恵だけはあると思ってたけど」
 ひどい言いようだなー…一也は苦笑いを浮かべて、ぽりぽりと頬を掻いた。遙の方は、顔にこそ出していないけれど、腿を叩く人差し指の動きからも、いかにも「面倒だなぁ」という気持ちが見て取れた。
 それを見て、
「タテマエだけでもね」
 明美助教授がこっそりと耳打ち。
「わかってますよ」
 Nec本部の敷地に入ってくる黒塗りの車を見て、
「Shit…」
 と、小声で呟く遙。
 車の中から降りてきた男は、集まった報道陣たちに向かって軽く笑いかけ、スーツの襟を正してから、Nec本部の入り口へ向かって歩き出した。乱発するストロボ光の中を。
「くるな…」
「遙っ…」
「お久しぶりです」
 そう言って、教授は手を差し出して一歩前へと踏み出す。なんだかんだと嫌がっていた割には、まともなスーツに身を包み、本音と建前を使い分ける技術は大したものである。
「直接会うのは、ずいぶん久しぶりだな」
 村上総理も政治家時の舌を使用して、教授の手に自分の手を絡めた。ばちばちとカメラのフラッシュがいっそう強く瞬く。この写真を見る者たちはおそらく知るまい。この二人が、実はものすごく似たもの同士であると言うことを。
「元気そうだな、遙」
 と、教授の後ろの一也の、そのまた後ろに隠れるようにしていた遙に向かって、村上総理が声をかける。
 「ちっ」と遙が舌打ちするのを、一也は確実に耳にした。
 仕方がないので遙も前に出て、
「Hi boss」
 と、にこり。ちなみに、報道陣と彼女たちの距離は大分に離れているので、その声が届くような事はない。
「実の父親に向かって、その言いぐさはないだろう」
 村上総理も顔だけ笑って、不機嫌そうに言う。(注*8)
 微笑みながら握手を交わす父親と娘の姿は、映像だけを見ている者たちにとってみれば、微笑ましい光景ですらあっただろう。その会話の内容はともかくとして。
「相変わらず元気そうだな」
「おかげさまで」
 交わされた手が、力比べを始めていることなど、おそらく報道陣は誰も知りはしまい。
 いいのかなぁ…こんなんで。一也は苦笑いを浮かべて、眉を寄せた。


「迷惑をかけてはいないだろうな」
 と、遙の父親──村上総理は彼女を睨み付けた。
「かけてないわよ」
 不機嫌そうに返すのは遙。
 とにかくも、早く報道陣の前から姿を消したかったのは村上総理も一緒だったようである。挨拶もそこそこに作戦本部室へと入り、報道陣は「国防上の秘密」と言うことでシャットアウト。無論、この部屋にそんなたいそうな物があるはずがないことくらい、読者のみなさまにはすでに周知のことである。(注*9)
「あの…冷たい麦茶でよろしいですか?」
 そう言って香奈は、「とりあえず名目上は来客用ソファと言うことになっているが、実際はシゲや教授の仮眠用ベッド」に座る村上総理の前に、麦茶の入った涼しげなグラスを置いた。暑さのためにグラスがかいた汗が、涼しげに夏の陽光に輝いている。
「あ。これはどうも」
 と、村上総理は微笑みながら頭を下げる。読者の方も──も?──お忘れのことかも知れないが、村上総理の基本的ポリシーに、「美女の申し出は断らない」と言うものがあるので、彼は早速グラスに手を伸ばすと、それを口に運んだ。
「うん、美味しい」
「さすが。政治家ってのはお世辞が難なく口に出るのね」
 嫌味を言うのはもちろん遙。
「遙…」
 と、一也がたしなめるが…ま。そんなこと、無駄なことであるのは言うまでもない。
「あ。そうそう教授」
 村上総理は半分ほどまで麦茶を飲んでから、おもむろに教授に声をかけた。教授は香奈が持ってきた麦茶を手にして、
「なんでしょう?」
 と、村上総理の言葉に軽く答える。
 村上総理は軽く微笑みながら、言った。
「すまないが、皆さんを紹介してくれないか?大体把握しているつもりだが、どこか勘違いしている所があるかも知れないからな」
「うそつき。どうせ把握なんてしてないでしょ」
「遙っ…」
「なるほど。いいでしょう」
 教授はデスクの上に麦茶の入ったグラスを置くと、ぽんと手を叩いた。
「まずは、彼。さすがにおわかりでしょう。R‐0パイロット、吉田 一也君。一也君、15歳だったっけ?」
「はい。そうです。初めまして」
 一也は、総理に向かってぺこりと頭を下げた。教授や遙はただのおっさんと言うけれど、彼にとってみれば、やはり相手は一国の総理である。やっぱり緊張するなー…
「君がR‐0のパイロットの一也君か。これからもがんばってくれ」
「はい。がんばります」
 もう一度ぺこりと頭を下げた一也に、遙が冷めた声で言い放つ。
「一也、あんなモンはだだの社交辞令よ」
「…わかってるよ」
 うるさいなぁ…もう。社交辞令でも何でも、そう言われるとちょっとはうれしいモンなんだよ。
「えーと…R‐0のプログラマとハードウェア設計者もいるんですが、今は下で報道陣に説明してます。助教授の西田 明美君と、大学院生の中野 茂ですね」
「ああ。うちの秘書と一緒に、囮になっている二人だな」
 村上総理はそう言って、楽しそうに笑った。
 総理のNec訪問。駆けつけた記者たちの数は、半端な数ではなかった。それだけ世間の注目を浴びていると言うことなのだが、その集まった記者たちに対して入り口での写真だけというのでは、暴動も起こりかねない。
 そう判断した教授と総理は、「自分に関係なければ何したっていいや」という、ものすごく自己中心的な考えの下、急遽ハンガー内でR‐0の説明会を敢行したのである。
 シゲと明美助教授を生け贄にさらして。
「それから、彼女が一也君の姉、吉田 香奈君です」
「はじめまして」
 ぺこりと、微笑みながら頭をさげる香奈。
「ああ、君が吉田 香奈さん?遙がいつもお世話になっているそうで…ご迷惑をおかけしてます」
 と、村上総理も頭をさげる。
「ええ。でも、いい子ですから。迷惑だなんて」
「いえいえ、そんな社交辞令はよしてください。うちの娘ですからね、迷惑なはずだ」
「そう言う謙遜の仕方はないんじゃない?」
 睨む遙。当然、総理はそんなもの完全に無視。
「ねえ一也。私、メイワク?」
「そう小首を傾げて聞かれても…」
 一也は苦笑いを浮かべてみせるだけ。
「吉田さん、これからも遙のことをよろしくお願いいたします」
「あ。そんな…頭なんてさげないでください」
「ふしだらな娘ですが…」
「ふしだら?」
 顔をしかめる遙。もちろん、総理はわざとそう言ったのである。
「ねえ一也。私って、ふしだら?」
「そんな、睨まなくたって」
 答えは決まってるじゃないか。──まぁ…どっちかはさておいて。
「それから、別にNecの人間でも何でもないんですが…」
 そう言って、教授はちらりと窓の前に立つ男を見た。窓の前に立つ男──小沢 直樹は、手にした麦茶を軽く飲んで笑う。
「どうも。Necを取材している、ルポライターの小沢 直樹です。以後、お見知り置きを」
 と、おかしそうに言う小沢。
 それを見て、訝しげに眉をひそめる村上総理。
 香奈は戸惑うように眉を寄せて、二人を見比べた。
 小沢さん…村上総理と以前にあったことがある──?
 小沢は楽しそうに微笑みながら、
「ちょっと一服してきます」
 ポケットから取り出した煙草をみんなに見せて、作戦本部を後にした。


「こんな所で何をしているんだ?」
 村上総理はそう言って、男を睨み付けた。
「ご覧の通り」
 と、男は肩をすくめて笑ってみせる。
「煙草を吸ってますが?」
「そういう事を言っているんじゃない」
「本部の中は、どこも禁煙なんですよ」
 男はおどけて、首をくるりと回して見せた。
 Nec本部唯一の喫煙所、ハンガーの裏手にある扉の前で、ぷかりと煙草を吹かす男。煙が、ハンガーの落とす影の中から、暑い夏の日差しの中に溶けていく。
「何を知りたいんだ?」
 村上総理は少し顎をひいて、男を睨み付けた。だが男は軽く笑うだけで、答えようとはしない。
「Necに絡む、金の流れでもおってるのか?」
「どうですかね」
 小首を傾げて、男は煙草のフィルターをはじいた。赤い火の粉が宙に散る。
「どっちにしても、言えやしませんよ」
「仕事だからか?」
 村上総理はそう言って、男の後ろに回り込んだ。だから、見えなかった。
「どうでしょうね?」
 男が煙草をくわえて、自嘲気味に笑ったのが。
 俺が知りたいコト──ね。
 男は肩をすくめて、すうと煙草を吸い込んだ。
「ま。安心してくださいよ」
 と、可笑しそうに笑って、ふーっと宙へ煙を吐き出す。吐き出した煙は、海から吹き付ける風に、音もなく掻き消えた。
「何も、僕は総理の失脚をねらってるわけじゃないですからね」
「失脚?」
 訝しげに眉を寄せて、男の後ろ姿を睨みつける村上総理。探るような目つきで聞き返す。
「そんなことは、諦めていたと思ってたがな」
「僕は、諦めてますよ」
 男はひょいと肩をすくめて振り向いた。口の端にくわえていた煙草を右手で取って、
「貴方は頭のいい人だ。なかなか尻尾をつかませない」
 と、笑いながら続ける。
「つかんだとしても、その尻尾はすぐにぷつりと切れてしまう。まるでトカゲの尻尾のようにですよ。しかも、そこから確信へとはたどり着けない」
 投げ捨てた煙草を、男はぎゅっと足で踏みつぶした。そしてそのまま、少し俯いた格好のままで、ぽつりと言葉を吐き出した。
「それに、貴方のやってきたことを、今の俺は別に悪いことだとは思わないですから」
「そうか」
 村上総理はそう言って、自嘲気味に口元をゆるませた。
「お前の口から、そんな言葉を聞くとは思わなかったな」
「人間、変われば変わるモンです」
「確かに」
「何を知りたがってるのか──って聞きましたね?」
 すっと身を屈ませて、男は上目遣いに村上総理を見た。
「大したことじゃないですよ」
 自分で踏みつぶした煙草の吸い殻を拾い上げて、男は灰皿へ「よっ」とおどけるようにしてそれを投げつけた。が、それは灰皿の上で一度跳ね、足元の地面へぽとりと落ちた。
「貴方が知りたがっていたものを、俺も知りたくなったんですよ」
 男は笑いながら灰皿に歩み寄ると、今度はちゃんと吸い殻を灰皿の中へと押し込んだ。
 そう、俺はその答えが知りたい。きっと、多分ひとつしかない、その答えが──
「知ることができたら…そのときはどうするつもりだ?」
 村上総理は、男の背中へ向かって問いかけた。
「さて…」
 男は腰を叩いて首を回すと、
「それは、その時にならなきゃわかりません」
 ぽんと手を打つ。
「答えがわかったら、答えも変わるかも知れませんし」
「お前らしい答えだ」
 笑う村上総理の耳に、その音が響いた。
「これは…?」
 けたたましい音に、村上総理は辺りを見回した。
「行きましょう。答えへ近づくためにね」
 笑いながら、ハンガーへの扉を開ける男。
 ハンガーの中は鳴り続ける音の下、あわただしく整備員たちが動き始めていた。かけ声と、怒号と、ウィンチを巻き上げる音がそのスピーカーの声に混ざる。
『ただいま、防衛庁別室Nec本部より入電中。太平洋上にてエネミー降下を確認。総員、第一種戦闘配備。繰り返す、総員第一種戦闘配備』









       2

 いつもの即席会議室──要するにホワイトボード前──は報道陣で埋め尽くされているため、今回の即席会議室は作戦本部前の廊下だ。
 要はこの即席会議室、ホワイトボードのあるところ、その周り半径5メートル以内に発生すると言うことになっているらしい。
「今回のエネミーの降下地点は、東経135度3分、北緯17度8分」
 と、もちろんそんな訳の分からない事を言うのは教授しかいない。
「そんなこと言われても、普通の人にはわかりませんって」
「一也君、君は地理が弱いな?」
 教授に指さされ、一也はふうとため息。
「そう言えば、135度って日本の標準時ですよね?」
 と、香奈は首を傾げてとなりに立つ小沢に聞てみた。だけれど、小沢もやはりよくわからなかったので、「そう言えばそうだったかな?」と、曖昧に頷いて見せるだけ。(注*10)
「位置的には、小笠原諸島のほうですか?」
 と、遙。片手をあげて、ホワイトボードの前に立つ教授に向かって聞く。
「ハズレだな。何だ、みんな地理は駄目なのか」
 教授は首を左右に振って、大きくため息を吐き出した。
「全く、最近の若いモンは」
「んじゃ、古いモンならわかるのかしら?」
 遙はそう言って、にやりと微笑んだ。
 それを見て一也はまたもため息。ああ…またなんかタチの悪い悪戯を思いついたんだな。
「ねぇーえ、ぱぱ♪」
 と、猫なで声で父親、村上総理の腕にしがみつく遙。
「東経135度3分、北緯17度8分ってどこ?」
「やっぱりその頭は飾りだったのか…」
 ふぅとため息を吐き出して、村上総理は苦悩するように顔に手を当てる。
「なによぅ!」
「全く、脳は昔から全然発達しとらんくせに──」
 ちろりと、顔に当てた手の隙間から、村上総理は眼下を見下ろした。娘、遙の身体にぴったりとフィットするパイロットスーツの胸の辺り、二つのぷくっと膨れたモノが、自分の腕に押しつけられて柔らかに形を変えている。
「立派になって…」
 と、しみじみ。
「は?」
 遙は眉を寄せて、村上総理の顔をふと見上げた。あれ?なんかパパの視線の位置が…
 つーっと、我が父の視線を追いかけていって、
「こぉんの、エロオヤジがッ!!」
 遙は父親であり、一国の総理でもある男の尻にケリをくれた。
「あっ!父親に手を挙げるとは何事だッ!」
「あんたみたいな父親が、ジョンベネちゃんを殺したりするんだ!!(注*11)」
「何を!お前みたいな親を親と思わない人間が、バットで両親を殴り殺したりするんだ!ああ…なんという事だ…やはり今のティーンエイジャーは病んでいるッ!!」
「信じらんない!この国の首相ともあろう人が、そんな世俗的なことを言うなんて。大体、そう思うんだったら何とかしなさいよ!いっつもコトが起こった後にあーだこーだ言って。しかもそれは単純に責任のなすりつけあいをしてるだけ!日本の政治家って、みーんなそうなのよ。この前の事件だって、考えるべきコトはたくさんあったハズなのに。なんにも変わってないじゃない!(注*12)」
「何を!我々大人だって一生懸命考えているのだぞ!」
「嘘よ嘘!絶対考えてなんていないわ」
「そんなことないっ!!」
 と、怒鳴ったのは、村上総理ではない。
 無論、教授でもないし、シゲや、明美助教授でもない。しんと水を打ったように静まり返ったホワイトボード前の空気を、彼女──香奈は少し恥ずかしそうに微笑んで打ち破った。
「そんなことないわ遙ちゃん。誰だって、一生懸命考えてると思う。ましてや、総理は遙ちゃんのお父さんでしょ。子供のことを考えない親なんて、いないと思うの」
「ま…それはそうかも知れないけどさ」
 遙は唇をつんと尖らせて、ふんと顔を背けた。言われなくたって、わかってるってば。
 だけれど、言われなければこのまま、派手に親子喧嘩を始めたかも知れない事も事実だ。
「ま、その…何だ」
 と、教授は仕切り直すように咳払い。
「とりあえず、今はエネミーを何とかすることを最優先とする。これは、国土問題にも関係してくる可能性があるからな」
「国土問題?」
 首を傾げる一也に、シゲが続いた。その手にしていた大きな地図を、ホワイトボードに張り付けながら。
「東経135度3分、北緯17度8分。ここから東京湾に向かう直線上にある島、なんだかわかる?」
 たずねておいて、答えが返ってくるとは毛頭思っていない。シゲは「ちゃっちゃらちゃらりー」とか歌いながら、地図の上に赤線を引いていった。
「どっかーん♪」
 と、笑ってシゲは振り返る。ぐるぐると赤ペンで囲まれたそこは、
「沖ノ鳥島ッ!?」
 日本最南端の、今にも消えそうな小島だったのである。
「頼むぞ遙っ!」
 がしっと遙の肩をつかむ父親、村上 俊平総理。遙の方は、本当に迷惑そうな表情だ。
「私の娘だものな。大丈夫だよな?なっ?なっ?」
「もぉ…そうやって都合いいときだけ…」
「ま、そう言うわけだから一也君」
 一也に振り向く教授。その顔が実に真剣な表情であることからも想像できるように、
「沖ノ鳥島をぶっ壊して、日本の領地を減らさないように」
 そうなることを、心のどこかで彼は期待しているのである。(注*13)
「頼むぞ一也君ッ!!」
 と、今度は一也の肩をぐわしとつかむ村上総理。
「は…はい」
「頼むよ。本当に頼むよ!」
 半泣き状態の村上総理。ここの連中に任せるのは実に心配だが、それ以外に頼れるものがないのだからしょうがない。本当に大丈夫だろうな…と振り向いた先にいた教授は、総理に向かってふっと軽く笑って見せた。
 そ…その笑いはどう取ればいいのだッ!?(注*14)
 苦悩する父親をほったらかして、
「じゃ、一也。行きましょ」
 遙はハンガーへ向かう階段を駆け下りた。
「ん」
 その後ろに一也が続く。
「本当に頼むぞ遙ッ!」
「はいはい」
 片手を振って、総理の言葉を軽くあしらう遙。
「前向きに善処しまーす♪」
 と、悪戯っぽく微笑んで、遙は一也を突っつく。
「だって」
「わかってるよ」
 一也はふぅとため息を吐き出した。わかってるよ。僕だって、壊したくて壊してるわけじゃないんだから。
「だいたい…R‐0みたいな大きいものが格闘したら、周りの被害だって十分に──」
 小声で愚痴る一也の耳元へ、
「一也、やばい…」
 遙が、小声で囁きかけた。
「は?」
 と、顔を上げた一也。無数の閃光に、その目を閉じざるを得なかった。
「なっ!?」
 瞬く光。始めは何かわからなかったが、よく考えてみて、よく見てみて、わかった。
「ほ…報道陣!?」
 ま…まだいたの!?──である。
「はずかしぃーっ!」
 遙はちょっと頬を赤らめて──なんと言ってもパイロットスーツだ──だけれど、もうここまで来たら開き直るしかないや!と、
「一也、行くわよ!」
 イーグルのコックピットへ向かって駆け出した。
 報道陣たちのレンズが、イーグルのコックピットへ向かって走る遙を追う。一也の方は、とりあえず無視だ。(注*15)
 くーっ、しまったぁ。よく考えてからパイロットスーツ着ればよかった!教授が、やけにパイロットスーツ着ろ着ろってうるさいから、何かあんのかなとは思ってたけど──
 でも、それでも着てみたのは、父親の反応がちょっと見てみたかったからなのであるが。
「あ…あわわ」
 こういう時、どちらかというと開き直ってしまう方が格好いいのである。くそっ…教授たち、これを狙ってたのか。一也は心の中で毒づくと、
「しょうがない」
 小さく頷いて、R‐0のコックピットへ向かって走った。
「うんうん」
 と、二階の廊下からハンガーを見下ろして満足そうに頷いているのは教授とシゲ。その後ろで、明美助教授と小沢ははぁとため息。
「かわいそうに…」
「一也君!何か一言!」
 R‐0のコックピットに飛び込んだ一也に向かって、テレビPアナウンサー、新士 哲平が微笑みながら聞いた。
「あ。新士さん」
 BSS端末用ヘッドギアを頭につけて、
「来てたんですね」
 軽く笑う一也。とたんに、カメラのフラッシュが一段と強くなる。うわ…っ!
「一也君。エネミーを殲滅に向かう前に、今の気持ちを一言お願いします!」
 新士を押しのけたどこぞのテレビ局の女性キャスターが、一也に向かって微笑みかけた。
「今の気持ち?」
「はい!」
「はぁ…」
 今の気持ち…なんだろ?
「とりあえず、今はエネミーを倒すことだけですね」
 答えようがなかったのでそう答えたのだが、インカムの向こうで一也の声だけを聞いていた遙は、
「かっこいいなぁ」
 と、楽しそうに笑っていた。
 R‐0のコックピットのハッチが閉まる。暗闇の中から、浮かび上がるモニターの光。
 一也はゆっくりと、目を閉じた。


「何でこんなに島の近くで戦わなきゃならないんだよ。これじゃ、壊してくれって言ってるようなモンじゃないか」
 右モニターをちらりと見て、一也は口を尖らせた。
「しょうがないでしょ。あんまり島から離れちゃうと、今度はR‐0が海に沈んじゃうんだから」
 インカム越しに聞こえてくるのは遙の声。頭上を飛ぶ、R‐0専用輸送機『イーグル』の中からの声だ。
「いい。島のまわりの防波堤はともかくとして、島を壊さないようにね。そこを壊しちゃうとと──」
「僕だってバカじゃないってば。わかってるよ」
「ホント?何か嘘臭いなぁ…」
 一也の言葉に、遙はにやりと悪戯っぽく微笑んだ。もちろん、一也にも誰にもそれは見えていないのだけれど。
 沖ノ鳥島は、今にも海中に消え入りそうな小島だ。だが、この小島が海中に消えてしまうと、日本の領海および領空は一気に狭められ、日本の海洋産業等は大ダメージを被ることになる。(注*16)と、そこで考え出されたのが、この防波堤なのである。
 規約では、『島に触れなければその周りに何をしてもいい』と言うことになっている。ならば、波の浸食を止めるためにはどうすればよいか──
 防波堤を作るしかない。
 と、そう言うわけで、沖ノ鳥島の周りには波の浸食を防ぐための防波堤が築かれていた。
「でも、なんか苦肉の策って感じだよね…」
「苦肉の策なのよ。だから、壊さないように!」
「わかってるって」
 苦笑いを浮かべた一也の耳に、警告音が響いた。はっとして補助モニターに視線を走らせると、モニターは、真っ直ぐにこちらへ向かって接近してくる一体の移動物体の存在を告げていた。
「きたっ!」
 高鳴るアクチュエーターの音。R‐0はシールドを構え、ビームライフルの照準を、巨大な移動物体へと合わせた。


 海面を割って飛び上がったそれへ向け、R‐0はビームライフルを放つ。巻き上がった海水を蒸発させて、閃光はエネミーの巨体をかすめ、天を射抜いた。
「外した!?」
「相手が速すぎるのよ!FCSが追いついてない」
「くそっ!」
 一也は歯をかみしめた。飛びかかってきたセイウチのようなエネミーが、R‐0のシールドを直撃する。
「一也っ!」
 けたたましい破壊音を響かせながら、R‐0とエネミーが島を囲む防波堤の上へ崩れ落ちる。立ち上る水柱。そしてそれに続いて、辺りに水蒸気が立ちこめた。
「一也っ!?ちょっと、大丈夫!?」
 インカムに手をかけて遙は叫んだ。濃霧の立ちこめる海へ向かって。ちょ…嘘でしょ!まさか…
「一也ッ!!」
「大丈夫!」
 響くアクチュエーターの駆動音。水蒸気の中で立ち上がる巨体。
「驚かせないでっ!」
 遙はインカムに向かって怒鳴りつけた。心配したじゃないの!
「驚いたのはこっちだって一緒だよ」
 バックパックのジェットエンジンを軽く吹かすと、辺りに立ちこめていた水蒸気は一瞬にして飛び散った。水蒸気の中から、壊れたR‐0の左腕とシールドが露わになる。
「ちょっ…早速ぼろぼろじゃないの!」
「シールドのヒートスイッチが入っちゃったんだ…左手は…挙がらないな」
 一也は左モニターで、R‐0の左腕の状況を確認した。装着されたシールドの先端、エネミーに突き刺す際に熱が発生するようになっている部分から、しゅうしゅうと水蒸気が立ち上っている。
「シールドは破棄します」
 そう言って、一也は右手に握っていたビームライフルを一度腰に戻し、シールドを右手で無理矢理取り外した。左腕の機能は、そのほとんどが死んでしまっていたのである。
「エネミーはどこだ?」
 取り外したシールドを、海底にざくと突き刺す。
「9時方向、背後に回り込もうとしてるわ」
「こっちか!」
 海面を激しく波打たせながら、反転するR‐0。海底に突き刺したシールドに、白波が立つ。
「あたれっ!」
 白い航跡に向けて、R‐0は再び取り出したビームライフルを放った。だが、そのビームは海面で反射して水蒸気を生むだけで、海中のエネミーへとは届かない。
「海上に出てこないと駄目か!」
 ちっと舌打ちをして、
「次に飛び出してきたときに、勝負をかける!」
 一也は180度反転して、エネミーに向き直った。
「ちょっと!沖ノ鳥島を壊す気!?」
「そんな事しないよ!」
 息巻いて言い返す一也だが、
「…多分」
 と、最後にぽつり。
「何よそれっ!」
「FCS、ロックを確認!」
「もう知らないからっ!!」
 二人ともほとんど自棄だ。
 突き刺したシールドに身体を半分隠し、R‐0は真っ直ぐに右手を伸ばした。そのR‐0へ向けて、潜行物は真っ直ぐに直進してくる。その加速度を、ぐんぐんと増しながら。
「壊したらごめん…」
「私にあやまんないで…」
 海面が割れる。立ち上る水柱。飛び散る滴。
 あたれ…っ。
 R‐0の右手が、飛び上がったエネミーを追うようにして動く。後ろへ下がる重心。水滴がR‐0に降り注ぎ、コックピットのモニターをにじませる。
 その向こうに映る、エネミーの口の二本の牙。ぎらりと輝く冷たい光に向けて、
「くらえっ!」
 一也はビームライフルのトリガーを引き絞った。
 閃光がエネミーの巨体を突き抜ける。R‐0に向けて、大きく開いた口の中を。
「やった!」
 遙が指を鳴らしたその直後に、
「あ…」
 二つの巨体は、海底の珊瑚礁を盛大に壊しながら、水柱とともに海中へ沈んでいった。


「あれでも真剣にやったのよ」
 遙は唇をつんと尖らせて、壁に寄りかかった。
「それにちゃんと約束通り、島には傷一つつけなかったでしょ」
「それはそうだが…」
 Nec本部、ハンガーの中。いつもの即席会議室──ホワイトボード前で、R‐0とイーグルをぼうっと眺めながら、村上総理はぽつりと呟いた。心ここに在らずといったようにである。
 遙の言ったように、R‐0は、島には、傷一つつけなかった。そのかわりに、島のまわりの珊瑚礁は、盛大に壊してしまったのであるが。
「その…一也だって、がんばったんだから…」
 ちょっとだけ俯いて、遙は村上総理の横顔を見た。ただ呆然と、R‐0とイーグルとを眺めている父親の顔を。
 がんばったんだから…
 俯いて、唇をつんと尖らす。
「こりゃー…ひどいですねぇ」
 と、シゲはため息混じりに頭をかきながら、ホワイトボード前に向かって歩いてきた。手にしているチェックリストを確認しながら、
「上半身の浸水が何とも…」
 と、教授に向かって苦笑いを浮かべてみせる。
「しかたない。R‐0は元々、水上戦を前提に作られてないんだ。駄目になったパーツは、取り替える他はないな」
「それって…」
 ぽつりと、遙は呟いた。
「お金…かかっちゃいますよね?」
 うつむきがちに呟いたので、教授やシゲにその言葉は聞こえなかったようだったけれど、彼女の隣に立っていた香奈には、遙の切なげなつぶやきが届いていた。
「気にすることないわよ遙ちゃん。がんばったんでしょ」
「…うん」
 ささやく香奈に、遙はちょっとだけ頷く。
「着替えてシャワーでも浴びてきなよ」
 香奈の肩越しに、小沢は遙に向かって微笑みかけた。
「シャワーで、身も心もさっぱりとね」
「…うん」
 小さく頷いて、遙はとぼとぼと歩き出した。髪を軽く掻き上げて、ため息だろうか、遙の肩の力が、すっと抜ける様に下がっていく。
「総理」
 小沢は村上総理の袖を軽く引っぱった。「ん?」と、総理は小沢が自分の後ろに立っているのに始めて気づいたように、目を丸くして振り返った。
「そんなんじゃ、女性にもてないですよ」
 と、小沢は笑う。そして、親指で歩く遙の背中を指さす。
「何かだ?」
「視線を走らせておいて、『何がだ?』じゃないでしょう」
 肩をすくめる小沢に、ちょっと怒ったような香奈が続く。
「どうして『がんばったね』とか、『よくやったね』って言ってあげないんですか?思ってたって、口に出して言わなくちゃ、意味がないじゃないですか」
「え…?」
 村上総理は、困ったように眉を寄せた。え?なにがだ?
「遙ちゃんに、ねぎらいの言葉の一つでもかけてやってくださいよ」
 と、軽くため息を吐き出す小沢。遙の背中へ、視線を走らせる。
「子供って言うのは、いくつになったって親に褒めてもらいたと思ってるものなんじゃないんですか?」
香奈も、細く微笑んで言う。
「遙ちゃんだって、一也だって、誰だって」
「褒める?」
「そうです。些細なことですけど、その些細な一言が、凄く嬉しいこともあるんですよ」
 ぽんと総理の背中を叩いて、小沢は楽しそうに笑った。
「いや…しかし…」
 村上 俊平は、眉を寄せて娘の背中をちらりと見た。娘──遙。このところ、まともに話しもしていないし、最近の子たちと一緒で、何を考えているのかよくわからない。
 そうなのか?みんな、そうなのか?
 香奈は、遙の背中を見る村上総理に向かって、言った。
「遙ちゃん、本当は今日お父さんに会えるの楽しみにしていたんですよ。私たちには、そういう風に見られないようにしてましたけど」
 香奈も遙の背中を見ながら、続ける。
「でも、やっぱりわかるんですよ。そういうの。いつも一緒にいれば」
 いつも一緒にいれば──その言葉に村上総理は眉を寄せた。遙が留学を決めた出来事、自分たちと一緒に暮らそうとしない理由──それをわかっているからこそ、彼は眉を寄せ、口ごもっていた。
 だけれど、思案げに口をもごもごと動かしてから、
「遙!」
 その背中に向かって、村上 俊平は声をかけた。
 少し身を震わせて立ち止まる遙。探るように、顔だけを振り向かせる。
「な…なに?」
「いやなに」
 村上 俊平は、娘に向かって笑いかけた。
「約束通り、島には傷一つつけなかったな」
 一呼吸おいて、最後に付け加えた。
「よくやったぞ」
「な…なによ」
 と、戸惑うように遙、
「『には』なんて、トゲのある言い方して」
 唇をつんと尖らせる。
「なんだと!せっかく総理自らねぎらいの言葉をかけてやってると言うのに!」
「べっつにそんなもの要らないわよ!領海が狭まろうがなんだろーが、私には関係ない事だもんね!」
「この…それが、総理の娘の言葉かぁっ!」
「まぁまぁ…押さえて押さえて」
 と、総理を羽交い締めにする小沢。その顔は実に楽しそうに笑っている。
「べーっ!──だ!!」
「遙ぁぁああぁっ!」
 一国の総理に向かって「あっかんべぇ」をぶちかまし、遙はとことこと走っていった。


 どーゆー風の吹き回しだか。
 ひょいと肩をすくめる遙。だけれど、自然と顔がにやけてしまい──いけないいけない。これじゃまるで嬉しいみたいじゃない。
 シャワー室へ向かう廊下を、少し弾むような足取りで歩いていく。
 ま。とりあえず今はシャワー♪
 と、女子用シャワー室のドアに手をかけた遙に、
「あ。遙」
「ん?」
 と、男子用シャワー室から出てきた、頭にタオルをかぶった一也が声をかけた。
「R‐0、どう?」
 心配そうに聞くと、
「ダメ」
 遙はあっさりと返す。
「あ…やっぱり…」
 一也は苦笑して、ぽりぽりと頬を掻いた。あーあ…総理の見てる前でだもんなぁ…
「うそ」
 と、遙は笑う。
「何だよ、どっちだよ」
「どっちかなぁー?」
 笑いながら、遙はシャワー室の中へと消えた。
「なんだよ…」
 不機嫌そうに唇を尖らせる一也。
「あ!そうそう」
 シャワー室のドアががちゃりと開いて、中から遙が顔を覗かせた。その顔に、満面の笑みを浮かべて言う。
「『よくやったぞ』って。パパが」
「そう」
「そ♪」
 再びドアががちゃりと閉まる。
 なんだかな…
 一也は笑いながら、軽くため息を吐き出した。嬉しそうに──
「あ!そうそう」
「わぁ!」
 またもがちゃりとドアが開いて、
「何だよ」
 不機嫌そうに言う一也に向かって、遙は楽しそうに笑って言った。
「覗いたら殺す」
「覗くか!」
 遙はちょっと嬉しそうな微笑みを残したまま、シャワー室の中へと消えていった。


つづく








   次回予告

(CV 西田 明美)
 夏休み。
 その長い長い休みの中、
 生まれゆく数々の思い出たち。
 ただ過ぎゆく時に、身を任せるも良し。
 永遠に続く瞬間に、輝きを求めるも良し。
 少年たちと少女はたちは、
 その小さな胸に何を刻む?
 なーんて♪
 私だって、そーゆー時があったのよ。まぁ…何年前かはともかくとして…
 何にもまして、一也君や遙ちゃんにとって、この夏はただ一つの夏。
 二人の胸に残る思い出は?
 次回、『新世機動戦記R‐0』
 『ヒト夏の、ヒトツのデキゴト。』
 ちゃんと見ないと!


[End of File]