studio Odyssey



ただ、『望む』なら──


「スピット──」
 魔女の声にかき消されてしまうほどに弱い、騎士、フレックスの声。
 震える鼓膜に、スピットは顔を上げた。
「俺は、ここにたどり着くまでの間に、ずっと考えていたことがあるんだ──」
「──魔女を、封印すること…か」
「ああ…」
 渾身の力を込めて、フレックスは右手の剣を握りしめた。
 握りしめられた。
 握りしめることが、出来た。
「俺たちより前に魔女を封印した巫女は、命を落とした」
 剣を握りしめることは出来た。
 騎士、フレックスは最後の力を振り絞る。あとは──立ち上がること。
 この命、尽きようとも、立ち上がること──「俺はずっと考えていた──」
「巫女と共にあった、『護る者』は、彼女を『護って』死んだんだろうか」
 足が震えた。
 身体に力が入らない。
 入らないけれど、ただひとつのことくらいは出来ると思った。立ち上がること、それくらいのことは、出来ると思った。
「俺は──違うと、今なら言える気がする」
 気配に、魔女は静かに振り返った。
『──静かにしていれば、苦しまずに死ねたかもしれないものを』
 その視線の先で、騎士が、ゆっくりと剣を正眼につけている。
「お前に、答えて貰いたいことがある」
『やはり、お前たちの息の根を、先に止めなければならないようだ』
 騎士、フレックスは剣の先に魔女を見据え、渾身の力を込めて叫んだ。
「ハナからわかってんだろ!俺も、前の奴と同じで、死ぬまで戦ってやる!!」
 今なら、違うと言える気がする。
 誰も、命を賭してなんて、そんなことは望んじゃいない。それが運命でも、俺たちは『覚悟』を決めて、最後の最後まで、その『運命』に立ち向かってみせる。はるか古の昔の巫女とそして護る者が、きっとそうしたように。
 フレックスは剣を握り直す。
 魔女が左手のアピを突き放し、その手を彼に向けてかざした。
『そしてまた、無駄に命を散らすのだ』
 魔女の左手に、闇の魔力が収束する。
 倒れた二人の巫女が、その光景を見て、目を見開く。ひとりの巫女が、強く、叫んだ。
「フレックス!!」
 魔女の手から、一条の閃光がほとばしった。
 スピットは目を見開いた。
 騎士の唇が、何事かの言葉を紡ぐ。握りしめられた剣が、強く、その言葉に呼応するように輝く。
 そしてその輝く刃を──フレックスは力の限りに振り下ろした。
 自らの身体に迫る閃光に向けて、渾身の力で、強く、強く、すべての次元を突き破るかのような、雄叫びと共に。
 それが何かは、よくわからなかった。
 ただそれは、直接脳に響くような声で、そしてその響きは、古の失われた呪文のような響きで──迸った閃光に打ち抜かれた騎士の身体が、宙を舞っていた。
 それは、呪文。
 魔導士はその呪文を知っている。
 虚空を斬った剣の閃光が、その空間の向こうに、蒼い光を呼びだしていた。
 魔女が、光のない窪んだ目の奥に、驚愕の色をみせていた。
『貴様ら──!?』
 それが何かは、よくわからなかった。
 ただ、魔導士は、自分に出来ることはひとつしかないとわかった。動け、動け──動け!
 渾身の力を込めて、魔導士は叫んだ。
「動けッ!!」
 全身の肉が震え、骨が軋んだ。
 立ち上がる──駆け出す。
 騎士の身体が自分の真横を、舞い落ちる木の葉のそれと同じような速度で抜けていく。弱く、細い声が鼓膜を揺らしたけれど、魔導士はそれに小さくうなずきを返しただけで──蒼い光の向こうに右手を伸ばした。
 甲高い音が響いた。
 板金鎧に身を包んだ騎士の身体が、大地にどうと倒れ込んだ。
 ついで──スピットが右手を突き入れた、その蒼い光を生む空間の裂け目から、大地を揺るがす轟音が響いた。
『魔壁を砕いたのか!?』
 魔女が、あふれんばかりの蒼い光に、じりりと後ずさる。
「──フレックスっ」
 その一瞬の隙をついて、ユイが立ち上がって駆けだした。「ユイさん!?」アピの声が続く。
 駆けだした彼女の目に映っているのは、ただ一点。
 祭壇の上。
 弱く輝く、エンペリウム。「魔女を──!」
 彼女の声が響いた。
「封印します!!」
 魔女が、声を荒げて叫んだ。
『その石に触れるな!!』
 魔女は素早く左手を祭壇の巫女に向けてかざす。
 咄嗟、翡翠色の髪を揺らして、もうひとりの巫女が祈りの言葉を発した。「ヒール!!」魔女の左手が聖なる力にはじかれる。狙いを外した、その手から生み出された五つの精霊球が、闇雲に飛び交い、壁面をうち崩した。
 封印の巫女は、そっと目を伏せた。
 そして『運命の石』に手を伸ばし、最後の呪文を唱えた。
 生み出された光が、闇を裂く。
 魔導士はその光の中で、確かに何かを掴んだ。


 轟音が響いた直後、静かな地底湖の水面から無数の光の柱が立ち上ったのに、その場にいた者たちは皆、目を見開いた。
「なん──」
 翡翠色の髪の剣士は突然の出来事に目を丸くする。剣を引き抜き身構えるが、振るうべき対象がわからずに困惑する。
 そこは、封印の祭壇があった場所。
 駆け抜けた轟音が残したうなりと共に、地底湖から立ち上る光は数を増し、その輝きを強くしていっていた。
「エンペリウムが──」
 相棒の聖職者が、その輝きを見つめながら小さく呟いていた。
 昼のそれのような輝きが、その場に居合わせた者たちを照らしていた。何故それが輝いたのか、しっかりと説明できる者など、その場にはひとりとしていなかった。
 魔剣士ウォンが、小さく、つぶやいていた。
「──壁の向こうに手を伸ばしたか」
 ウォンは静かに目を伏せた。
 光の正体は、彼にも、想像の域を出なかったが、耳に届いた轟音の正体が何かは、彼にはわかっていた。
 それは魔壁が破られた音。
 何者かが、魔界とこの世界とをつないだ音に、他ならなかった。
「時代がまた、ひとつの終わりを迎えようとしている」


 汝、名は──?
 スピットはその光の中で、確かに何かを掴んだ。
 掴んだ何かが、激しく手の中で震えている。誰かの声が、切り裂かれた空間の向こうから聞こえてくる。汝は、何故、我らを求める?
 覚醒の石、ミョルニールの石板、魔法書も持たず、印なき汝が、何故に我らを求める?
「スピットさん!!」
 耳に届いた現実の声に、スピットははっとした。
 祭壇の上、光に包まれた巫女が、呪文の合間に自分を呼んでいた。
「魔女を──魔女を封印します!もうこれ以上は、誰にも、どうすることも出来ないから!!」
 肩越しに振り返る。祭壇に、アピもまた、駆け上がっていた。
「待て!アピ!!ユイさんっ!!」
『お前たちなどに、再びあの闇に戻されてたまるものか!!』
 魔女が吼えた。
 スピットはその闇の力に、思わず顔をしかめた。
 空気が激しく震撼する。
 闇の魔力が、その不死の身体に集まっていくのがわかる。咆哮と共に、不死の身体が、収束する力に大きくなっていく。
「くそったれ…!」
 蒼い空間の中に突き入れた右手を、握りしめたそれと共に、スピットは引き抜こうと引っ張った。だが、手の中で強く震えるそれは、びくともしない。
「なんだよ、ちくしょう!」
「スピさん!魔女を封印します!!」
 アピの声が届いた。
 振り返る先、『運命の石』に手をかざす、二人目の巫女。
 二人の巫女の呪文が高鳴ってゆく。輝きが、強くなっていく。
「アピ!!」
 スピットは叫んだ。
 汝が望むものは──なんだ?
 封印の祭壇の上、封印の巫女は、もうひとりを巫女を見て、呟いた。
「アピ…さん」
「ユイさんが命を賭けるのなら、私も賭けましょう!」
 もうひとりの巫女は心強い言葉と共に微笑むと、小さく頷きながら、軽く言い放った。
「そうしたら、もしかしたら、半分こですむかも知れません」
 だから、彼女も細く微笑んだ。
「──そうね」
 汝、いかなる力を望む?
『させてなるものか!』
 闇の力をまとい、巨大に膨れあがった魔女が振り上げた手の上で、紅蓮の炎が渦を巻く。『貴様ら全員、永劫の闇に落ち、己が無力さを嘆き続けるがいい!!』
 それは地獄の業火。すべての命の灯を飲み込む、闇の炎。
 間に合わない──スピットは強く奥歯をかみしめた。
 汝、何故、我を欲する?
 紅蓮の炎を見据える魔導士の頭に、声が響いていた──
「ごちゃごちゃ──」
 だから、スピットは闇を見据えて右手を強く握りなおした。手の中で震えるそれを押さえ込むように強く、強く。そして──「うるせぇんだよ!!」引き抜く。
 お前が誰かなんか、知らない。
 お前に、力を与えて貰おうなんて思わない。魔女を倒すとか封印するとか、どうだっていい。
 ただ、望むなら──騎士の言葉が脳裏をよぎる。封印の祭壇。両手をつけた騎士が、力の限りに叫んだ声。「俺は──だめな騎士だ。誰ひとりも救えやしない──覚悟なんて言葉を使っても──」
 ただ、望むなら──
 「優しい子だ」ぽつりと、小さく呟いた老人の言葉。「自らの『運命』を知りながらも、皆のために尽くす──ユイは、本当に優しい子だ──」「私の命は、いいんです!」「覚悟は──」
 ゆっくりと目を開き、アピが言った台詞が、脳裏をよぎった。「出来ています」
 ただ、望むなら──
 闇を裂いた空間の向こうから、蒼い光を引き抜き、魔導士は力の限りに魔女に向かって叫んだ。
「その優しさとかを裏切るような奴は、男の子じゃねぇだろ!!」


 闇を裂いた空間の向こうから、蒼い光をまとった一振りの杖が姿を現した。
 それは古木の枝によく似た、一振りの杖。
 握りにも、柄にも、なんの装飾もない、ただの木の杖。唯一の装飾といえば、杖の先に埋め込まれたひとつの翡翠。枝のそれのように分かれた先端部分の間に、包み込まれるようにして輝く、小さな魔晶石。
 切り裂かれた空間が、急速に収束し、姿を消す。
 迸る蒼い光が、杖とそして、それを手にした魔導士を包み込んでいた。
 巻き起こる風の渦の中、声が響く。
 汝──名は?
 魔導士は杖を振るった。蒼い光が、激しい風を呼び起こす。薄汚れた帽子が宙に舞った。
 翡翠色の髪が、その風の中に踊っていた。
 魔導士は力の限りに叫んだ。
「俺は、パーティ、プロンテラベンチのリーダーにして、ギルド、Ragnarokのマスター!」
 魔女が呪文の最後を結ぶ。地獄の業火が襲いかかる。巻き起こる紅蓮の炎が、すべてを飲みこまんと、猛り狂う。
「世界の果てを──Ragnarokの向こうを目指す冒険者──スピット!!」
 そしてスピットは杖を振り上げ、迫り来る地獄の業火に向け──その向こうの魔女を見据えて──呪文を唱えた。
 杖が応える。
 光の中に巻き起こった風の渦が、巨大な魔法陣を生み出した。魔法陣はすさまじい速さで風を飲み込み、空間に雷を迸らせる。
 風に巻かれた炎が、杖の生み出す魔力に飲み込まれ、姿を消した。
 魔女が、光のない目の奥に、自らの不死の魔力を越えるそれを映す。
 一瞬の──静寂。
 風も音も、時間をも。
 すべてが消え失せた、一瞬の静寂。
 きんっと、その杖に埋め込まれた翡翠の魔晶石が震えた。
 振り下ろされる杖。
 魔導士の呪文の最後が、再び時を呼び込んだ。
「ロードオブ──ヴァーミリオン!!」
 光が、圧となって駆け抜けていく。全ての音を飲み込んで、全ての色と物質すらも飲み込んで、辺りを一面を、真っ白に吹き飛ばしながら。


 爆発が洞窟を揺らす。
 スピットは杖を手に振り返ると、「アピ!」巫女たちの待つ祭壇へと駆け上がった。
 絶え間ない爆発が続く空間を、地鳴りと共に亀裂が走り抜けていく。はがれ、落ちる岩壁に、降り注ぐ石つぶて。倒れ、砕け散る燭台にすべての光が消え失せ──残る光は、祭壇の上の『運命の石』が放つ光。
 その光を受けて、アピが叫んでいた。
「スピさん!魔女を封印する、最後の呪文を!!」
 雷の力が弾け続ける空間の中、不死の力に包まれた魔女が、最後の力を振り絞るようにして、闇に向かって吼えあげた。
『させぬ!お前たちなどに──!!』
 その身体を、一振りの剣が貫いた。
 爆心にいた魔女の身体が、ゆらりとゆれた。
 剣を投げた男に気づいた巫女のひとりが、声を上げていた。「フレックス!?」
「スピット!!」
 祭壇へ騎士が駆け上がってくる。そして騎士は躊躇なく、『運命の石』に手を伸ばした。二人の巫女が目を見開いたが、騎士は薄く笑うだけで、続けた。
 光が二人の巫女を、そして騎士を包み、
「これで、三分の一だろ?」
「──お前らは、アホだ」
 最後の魔導士の身体を包んだ。
「どうせ、冒険者が寿命を全うできるわけがねぇ」
 絶え間なく繰り返される爆発に、洞窟の至る場所が崩れていく。
 しかし、降り注ぐ岩盤の塊にも、スピットは笑いながら、言った。
「野郎ども──」
 右手の杖を、スピットは強く握りなおした。
「『覚悟』はいいか!?」
 光と風が、冒険者たちを包んだ。


 スピットは呪文の最後を結ぶ。
 それは、魔導士たちの使うものでもなく、聖職者たちの祈りの言葉でもない。古文書に記されているような古めかしい響きと、独特の雰囲気を持つ──失われた魔法のそれ。
 遥か昔──千年の昔に使われた、封印の呪文。
 命を賭して戦った『護る者』と、命を賭して、平和のために戦った『巫女』の耳に届いたのと、同じ呪文。
 千年の後、その真実の歴史を知る者たちは、それを偽りの平和だと伝えている。
 しかし今、千年の時を越えてその場所に立つ、二組の護る者と巫女は、信じている。
 今、自分たちのいるこの時に、偽りはない。
 それはたぶん──千年の昔に、この場所にいたふたりと同じ。
 同じだと、信じている。
 世界のほんの片隅で、強く強く響いた声に、世界のすべてを照らすほどの光が、強く、走り抜けた。
 すべての闇を飲み込んで、すべての偽りを吹き飛ばして、すべての覚悟を受け止めて、光が闇を駆け抜けた。魔女の断末魔が響く。
 闇は、幾億もの塵へと、その姿を変えた。
 風が吹き抜けていく。
 光の前に塵となった闇をさらい、すべてをかき消すように、風が吹き抜けていった。


 世界を駆け抜けた光は、封印の洞窟で輝いていたすべての光をもさらっていった。
 封印の洞窟にいた騎士団の誰もが、その一瞬に目を見開いていた。
 ひとり、魔剣士ウォンだけが小さく頷き、大地に差した魔剣を引き抜くと、軽く振るうと共にその剣の存在を魔界に返していた。
 ウォンは小さく、静寂の中に呟く。
「終わったようだ」
 翡翠色の髪の剣士が、その言葉にはっとして、彼を見た。
「終わった?」
「魔女の脅威は去った。私がここにいる理由は、もうないな」
 ウォンは軽く微笑み、歩き出す。
 剣士が彼の言葉を理解するのには、少しばかりの時間がかかった。
 それは駆け抜けた光に、その思考までもが止められていたからだと思った。一瞬遅れて彼は振り返ると、騎士団の皆に向かって力の限りに叫んだ。
 握りしめた剣を、強く突き上げて。
「魔女を倒した!我らの、勝利だ!!」
 遅れて──洞窟に歓喜の声が渦を巻いた。
 魔剣士、ウォンは微笑む。
 大地を、そして空間を揺さぶる歓声の中、彼は弱く微笑んだ。
 今は──この勝利に、素直に喜ぼう。
 しかし──ウォンは小さく呟く。
「またひとり、剣に選ばれた」
 東の空から登りはじめた朝日が、洞窟に差し込みはじめていた。
 光の帯の中、ウォンの小さな声が、歓声にかき消されるようにして響いていた。
「次の、Ragnarok──その時までは」