傾き始めた日は、最後の力を振り絞るかのような暑い陽光を放ちながら沈んでいく。
遠い海の向こうに。
R‐0のパイロット、吉田 一也はその太陽をぼう眺めて突っ立っていた。海を抜ける潮風が、一也の髪を揺らす。右手に握ったホースの先から、ぽたりと滴がしたたり落ちた。
「今日も暑かった…」
ぼそりと呟いて、水をまき終わったNec本部前でため息。
「まったく」
と、ハンガーの出口脇──Nec本部唯一の喫煙所でぷかりと煙草をふかすのは、自称ルポライターの小沢 直樹である。
「こんなに暑い日は、仕事の後に冷たいビールでもきゅっと飲みたいもんだ」
なんて言って、にやりと笑う。
「本部内は禁煙禁酒ですよ」
一也は小沢を軽く睨み付けた。だけれど、小沢の方はひょいと肩をすくめてみせるだけ。
「教授もシゲ君も、隠し持ってるケドね」
なんてさらりと言ってのける。
「でも決まりですよ」
「だからだよ。ダメだからやるんじゃないか。それがいいんだよ」
笑う小沢に、一也はため息。
「また、子供みたいに…」
「僕は『おこちゃま』だからね」
とか言って笑いながら、小沢は灰皿に煙草を押しつけた。
「ま。頭の中身はともかくとして」
「そういう──小沢さんみたいな大人にはなりたくないですね」
一也は小沢に冷たい視線を送って、ホースをドラムに巻き取りながら皮肉っぽく言った。
「でもまぁ──」
と、小沢は笑う。
「君だって十年後には、僕と同い年になるんだよ。いつかは大人になっちゃうんだ」
「別に、僕は大人になんてなりたくないです」
「そりゃ、誰だってそう思うよ」
二本目の煙草に火をつけて、
「だけど、人は嫌でも大人になっちゃうんだよ。時間は進んで行っちゃうんだからね。どうしたって」
ふーっと、夕暮れの迫る空に向かって煙を吐き出す。
「いい大人になるのは大変だよー」
と、口を曲げて笑う小沢。
「小沢さんが言うと、なんか妙に説得力がありますね」
「言うなぁ…」
一也の皮肉に、仕方なしに微笑む。
「でもね、一也君」
ゆっくりと煙草を飲んで、
「いい大人になるのは大変だよ。──本当に」
一瞬だけ見せた小沢のその顔が、一也の目に妙に焼き付いた。
「今を、懸命に生きていく力を持っていなくちゃならないからね」
第十九話 月に一条の光が届く時。
1
鳴り響いた警報の音に、整備員たちがあわただしく動き出す。
「えぃ畜生!もうじき夜勤の連中と交代の時間だっていうのにッ!!」
「オレ、今日デートなんだよ!頼むよ、帰られてくれよ!!」
「ダメだバカ野郎!お前一人いい思いさせてやるかってんだッ!!こっち来い!!」
「ああぁぁああ!せめて電話だけでもーッ!!」
修羅場である。
「エネミーですかっ!?」
と、作戦本部室に飛び込む一也。その後ろに続く小沢は、ちょっとだけ真面目な顔を見せて、入り口脇で立ち止まった。
「やれやれ、デートはお預けかな?」
なんて苦笑い。
「時間がないッ!!」
切迫した声を上げて、R‐0のハードウェア設計者、中野 茂──通称シゲ──は机の上を片手で勢いよく薙ぎ払い、その上に大きな地図をおいた。派手な音をたてて床に落ちていくガラクタたち。
「作戦を伝える!!」
切迫した声を上げるけれど、その顔はちょっとだけ笑っているのである。何故かというと──
「アレって、一回やってみたかったんでしょうね」
冷たい視線を彼に送りながら、さらりと言ってのけるのは村上 遙。R‐0専用輸送機、『イーグル』のパイロットである。
ま、要するに遙の言うとおり、シゲは自分の行動に酔っていたのだ。
「あれ、誰が片づけると思ってるのかしらね」
と、助教授西田 明美は腕を組んで眉を寄せる。もちろんシゲがそんなことを考えているわけがないので、彼は、嬉々とした顔のままで続けた。(注*1)
「エネミーの降下地点は大井埠頭付近の海上だ!ここからなら、目と鼻の先っ!!」
「うむ」
机に座って沈黙を守っていた平田教授が、初めて口を開いた。その顔に、大真面目な表情を浮かばせて──である。
「大井埠頭までは、ここからなら8キロない。エネミーの予想進路上である、品川埠頭迎撃ポイントまで──」
教授はにやりと微笑んだ。
一也は、直感的に嫌なことが起こるに違いないとわかっていた。ああ…教授がまた何か考えてる…だけれど、彼にはどうすることもできないのである。
「速やかにエネミーを殲滅するため、今回は迎撃ポイントまで走っていく」
凍った。教授のその言葉を聞いて、一也は凍り付いた。
え?走る…?
「ど…どういうことですか?」
「なに。単純なことだ」
聞いた一也に向かって、待ってましたとばかりに教授は口許を弛ませて返す。
「イーグルで出撃すると、R‐0のドッキング作業、滑走路の確保、その他諸々で10分近くかかる。これならば、走った方が早い」
「え…っ。でも、だって」
「じゃ、がんばって♪」
なんて言って、ぽんと一也の肩を叩いて笑う遙。完全に他人事である。
「R‐0出撃準備は後2分で終わる。一也君、準備を急ぐんだ!」
と、相変わらず切迫した声で言うシゲ。
「え…でも…」
明美助教授に助けを求めるように視線を送っても、彼女はため息を返すだけ。姉、香奈に至っては一也が視線を走らせても、「なにか?」とばかりに小首を傾げてみせるだけ。
しかも、
「一也、気をつけるのよ」
なんて言って、きゅっと眉を寄せて言う始末。
その顔を見て、一也は大きくため息を吐き出した。わかったよ…やるよ…もぅ…
「わかりましたよ。やりますよ!やればいいんでしょ!走りますよっ!!」
少し悲鳴じみた声で言う一也。なんで僕ばっかり…
「よし!R‐0、出撃だッ!!」
満足そうに叫ぶ教授の声に、一也はさらに大きくため息を吐き出した。
「大変ね♪」
「他人事だと思って…」
一也は口を尖らせて遙を睨み付けた。
「ああそうだ一也君。一つ聞くのを忘れていた」
Nec本部前で立ち上がったR‐0を見上げて、教授はインカム越しに問いかけた。
「何がですか?」
補助モニターの機体情報を確認しながら返す一也。ビームライフルよし、シールドよし、バズーカよし。BSSシステム、オールグリーンっと。
「うん。一也君、君は陸上は得意か?」
「陸上?いや…そんなには…」
ごにょごにょと言葉を濁すところからもわかるように、決して『得意』と言うわけではない。
「それが、何か関係あるんですか?」
と、遙。首を傾げて教授を見る。
「うむ。まぁな…」
教授は考えるように下を向いて、顎を撫でた。
「うーむ…あまり得意ではないか…」
「パイロットの足が早いほうが、R‐0も早く走れるのかな?」
隣に立つ香奈に向かって聞く小沢。だけれど香奈は軽く微笑んで、
「そんなことないですよ」
と、きっぱり。
「多分R‐0の全力疾走は、一也の全力疾走より遅いはずです」
「じゃ…どうして?」
「さあ?」
香奈は首を傾げて、顎に人差し指を当てた。なにも思い当たることはないけど…私の知らない事かしら?
「まぁいい。とにかく、全力で走っていってくれたまえ」
教授は「はっはっはっ」と笑うけれど、一也にとってみればその笑いは、
「ちょっと待ってくださいよ!何かあるんなら、先に教えてくださいってば!」
恐怖に値する物なのである。
「秘密主義はやめてくださいよ!結局最後に痛い目を見るのは僕なんですから!」
「いや、しかしなぁ一也君…人間、知らない方がいい事って言うのも…」
「そんなものは僕が決めます。教えてください」
「うーむ…じゃあ仕方ない」
なんて言った割に、教授はあっさりと一也に向かって聞いた。
「一也君。君、幅跳びで9メートル飛べるかい?」
「飛べる分けないでしょう!オリンピック選手だって無理ですよ!(注*2)」
「そうか、じゃあそういうことだ」
「だからなんなんですか!」
なにが「そういうこと」なんだか、全くわからない。
「世の中、知らない方がいいことが…」
ふっと笑う教授。
「いいから話してくださいよ!急いでるんでしょッ!!」
「まぁな…なーに。簡単なことだよ」
あっさりと、教授は笑いながら言った。恐ろしいことを。
「いやね、東京国際空港のある埋立地から隣の昭和島まで、大体200メートルくらい間が空いているんだが、そこを飛び越え──」
「られる分けないでしょうッ!!」
「大丈夫、R‐0の背中にはジェットエンジンがついてるんだ。理論的にはいける」
なんて、シゲ。
「別に憶測あって計算はしていないけど…」
怖いことを言う。
「シゲさん!」
「おおっ!いかん一也君っ!エネミーが上陸してしまう。予想進路上には火力発電所があるんだ!急げッ!!」
と、教授が切迫した声をあげると、
「行けっ一也君!東京の街を護るんだっ!」
シゲも無責任に同調する。
「やればいいんでしょーっ!!」
自棄になって叫んで、一也は走り出した。土煙を上げ、地響きを響かせて。
「一也も大変ね…」
遙はぽつりと、哀れみを込めて呟いた。(注*3)
「ごっ…ご覧ください」
品川埠頭上空を飛ぶヘリコプターから身体を半分ほど乗り出して、テレビPアナウンサー新士 哲平は眼下に向かって呟いた。
「エネミーです…しかも、あれはまさしく──」
カメラマンのセンちゃんもヘリコプターから身体を乗り出し、エネミーの全像をそのレンズに捉えようと身をよじる。
「ああっ…上陸しますっ!!」
目を見開いて言う新士。盛り上がる海面。流れる大量の海水。海中から現れたエネミーの全像が、今、露わとなった。
「ご覧いただけるでしょうか!あれはまさしく──」
カメラがしっかりとそれを捉える。
「王蠱(オーム)(注*4)」
うごめく甲殻の巨体。その下から伸びる何百という数の足が、アスファルトの地面に無数の穴を開けていく。
「そしてそれを迎え撃つのは──」
ぐいっとパンニングされる画面。そこには、エネミーに向かって駆け寄るR‐0の巨体が映し出されていた。
「くそっ!」
一也はちいと舌打ちをすると、R‐0の加速を増した。右前方モニターで、上陸したエネミーを確認する。上陸したか…でも、都心には近づけさせない!
「とどけッ!」
歯を食いしばる一也。大井埠頭からエネミーの上陸した品川埠頭までの、一五○メートル間をジャンプする。バックパックのロケットエンジンが火を噴き、足元の地面が脚力に崩れて海底に沈んだ。
波打つ海面。R‐0は空中で腰のビームライフルの拘束を解くと、それを手に品川埠頭へ着陸した。アスファルトの地面が砕け、沈む。
「行かせるか!」
FCS Lock。一也の耳に届く小さな電子音。R‐0は片膝をついた姿勢のままで、ビームライフルのトリガーを引き絞った。
「撃ちましたっ!ビームライフルです!!」
閃光に、新士はレポートしながらも片目を閉じた。ファインダーが大光量の光に白く輝き、全ての映像を途切れさせる。
「くっ…」
一也は歯をかみしめた。
ダメか──!?
立ち上がり、再びビームライフルを構えるR‐0。
「ああっ!しかしなんと言うことでしょう!!」
舌打ち混じりの新士の声。やっとの事で映像が回復すると、飛び散る光の粒子の中で、R‐0の方へその頭を向けるように動くエネミーの姿が映っていた。
「あれが『超硬化薄膜』──エネミーの身体を守る、薄膜シールドの絶対的な力なのでしょうかッ!!」
「『超硬化薄膜』か…」
Nec本部、作戦会議室。机に肘をついてテレビPの映像を見ながら、教授はぼそり呟いた。
「まずいな…」
「ですね」
手にしたコーヒーを一口飲んで、シゲも返す。
「R‐0は、薄膜に対しての有効な攻撃手段がないですからね」
「うむ…」
「でも新開発のミサイルがあるでしょう?」
腕を組んでテレビを見ていた明美助教授は、そう言って教授とシゲを見た。その視線に、教授はにやりともせずに返す。
「あれは使えない」
「何故です?」
「リスクが大きい。今R‐0の後ろにあるのは、火力発電所だよ」
「湾岸を、火の海にでもします?」
笑うようにして言うシゲ。もちろん、笑い事ではない。
「じゃあ、どうするんですか?」
目を丸くして聞く遙。だって、それじゃ──
「R‐0、エネミーを倒せないんですか?」
「そうだなぁ…」
考えるように宙を見て、シゲは顎の無精ひげを引っぱった。
「そういうことになるかな?」
「『そういうことになるかな?』…って。そんなこと言わないで、ちゃんと対策を考えてくださいよッ!!」
「わぁああぁっ!わかったから耳元で叫ばないでよ遙ちゃん!!」
顔をしかめて耳を押さえるシゲ。
「そうだな…こうなったら」
シリアス顔に言う教授。もちろん、大した考えなどなく、
「正義の力とか…」
ぼそりと言う言葉に、さらにシゲが続いた。
「フォースとか…」
「ジェダイの騎士じゃないんだからッ!!(注*5)」
遙の怒鳴り声に、二人は次の言葉を飲んだのだった。
「一也君も大変だな…」
と、小沢は苦笑い。
「くそッ!!」
ごうんと響いた振動に、一也はマニュピレーションレバーを握り直した。
「くそ…力は…エネミーの方が上か…」
歯を食いしばる一也。レバーを握る手にも力がこもる。
突進してきたエネミーを受け止めたR‐0のアクチュエーターが、ぎりぎりと悲鳴を上げていた。足元のアスファルトが、R‐0の足形にえぐれていく。
「くそ…」
ちらりと補助モニター視線を走らせる一也。背後を映すモニターには、迫る火力発電所のタンクが映っていた。
押されてる…
一也は、四肢に力を込めた。
「畜生!!」
ビームライフルを手放し、右手首からビームサーベルを打ち出すR‐0。逆手にそれを持ち替え、エネミーの甲殻へと突き刺す。
閃光と粒子が宙に散った。
「くそおぉぉおぉぉ!!」
メインモニターにノイズが走る。コックピットに鳴り響く警報。補助モニターに浮かぶ文字。──ACTUATOR OVERWORK.
「刺されぇええぇッ!!」
大きく振りかぶり、再びビームサーベルをエネミーの巨体へ叩き付けるR‐0。たがそれは、やはりエネミーの身体に突き刺さりはしなかった。
「!?」
エネミーが巨体を揺さぶり、蠢く。さらに強まる力が、R‐0を押す。
「くそっ!刺されよっ!」
一也はエネミーを押し返しながら、何度も何度もビームサーベルを同じ場所へ叩きつけた。けれど、エネミーの身を護るその光の膜の前に、ビームサーベルの粒子は飛び散るばかりであった。
「なんで!どうして効かないんだよ!刺されよ!これ以上は、下がれないんだってば!!」
R‐0の足が、アスファルトともに火力発電所を囲むフェンスを突き崩した。補助モニターから、警告の電子音が響く。
「わかってるよ!」
補助モニターの画面は、いくつもの情報を同時に映し出していた。流れていく、大量の情報。迫り来る背後のタンク。映り込む、ぎゅっと歯を噛み締めた一也の表情。
ACTUATOR TROUBLE──arm's B.
そして──
「止まれよこいつッ!!」
思い切りよく、R‐0は腕を振り上げた。その手に握られたビームサーベルが、一瞬だけ強烈に輝く。
「!?」
そしてその輝きを最後に、光の粒子はそこから消え失せた。
「なっ…!!」
一也は目を丸くした。
アクチュエーターの作動音が徐々に小さくなっていく。腕を振り上げた格好のままで動きを止めるR‐0。
モニターの光が、次々と落ちていく。
「なんでだよ…」
最後に補助モニターに光った文字を見て、一也は光のなくなったコックピットの中でその画面を打った。
「おい!なんで止まっちゃうんだよ!!」
BACKPACK BATTERY & INTERNAL BATTERY is DEAD.
Change NEW BATTERIES.
点滅していた白い文字も、やがて消えていった。
エネミーが動く。
自らを止めようとする力がなくなったのに満足したのだろう。彼は動かなくなった人形を無視して、その進路を再び都心部へと向けた。
ゆっくりと動き出すエネミー。
支えを失い、その場に崩れ落ちるR‐0。
アスファルトの地面は、R‐0を優しく受け止めはしなかった。
響く振動。
R‐0が動きを止めた後には、ゆっくりと動くエネミーの振動だけが、その大地を揺らし続けていた。
「一也?」
遙の声。
「一也?聞こえてる?」
心配そうな、遙の声。
「ん…声だけは…」
暗闇の中で、一也はもそりと体を動かした。
「でも…それだけ…」
小さく返して、一也は額に手を触れた。汗よりもぬめる液体が、その手を赤く濡らす。
「いてぇ…」
「一也!?怪我したの!?」
遙のその声に、インカムの向こうで姉、香奈が取り乱しているのが一也にもわかった。「遙ちゃん!替わって!私に替わって!!」と、遙の肩をばしばし叩いているらしい。
「痛いって香奈さん!」
「大丈夫だからって、言ってやってよ」
一也は弱く微笑んだ。まったく、相変わらず心配性なんだから…
「一也君、大丈夫か?」
「一也!?大丈夫!?どこを怪我したの!?」
重なる教授と香奈の声。
「大丈夫だって」
一也は笑うようにして返して、R‐0がうつぶせに倒れ込んだために不安定になったコックピットシートから、その身体を動かした。塗れた右手で探り当てた非常用コックをねじり、腰の拘束を解く。
「あ…」
重力の力で、一也の身体はモニターの方へと引きつけられた。
ごとんと鳴った音に、香奈が目を丸くして返す。
「一也!?一也!!どうしたの!?」
「だ…大丈夫。シートから落ちただけ」
一也は背中をさすりながら、暗闇の中でそっと目を閉じた。
くそ…何でだよ…
「一也?ねぇ、一也!?」
遙の声が遠くから聞こえる。
くそ…僕の負けなのか?
R‐0は…薄膜を持ったエネミーに…勝てないのか?
「一也!ねぇ、返事してよ!!」
R‐0…勝てない…
でも、それでも僕は──
「僕は──戦うべきなのか?」
そしてそのまま、一也は意識の暗い淵へと落ちていった。(注*6)
[Continued on the Latter Half]