studio Odyssey


第二十話




「ついにこの時がやってきてしまいました!」
 テレビPアナウンサー、新士 哲平は、眼下の街──新宿──をヘリコプターから見下ろして、声を荒げてまくし立てた。
「アメリカはニューヨーク、インドはニューデリー、カーボベルデはプライア。(注*1)各国の都市に直接襲来したエネミーの報告は、今まであまりにたくさん聞いてきましたが、とうとうこの日本の都市にも、エネミーが直接降下してしまいました!」
 ちらりと腕の時計に目をやる新士。
「現在時刻は19時34分。ご覧ください…」
 カメラマンのセンちゃんがぐっと身を乗り出す。その額に玉のような汗を浮かべさせて、彼はごくりと唾を飲んだ。
「暗闇の中、いつものならば無数のネオンがともっているはずの新宿駅周辺…しかし、なんと言うことでしょう…」
 ヘリコプターのローター音に重なる、呟くような新士の声。
「しかし…エネミーは、それすらも一瞬のうちに消滅させてしまいましたッ!!」
 ファインダーに映る、ブラックホールのように真っ黒な空間。円周上に見える赤く不気味に輝くそれは、小さな炎の生み出すそれ。
「直径500メートルほどはありましょうか。中心部に現在エネミーらしきものは確認されていませんが、最新の情報によりますと──っ!」
 新士は何かを続けて言おうとしたけれど、突然上昇したヘリコプターにその舌を噛んだ。何さらすんじゃいボケェ!!と、パイロットを睨む。(注*2)すると彼は、ひょいひょいと親指で南の空を指した。
 ん?と南に視線を走らせる新士。
「ああっ!ご覧ください!!」
 暗闇の空から響く爆音。
「R‐0専用輸送機、『EVR‐ZERO』イーグルです!!」
 ファインダーの向こう、イーグルの白い巨体が、月明かりに弱く輝いていた。


「正体不明?」
 R‐0のコックピット。訝しげに呟いて眉を寄せるのは、R‐0のパイロット吉田 一也だ。
「そんなエネミー、どうやって倒せっていうの?」
 と、インカム越しにイーグルのパイロット村上 遙に聞くけれど、
「そんなの私に聞かれたってわかる分けないでしょ」
 なんて言って、遙は唇をつんと尖らせる。
「もともとエネミーなんて正体不明なものなんだから、細かいことは気にしない♪」
 笑う遙の声に、補助モニターからの電子音が重なった。
「『気にしない♪』…とは言うけどねぇ」
 R‐0の拘束が解かれたのを補助モニターに確認して、一也はふぅとため息を吐き出した。
「いつもそれで痛い目にあうのは僕」
「そ♪私じゃない」
「…笑い事じゃないよ」
 一也のつぶやきは、降下するR‐0のジェットエンジン音に掻き消された。
「がんばってねぇ♪」
「他人事だと思って」
 大地を揺るがす振動とともに、新宿の地に降り立つR‐0。
「…ひどいね」
 一也のつぶやきと、高鳴るR‐0のアクチュエーター音。
「これが新宿?」
 一也はきゅっと眉を寄せて、廃墟となった街をモニターに確認した。
 ほとんど人工の灯りというものが映っていないモニター。ちらほらと見える赤い灯りは、全て自然が生み出す炎という光りだけ。
「中心部の方へ行ってみる」
 腰のパッドにつけられたビームライフルを手に取り、シールドを構えてR‐0は前進を開始した。
「気をつけて」
 という遙の声に、ごくりと唾を飲んで返す一也。
 巨大地震が襲った後のように、無惨にも倒壊した高層ビル群。地下が空洞になっていたせいだろう、中には傾き、自重で崩れているビルもあった。
 足元に落ちた巨大看板を踏み潰しながら前進するR‐0。時折、アスファルトの地面がR‐0の重みに砕けて沈下した。
「…歩きにくいなぁ」
「しょうがないでしょ。東京の地下は穴だらけなんだから」
「わかってるよ」
 一也はつんと唇を尖らせると、目を細めてモニターの向こうを見た。目を細めたからと言って、粉塵の巻き上がった向こうの景色が綺麗に見えるというわけでは、無論、ない。
「中心は新宿駅の方?」
 R‐0の肩の投光器が投げかける光の帯を見ながら、一也はぽつりと呟いた。
「うん。でも、新宿駅よりちょっと手前ね。地下の道路と地上の道路とを結ぶ立体交差があるの、わかる?そこの少し手前(注*3)」
「わかった…」
 本当は遙の言った場所はよくわからなかったのだけれど、(注*4)補助モニターに映る地図を見ながら、一也はこくこくと頷いた。
「じゃ、大通りに出る」
 かなり斜めに傾いたビルに右手をかけ、大通りに身を進ませるR‐0。エネミーが降下したであろう中心部が、その通りの先に見える。
「気をつけるのよ一也」
 遙の、ちょっと緊張した声。
「うん…でも、エネミーらしき影は見えないよ」
 インカムに向かってぽつりと返して、モニターの向こうを再び確認する一也。
 しかし、大通りが途中で途切れて一段低くなっている以外には、そこには目新しいものは何も映っていなかった。
「近づいてみる」
 シールドを構えて、ゆっくりと中心部に近づいていくR‐0。
 アクチュエーターの音だけが、漆黒の闇の中に溶けていった。
 いないのか?
 ごくりと唾を飲んで、補助モニターを見る一也。小さくなる電子音とともに、その表示がサーモグラフィーに変換される。
 温度にも、ほとんど変化なし…
 途切れている大通りの淵にさしかかって、一也は小さくため息を吐き出した。
「なんにもないよ」
 投光器の投げかける光の中で、動くものは何もなし。
 コックピットシートに座り直して、一也はもう一度ふぅため息を吐き出した。
「本当に隕石とか、そういうのだったんじゃないの?」
「報告はそうなってないもん」
 インカムの向こうで遙がぷんと唇を尖らせているのが、一也には容易に想像できた。
「でも、なんにもないってば」
 そう言って、一也は再び淵の中をのぞき込んだ。
 動く投光器の光の帯。
「ほら。なんにも──」
 そこに、動くものは何もなかった。
 ただ、投光器の通り抜けた後に凄まじい熱源反応があるだけだった。
「なにかいる!?」
 補助モニターと正面モニターを見比べる一也。なにが──!?
「なっ──!!」
 それは投光器の光を受けて、強烈な熱を発しながら増殖していった。








 第二十話 首都、消滅。(注*5)

       1

 19時13分。
 衛生軌道上に、エネミー出現。
 目標は静止衛星よりもやや遅い速度で数分間移動した後、下降を開始。
 同19分。東京都、新宿へ降下。
 降下地点より半径100メートル以内の建築物は全壊。西新宿一丁目一帯は壊滅的被害。
 同22分。村上 俊平総理、特務機関Necに『エネミー殲滅』遂行を指示。
 同34分。R‐0搭載イーグル、出撃。
 同37分。R‐0、作戦行動を開始。
 同41分。R‐0、目標降下予想地点にて目標と接触。
 目標はR‐0の投光器の光に反応し、爆発的に増殖。
 同時に、発熱。
 R‐0、ビームライフル、およびビームサーベルにより目標を攻撃。しかし攻撃の有効性は認められず。
 目標はR‐0の右足首を溶解させた後、活動を停止。
 状況、保留。
 20時00分。
 Nec本部。会議室にて──
 第一次対策会議。
「むー…」
 と、唸っているのは平田教授。
「困ったな」
 なんて言って無精ひげを引っぱるけれど、その顔は全然困ったような表情をしていないのである。
「教授、危機感感じてます?」
 とは西田 明美助教授の弁。だけれどそう言う彼女もコーヒーをすすりながらなので、危機感というものはほとんど感じられない。
 それどころか、
「一也、ご飯どうするのかしら」
 なんて言って首を傾げる一也の姉、香奈に至っては、もともと危機感などというものは存在しない。
「どちらにしてもですね」
 会議室の長机の真ん中におかれている小型無線機から、少しノイズの混じった遙の声が響いた。
「R‐0の修理と、このスライムの分析をお願いします。どうも『超硬化薄膜』で護られているみたいなんですけど…」
「修理と言ってもね」
 と、R‐0のハードウェア設計者、中野 茂──通称シゲは頭を掻いた。
「右足、くるぶしより下が融解でしょ。これは、全部取り替えなきゃダメですね」
 ひょいと肩をすくめて、教授の方に視線を走らせる。
「一度、本部に戻ってこさせるか…」
「無理です」
 シゲのつぶやきの向かって、きっぱりと遙。
「だって、立てないんですよ。今だって、ビルに寄りかからせて座ってるんです。イーグルとドッキングなんて、出来ませんよ」
「出張しないと──か」
 ぽりぽりと頬を掻いて、シゲはメモ用紙に部品のリストを書き始めた。
「直すのに、1…2時間はかかっちゃうかも知れませんね」
「うむ…かまわんよ。どうせ我々は現状では何もできない」
 諦めというわけでもなく、あっさりとシゲの言葉に応える教授。事実を事実としてしっかり受け止めるというのは、ある意味学者としては有能な方であろう。
「後は…スライムの分析だったな」
「あ。じゃあこっちは一也に変わります」
 と、教授の言葉に間髪入れずに返す遙。「一也!インカムのスイッチ入れて!」なんて言って一也に向かって怒鳴っているのが、長机の上のスピーカーから、微かに漏れた。
「もしもし?教授?聞こえてますか?」
「おお。一也君。感度良好だよ」
 笑う教授。
「で。スライムについての報告は?」
「報告ってほどのことでもないんですけど…」
 一也はインカムに手をかけると、R‐0の右足にまだ付着している緑色のスライムを恨めしそうに睨み付けた。
「スライムって言う形容が一番で…特に生物的な活動は見られないんですよ。動くわけでもないし、胎動する訳でもない」
「ふむ」
「ただですね──」
 一也は手にしていたマグライトをスライムに向け、そのスイッチを一瞬だけ入れた。
 一瞬の光に、爆発的な勢いで広がる緑色の粘液。巻き起こる煙と熱。一也は身を引いて、思わず片目を閉じた。
「どうした一也君?」
「いえ…」
 ごくりと唾を飲んで、再びインカムに手をかける一也。
「このスライム、光に反応する性質を持ってるんです。光を当てると増殖して、触れているものを融解させながら自らも消滅するみたいなんです」
「化学物質みたいなものなのかしら?光分解とか」
 明美助教授の言葉に、教授はちょっと真面目な顔を見せて言った。
「光分解の意味はちょっと違うぞ」
「わかってますよ。言葉のアヤです(注*6)」
 むすっとした顔で返す明美助教授。
「でもどうするんですか?」
 と、明美助教授が聞いても、
「なにが?」
 教授は何の問題も感じていないかのように、「は?」と首を傾げて見せる。
「『は?』じゃなくって…」
 明美助教授は眉を寄せた。ダメだわ…教授、全然気づいてない。
 ため息混じりに、
「教授。朝までエネミーを放っておいたら、どうなると思います?」
 教授の顔を訝しげにのぞき込んで、明美助教授はぼそりと聞いてみた。
「なるほど…そうか」
 ぽんと手を叩いて、
「朝になればスライムが光に当たって、首都消滅か」
 緊迫感まるでナシに言う教授。
「ああ。じゃああれですね」
 と、香奈も手を叩いて続く。
「今日は徹夜になるかも知れないですから、やっぱり晩御飯は本部で用意した方がいいですね」
 なんて言って、にこりと微笑んだ。


 20時30分。
 『Nec特別前線司令部』を陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内に設置。
 以後、別命のあるまで待機。
「まぁ…会議室でいいとは言ったが…」
 ふぅとため息を吐き出して、『Nec特別前線司令部』内を見回しながら教授が言う。
「首相官邸への直通電話以外、何もないというのもなんだな…」
 と、つまらなそうに言う教授の言葉に、
「他に何かいります?」
 明美助教授がノートパソコンを長机に置きながら続いた。
 教授は目を伏せると、声のトーンを落として言う。
「明美君?」
「はい。私は貴方の助教授です」
 むすっとした顔の教授に向かって、明美助教授はひょいと肩をすくめながら言い返した。
「…台詞は先取りせんでいい」
 と、さらにむすっ。
「そうですか?」
 笑って、ノートパソコンを開く明美助教授。
「んじゃ、僕はR‐0の方へ行ってきますね」
 と、シゲは抱えていた何冊かのファイルを長机の上に置くと、その一番上のファイルだけを手にとって司令部から出ていこうとした。
「ここからなら、新宿までどれくらいで行けるんだ?」
「ここからですか?」
 教授の声に足を止め、
「国道一本で、4キロくらいですから…10分かからないでいけるんじゃないですかね?」
 こりこりと頬を掻きながら笑う。
「渋滞にはまらなければ」
 渋滞なんて、しようはずもない。
 都市部はもう、完全に閉鎖されていたのだから。


 21時00分。
 首相官邸二階、会議室において。
 第一次対策会議。
「今回のエネミー、今現在でわかっていることはこのファイルの通りです」
 と、科学技術庁長官がA4サイズの報告書を手に椅子から立ち上がる。総理府他、関係各省の閣僚、長官たちも彼の手にしているのと同じファイルを手に取るが、化学式や専門用語が羅列された中身を見てみてもわかるわけがないので、
「つまりどういう事だね?」
 閣僚の一人は高級な椅子にため息混じりに座り直し、彼に聞き返した。
「つまりですね」
 眼鏡をひょいとかけ直して、科技庁の長官はファイルをぺらぺらとめくりながら言う
「つまり今回のエネミーは、バクテリアの一種のようなものです。光を受けると爆発的に増殖し、触れるもの全てを溶解していきます。増殖力は約0.51u/g。推定ですが、降下した量は約4トンほどかと思われます(注*7)」
 聞きながら、村上総理は頭の中で計算した。が、もともとあまり高性能な脳を持っているわけではないので、「はて?」と、途中まで計算して首を傾げた。
「すると、2040平方キロは、消滅させられると言うことですね」
 と、さすがは大蔵大臣。(注*8)
「2040平方キロというと…」
 と呟く村上総理に、
「ちなみに、東京都の面積が約2200平方キロです」
 間髪入れずに続く建設大臣。
「東京は、そのほとんどが飲み込まれますよ」
 自嘲するように軽く笑って言う。
「そうか…」
 ファイルをぺらぺらとめくりながら、村上総理はため息をついた。2040平方キロメートルか…
 ファイルを机の上に軽く投げ出して、「東京都は、案外と狭いものだったんだな…」なんてため息。(注*9)
「どうするつもりですか総理?」
 防衛庁長官も、ため息混じりに椅子に座り直した。
「何か手を打たないことには、明日の朝には東京は消滅ですよ」
「わかっている」
 が、これといった手は何もない。
 ──どうするか…
 本人は気づいていなかったのだけれど、彼は小さい頃の癖で、机に肘をついた姿勢のまま、その親指の爪を噛んでいた。
 何か、手は…
「やはり、自衛隊の出動を──」
 押し殺した声で呟く防衛庁長官。
 その声にざわつく会議室。「いや…しかし自衛隊を動かすのは」「ああ…カンボジアの件もあるしな(注*10)」「しかし、本来危機管理体制というものは…」「マスメディアにはなんと言って?」「やはり『災害出動の要請』という形を取って…」
 ざわめきの中から、その声は響いた。
「しかし、自衛隊を出してどうなるというのだね?」
 その声は、閣僚の誰かからであったろう。だが、それは言った本人以外、誰にもわからなかった。
「意見があるのなら、しっかりと責任を持って言ったらどうだ!?」
 キッと、出席者たちに一瞥をくれる防衛庁長官。
「では言おう」
 と、村上総理は片手をあげた。
「出してどうする?手だてもなく、夜が明けるのをまつのかね?そんなことをすれば自衛隊員全員、二階級特進だ」
「しかし──」
「先日のエネミー襲来の際、私の意見を無視して陸自を動かした件、よもや忘れてはいないだろう?」
 総理の言葉と視線に、喉を詰まらせる防衛庁長官。
 沈黙の後に、官僚たちは再びざわめきを始めた。
「では、どうするというのです?総理には何かお考えが?」
 防衛庁長官の舌打ち混じりの声に、村上総理は大きく息を吸った。
「そうだな…」
 考えなどない。
 ため息混じりに村上総理は頭を掻くと、自嘲するその顔を誰にも見られないようにと少し俯いた。
「自衛隊は出す。ただし、それは新宿駅周辺に生存者がいないかどうかの確認のためだ。現状では、それだけだ」
「それだけ──総理、それだけでは困りますぞ!東京都民、皆を犠牲にするおつもりですか!?」
 防衛庁長官は、勢いよく机を打った。たが、村上総理は微かに眉を動かしただけで、彼の言葉に返すことはしなかった。
「やはり、自衛隊を出動させるしかない。エネミー殲滅こそが、最優先──」「しかし、新宿だぞ?日本の中心部だ。そんなところで派手にミサイルを撃つわけにもいくまい」「しかし、やらねばならないだろう!時間はないのだ」「急いては事をし損じる。こういうときこそ冷静に対策を──」
 官僚たちの論議が続く。
 村上総理は、それをただ、聞いていた。
 上目遣いに討論の行く末を見つめてみるが、その落ち着く先はおそらく──
 腕にはめたローレックスに視線を走らせる村上総理。
 秒針は、1分間に60回、止まることなく鳴り続けている。
 耳に入るだけのざわめきと、耳には届かないけれど動き続けている時──それを刻む秒針の音。
「少し、時間をもらおう」
 村上総理は勢いよく机を叩いて立ち上がった。
 ざわめきは、その一瞬だけふっと途絶えた。
 けれど、やはり針は止まりはしなかった。


 21時31分。
 お互いの意思を確認しあって、その電話は切られた。
 同33分。
 首相官邸、Nec特別前線司令部の二カ所において──
 第二次対策会議開始。
「エネミー殲滅を遂行する有効な手段がないのならば、日が昇るまで待つしかない」
 村上総理は口元を弛ませて、はっきりとそう言った。
「しょっ…正気ですか総理!!」
「もちろん」
 と、きっぱり。
 ざわめきに満ちる会議室。村上総理は満足そうに微笑んだまま、続けた。
「無論、ただ日が昇るのを待つわけではない」
「いくら何でも、そこまで無策じゃないよ」
 と、こちらはNec特別前線司令部。
「当たり前です!」
 頬がぴくぴくの明美助教授に睨まれて、教授は小さく咳払いをして続けた。
「エネミーを倒す方法はないけれど、奴は放っておいても、朝日が昇れば自然と消滅しちゃうわけだね?(注*11)」
「それは…まあ」
 と、一也は頬をこりこり掻く。
「だったら、何も急いで対策を考えることもない。自滅してくれるのを待てばいい」
「そんなことをしたら、東京の街が消滅してしまうでしょう!!」
 ばんと机を打って立ち上がった防衛庁長官に一瞥をくれ、村上総理は微笑んだ。
「だから、夜明けまでに防衛線を張るんだよ」
「ぼっ…」
 反論する隙を与えるものかとばかりに、机の上に勢いよく広げられる東京は新宿の地図。
「つまり、すでに壊滅した西新宿一丁目一帯を取り囲むように、ビームシールドを張る」
「ビーム…って」
 息を飲む遙。
「そんなもの…どうやって?大体、効果はあるんですか?」
「理論的にはある──と、思う。今までのエネミーの『超硬化薄膜』にも、ビーム光は反射、もしくは拡散していたからね」
 やや無責任なことを言って、教授は大真面目な顔で頷いてみせる。
「いけるはずだ」
「でも効果はあるとして、シールドなんてどこにあるんですか?──まさか、これから作るなんて!?」
 明美助教授は目を丸くして、教授の次の言葉を待った。だけれど、教授はにやりと口の端をゆるめて笑ってみせるだけ。
「シールドといっても、そうたいそうな物じゃない」
 村上総理は、地図の上に赤ペンで線を引きながら言った。
「R‐0とゴッデススリーの持つビームサーベルを多少改造して出力をあげ、各ポイントごとにリレーとともに配置する。まぁ、簡易結界みたいなものだな」
「これで、エネミーはここより先に出ることは出来ない」
 人差し指を立て、教授は笑う。
「問題は大出力をまかなうための電力だ」
 ふぅとため息を吐き出して村上総理は椅子に座り直した。
「新宿が壊滅したからそこの電力を一部分けてもらう事として──後必要なのは、大体70万キロワットほど…」
「70って…発電機一基分にもなりますよ!」
 「そんな電力、どうやって!?」と続けて聞こうとして、明美助教授ははっとした。発電機、一基分──?
「まさか…」
 言葉を飲む明美助教授。つーと、額を汗が流れていく。
「発電機一基分、ちゃんとあるだろう?」
 そんなことを言って笑うのは世界中でただ二人。
「R‐0には、原子炉があるじゃないか」
 平田教授と、村上 俊平総理。ただ二人である。(注*12)


「総理っ!!」
 首相執務室に入ろうとした村上総理を、その声が呼び止めた。
「なにかね?」
 なんて言って、肩を怒らせて歩いてくる防衛庁長官に笑いかける村上総理。
「正気ですか総理っ!!」
 つばを飛ばすほどの勢いでがなる防衛庁長官に、
「それ以外に手があると言うのなら、聞こう」
 と、彼は背筋を伸ばして聞き返す。
 恰幅は、はっきり言って防衛庁長官の方が優っている。だが、今の村上総理の言葉には、威厳というものが備わっていた。(注*13)
「よろしいですか総理」
 口元をひくつかせながら、長官は身を少しだけ屈め、総理の鼻先に指を突きつけた。
「貴方は曲がり形にも、一国の舵取りをするべき人間だ。それが、どこの馬の骨とも知れない狂科学者の口車に乗せられて、取るべき舵を見誤っちゃいませんか?」
「なるほど」
 村上総理は突きつけられた指を力任せに握りしめ、
「じゃあ長官の意見を聞こう。あるというのならね」
 排他的に言って、彼の手を無理矢理に下げさせた。ない──とわかっていたからである。
 くっと顔をゆがませる防衛庁長官。
「長官、日本国憲法第六十八条第二項を知っているかね?」
 なんて言って、村上総理は微笑んだ。
「なんですと?」
 と、訝しげに眉を寄せる防衛庁長官。
 村上総理は笑いながら、だけれど彼の目を見据えたままで言う。
「『内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる』という項目だ。覚えておいて損はないよ」
 総理の一言に、長官の表情が一瞬こわばった。
 その表情に満足そうに笑って、執務室のドアに手をかける総理。
「総理、一言よろしいですか?」
 探るような長官の声に振り向き、皮肉っぽく笑う彼を軽く睨み付ける。その視線に彼は顔をゆがませるようにして笑うと、周囲をはばかるかのように声を低くして、言った。
「総理。私は貴方が総理であることに、当初から疑問を抱いていた。そして今、それは確信に変わった」
 鼻で笑うようにしてきびすを返すと、彼は、言葉を吐き捨ててその場を去っていった。
「貴方は日本の総理には向いていない」









       2

 22時00分。
 新宿駅を中心に、半径25キロ圏内に特別非常事態警報発令。
 首都圏の鉄道、および公道は、現時刻をもって完全閉鎖。
「もう帰れないね♪」
 なんて言って笑いながら、ホームを出ていく電車に「ばいばーい」と手を振る彼女。
「ほんと、いつも何があっても元気ね」
 ふうとため息を吐き出すのは、彼女の友達の女の子。「まったく…」と息を吸いながら眼鏡をちょっとあげて、駅の階段の方に駆けていく彼女を見る。
「早く!」
 さすがに四人を焚き付けただけあって、さして緊張した面持ちもなく『市ヶ谷』の駅の階段を駆け昇っていく彼女。
「じゃ、オレ達も行きましょうか」
 と、笑いながら歩き出す唯一の男。
「死ぬ時は死ぬ。家にいたってその時が来ることに変わりないんだったら、こういう行動に出るのも悪くないですね」
 彼は頭の後ろに手を組んで、隣を歩く女の子を見下ろすようにして言った。
「それに、彼氏が心配だもんね」
「そっ…そういう訳じゃ…」
 と言葉を濁すけれど、本当はとても心配。
「大丈夫大丈夫♪」
 階段の一番上から届く、先ほどの元気な女の子の声。
「最悪の事態になったって、これで心中できるわけだから」
 なんて言ってけらけら笑う。
「縁起でもないことを言わないの!」
 眼鏡の彼女は、怒ったように言って彼女を睨み付けた。「ひゃぁ!」と悪戯した後の子供のように頭を抱えて逃げ出す彼女。
 四人は、閑散としている駅の自動改札を、笑いながら通り抜けていった。


 当たり前のことだけれど、
「えーっ、どうしてですかぁ?」
 首都圏一帯に特別非常事態警報まで発令されているのだから、一般人を自衛隊市ヶ谷駐屯地内に入れてくれるわけがない。
「大体、君たちなんだ!」
 と、守衛小屋から出てきた男は、四人に向かって怒鳴りつけた。
「危機感がなさすぎるんじゃないか!?首都が消滅してしまうかも知れない事態になっているというのに、避難もしないのか!!」
「…はぁ」
 なんて彼女が曖昧に答えたものだから、
「全く!最近の若者はなんなんだ!!何も考えてない──」
「あのー…」
「なんだ?」
 女の子三人の後ろに突っ立っていた男が声をかけると、守衛は明らかに気分を害したような表情を浮かべて、彼の方を見た──いや、睨んだ。
 唯一の男の彼は一歩前へ踏み出すと、手を組んで、相手を威圧するように背筋を伸ばして言う。
「彼女」
 と、自分の隣に立っていた髪の長い女の子の腕を取って、守衛の前に連れ出す。
「は?」
 守衛は顔をしかめて、その『彼女』を見た。うっ…と、気後れする『彼女』。
「だからなんだ?」
「ふっふっふっ…」
 なんて含み笑いをして、先ほどから一人元気な女の子が言う。
「ここにおわす方を誰と心得るっ!?」
 なんて──
「誰って…誰です?」
 語尾がいつの間にか敬語に変わってしまっていたのを、守衛の彼は自分で気づいていなかった。
「先の副──」
「違うでしょっ!(注*14)」
 男の頭をぱしりとはたき、その女の子は口を曲げて笑うと、
「ここにおわすは松本 詩織嬢♪」
 なんて、胸を張って言った。
「R‐0のパイロット、吉田一也君の彼女にあらさられるぞ♪」


 もちろん驚いたのは、一也も遙も同じだった。
「だって、前に遙言ったじゃない」
 佐藤 睦美は、にこにこ笑いながら遙の肩を叩いて言う。
「『今度Necに遊びにきなよ』って♪」
「…言ったけど…まさかこんな時に来るとは思わなかった」
「私らしいでしょ?」
「たしかに」
 なんて言って笑いあう親友二人。
「迷惑だったかな?」
 と、神部 恭子は一也に向かって苦笑混じりに聞いた。
「睦美がどうしても行こうって言うから」
「いや、迷惑って事はないですよ」
 首を左右に振って、一也は軽く微笑んだ。
「そうだよな。お陰でこうして、愛しの詩織ちゃんと会えたわけだし」
 女の子三人の用心棒という事でついて来たわけではないけれど、唯一の男、吉原 真一はそんなことを言って腕を組んだ。「なっ…何いってんだよ!」「テレんなって」なんて、男二人も楽しそうに笑いあう。
 それを見て一緒に微笑んでいた詩織の耳元で、
「詩織ちゃんて、前から思ってたけど、結構ダイタンよね♪」
 遙はぼそっとささやいた。
「そっ…」
 頬を染めてちょっと俯く詩織を見て「にやぁ♪」と微笑む遙。
「かわいいっ」
 なんて言って、「ふぅ」とその耳に息を吹きかける。
「もっ…もぅ!やめてくださいよセンパイ。こんな所で」
 詩織は顔を真っ赤にして、遙から身を離した。
「その通りだ。公衆の面前でなんてことを──だぞ♪」
 笑いながらそんなことを言うのは睦美。公衆の面前と言うけれど、
「どうせ私たち以外、誰もいないじゃない」
 肩をすくめて言う遙の言う通りだ。
 それはそうだろう。どこの世に、特別非常事態宣言が発令される理由となったエネミーに、最も近いコンビニエンスストアに買い物に来る客がいようか。
 答えはまぁ、言うまでもあるまい。(注*15)
 六人の楽しそうに騒ぐ若者たちを見て、たった一人カウンターに残っていた店員──実はこの店のオーナーである──が聞いた。
「君たち、逃げないの?」
「逃げてよければ」
 なんて言って笑った一也の頭を、吉原が叩く。
「いいわけないだろう」
「痛いなっ!」
「オジサンは、逃げないんですかぁ?」
 と、睦美。どうせ真面目に買い物をしているのは一也と詩織と恭子だけなので、彼女はカウンターにとことこと歩いていって、小太りという形容詞の似合うおじさんに向かって聞いてみた。
「いやぁ…本当は逃げたいんだけれどね。コンビニのシャッターって言うのは、24時間絶対に降りないものなんだよ」
「おおっ。Japanese businessman(注*16)」
 なんて言って笑う遙。
「シャッターを降ろす時は、この店を閉める時って決めたからね…脱サラして、この店を始めて、女房子供にも迷惑をかけた。まぁ国道沿いで、駐車場もあるからそれなりに客は入るし、収入もまぁまぁなんだけれど、24時間営業だから休みはないし、たまの休日には家族サービスをしなくちゃならないし──」
 ああ…長くなりそうだな。と悟った睦美は、無理矢理に話を変えた。
「どうして逃げないのかって聞きましたよね」
「あ…ああ。どうして逃げないんだい?それとも、もう諦めてるの?」
「必要ないですもん。東京は、絶対に消滅しませんよ」
 くるりと振り返って、
「ね♪遙。一也君」
 二人に向かって笑いかける。
「ん?」
 と、一也と遙は顔を見合わせると、
「どうかなぁ?」
 なんて言って、微笑んだ。


「花火買おう!」
 レジをオジサンが打っている最中に、遙がカウンターの向かいの棚を見て言った。
「なんで?」
 なんて、一也が睨みながら聞いても、
「買おう買おう♪」
「うん。買おう♪」
 遙と睦美の結束力に、彼がかなうはずもないのである。
「ヘビ玉?」
「吉原君、真夜中にそんなのやって楽しい?」
「ある意味(注*17)」
「みんなでやるんなら、大きいのにしようね!」
「一番でっかい奴にしよっ」
「本気?」
「だって…センパイ、そんなのどこでやるんですか?」
「駐屯地内」
「もしくは、車通ってないから、道路で」
「本気?」
 こくりと、一也の言葉に遙と睦美は大きく頷いた。


 踊るような足取りで、夏の夜の街を歩いていく六人。
「持とうか?」
「重くない?」
 そんなことを言うのは詩織と恭子。もちろんそんなことを言われているのは一也と吉原の二人。男──遙と睦美の言うところの荷物持ちだ。
「大丈夫っスよ」
 と、吉原。もともと柔道なんてものをやっていた位なので、こんなものを持っても苦にはならない。
「な?」
 なんて、
「まぁ…」
 一也も吉原がそんな風にさらり言ってしまうものだから、苦になっていたとしても何も言えない。コンビニで万券使って、お札のお釣りがなかったのなんて初めてだよ…(注*18)
「ねぇねぇ!星、星♪」
 高層ビルの上に広がる星空を指さして、睦美は楽しそうに言った。
「綺麗ねぇ」
「エネミーの増殖を防ぐためにね。街灯と信号、それにほとんどのネオンの明かりを消しちゃってるから」
「でも、なんかゴーストタウンみたい」
 と、恭子は道の両脇にそびえ立つ黒い影を見上げて呟いた。
「そう?私はこっちの方がいいな」
 鼻歌なんかを歌っちゃいながら、とことこと歩いていく睦美。知ってる歌だったのだろう、遙は睦美と足取りを合わせるようにして歩くと、その鼻歌に重なった。
 数小節歌ったかと思うと、ぴたりと示し合わせたように二人同時に止まって、思わず吹き出す。
「私、ここから先知らない」
「私も」
 なんて言ってけらけら。
「緊迫感ないなぁ」
 楽しそうな二人の背中に向かって、一也は苦笑しながら呟いた。
「なに?一也は緊迫してるわけ?」
「あれ?吉原にはこのみなぎる闘志がわからない?」
「熱でもあるのか?夏風邪はバカがひくって…」
「怒るぞ」
 むっとこぶしを振り上げてみせる一也。「ロープ」とか言って、歩道脇の防護柵に手をかける吉原。
 詩織と恭子は、楽しそうに声を出して笑いあった。
「なーに?楽しそうな話ぃ!?」
 先を行く睦美が、笑い声に振り向いて叫ぶ。
「睦美、近所迷惑ぅ!」
 とか言って叫ぶ遙の声も、夜空に向かってそびえ立つビルに反響していた。
「本当に迷惑になるよ」
 恭子がたしなめても、二人は聞こえているんだかいないんだが…
「ねぇ一也君!前から聞こうと思ってたんだけどぉー!!」
 睦美は、ご丁寧に口に手を当てて怒鳴った。
「何がですかぁ!?」
 たいして離れているわけでもないのに、笑いながら大声で返す一也。隣の詩織が、苦笑しながらちょっと肩をすくめて見せた。
「あのさぁ!エネミーと戦うのって、怖くないのぉ!?」
「怖いですよぉ!!」
 と、一也は睦美の問いに笑う。
 「じゃあ──」と睦美は続けて聞こうと大きく息を吸い込んだ。そこに、一也の声が滑り込んでくる。
「先輩たちは、怖くないんですかぁ!?」
「なにが?」
 素に戻って呟いた睦美の声は、隣の遙にしか聞こえなかった。
「睦美♪」
 遙は笑う。楽しそうに。
「一也の考え方はちょっと面白いわよ。聞き返してごらん」
「ん?」
 睦美はひょいと遙のことを見て、口を曲げた。どういう事だろう…と、向こうから歩いてくる一也たちに向かって、今度は普通に聞き返す。
「ねぇ、どうして私たちが怖いか怖くないかって話になっちゃうの?私は、一也君は怖くないの?って聞いてるのに」
「いや。だから先輩たちは怖いですか?」
 疑問文を疑問文で返さない。とか思いながら、睦美は顔をしかめて見せた。その脇を、一也はとことこと通り過ぎていく。
「詩織ちゃんは、怖い?」
 と、遙。睦美と自分のところで立ち止まった彼女に向かって、軽く笑いかける。
「怖い…って…東京が消滅しちゃうって事がですか?」
「そう。ついでに、自分たちも消滅しちゃうってコト」
「それは怖いって言ったら怖いですけど…でも──」
「そこ。そこがポイント♪」
 遙は詩織の眼前に指を突き立てて笑う。
「怖いケド、でも──でしょ、一也」
 遙の声に「ん?」立ち止まる一也。聞いていたんだかいなかったんだが、
「なにが?」
 とか言ってみんなに向かって笑いかける。
「聞いてなさいよね」
 一也のお尻に向かって、遙は一発ケリをくれた。


「暑い…」
 と呟いて、教授はファックスに目を通すのをやめた。
「クーラーくらい入れればいいものを…」
 恨めしそうに天井に埋め込まれたクーラーを見つめるけれど、
「この辺の電力は、国立病院医療センターを最優先にされてるんですよ。クーラーくらい動かなくても、しょうがないでしょう」
 ノートパソコンの液晶を見つめながら、教授の言葉を気にもしない明美助教授。彼女にしてみればクーラーなんかよりも、ノートパソコンのバッテリーの方が心配なのである。
「外に行って、涼んできたらどうです?」
 ひょいと眼鏡をあげて、笑う。
「多分、今なら花火大会の真っ最中ですよ」


 赤や黄色の光を取り巻く歓声は、初め六つしかなかった。
 しかし、10分もしないうちにそれは一つ、二つと増えていき、気がつけばいつの間にか、そこには人垣が出来ていた。
 もちろん、Necの連中だけというわけではなくて──
 市ヶ谷駐屯地は、エネミー落下地点付近の生存者の救出、民間人の避難の誘導、ビーム結界作戦の準備する自衛隊員達の、ベースとなっていたのである。
 そこで高校生達六人が花火大会が始めれば、「全く何考えてるんだ…」と言いながらも、皆、立ち止まってしまうのであった。
 それにこの彼らこそが、今まで、この日本を護ってきた者たちなのである。
 歓声と、極彩色に輝く光。
 それに照らし出された、高校生達の楽しそうな笑顔。
 それを見ながら、
「いやいや、花火ではしゃぐのなんて、何年ぶりですよ」
 よいしょと建物の入り口の階段に腰を下ろして笑うのは、自称ルポライター小沢 直樹──一也の姉、香奈の言うところの「私の彼氏」である。
「私なんか、花火自体を見たのが何年ぶりかな?」
 そんなことを言って笑うのは、小沢の隣に座っている教授。
「じゃあ、教授もおやりになればどうです?」
 小沢はYシャツのポケットから煙草を取り出すと、一本口にくわえ、教授の方にもすっと差し出した。
「いや。私はいいよ。それにそっちももう止めた。明美君がうるさいんでね」
「そうですか」
 ポケットに箱を戻し、ぽんぽんと体中を叩いて、「あれ?ライターは…」とそれを探すけれど──あるわけがない。
 教授は、小沢の行動に笑って言った。
「さっき、香奈君に渡していただろう」
「ああ…そう言えば…」
 なんて言って苦笑混じりに頭を掻き、口にくわえた煙草をひょいと取る。「どうしようかな?」と一瞬思案するようにそれを見つめて、今度は花火を楽しむ輪の中にいる香奈に視線を走らせた。
「しかし、思い切った作戦に出ましたね」
 教授に向かって言いながら、「やっぱりいいや」と、小沢は煙草をYシャツの胸ポケットに戻した。
「ああ。準備も何とか間に合いそうだ。後は、時間がくるのを待つだけ──と」
 教授の言葉に頷く小沢。
「R‐0の原子炉の方は、動燃、原子力委員会とたらい回しにされたそうですね」
「文句と一緒にな」
「固有安全炉じゃないんですから、文句も言われますよ」
「『BBMK炉を使ってるんじゃないだろうな!』なんてな」
「危ないですねぇ…」
 小沢はもう、苦笑するしか術がなかった。この人…どこまで本気なんだか…(注*19)
「しかし、他に有効な手段はない」
 あっさりと笑って言う教授に、
「それはそうですね」
 小さく頷いて、小沢は立ち上がった。ポケットにしまった煙草を再び取りだして、ひょいと口にくわえて言う。
「何にせよ。明日の朝には、嫌でもこの作戦の結果が出ている──と」
 世界中が注目する中で、結果はどう出るか──ここで目にするのも、悪くない。
 そんな風に思っている自分に、小沢は笑った。
「ま。不安は、彼らにもあるんでしょうけどね」
 はしゃぐ連中を顎でしゃくい、小沢は教授に視線を落とした。
「それはな。だが──」
 一瞬の間をおいて、教授は言った。にやりと、何かを期待するように微笑みながら。
「何もしないで悔いの残る破滅を待つよりは、何かをして悔いの残らない破滅に巻き込まれた方がいい。そう思わんか?」
 ──って。
 教授の言葉に凍り付いた小沢の口から、ぽろりと煙草が落ちた。
「はめ…つ…って?」
 こくりと大きく頷く教授。
「ま。物事は、常に最悪の事態を想定して対策を立てないとという…」
 ふっと笑う教授の後ろから、
「どうせなら、そうならない対策を立てるのにその時間を使ってほしいところですけど」
 眉毛ぴくぴくの明美助教授の言葉が、ざくざくっと突き刺さった。
「いや…明美君。つまり私が言いたいことは…というより、君、何時からそこに?」
「ちゃんと禁煙続けてるんですね。私がうるさいから」
 明美助教授の言葉に、教授は凍り付いたまま動かなかった。
「とにかくも──」
 そう言って、明美助教授は腕を組んだまま大きく息を吸い込むと、
「それでもやるしかないんだけどね」
 明滅する光の中ではしゃぐ若者達に、微笑んだ。


「もうなくなっちゃう」
 ぽつりと、遙は残念そうに呟いた。
「ひと夏の火遊びももうおしまい?」
 なんて、睦美は笑う。
「これだけ盛大にやっておいて、何言ってるのよ」
「とか何とか言って、キョーコちゃんだって楽しんでたくせにぃ」
「まっ…まぁ…それはそうだけど…」
 と、恭子も言葉を濁らせる。
「さてっ──と」
 ぽんと手を打って、遙はにっこり微笑んだ。
「じゃ、最後はやっぱりコレでしょう♪」
 と、隠し持っていた花火をすちゃっと取り出す。
 もちろん隠し持っていたそれは──


「盛り上がらない物を…」
「じゃあ一也、私にちょうだい。もったいないもん」
「やだ」
「けちぃ!」
 べぇっと、遙は子供みたいに一也に向かってあっかんべぇをぶちかました。
 遙が隠し持っていた花火。輪になってしゃがみ込んでいるみんなの手の中で、ぷらぷらと微かな風に揺れているそれは、言わずと知れた『線香花火』である。(注*20)
「…綺麗ですね」
 極弱い橙色の揺れる光に照らされながら、詩織はぽつりと呟いた。
「なんかさぁ」
 睦美もしゃがみ込んだ姿勢で、ぱちぱちと弾ける線香花火を見つめて言う。
「線香花火って、やってると無口になっちゃわない?」
「見入っちゃうよね」
 と、恭子もそう思っていたのだろう。おかしそうに、ぷっと吹きだした。
「なーんか…Nostalgicって感じ」
 ぽつりと呟く遙。両足を左手で抱え込み、顎を膝の上に置いた姿勢でじっと手の先の線香花火を見つめたまま、動かない。
「あ…終わっちゃう」
 弾ける光は徐々に弱くなっていき、やがて、ぽとりと落ちた。
「あ…」
「あんまり耐えてくれなかったね」
「早い男は──」
「睦美、遙」
「ジョークだって」
「ねぇ」
「ノスタルジックとかって自分で言っておきながら」
 軽く睨み付ける一也の言葉に、
「望郷の念──って事は村上先輩、ニューヨークで!」
 そこまで吉原が言えば、後は睦美が引き継ぐ。
「早い男が!」
「いないっ!!」
 「あはははは!」と、笑いに満ちる六人の輪。
「なーんだ。つまんないの♪」
 なんて言ってつんと口を尖らせ、睦美も新しい線香花火に火をつけた。


「もっと…」
 ぽつりと、遙は呟いた。
 線香花火の残りが少なくなるにつれて、どんどん会話の少なくなっていく輪の沈黙を破るように。
「ん?」
 その声に遙の方を見る睦美。だけれど、遙は彼女の視線に気づかないようで、じっと弾ける光を見つめたままで、呟きを続けた。
「もっと、ゆっくり時が動けばいいのにね」
 遙の瞳の中で揺れていた光はふっと消え、砂の地面にぽとりと落ちた。砂に溶け入る水滴のように、その光を失っていく赤い珠。
「そうね」
 睦美はそれだけを返して、軽く微笑んだ。
「ほんと…そうね」
 なんとなく、六人は黙り込んだ。
 遙が新しい線香花火に火をつける。
 それを追う、みんなの視線。
 微かに吹く、夏の夜風に揺れるろうそくの炎。
 線香花火の先端の紙を燃やしつくし、炎は、一瞬だけその姿を隠した。
 ためらいの瞬間があって──
 少し恥ずかしそうに、少女の頬を染めるその色と同じ光を発して、それは輝きだした。
 沈黙に堪えきれなくなった遙がぷっと思わず吹き出すと、他の連中もたて続けに吹き出した。
 誰も理由などよくわからなかったのだけど、みんな、なんとなく何かが可笑しくて、笑わずにはいられなかった。
 笑う輪の中、弾ける線香花火の光。
 遙の手にしていたそれは、最後の線香花火だった。


 翌、4時30分。
 作戦行動開始。
「わかってるわね?」
「寝ぼけちゃいないから、大丈夫だよ」
 と、R‐0のコックピットで目頭を押さえて言う一也。
「どうだか…」
 なんて、まるで見えているかのような遙の声にどきりとした。もしかして、本当に見えてるんじゃないだろうな…と、頭上を飛ぶイーグルをモニターに見て、苦笑い。
 イーグルの遙はインカムに手をかけて、悪戯っぽく微笑んで言う。
「昨晩は彼女もいらしていたことですし、あまりお眠りになれなかったのではないかと」
「怒るぞ」
「それはエネミーに対してでよろしく」
 遙のすっとぼけたような声に、一也は「はいはい」とマニュピレーションレバーを握り直して軽く微笑んだ。
「作戦は先ほど言った通りだ」
 インカムから響く教授の声。市ヶ谷駐屯地内に設置されたNec特別前線司令部からの無線である。多分、教授の後ろには明美助教授にシゲ、それに詩織たちがいるはずだ。
「計算上では5時17分、クレーター中心部のエネミーに直射日光が当たる。これにより、エネミーは爆発的増殖を開始するはずた。その時が勝負になる」
「了解」
 呟いて、補助モニターを確認する一也。「急造仕様だから」と明美助教授が笑ったR‐0の配線図が、白くモニターに浮き上がる。
「保ってくれよ」
 呟いて、通電待機を確認。
 R‐0の右手、本来ならビームサーベルの電源ケーブルが接続されている部分に、いつもの二倍以上もの太さのケーブルが接続されている。「大丈夫。このケーブルなら多分10分は保つ」と、シゲも大真面目な顔で太鼓判を押した一品だ。もちろんその後に、「憶測であって計算はしていないけど…」と続いたのであるが。
「増殖自体はおそらく数分で止まる。それさえ止めれば、後は自然消滅を待つだけだ。R‐0のする仕事は、時間になったら通電を開始すること。いいね?」
「了解」
 右腕から伸びるケーブルは、ドラムに巻かれた延長ケーブルへと続き、その先のビームバリア発生装置につながっている。
 もちろんそれが名ばかりのものである言うことは、専門的知識のない一也にもはっきりとわかった。ビームサーベルの原型が、そのままとどめられていたからである。
「一也?」
「ん?」
 遙の声に顔を上げる一也。
「東の空が、白んできたわよ」
「了解」
「本当に大丈夫でしょうね?」
「いつもと同じ事を聞かないの」
 一也は笑ったけれど、やっぱりいつもと同じ台詞を吐き出した。
「ダメでも、やるしかないんでしょ」
「その通りだけどね♪」
「それでこそ一也君だ。詩織君も、見守っていてくれてるよ」
「何言ってるんですか、教授まで!」
 照れ隠しに笑う一也に声に、インカムの向こうで詩織が睦美や吉原に冷やかされているのが、微かに一也の耳にも届いた。
「では──」
 声を落として言う教授。補助モニターからの電子音が重なる。
「カウント開始」
 小さな電子音とともに、補助モニターに映し出されたデジタル数字がカウントダウンをを開始した。


 傾いたビルの隙間から射す光が、R‐0の頭部を照らし出した。
 白く頭部の角を輝かせ、ゆっくりとR‐0の身体を下がっていく光。
 喉元のモニターカメラを守る黒い強化ガラスが、ギラリと冷たく光る。
 そして、胸、腰、足へと、光はその陰影をはっきりと示しながら、下がっていった。
 補助モニターのカウントの数値に、コンマ秒が加わる。一也はごくりと唾を飲んで、マニュピレーションレバーのグリップを確かめると、そのトリガーに指をかけた。
 R‐0の身体から離れ、アスファルトへと移る光。
 大地をそこに確かめると、光は、その速度を急激に増した。
 光が走る。
 傾いたビルが生む影を引き裂き、クレーターの中心部へと一直線に向かって。
 コックピットに響く電子音。
 補助モニターに映る数字とともに、その時が迫るのを知らせ、ひとつずつ残りの時を減らしていく。
 心臓が、耳のすぐ裏で脈打っているいるような気がした。
 身体が、心拍に揺れているような気がした。
 響く最後の電子音。
 一也は、それと同時にトリガーを引いていた。


 ビーム光が大地すれすれの高さを走る。ビームのエネルギー帯に煙を上げ、蒸発を始めるアスファルト。
 そして、クレーターの中から爆発的な勢いで溢れ出してきた緑色のモノは、全てのものを溶かしながら円周状に広がっていった。
 R‐0の眼前で二つがぶつかり合う。
 二つは、そこに高熱と激しい光を生み出した。
 閃光に片目を閉じる一也。押し寄せる波のごとく映る緑色の物体に、ちいと舌打ち。
「出力をあげます」
 浸食されつつあったビーム光の作り出す結界は、一也のその言葉とともに輝きを増した。
 一層激しくなる発熱と発光。
 生み出された黒煙が、R‐0の視界を奪っていった。


「どう…なってるの?」
 上空から見ていた遙は、ごくりと唾を飲んだ。ぱあっと桃色の光が走ったかと思うと、次の瞬間、その桃色の結界の中心部から緑色の何かが溢れ出して、結界内の全てを覆い尽くしていったのである。
「かず…や?」
 黒い煙が、ビーム光の作り出す線上に立ちこめていた。
 ただ、待つしかなかった。
 ちらりと小さなモニターに視線を走らせる。アップされていくカウント。その赤いデジタルの数字。
 ごくりと唾を飲む遙。
 その耳に緊急警報の音が響いたのは、次の瞬間のことだった。


「どこですか!?」
 一也は叫びながら警報音を止め、
「右!!」
 インカムからの明美助教授の声に、反射とも言えるほどのスピードで駆け出していた。
「トラブル!?」
 切迫した遙の声。
「13番リレー付近で出力が低下してるわ。このままだと結界が破れる!」
「よりにもよって…」
 一也のインカムに、キーボードを叩く明美助教授の声と遙の舌打ちが届く。
「13番…」
 補助モニターにその位置を確認して、一也は小さく頷いた。すぐそこだ…間に合う…
「出力をあげて、R‐0の左手のビームサーベルで補助をします!!」
「止めろ一也君!お約束的展開だが作戦中止だ。(注*21)遙君、R‐0を回収して帰投するんだ!!」
「なっ…」
 教授の言葉に、一也は目を丸くした。
「なんでですか!!帰投なんて──そんなこと出来ませんよ!!」
 怒鳴りながらも立ち止まらない一也。R‐0の右手から伸びるケーブルが、腕を振るう度に激しく揺れ、接点から火花が散った。
「こういう展開になるのがわかっていたから言うんだ。(注*22)近づくのは危険すぎる。R‐0の足が溶解された場合、倒れて一也君も危険にさらされる可能性がある」
「だからって、逃げるわけにはいかないでしょ!!」
 それに、もう13番のリレーは、R‐0の眼前に迫っていたのである。
「ビームの補助をします!!」
 左手首から打ち出されるビームサーベル。右腕の接点からは、火花が散った。
「それに、何をいまさら言ってるんですか」
 教授の言葉に皮肉っぽく笑って、
「危険すぎるって──そんなこと、教授が言えたモンじゃないでしょ」
 13番リレーの脇に腰を下ろして、一也は大きく息を吸い込んだ。
「出力を最大にします!!」
 一也の声に、途切れそうになっていたビーム光が再び一本の線につながる。R‐0の手にしているビームサーベルの光と、一層増した出力に。
「一也君!あなた、自分のやっている事がどれだけ危険なことかわかってるの!?」
 明美助教授の台詞が脅しじゃないことくらい、一也にだってわかった。
「わかってますよ」
「右手のケーブルだって、どれだけ持つかわかった物じゃないのよ?」
「シゲさんは10分は保つって言いましたよ」
「炉心融解の可能性だってあるわ」
 明美助教授の声は本気だった。だからというわけではないけれど、思わず一也は笑ってしまっていた。
 頭にぽっと浮かんだ台詞を、躊躇することなく口に出す。
「燃える展開じゃないですか」
 インカムの向こうで漏れる嘆息と、誰かが指を鳴らす音が二つ。(注*23)
 モニターの向こうでは、光が弾けていた。生み出される熱に、R‐0左腕とアスファルトの地面が少しずつ融解していく。
 立ち上る黒煙が、R‐0の身体を包みこんだ。
「一也!!止めなさいっ!!」
 インカムからの香奈の声。一也は一瞬はっとして、マニュピレーションレバーを握る手をゆるめた。
「一也!?聞こえてるの!?お姉ちゃんの言うことを聞きなさい!!」
「…聞こえてるよ。けど──」
 再びレバーを握る手に力を込め、
「お姉ちゃんの言うことでも、いやなものはいや」
 子供っぽい台詞回しでだけれど、ちょっと真面目な顔を見せて呟く一也。
「ここで僕がどけば、まだ新宿一帯くらいは消滅するよ。お姉ちゃんも、教授も、詩織ちゃんも、みんな一緒に。だけど、そんなの、ここをどくより嫌だから」
 インカムの向こうで、香奈が息を飲むのがわかった。一也だって、『お姉ちゃん』の気持ちが全然分からない訳じゃない。喉を詰まらせて、何かを続けて言おうとする気持ちも、分からない訳じゃない。だけれど、それよりも今は、自分の気持ちを大切にしたかった。
「僕と遙だけ生き残ったって、しょうがないだろ。大丈夫だよ」
 と、大きく頷いて笑う。
「だって、みんなもそう思ってるんでしょ」


 イーグルのモニターでは、黒煙に包まれたR‐0の姿を確認することは出来なくなっていた。
 Nec特別前線司令部でも、明美助教授の持つノートパソコンに映される数少ない情報以外には、何もわからなくなっていた。
 上昇する炉心の温度。ただ時を刻み続けるデジタルのカウンタ。
「もう制御棒を入れないと…シビアアクシデントの可能性が出てきますよ(注*24)」
 明美助教授は、じっと液晶を見つめたままで呟いた。リターンキーを押すだけだ。それだけで制御棒がR‐0の原子炉の核融合を止める。けれど──
「わかってますか、教授。原子炉は止めても、しばらくは熱が出続けるんですよ?その事も、考えて下さいよ(注*25)」
「わかっている」
 キーボードに伸びる彼女の右手を、ぐっと押さえつけて呟く教授。
「でも今やれば、我々は地獄で一也君に何を言われるかわかったもんじゃないよ」
 なんて言って、にやりと笑う。
 明美助教授は、ただ小さくため息を吐き出すことしかできなかった。全く、この人たちは…
 香奈はきゅっと手を握りしめて、ノートパソコンの液晶を見つめ続けていた。炉心の温度を示すメーターが、黄色いゾーンから赤いゾーンにちょっとでも伸びる度に、どきんと心臓が大きく鳴る。
「一也…」
「大丈夫」
 小沢は、そう言って微笑んだ。
「一也君だって、そう言ってたじゃないか。大丈夫だよ」
 ぽんと香奈の肩を叩き、液晶を見つめる全員に向かって、確認するように言う。
「みんなだって、そう思ってるんだろう?」
 誰も答えなかったけれど、誰も否定もしなかった。
 祈るように手を組む詩織。ごくりと唾を飲む吉原。恭子の手を掴んで、それをきゅっと握りしめる、眉間に小さなしわを寄せた睦美。
 ただじっと、液晶に映るカウンタだけを、みんな見つめ続けていた。


 悪くないな…
 なんて、柄にもなく一也は考えていた。
 このまま死ぬんだったら、それも悪くないな。
 電力のほとんどを出力して、モニターの光も落ちていた。炉心の温度上昇、空調もまともに動かない中、コックピットの室温も上昇の一途をたどっている。
 脳味噌まで蒸し焼きにされて、少しぼうっとした頭の中で、よくわからないけれど、一也はそんなことを考えていた。
 ここで死ぬのも悪くない。
 一生懸命やったし、ここで死ぬんなら、それも悪くない。
 そうだ──きっと、みんなもわかってくれる。
 僕は今まで一生懸命やってきたじゃないか。戦って──それで死ぬんなら、ここで死ぬんなら──それも悪くないかもしれない…
 意識が朦朧としていた。マニュピレーションレバーを握る手が、徐々に弛んで来ていた。
 その時だった。
 首筋を、電撃の刺激のようなそれが、駆け抜けていった。
 視界が一瞬、ぱちりと弾け飛んだ。
 遮がかっていた視界が、思考が、その刺激に、一瞬にして鮮明なものへと戻った。
 でも──!!
 強く、マニュピレーションレバーを握り直す一也。
 何を言ってるんだ。
 バカみたいな事を考えていた自分に、思わず口許を弛ませる。
 大丈夫って、そういったのは自分じゃないか。
 でも──って。自分でそう言ってたじゃないか。
 みんなだってそう思ってくれている。だから、みんな言える。笑っていられる。強がって、空元気だとわかっていても、はしゃいでいられる。
 でも──って。
 その後に言葉が続けられるから。
 よくわからないけど、気がつくと、一也は笑っていた。
 消え入りそうになる意識をつなぎ止めるように、一也は答えを決めて、再びマニュピレーションレバーを握る手に力を込めた。
 何も映さないモニターの向こうを見つめて、一也は強く歯を噛みしめた。


「教授っ!!」
 インカムに手をかけて、遙は叫んだ。
「R‐0を止めて!煙が──」
 イーグルのコックピットから眼下の新宿の街を見下ろして、遙は叫んだ。
「煙が晴れてく!!」
 斜めに差す陽光の帯。その光の帯が、吹く風によって散らされる煙の中、少しずつ弱くなっていった。
「教授っ!!」
「明美君」
 そっと呟いて教授が手を離すと、
「R‐0を停止します」
 明美助教授は、すぐさまそのリターンキーを押した。
 香奈が息をのむ。詩織も左手で口を押さえて、眉間に小さなしわを寄せた。
「R‐0は…」
 ぽつりと呟く吉原。恭子の手を、ちょっと強く握り直す睦美。
「R‐0を…確認に向かいます」
 遙はごくりと唾を飲んで、モニターの伝える情報だけを頼りに、R‐0へと近づいていった。
 熱源反応がある。きっと──
 ゆっくりと降下を開始する。──大丈夫──そうは思っているのだけれど、遙の胸を締め付けて離さない不安。
 立ちこめる嫌な静寂と、空気。
 遙は下唇を噛んで、下降用のジェットエンジンを勢いよく噴射した。
 爆風に、不安とともに立ちこめていた黒い煙を吹き飛ばすために。


 遙は、思わず微笑んだ。黒煙の中からちらりと見え、弱く輝いたその頭部の角に。
「…遙君?」
 教授の、探るような声。遙は答えを返そうとインカムに手をかけたのだけれど、咽から言葉がなかなか出てこなかった。
 でも、誰にも悟られないようにと、遙は無理に微笑んで言った。
「R‐0、確認しました!」
 インカムの向こうで巻き起こる喚声と、誰かの小さな嘆息。
「了解」
 笑うようにして言った教授のその声は、遙の耳には届かなかった。遙はイーグルをR‐0の近くに着陸させると、すぐさまインカムを取り外し、外に飛び出していったのである。
 まだ熱を持ったアスファルトが、遙の額に珠のような汗を浮かばせた。くすぶり立ち上る黒煙が、遙をせき込ませる。
「一也!」
 口に手を当て、遙は叫んだ。
 とぎれとぎれに響くR‐0のアクチュエーター音。不規則に鳴るそのアクチュエーター音が、最後の力を振り絞るかのように力強く鳴り響き、R‐0のその身をゆっくりと座らせていく。
 徐々に小さくなっていくアクチュエーター音。R‐0はゆっくりと寝そべるように倒れていくと、ハックパックに搭載した外部電源バッテリーの電力をも使い果たし、疲れ切った兵士にように、その動きを完全に停止させた。
「一也!?」
 焼けるような熱さに顔をしかめさせながら、遙はR‐0に駆け寄った。眼前で開くコックピットのハッチ。ふらりとそこから現れる影。
 ゆっくりと、大地に降り立つ。
「一也!!」
 遙の声に、影は面倒くさそうに片手をあげて答えて見せた。
「ちゃんと生きてるよ…」
「一也ぁっ!」
 気持ちばかりが先走り、もたつく両足に──それだけというわけではないけれど──遙はちょっと眉間にしわを寄せた情けない顔を浮かべて見せた。
 だけれど、そんな顔は本当は誰にも見られたくない。たがら、彼女は影が顔を上げるよりも先に、彼に向かって飛びついた。
「あ…?」
 くらっと揺れた自分の身体に、一也は小さく呟いた。よくわからないけれど一瞬の浮遊感があって、次に思い切り背中を地面に打ち付けたような痛みが走った。
「いっ…!」
 顔をしかめて、はっと自分を押し倒したモノを見る。だれけど、ちょっと茶色い髪がそのかすむ視界に入ってくるだけで、ぎゅっと胸に顔を押しつける彼女の表情は、彼には確認できなかった。
 少しかすむ目を擦って、
「遙?」
 一也は探るように小さく呟いた。
 何かを返すように、少しだけ揺れる茶色い髪。さらりと流れたそこから、微かに香った懐かしいような香りが、思考能力の落ちた一也の脳に、はっきりと残った。
「…重いよ」
 ぽつりと、一也は空を見上げて呟いた。
「…そんなことないもん」
 顔を上げずに、遙は不満そうに言って一也の頭を軽くこづいた。
 一也は痛くもないのに「いてっ」と軽く呟いて、ただ苦笑した。
 顔を上げない遙をそのままに、一也は小さくため息を吐き出して、高い高い夏の空を見上げて呟いた。
「今日も暑くなりそうだね」


                                    つづく








  次回予告

(CV 吉田 香奈)
 暁の空に流れた星。
 Nec本部の眼前、東京湾に落ちたその小さな流星は、
 果たしてエネミーであったのか。
 出動要請にたたき起こされ、不満を漏らしながらNec本部へと走った一也と遙。
 二人がそこで見たものは──
 現れなかったエネミー。
 消えた二人。
 戦慄の情報と、
 作戦本部に鳴り響いた電話。
 そしてそれを取ったのは──
 次回、『新世機動戦記R‐0』
 『使者。』
 お見逃しなく!


[End of File]