studio Odyssey


第十八話




「そうか…」
 深夜。
 草木も眠る丑三つ時。平田教授は、パソコンモニターの前で大きく頷いた。
「やはり、そうであったか…」
 モニターの両脇には、山と積まれた資料の数々。そしてそのモニターには、二次関数のグラフが二本映し出されている。
 深夜の作戦本部。
 ソファでは、R‐0のハードウェア設計者、中野 茂──通称シゲ──が小さくいびきをかいて眠っている。教授はちらりとその彼に視線を走らせて、
「ふふっ…驚けよシゲ」
 と、にやり。
 教授の机の上には、四枚のチケット。
 日付は8月6日。
 モニターの中のグラフが、交差している日付と全く同じである。
「ふっふっふ…」
 不敵に微笑んで、教授はモニターの電源を切った。


「え…くれるんですか?」
 ハンガーで教授に呼び止められた一也は、手渡された四枚の紙切れを見て目を丸くした。
「ああ。知り合いからもらってな。どうせ私たちはいかないし、無駄にするのも何だからな」
 と、教授は笑う。悪魔のような微笑みを、その裏に隠しながら。
「あ♪なーにそれ?」
「おお、遙君」
 一也の肩越しに、遙がひょいと顔を覗かせた。
「『としまえん、夏の一日券』?」
「教授がくれたんだ」
「へぇ」
 一也の手の中のチケットを、ひったくるようにして一枚奪い取り、
「8月6日?あさって?私空いてるー♪」
 と、にこにこ。
「だから?」
「ありがと」
「あげるとは言ってないぞ」
「四枚もあるじゃない。一枚くらいちょうだいよ。けち」
 いーっと、まるで子供。
「わかったよ」
 一也はため息混じりに、小さく呟いた。まったく…
「じゃ。いただきます。遙も行くって言ってるし」
「本当は一也だって行きたいくせに」
「うん。ま、四枚もあるからな。友達とみんなで行ってくるといい」
 教授は、軽く微笑みながら二人に向かって言った。
「じゃ、たまには息抜きでもしてきてくれ」
 一也も遙も、全く気にはしなかったのだけれど、後になって考えてみればおかしかったのである。
 そう。
 教授が、そんな台詞を言うなんて。(注*1)








 第十八話 やっぱり夏のお約束♪

       1

「いく」
 一分の迷いもなく、一也の親友、吉原 真一は答えた。
「あ。そう?」
 電話のこちらで、一也は「はは…」という乾いた笑いをその顔に浮かべていた。現金なやつ…遙も行くんだけどって言ったら、即答だもんなぁ…
「一也、やはり持つべきものは親友だな!」
「そうね」
 ホント、現金なヤツ…
「でも明後日で急だけど、バイトとかは平気なの?」
 と、一也が心配しても、
「んなもん、休む」
 無駄なことであった。
「邪魔するやつァ馬に蹴られて死ぬだろうから、問題なし」
「ああ…そうか…」
 ──って。それで問題ないのかなぁ?
「んで。一也」
「ん?」
 咽を鳴らして答える一也の声に、好奇に満ちた吉原の、笑うような声が続いた。
「チケットは四枚もらったんだろ?じゃ、あともう一人は──」
「えっ…いや。まだ…いや、別に」
 しどろもどろの一也の表情を思い浮かべて、吉原はけたけたと笑った。
「何言ってんだお前?」
「なんだよぅ…」
 その笑い声に、一也は唇をつんと尖らす。
「何なら俺が誘ってあげようか?気のちっちゃい、一也君の変わりに」
「いいよ。別に僕は気がちっちゃい訳じゃないもん」
「お。言ったな。じゃ。健闘を祈る!俺は当日を楽しみにしているからな。──いろいろな意味で」
 む…と、不愉快そうに眉を寄せる一也。
「わかったよ。楽しみにしてろよ」
「おーうおうおうおう♪」
 笑うような吉原の声を耳にして、一也は電話を切った。
 そして、そのまましばらく身動きもしなかった。
 ちょっと冷静になって、
「…しまったかもしんない」
 と、ぽつりと呟く。
「吉原にのせられた…」
 電話の脇にある手帳。開かれたままのアドレスのページには、友達のアドレスがたくさんかかれている。
「…どうしよ」
 一也はその中でも比較的上の方にある、彼女のアドレスをじぃと見つめて呟いた。上の方にはあるけれど、一度もかけたことのないそのアドレス。
「うー…」
 くしゃくしゃと頭を掻き、受話器に手を掛け──やっぱり離す。
「くそー…」
 吉原の笑い顔が目に浮かんだ。ちくしょー…僕の行動を想像して、今頃笑ってるんだろうなぁ…
 ちょっと被害妄想気味になっているのは、精神的にナーバスになっているからと言うことにしておこう。(注*2)
「うぅ…」
 一也はそっと、受話器をあげた。プーという発信音を耳にして、ひとつずつ番号を押していく。それに伴い、どきどきと心臓が高鳴っていった。
 初めての電話。目を閉じて、一也は小さく息を吸い込んだ。
 コールが彼女を呼ぶ。その音が、一也の胸をかき乱す。
 プッと、受話器の中で何かが弾けた。一也は、ごくりと唾を飲んだ。


 焼け付くような強さを持つ、夏の陽射し。
「これこそ夏!」
 と、吉原は握りこぶし。
「はいはい」
 一也は泣き散らすセミどもと同じ扱いをするかのごとく、吉原の言葉をさらりと受け流した。暑いときに、暑苦しいことを言わないの。
「夏と言えば何だ?」
「は?」
 吉原が一也の顔を、ぐっとのぞき込んで聞く。とてもとても、真面目な顔で。
「な…何だろう?」
 目を泳がせて返す一也。
「夏と言えば──」
「夏と言えば?」
 聞き返した一也は、にやりと笑った吉原の目が、ぎらりと強い夏の陽射しの中で光ったような気がした。気がした──のではないかも知れないけれど。
 吉原は声を大にして、握りこぶしをつけて言う。
「夏と言えば、やはりプールっ!!」
「はぁ…」
 と、一也は苦笑い。
 誘ってやらなかったら、二学期に学校で何を言われたかわかったもんじゃなかったな。
 それは、いろいろな意味で──である。
「ねぇ、先行っちゃうよー」
「はいはい。今行きますよー」
 楽しそうに笑って、吉原は小走りに先を行く二人のもとへと駆け寄った。
 先を行く二人。
 吉原と笑いながら、『としまえん』の正門へと歩いていく村上 遙。
 あとから歩いてくる一也を待って笑っている、松本 詩織。
「いこ」
 詩織は、一也に向かって照れくさそうに笑いかけた。
「うん」
 一也も小さく頷く。
 8月6日。
「誘ってくれてありがと」
 詩織は、一也の手を取って微笑んだ。


「暑い夏がやってきましたっ♪」
 番組開始の一発目、女性DJは、そう言って笑った。
「暑い暑いって言ったって、私は今でも仕事中よーとか言ってる人も、たぶん中に入るんだろうけど、今私の周りには、仕事もしないで遊んでいる奴らがたっくさん」
 特設DJブースで笑う彼女。その周りにいた人々も、彼女の一言にどっと笑った。
「いいな、いいな。みんなカップルできてるんだもんなー。私だってーこっちにいないで、そっちに行きたいのよぅ」
 言葉自体は悔しそうだが、その顔自体はにこにこと笑っているのである。
「さて。今日の番組は前々から予告していたとおり、スタジオを飛び出して、『としまえん』のプールがもうすぐ目の前に見えちゃう、DJ特設ブースから四時間の生放送。うらやましい光景を横目に見ながら、この夏を楽しむナンバーのリクエストを待ってまーす。仕事している人も、遊んでる人も、夏バテしちゃってる人も、四時間、一緒に楽しく過ごしましょう♪」
 彼女がディレクターにキューを出すと、彼女の声と音楽が重なった。
「オープニングナンバーは東京都渋谷区の『私だって遊びたいのよぅ。今日も仕事』さんからのリクエスト、がんばってね。私も仕事中。で、今年の夏って言ったらこの曲でしょう!T.M.Revolution、『High Pressure』!」
 そして、彼女の声に重たいキックの音とディストーションギターのサウンドが続く。
 夏の空に、その音はそっととけていった。(注*3)


「全部で七つもあるんだ」
 と、遙は案内板を指さしながら言った。
「へぇ」
 遙の隣の詩織も、それを見て感心したように言う。
「うーん…」
 その二人からはちょっと離れたところで、吉原は腕を組んで唸っていた。
「いいなぁ…」
「何を言ってるんだよ」
「こういうのは、Wデートって言うのかな?」
「嬉しそうな顔して聞くなよ」
 とか何とか言いながら、一也だってちょっと頬を赤くしているのである。夏の陽射しのせいだけというわけではなくて。
「いきなり飛び込みでもやる?もちろん5メートル」
 とは、遙。この夏に新しく買ったビキニの水着がやっと着られて、その顔は実にご満悦のご様子だ。
「とっ…飛び込みはやめません?」
 と、詩織は眉間にしわを寄せた。スカートのついた寒色系チェックの水着は、詩織の白い肌を、陽光の中でさらに透き通るように白く見せていた。(注*4)
「いいよなぁ…」
 恍惚としている吉原。
「ま…否定しないけれど…」
 一也は、口の中でごにょごにょと小さく返した。なんだかんだ言ったって、彼も男の子なのである。
「よし。じゃ、やっぱりスタンダードに行こう♪」
 遙と詩織が、楽しそうに笑いながら歩いてくる。
「波のプール♪波のプールに行こう♪」
 楽しそうに──ではないようだ。
「早く!置いてっちゃうから♪」
 と、詩織と一緒に小走りに駆けていく遙。その顔に、満面の笑みを浮かべたままで。
 一也は、ふぅとため息を吐き出した。うかれちゃって、まぁ。
「行くか?」
 吉原もため息混じりに笑った。
「本当に置いて行くぞ。あの二人」
 二人も、小走りに二人の後を追った。


「今日もクイズやりまーす。でも、今日はせっかく『としまえん』に来ているんだから、今日はここにいるカップルの人たちに直撃してやります」
 音楽に重なる、DJの楽しげな声。
「今日は『らんぶ○』そばにいますよ。ら○ぶるー!(注*5)」
 と、DJが呼ぶと、
「はーい、らんぶ○ですー。ってね、大声はるほど遠くにいるわけじゃないですが」
 DJに呼ばれた二人の男が、楽しげにその声に返した。彼女のすぐ目の前のプールに、彼ら二人はいたのである。水着姿で。
 すかさずDJが言う。
「あれ?らんぶ○今日はプール監視員のバイト?」
「はい、みんなのプールでの安全を守ろうと──」
「なんでだよ!」
「あははは」
 笑うDJの声を聞きながら、男は言う。
「みんなーっ!水に浸ってるかーいっ!!」
 と、腕を振り上げると、としまえんのプールに浸かっていた観客達が「いぇーい」と答えた。
「何でもいぇーいだな」
 と、すかさず相方は突っ込み。
「それでですね、今日はせっかくとしまえんに来ているわけですから──」
「いきなり戻るんだな!」
「あははは」
「今日はここ、としまえんに来ている可愛い水着の女の子に、クイズに答えてもらおうと思ってます!」
「水着ボーイでもいいですね」
 と言ったのは、DJの女性である。
「ええ、それでもいいんですが、僕は合コン大好きなんで、ついでに合コンの相手も探そうかと思ってます」
「探すなよ!」
 でも、結構言い方がマジだったりする。
 女性DJはけたけた楽しそうに笑いながら、言った。
「みなさーん、二人がこれからプールサイドやプールの中にお邪魔しますけど、電話番号は教えないようにー」
「いえ、教えてください。それでですね、これから僕らは、この波のプールの方から、流れるプールの方へ行って、ハイドロポリスの辺りにでも行こうかと思ってます」
「あー。ハイドロポリスってあれね。あのすごいすべり台のヤツ」
「そうです。そうです。その間で、ナンパを成功させたいと思います」
「何でだよ!(注*6)」
「じゃ、お二人、あとでクイズの方をよろしく♪」
「はーい」
「ナンパに成功したらですねー」
「なんでじゃ。さて、では次の曲は──」
 DJが息を吸い込むのと同時に、その曲の頭が重なった。
「世田谷区『みぞれ』さんのリクエスト。真心ブラザース、『Endless summer nude』」


 途切れることのない、沢山の人々の歓声。
 水と戯れる人々の、笑い声。
 その声の中には、一也たちの声も混ざっていた。
「待てやァ!こら!」
「待つかっ!」
 波をかき分け、逃げる一也。その一也を追いかけて沈めようとしているのは、もちろん吉原である。
「待て待て待てぇ♪」
 と、その後ろを追いかける遙。ちなみに言い出しっぺ。
「可哀想ですよー」
 とか何とか言っている詩織も、実は楽しんでいるのである。
「くそぉっ!何で僕ばっかり!」
 波をかき分け、一也は逃げる逃げる。
「そんなことは決まっているだろうが!」
「そう。一也が一番いじめてて楽しい♪」
「あはは♪」
「何でだよぅ!」
 という、その反応が楽しいのである。


「横浜市、ラジオネーム『みさ』ちゃん。『夏休みに入ってから、彼氏と別れちゃいましたー。この夏は、ひとりぼっちの寂しい夏休みさっ。そっちには、沢山の恋人同士がいるんでしょうね?うー、うらやましぃ』いるよー。私の周りにも、たくさん」
 と、女性DJは笑う。
「みんなドコが来てるの?東京?あ、横浜?埼玉!?遠くから来てるのねぇ。でもそれにしても、みんな二人以上!あぁああ、今の日本はなんなんじゃい!遊んでばっかりじゃなく、みんな仕事せいっ!」
 笑いながらでは、説得力がない。


「あー、つかれた♪」
 笑いながら、遙はプールサイドによいしょと腰をおろした。
「つかれたのはこっちだよ…」
「オレもつかれた…」
 その隣に倒れているのは一也と吉原。二人とも息も絶え絶え。上下する胸の上の滴が、陽射しの中で光りながら流れていった。
「すごく久しぶりにプールに来ましたけど、やっぱり楽しいですね」
 普通に喋ろうとしているのだけれど、弛んでしまう口許を隠しきれない詩織。「えへへ」と照れ隠しに笑って、頬を掻いた。
「もーつかれた。もー動かないぞ」
 と、吉原は仰向けに寝転がる。
「プールで泳がなきゃいけない道理はない。健康的に甲羅干しだ」
「賛成」
 するのはもちろん一也。うつぶせになって、
「あー…ねむ…」
「体力ないわねぇ」
 遙にちょいと足を蹴られた。
「あのー、よろしいですか?」
「はい?」
 「蹴るなよぅ」「なによー、体力ないヤツねー」とかやっている遙と一也を見てくすくす笑っていた詩織は、突然かけられた声に振り向いて顔を上げた。
「電話番号を──」
「何でだよ!」
 登場早々ボケと突っ込みをかますキャラも、なかなかである。
 詩織に声をかけた男達は、その手にはちょっと大きなマイクを持っていた。
 え…えっと…
「あ…はぁ…」
 曖昧に頷く詩織。「ん?」と、他の三人も顔を上げた。
「なに?どーしたの?」
「あ、センパイ…そのー…」
 ごにょごにょと言葉を濁す詩織を飛び越えて、
「あ、ごめんなさいごめんなさい。電話番号って言うのは嘘」
「じゃ、その手の中の携帯は何だよ」
「あ。今ですねー、ラジオやってるんですよ」
「聞いちゃいねぇ」
 二人、会話がすでに掛け合いになっている。
 遙はそれを聞きながら、口許を軽く弛ませた。
「へぇ、ラジオ」
 と、全然物怖じしない遙。それを見て二人も思ったのだろう。あ、今日はこの子にしよう──と。
「えっとですね、それでその番組の中でクイズのコーナーがあるんですね。今日は特別プログラムとして、ゲストとのクイズバトルなんですけど…貴方、参加してみませんか?」
「私?」
 と、目を丸くして自分を指さし、
「いやぁ…私がですかぁ」
 とか何とか言って頭を掻く遙。その割には、顔はまんざらでもないといった表情だ。
 二人もわかったもので、そういう表情をしている子は断らないと知っている。
「あ。じゃあ、よろしいですね?」
 半強制的に聞くと、曖昧ながらも、
「あ…じゃあ」
 という返事が返ってくるものなのである。
 えへへと笑う遙を横目で見て、
「よかったね。テレビじゃなくて」
 と言った一也は、
「どーゆー意味?」
 と、遙に睨まれて、ついでに蹴られたのだった。
「あ、そうそう!それで、ラジオに出るにあたって──」
 そう言って、男はぽんと手を打った。
「電話番号を──」
「何でだよ」
 突っ込みがおでこに飛ぶ。ばちんと、いい音が辺りに響いた。


「さてさて。今日はサマースペシャルと言うことで、『としまえん』から生放送なわけですが──」
 女性DJは、リスナーに気を持たせる様にその言葉尻を長く延ばした。
「スペシャルらしくゲストが来てます♪」
 勢いよく言うと、わーっとDJブースの周りから拍手が巻き起こった。
「あ?もしかしてみんな待ってたりした?お前みたいなオバさんなんか、見たくねぇんだよ。けっ!とか思ってたりして?」
 巻き起こる笑い。DJは続ける。
「でもゲストは今出ませーん。CMのあと、今日の『リスナーVSゲスト特別クイズ』に参加します。しばしのお待ちを♪」
 と、ブースの周りの人垣にウィンク。
「東京都、練馬区『としまえんは目の前なのにぃ…』さんからのリクエスト。『元気になる曲をお願いします』とのこと。──んじゃ、この曲を聴いて、お出かけの準備を!今日発売のパフィー二人のソロアルバム。『solosolo』の中から、由美ちゃんの方のソロナンバー、『V・A・C・A・T・I・O・N』」
 重なるDJの声と音楽。
「CMのあとはゲストが登場します。ゲストは皆さんお待ちかね──」
 まさかこの時、遙が知る由もない。
 クイズバトルで戦うことになるゲストが、
「現役女子高生♪声優の柚木 園子ちゃんです♪」
 で、あろうとは。
 ジングルが入り、ラジオはCMへと入った。
 波乱は、確実に近づいてきていた。









       2

「お待ちかね、ゲストの登場です」
「こんにちはー♪」
 ころころと弾んだ声で挨拶するのは、現役女子高生アイドル声優、柚木 園子である。
 賢明な読者様はご存じのことであろうが、柚木 園子と村上 遙は、たとえて言うなら水と油。犬と猿。つまり、「全く合わない」仲なのである。
 始めてあったときから──だ。(注*7)
 が、まさかそんな事、らんぶ○の二人が知る由もない。
「じゃ、もうすぐ出番ですから」
 楽しそうに笑って、遙に言う。
「はーい」
 遙がラジオを耳にしていれば、どうにかなったのかも知れないのだが…時すでに遅しと言うべきだろう。
 タイムテーブルは、すでに完璧に組まれていたのである。
「園子ちゃんはニューシングルを出したって?」
「はい、そうです。えっと、この曲は──」
 進行表通りに、何の問題もなく進んでいく。──今のところは。
 そしてコーナー頭のジングルが、あたかも戦いの始まりを告げるゴングのように鳴り響き、そのコーナーは始まったのであった。
「『第521回、リスナークイズ特別編、リスナーVSゲストクイズ』っ♪」
 笑いながらのタイトルコール。(注*8)
「今回のクイズは、リスナーというか、ここ『としまえん』に遊びに来ていた子を無理矢理参加させて、ゲストの園子ちゃんとクイズバトルを繰り広げたいと思います」
「はい。がんばります」
「それじゃー二人を呼んでみましょう。ら○ぶるー♪」
「はいはーい」
 と、らんぶ○の二人は遙に笑いかけながら、マイクに向かって返す。ここで始めて、遙はADの女の子からイヤホンをもらったのであった。
「今日はですねー、ここ『としまえん』に遊びに来ていた高校生四人を捕まえました。こんにちはー」
 ぺこりと──ラジオなので見えやしないのだが──二人が頭をさげたので、四人も思わず頭をさげて返した。
「あ。こんにちは」
「二人。その四人は、どういう組み合わせなの?」
「はい、男の子二人に女の子二人です」
「女の子は可愛いの?」
「いけてますよっ!!」
「こいつ、電話番号聞いてましたよ」
「高校生はダメなんじゃないのー?」
「下は12歳から受け付けてます!」
「マジだよこいつ!」
「危ないなぁ。じゃ、その四人はカップル二人組なのかな?」
「なのかな?」
 と、マイクを向けられた遙は、ちらりと一也を見やって、
「こっちの二人はそうです」
 と、にやにや。
「なっ…おい!」
 一也は小声で遙をたしなめた。が、そんな事しても、遙はひょいと肩をすくめてみせるだけ。
「いいじゃん別に。みんな知ってるんだし」
「あっ、せっかく電話番号聞いたのに、悲しいですねぇ」
「携帯の消去ボタン押してるよ!」
「こっちの二人は──ってことは、あとの二人はどうなのかしら?」
「どうなんですか?」
「どうなんでしょう?」
 遙、疑問文を疑問文で返す。どうなんでしょう?と苦笑いを浮かべながら吉原を見ると、「そりゃないっしょ」と、彼は少々不満げなご様子だ。
「さてでは!」
 らんぶ○の二人は、本題に入るべく、吐き出す勢いとともに言った。
「今日クイズに答えてくれるのは、この四人の中で一番年上の彼女です。じゃあお名前とお年をどうぞ」
「はい。えーと…」
 声だけを聞いていた園子は、それだけでも「どこかで聞いたことのあるような声だな」と思っていた。だてに声の仕事をしているわけではないのである。
 それに、しゃべり方が自分に似ている。ちょっと甘えたような、猫なで声。
 嫌いなタイプかも…
 ふと、頭の中にあの女──村上 遙の顔が思い浮かんだ。
 そう言えば…似てる。けど…まさかね…
「村上 遙。17歳です」
「ぬえッ!?」
 思わず声を変な上げた園子は、あわてて口を押さえた。が、今更そんな事してももう遅い。目の前にいたDJは、「どうしたの?」とばかりに小首を傾げて園子を見た。
「い…いえ。なんでも…」
 ど…同姓同名…そうよ。絶対にそう。あいつがこんな所にいるはずがないもの。
「ん?」
 と、遙も小首を傾げた。およ?どこかで聞いたことのあるような声が…
「遙ちゃんね。じゃ、遙ちゃん、よろしくお願いしますね」
 DJは気を取り直して、言う。
「あ、はいはい」
 遙も頭にポッと浮かび出た答え──今の声、柚木 園子に似てたな──を振り払うように、微笑んで返した。まさかそんなコトないよね。
「じゃ、遙ちゃん。今日はリスナーVSゲストです。ゲストの柚木 園子ちゃんに、何か一言ありますか?」
「ええッ!!」
 遙はすっとんきょうな声を上げて、思わず目を見開いた。そしてその顔を、思いっきり苦虫を噛み潰したあとのようにしかめさせる。
 なんじゃって!?
「──柚木 園子ぉッ!?」
 その声を耳にして、園子も確信した。目をつぶって、ちいと小さく舌打ちをする。
 よりにもよって、なんでコイツがこんな所にいんのよッ!!
 しかも──
 よりにもよって、なんでコイツを選んじゃうのよッ!?(注*9)
「…こんにちは」
 眉間にしわを寄せて園子。こうなればあっちは素人、こっちはプロ。開き直ってやるッ。
「お久しぶりです」
 その言葉に、聞いていた誰もが目を丸くしたことだろう。不適に微笑んだのは世界中でただ一人。当の本人、村上 遙たけである。
「お久しぶり。元気そうね」
 遙も負けじと返す。
「そう言う貴方こそ。元気そうでなりよりです」
 ぽかんとしていたDJとらんぶ○の二人は、やっとの事で、
「あれ?お知り合いなんですか?」
 と、聞き返した。
「知り合いも何も…彼女は私」
「私は彼女」
 園子と遙は笑う。息は、ぴったり合っているのである。いや、合いすぎていて、合わないくらいなのである。
「全くの偶然なんですけど…この彼女、R‐0に出てくる村上 遙ちゃんみたいなんです。私が声をやってる」
「ええっ!?」
 二人は目を丸くして遙を見た。
「実はそうなんです。園子ちゃんがラジオにゲストで出てたなんて、知りませんでした」
 と、遙はにこり。
「そっ…そうなんですか?」
 園子の目の前で、DJも目を丸くする。
「そうなんです」
 と、園子もにこり。
 だけれど、その二人の微笑みの下に隠れているモノは──
 一也は大きく天を仰いで、ため息を吐き出した。
「ああ…なんかやな予感がする…」
 一也も勘が鋭くなった。(注*10)



 ぶっ!と、口に含んでいたコーヒーを思わず吐き出すシゲ。
「なっ…!」
 ラジオから聞こえてくる園子と遙の声に、
「な…なんで?」
 シゲは口を半開きにしたままで呟いた。
「あら。遙ちゃんの声じゃない」
 Nec本部。作戦会議室に入ってきた西田 明美助教授は、シゲの机の上の小型ラジオからの声に、ちょっと驚いたように目を丸くする。
「ラジオになんて出て、いいわねぇ…」
「そう言う問題ですか!?」
 息巻いて反論するシゲ。明美助教授はさらに目を丸くして、
「え?」
 と、聞き返す。
「何か問題でもあるの?」
「大アリなんです!」
 シゲは遙と園子のことをよく知っている。より正確に言えば、遙と園子の仲を決定的に悪くした、張本人でもあるのだ。
「きょっ…教授を呼んでこよう」
 あたふたと作戦本部を後にするシゲ。「教授ーっ!」と、階下のハンガーに向けて叫びながら駆け出していく。
「そんなに大変な事かな?」
 明美助教授はぽりぽりと頬を掻いて、ラジオのボリュームを少しだけ上げた。
 彼女はまだ知らない。
 教授のしくんだ作戦のことを。


「なにっ!」
「本当なんですって!!」
 眉を寄せて言うシゲの表情に、教授は部品発注申立書をめくる手を止めた。
「うーむ…まぁ…多分問題はないだろうが…」
 と、言葉を濁す。
「大丈夫でしょうか…場合によっちゃ、日本が危機に瀕することにもなりかねませんよ」
 探るような目つきで、シゲは漏らす。
「ああ…」
 教授も真剣な表情で、小さく頷いた。
「しかし、もう我々にはどうすることもできんよ」
 ふっと自嘲気味に笑う教授。
「すでに計画は動き始めてしまったのだ…我々に、止めることはできない」
「見守るだけですか…」
 二人はR‐0に視線を走らせて、細く微笑んだ。
 その後ろで、
「あの…」
 気の弱そうな若い整備員が、眉を寄せて呟いた。
「あの…発注申立書にハンコをもらわないと、私がおやっさんに叱られるんですが…」
「──む…」
 教授は不満そうに眉を寄せると、手にしていた部品発注申立書を見もしないで、ぽんとハンコを押し、
「ほれ」
 と、子供のように口を尖らせて、整備員に申立書を突きつけた。
「君は来週までにレポート提出な」
「は?」
「世に言う『お約束』と呼ばれる展開について。A4レポート10枚以上」
「は?」
 教授の言葉に、整備員の青年は、よくわからないと言うように眉を寄せていた。


「と言うわけで、本当に特別ゲストになっちゃいました」
 少し引きつったように笑うのは、二人を前にした女性DJである。ちらりとブースの奥に視線を走らせると、ディレクターは「こいつはタナボタだ」とばかりに笑っていた。
 だけど、ディレクター…この二人──
「どうもお久しぶりです」
「こんにちは」
 ありきたりの挨拶であるし、ラジオを聴いているほとんどの人達は、この言葉で二人の仲を疑ったりはしなかったであろう。
 だが、実際に見ている人達にはわかったのである。
 二人の間に漂う、雷雲のようなその空気が。
「こんな所で、デートですか?」
 園子、軽くジャブ。ちらりと見られた一也は、宙に視線を泳がせた。
「息抜きです」
 と、事も無げに返すのは遙。
 なんで…こんな事になっちゃったんだろう…
 一也は眉を寄せて、小さくため息を吐き出した。遙のせい?園子さんのせい?まさか…教授!?
 ──いや。ありうる…と言うより、その可能性が一番高い。
 ため息混じりに、一也は顔をしかめさせた。ハメられた…?
 今ブースにいるのは、全部で四人。遙と園子と、ちょっと困ったような顔の一也とDJ。
「あの…えーと…アレですよね」
 一也の方を見て、女性DJは笑った。と…とりあえずちゃんと進行だけはしないと…
「貴方があの巨大ロボットに乗っている人なんですよね?」
「はい。そうです」
 視線で戦う遙と園子を横目に見ながら一也。
「あのロボット、R‐0って言うんですけどね」
 とりあえず、この二人には出来るだけ喋らせないように。
 一也の視線に、DJは小さく頷いた。お互い、大変ね…
 そうですね…
 と、二人して頷き。
「えーと、一也君だっけ?いくつなの?ものすごく若く見えるけれど?」
「若いです。15歳ですから」
 笑うようにして一也は言う。けれど、視線は遙と園子の方へ。頼むから、何も問題を起こさないで…
 淡い期待であった──
 園子が口を開く。
「遙ちゃんは私と同い年の17歳なんですよね?二人とも私と同じ高校生なのに、その歳で日本を護ってるなんて、すごいですよねぇ」
 その言葉の裏には──ま。そのぶん都市を壊しまくってるんだけどね。と、にやり。
 表情から園子の心の内を読んだのか、遙は一瞬むっとしたように口を曲げた。だけれど、すぐに普段の表情に戻り、
「いえ、護るって言ったって、そのぶん街を壊しちゃったりもしちゃうし…一生懸命やってるんですけど、まだまだ不手際が多くって…」
 物憂げな表情で呟くように…だけれど心の内は──よし。コレで可憐な私の支持率アップ!園子なんかに負けるもんですか!(注*11)
 二人の間に電磁誘導が起こり、火花が散った。──ように一也には見えた。
 ああ…女は怖い…
 と、一人苦笑い。


「私、あの人キライ」
 ブースの外で、詩織はつんと口を尖らせた。隣の吉原は腕を組んで、
「んー…まぁ…可愛い人ではあるけれど…」
 と、ぽつり。
 ちなみに、「けれど」の後ろを聞かれても、吉原は答えることが出来なかっただろう。最後に付け加えた「けれど」は、詩織に対する気遣いの現れなだけであって、本人は「けれど」とは全く思っていないのだから。
 R‐0のOVAか…買おうかなぁ…
 なんて、吉原は顎を掻いた。(注*12)
「センパイ…大丈夫かしら…」
 ブースの中の遙と園子を見て、眉を寄せる詩織。心配しているのは正確には遙のことではなくて、「センパイが何かをやって、吉田君が非道い目にあわないかな」である。
 吉田君…大丈夫よね…
 詩織はふと、5月の出来事を思い出した。
 一也の身体にしなだれかかって、目を細める園子。抵抗するでもなく、身動きひとつしない一也。
 近づく二人の距離。
 今思い出してもカチンと来る。そそのかした園子にもだけれど、抵抗しなかった一也に対しても──だ。
 そう言えば…あれからずいぶんたつのに、私たち、まだキスもしてない。
 詩織はちょっとだけ不安になった。手を揉むようにしてうつむき、眉を寄せる。
 そう、私、まだ返事ももらってない。
 ──本当に吉田君が好きな人って、誰なんだろう…(注*13)
 ブースの中の一也は、DJの質問に軽く笑いながら答えていた。


「デートの最中、ごめんなさいね」
 と、園子は笑う。コーナーがシメに入ったのである。
「だから違うってば」
 なんて、遙も軽く笑う。
 が、二人の心の内は──ちっ。お互い、決定的なダメージを与えられずか…と、しかめっ面なのである。
 ああ…やっと終わる…
 とは、もちろん一也の心の内。二人は知りもしないけど。
「じゃ。このあとも二人とも楽しんでね♪」
 スケジュールが空いてたら、もっとイジメられたのに…
「園子ちゃんも、お仕事がんばって」
 ふふん♪ま、無駄なことでしょうけどね。
「突然乱入して、どうもすみませんでした」
 あー…終わる。終わる!終わるっ!
 と言うより、一也としては早く終わらせたいのである。何か問題が起こる前に。
 嫌な予感がしていたのだ。
「えーと、それではですね──」
 DJもほっとしたように息をついて、軽く微笑んだ。
 何とかまとめられそうだわ…
 だが、そうはいかなかったのである。いや、いってはならないのである。(注*14)
 一也の予感は的中した。(注*15)
 ブースの外で、詩織ははっとした。遙から「持ってて」と渡されたポーチの中で、携帯電話が鳴ったのである。
 作戦本部では、教授がパソコンモニターを前に、満足げに笑っていた。二本の二次関数グラフ。その交わる日付──8月6日──を見て。
 そのグラフのタイトルは──
 詩織は恐る恐る電話に出た。どうしようかとも思ったのだが、隣に立つ吉原も、「出てみれば」と顎をしゃくったのである。
「もしもし?」
「あ。どうも。その声は詩織ちゃんだね?」
 と、少し笑ったような電話の声。Nec本部の、シゲの声だ。
「あ。どうも…あの…今センパイはちょっと…」
「ああ。知ってる知ってる。今聞いてた。それでさ、緊急なんだけど──」
 ちらりとパソコンの前の教授に視線を走らせて笑うシゲ。その視線に気づいた教授も、にやりと彼に笑い返した。
「ああ…ここんとこ、真面目に教授が何かやってると思ってたら…」
 明美助教授は目を閉じてこめかみを押さえつけた。結局…そういう人なのね…
 鳴り響く緊急警報の音。
「計算通りだ」
 と、教授はその音にご満悦のご様子。
 パソコンモニターに映るグラフ。『エネミー出現確率分布』のグラフ。
 モニターに反射する、不適に微笑む教授の顔。
 そう、全ては教授の計算通りだったのである。
 計算通りだッ!
 と、握りこぶし。
「あ。詩織ちゃん?国家権力を使っていいから、ラジオに乱入してくれないかな?『エネミー襲来』って」
 楽しそうに、シゲは笑った。
 いや、訂正しよう。
 教授とシゲは楽しんでいた。
 確実に。


「よし、任せろ!」
 詩織に事のいきさつを聞かされた吉原は、ぺろりと舌なめずりをして歩き出した。
「あ…吉原君…」
 眉を寄せながらも、詩織は彼の後に付いていく。
「どっ…どうするつもりなの?」
「決まってる。シゲさんの言うように、乱入する」
「ええっ!だって、もうコーナーも終わるし…」
「だから急ぐ」
「は?」
 吉原、その顔は実に楽しそうである。
 よしよし、こいつはいい奴だ。と、電話のこちらで頷いているのはもちろんシゲ。どのようにいい奴なのかはともかくとして、彼は人混みをかき分け、特設DJブースに迫ったのであった。
「あ。こら!ここから先には入っちゃイカン!」
 と立ち塞がれても、
「特務機関Necの者だ。緊急事態につき、吉田 一也と村上 遙を解放してもらう」
 胸を張って、逆に相手を威圧する吉原。元々、中学時代に柔道をやっていただけのことはあって体格はいい。立ちふさがったADの青年も、相手が高校一年生だとは知らずに、じりりと後ずさった。
 吉原はふっと口元を弛ませて笑う。
「松本さん、電話」
「は…はい」
 吉原の大人びた声に、思わず詩織は動揺した。手にしていた携帯電話を恭しく差し出して、
「どうするの?」
 と、眉を寄せる。
「そんなことは決まってる」
 吉原は軽く笑うと、辺り一面に響きわたるほどの大声で叫んだ。
「一也!『エネミー襲来』だッ!!」
 投げた携帯電話を、一也は目を丸くしながら受け取った。


「ええっ!」
 遙は思わず椅子から立ち上がった。
「ホントなの!?」
「嘘ついてどうするんですか」
 と、吉原は口を尖らせる。
「もしもし?シゲさん?本当ですか?」
 電話を持って、一也も立ち上がる。
「な…何事でしょう?」
 もう女性DJは目を丸くすることしかできない。この展開に、ついていけないのである。
「エネミーね?エネミーが来たのね?」
 園子が真剣な声で言う。
「おおっ!」
 ラジオを聴いていたシゲは、握りこぶしをつけて思わず叫んだ。
「どうしたの?」
 明美助教授がはっと顔を上げて聞く。
「園子ちゃん、OVAの遙ちゃんの声のまんまだ♪」
「いい加減にしなさいッ!!」
「シゲさん!聞こえてるんですかっ!?」
 明美助教授と一也に怒鳴られて、シゲは顔をしかめさせた。
「はいはい、聞こえてますよ。電話もラジオも」
 しかもラジオは録音してある。
「エネミーが来たんでしょう?降下地点は?僕たちはどうすればいいんですか?」
「そこにいていいよ」
 と、事も無げにシゲは言う。
「は?」
「いや、だからそこにいていいよって」
 机の上に地図を広げて、シゲは東京湾からとしまえんへ向けて尺を取った。
「それからね、降下じゃないから」
「え?どういうことですか?」
 「変わってよーっ!」と、ぱしぱし背中を叩く遙に一瞥をくれて、一也は聞き返す。
「降下じゃないって…」
「飛来」
「へ…?」
「いや、だから飛来。空を飛んでるんだよ」
 ちらりと本部のドアの方を見ると、「OK。イーグル、出られるみたい」と、明美助教授が階下のハンガーをのぞき見て笑っていた。
「現在、エネミーは城ヶ島上空を通過中。空自の皆さんが、全力を持って誘導するから──」
「ちょっ…ちょっと待ってください!」
「なに?」
 声を荒げる一也に、シゲは事も無げに頬を掻いて聞き返す。
「なにか?」
「一つ聞きます」
 一也は何となく答えはわかったけれど、一応聞いてみた。
「誘導ってどういう事ですか?」
「うん、いい質問だ。では、教授に替わる」
「はあ…」
 何でいちいち…
 一也は小さくため息を吐き出した。ちらりと遙の方に目をやると、彼女も一也のため息に何となく状況がわかったのだろう、その顔に苦笑いを浮かべて見せた。
「替わった。私だ。まずは一也君」
「はい」
「この電話にマイクを繋ぎたまえ」
 ──…
「何の意味があるんですか?それに」
「聞くまでもあるまい」
「…わかりました」
 一也は眉間にしわを寄せて頷いた。お約束か、その方が展開的に燃えるから──ですね。
 よくわかったものである。
「遙、この電話をマイクに…」
「そんなことを言うのは教授ね」
 と、遙も苦笑い。
 遙が事情をディレクターに話すと、彼ももうまともに放送を続けることは不可能と悟ったのだろう。すぐさまADに小型マイクを携帯電話に繋げ、それをモニタースピーカーへ出力するようにと命じた。
「どうもすみません」
 自分のせいとばかりに、一也はディレクターに頭をさげた。
「仕方がないよ…こうなったらもう開き直るしかない。聴視率が上がるのなら、もはや何でもアリ。何でもコイだッ!(注*16)」
 目が血走っててちょっと怖いです…と、後ずさる一也。
 やがて、教授の真摯な声が外部スピーカーから聞こえ始めた。
「では作戦を伝える」
 真摯な声で言う教授。その後ろで流れるBGMは──やめよう。(注*17)
「吉田 一也、および村上 遙は現地点にて待機。R‐0搭載イーグルが到着次第、R‐0を起動させ、迎撃準備に移行」
「こっ…ここでやるつもりなの!?」
 目を丸くして、園子は机を叩いた。
「冗談じゃないッ!!」
「冗談ではない。エネミーの飛行速度を計算に入れると、この作戦が最も確実だ」
 嘘だな。と、一也は思った。
 誘導できるのなら、何も陸の方につれてくることなんてないじゃないか。(注*18)
 だがまぁ、一也が教授に意見できるはずもなく、
「わかりました。じゃあ、イーグルはどこに降下させます?」
 頷いて聞き返す一也。もちろん、答えは何となくわかっていたけれど。
「うむ」
 きっぱり、あっさりと教授は言った。
「君らのいるところ、波のプールの上だな」
「──は?」
 なんて目を丸くするのは、園子とDJの二人。ここ?だって──こんなに人がいるのに?
 遙と一也はわかったもので、
「了解。ま、確かにここくらいしかスペースないですものね。で。イーグルはあとどれくらいで着きます?」
「一般人の避難が必要になるね。吉原、悪いけど手伝って」
 と、あくまで冷静に対処。
 教授としては、その反応はちょっとつまらなかったのだけれど──まあ、仕方ない。
 慣れというのは恐ろしい…
「遙。じゃ、イーグルが来たら…」
 DJブースを飛び出して、吉原とともに走り出す一也。
「了解」
 笑って、親指を立てる遙。
「いつでも起てるようにしておくわ」
「──って。ちょっと!?」
 遙の腕をつかんで振り向かせると、園子は眉を寄せてヒステリックに言った。
「被害が出るわよ!?」
「もちろん」
 事も無げに笑って、
「それでも日本を護ることが、私たちの仕事ですから」
 なんて、遙は軽々と言ってのける。園子が息をのんだのが、誰の耳にもわかった。
「かっこいいねぇ…」
 ラジオの前で唸るシゲ。スピーカーから、CM入りのジングルが鳴り響く。
 教授も放送がCMに入ったのを確認すると、
「よし、イーグル出撃だッ!!」
 電話を切って、そう叫んだのであった。


「一也、聞こえる?」
「聞こえてるよ」
 その声は、しっかりと電波に乗って全国に届いていた。
 特設DJブースは、もうNec特別前線司令部に変わっていたのである。
「さて、では一也」
 遙は軽く息を吸い込んで、続ける。
「エネミー、迎撃ポイントまであと187秒。R‐0、起動開始!」
「了解!」
 そして、歓声とアクチュエーターの駆動音が辺りに響いた。
「おお…」
「すげぇ…」
 見上げる水着姿のままの人々、誰もが息を飲む。ギラリと強烈な陽射しの中で輝く巨体。
 遙は目を細め、
「いい、一也?一撃でしとめましょうね。でないと、被害が大きくなるから」
 太陽に手をかざし、R‐0を見上げて言った。言うまでもなく彼女も水着だが、いつの間にかラジオ局のスタッフにもらったTシャツをその上に着ている。
 彼女が言うには記念──とのこと。
「わかってるよ」
 つぶやくように返す一也。
 腰のビームライフルを取り出し、それを両手で構えるR‐0。ゆっくりと足を自然体に開き、静止する。
「ほんとぉ?」
 目を細める遙の肩を、
「ちょっと!」
 と、つかむ園子。
「なに?」
「被害が大きくなるってどういう事?」
「気にしない♪気にしない♪」
「なる!」
 園子はリスナーの気持ちを代弁し、遙の両肩を掴んで、がくがくと彼女を揺さぶった。
「なんでも…」
 と、喋りだすのは吉原。じっとR‐0を見上げて言う。
「撃ち落とす場所が決まっているらしい」
「え?どういう事です?」
 吉原の言葉に目を丸くする女性DJ。隣の詩織も、教授の言う『作戦』をしっかりと聞いていたので、思案げに眉を寄せていた。
「いいんでしょうか…こんな作戦で…」
「それを言わない」
 と、遙はツッコミ。
「ちょっと!どういう事なのか説明しなさいよ!!」
 その遙に、さらに突っ込む園子。
「もー…わかったわよ」
 遙はふうとため息を吐き出して、言った。もちろんその全ての台詞は、電波に乗って、日本中に流れたのである。
「撃ち落としたエネミーが消える訳じゃないでしょ。だから、落ちる場所も計算に入れて、撃つわけ。外せば、民家の上にエネミーが落ちちゃうの♪」
 「てへ♪」なんて、笑う遙。
 ブースの周りにいた人々は、遙のその台詞に凍り付いた。無論、ラジオを聴いていた人々も凍り付き、としまえんの近くにすんでいる人なんて、その台詞に一瞬心臓が停止した。
 日本中で平然としていられたのはたったの二人。教授とシゲ。
 二人はラジオの前で、満足そうに微笑んだ。
「ああ…コレでいいの?日本は…?」
 と、明美助教授は天を仰ぐ。
「ちょっ…」
 息を溜めて──
「冗談じゃないわよッ!なんでそんな危ない事をッ!!」
 園子は遙に向かって、思いきりまくし立てた。
 R‐0を見上げていた人々にも、緊張と動揺が走る。
 が、
「大丈夫よ。外さなきゃいいんだから♪」
 なんて、遙は耳をほじりながら笑う。
 吉原はため息。詩織は苦笑い。女性DJはついていけないし、園子も眉毛ぴくぴく。
「クレイジーだわ…」
「お褒めの言葉?」
 ひょいと肩をすくめて、
「一也、みんな期待してるわよ」
 遙はインカムに手をかけて言った。
「大丈夫。やってみせるよ」
 一也は軽く笑うようにして返す。FCSもしっかりとエネミーを捉えてるし…
「大丈夫。ちゃんと当てるよ」
「期待してるわ」
 遙もそう言って、軽く笑ってみせた。
「カウントダウンに入ります」
 左腕にはめたG‐SHOCKをじっと見つめ、右手をインカムにかける遙。微かに吹いた風が、彼女の髪を撫でていった。
「10秒前…9…8…」
 遙のカウントに、一也はすっと目を閉じた。大丈夫、外すもんか。
「7…6…5秒前…」
 ぴんと張りつめる緊張。しんとした『としまえん』のプールに、セミの鳴き声だけが心のざわめきのように響く。
 ごくりと、誰かが唾を飲んだ。
「4…3…2…」
 ラジオからは、遙の声だけが響いていた。不気味な沈黙と、やけに長い1秒の刻み。
 遙は汗ばむ右手でインカムを握り直し、
「…1」
 最後のカウントとともに、その顔を上げた。
「ゼロっ!!」
 遙の言葉と、目を開く一也と、ビームライフルの先端から迸る閃光とが重なった。
 夏の空を射抜く強烈な閃光。光の粒子が宙に散り、陽光にきらめきながら『としまえん』に降り注ぐ。
 閃光に目を閉じた人々は、高周波の音がゆっくりと減衰して消えていくのにしたがって、そろそろとその目を開けていった。
「やったの!?」
 目を細めて、園子が言う。
「う…うまくいったんですか?」
 眉を寄せる詩織。
「わからん…」
 吉原はごくりと唾を飲んだ。その額を汗が伝い落ちる。
「ど…どうなったんでしょう…うまくいったんでしょうか…それとも、いかなかったんでしょうか…」
 女性DJは、何とかそれだけを呟いた。
「あ…」
 遙の呟きに、みんなが「何事!?」とばかりに振り返る。
 その直後、地響きと大音響が、『としまえん』を襲ったのであった。
「うまくいった♪うまくいった♪」
 と遙は笑ったけれど、その地震で騒然となった人々は、誰もその言葉を信じなかった。


「ちゃんと予定通り、中野区の下水処理場にエネミーを撃ち落としたよ」
 一也はR‐0から降りてきて、ふうとため息を吐き出した。「お疲れ」と言う遙の声を小耳に挟んで、BSS端末用ヘッドギアを取り外す。
「ふぅ…」
 再びため息を吐き出して、一也はプールサイドにしゃがみ込んだ。
「ああ…つかれた…」
 R‐0の作り出した影の中で、目を閉じる一也。
 始めから、教授はコレを狙ってたんだな…
 と、今更ごちてももう遅い。事の全ては済んでしまったのだし、ご丁寧に、ラジオで全国放送という付加価値までついてしまったのだから。
 あー…ハメられた…
 一也はかくんと頭を落とした。
「おつかれさま」
 と、その声にはっとして顔を上げる。
「あ…」
「はい。どうそ」
 と、手にしていたコークを差し出して軽く微笑む詩織。
「あ…ありがと」
 軽く笑って、それを受け取ろうと一也は手を伸ばした。けれど、詩織は悪戯っぽく微笑んで一也のその手をかわし、冷たい缶を彼の頬にぺたりと押しつけた。
 一瞬あって──
「わあっ!」
「あはは♪」
 思わず身を引いた一也を見て、詩織は可笑しそうに声を上げて笑った。
「もぅ…やめてよ」
「はい。本当におつかれさま」
 今度はちゃんと一也にコークを手渡す。
「サンキュ」
「いい?」
 と、一也の横を指す詩織。
「どうぞ」
「うん」
 ぱきゅっと小気味よく響く音を立てて、一也はコークの缶を開けた。冷たさに、左手で持っていた缶を右手に持ち替える。
 詩織は一也の横に体育座りをして、
「今日は、ありがとね」
 ちょっとうつむくようにして言った。
「ん?」
 その詩織を、横目でちらりと見る一也。
 詩織はちらりと見た一也の視線に向かって、
「誘ってくれて、ありがと」
 上目遣いに返す。
「いや…その…」
 一也はひょいと視線を逸らして、コークをごくりと飲んだ。な…なんか…その…
「で、でもごめんね。何かまた変なことに巻き込んじゃって」
「それはいいんだってば」
 体育座りをしている詩織は、膝に自分の頬をおいて、ちょっと困ったように眉を寄せた。
「前にも言ったでしょ。私は吉田君のコト、心配したいの。それに…」
 詩織は少しだけ頬を朱に染め、
「一緒にいられるんだったら、別に何があってもいいの」
 と、一也のことを見つめたままで微笑んだ。
 そう、私は吉田君のことが好き。吉田君が、たとえどう思っていたとしても──
「あ…」
 一也は喉を詰まらせた。詩織の視線と、自分の鼓動に。
 えっ…と。
 心臓は早鐘を撃つように鳴り続けているのに、脳に血液が回らないのか、思考はぴたりと止まったまま。右手に持ったコークの缶の冷たさだけが、やけにはっきりとわかった。
「邪魔かなぁ?」
 その声にどきんとして、一也と詩織は顔を上げた。
「ごめんねぇ…野暮なオネーさんでねぇ…」
 にやぁと笑うのは、
「はっ…遙」
「せ…センパイ、ど…どうかしたんですか?」
 一也と詩織はあたふたと、髪なんかを整えたりしながら遙に向かって言った。
 遙は目を細めて、口の端を突き上げて笑う。
「ごめんねぇ…邪魔したくはなかったんだけど、白昼堂々、みんなの見てる目の前でラブシーンなんかされちゃっても困るし」
 と、自分の後ろ──R‐0を取り囲む人垣を指さした。
「それとも見せてたの?」
「みっ…見せてなんかないよ!」
「どうだか…」
 腕を組んでそういうのは吉原。疑いのまなざしで、一也を見る──いや、睨む。
「吉原っ!」
「ジョークだよ。マジになんなよ」
 吉原は本気になって怒る一也に、苦笑いを返した。


「さて。じゃ、短いバカンスはおしまい♪」
 遙は弾むように言って微笑んだ。
 インカムに手をかけて、
「どう?楽しかった?」
 なんて聞いてみる。
「もう、十分に」
 ため息混じりに返すのは、R‐0のコックピットの一也。
「教授の思い通りに、ことは運んだみたいだしね」
 遙はひょいと肩をすくめて、その言葉に笑って見せた。イーグルのコックピットにいる、他の二人に向かって。
「ご機嫌ナナメね」
 ぺろりと舌を出す遙。
「ははは…」
 笑いながら頬を掻く詩織と、
「ラブシーンの最中に割って入ったからかな」
 そんなことを言ってにやりと笑う吉原。
「聞こえてるぞ吉原っ!!」
「む…壁に耳ありだな!」
 きょろきょろとイーグルのコックピットを見回して、吉原はちいと舌打ちした。
「はいはい。じゃ、もう帰りましょうね」
 幼稚園児に向かって言うように遙は笑って、操縦桿を握り直した。
「イーグル、Take off♪」
 エンジン音が、徐々に高鳴っていった。


「どうでしたかー?今日のサマースペシャルは?」
 DJは苦笑混じりにだけれど、そう言って微笑んだ。
「スペシャルって言うだけのことはあって、ハプニングの連続!もうどうなっちゃうのとか思ったけど…何とか四時間乗り切りました!」
 ぱちぱちと、まばらにだけれど響く拍手。ブースの周りで四時間、ここで起こった全てのことを目撃していた人は、彼女に賞賛の拍手を送っていた。(注*19)
「ありがとうございます。んで、ここ『としまえん』ですけど、今日も夜9時までやってます。みんなも、遊びに来てみてください。ひょっとしたら、今日みたいにすごいことが起こっちゃうかも知れないですよ」
 皮肉ではない。彼女はその顔に、満面の微笑みを浮かべていたのだから。
「それから、ゲストの柚木 園子ちゃんも、結局最後までおつきあいしていただきました。園子ちゃん、本当にありがとうございました」
「いえ。なんか…すみません。私のせいで巻き込んじゃったみたいで」
 ぽりぽりと園子は頭を掻いた。ちょっと責任を感じちゃって、その頬を赤くしている。
 いっつもそうなのよねー…その時にはそうは思わないんだけど…後になって考えると、悪い事したかなぁって。
 けどまぁ──
 ひょいと、園子はその音に顔を上げた。真っ青な空のキャンバスを見つめて軽く微笑む。
 あいつらも相変わらずって感じだったわね。
 DJがキューをだすと、その曲が彼女の声に重なった。
「クロージングナンバーは、村上 遙ちゃんのリクエストです。『今日ここにいた人達は、この歌詞みたいな夏にはならなかったですよね?』と、言うことです。確かにね。本当に楽しいイベントになっちゃいました♪」
 園子の視線を追いかけて空を見上げ、楽しげに笑うDJ。
 白い飛行機雲が、青いキャンバスに白い軌跡を描いていた。
「森高 千里、『Sweet Candy』」


                                    つづく








   次回予告

                         (CV 中野 茂)
 日本に襲来する無敵の耐性を誇るエネミー。
 薄膜の力だけでなく、その甲殻の前に、R‐0の武器は歯が立たない。
 そして、進行を続ける巨大なエネミーに対し、
 為す術もない彼らの前に再び現れたのは──
 東京を舞台に繰り広げられる、熱き闘い。
 二体の巨大ロボットは、果たしてエネミーの進行を止められるのか…
 そして決着の時は──
 次回、『新世機動戦記R‐0』
 『月に一条の光が届く時。』
 月の引力が、君の魂を引きつける──


[End of File]