studio Odyssey


P.S.P.D - 02


       

「さて」
 通報よりわずか数分の後には、TNB本社前は駆けつけた数十台のパトカーと覆面パトカーによって、周囲を完全に取り囲まれていたのであった。
 飛び降りた警官隊が、均整の取れた組織的な動きで包囲網を作る。出入り口を完全に封鎖し、本社内にいた社員達の避難誘導をし始める。
 その景色を遠巻きに見ながら、白と黒とに塗り分けられたバンの運転席から降りてきた男は、
「係長が人質に取られたって?」
 ぽんと手を打って言った。
「困ったな」
 と、その台詞が困った風に聞こえなくて、バンのサイドドアを開けて降り立った女性は、「はぁ」と小さくため息を吐き出した。
「本当に、困ってるんですか?」
 言ったのは、制服に身を包んだ婦人警官。矢部千里巡査。
「困ってるよ」
 と、返したのは先の男。こちらは私服のスーツ姿で、甲斐幸輔と言う。
「困ってないよ。その言い方は」
 言いながら、千里に続いてバンから降りてきたのは、その甲斐よりも背の高い婦人警官、大木優香巡査。
 優香は窮屈なバンの中からやっと降りられたというように背筋を「うーん」と伸ばし、
「ま、ともかくも、係長だけでも助けないとね」
 彼女も軽く、言う。背筋を伸ばしながら言ったもんだから、その時に彼女が張った胸が、少し窮屈に見える制服の中で柔らかく形を変えていた。
「係長だけ──と言うわけにはいかないだろう」
 助手席から降り立った、40代初めの歳の頃を思わせる男が、苦笑いに続いた。
「課長だって、人質にされているんだろう?」
 若い仲間達に振り向いて言うのは、三田進一巡査部長。
「係長だけ、助けるというわけには行かないだろう?」
「じゃ、それはついでと言うことで」
 言いながら、甲斐はバンの後部ドアを開ける。
「ついででも、助けてもらえるだけ、幾分かはマシ」
 甲斐の開けた後部ドアの中から、笑うような声が返ってくる。バンの後部、コンピューターや通信機器がいっぱいに詰まったその中にいた、麻生愛子巡査の声である。
「係長のハンドベルドPHSと、オンラインになってます。一応、中の状況を知れるのは、これだけですね」
 愛子が言うと、
「よし、こんなところで時間をかけてもしょうがない」
 三田がTNB本社ビルに視線を走らせながら、バンの後部に歩み寄ってきて続けた。
「突入作戦を考えよう」
「相手はPSを装備してるって?」
 と、甲斐。バンの中の愛子に向かって聞く。
「はい、アトラスを改造したものが3体。あと、自作のものが1体と係長が言ってます」
 愛子はインカムを右手で押さえつけながら、甲斐の言葉に答えた。
「アトラスって?パワータイプだっけ?」
 言ったのは千里だ。隣にいた優香が、腕組みで曖昧に頷く。
「たしか」
「おい、それでもPSの専門家かよ」
 甲斐は二人のやりとりに眉を寄せて言う。
「そうは言っても、甲斐さんほどの専門家じゃない」
「私は、別にPSの専門家じゃない。私は刑事になりたいんだもの」
 むすっとした顔で千里と優香。
「パワータイプだよ」
 三田が苦笑いに二人をたしなめる。
「しかたないなぁ」
 眉を寄せて──軽く口許を弛ませながら──甲斐が「アトラスは」と前置きして、説明し始めた。
「2年前に発表された、パワータイプの大型工事用PSだよ。最大240kgのものまで持ち上げられる。もちろんリミッター搭載型だから、腕部、脚部、共にゆっくりと動かさない限りはこのパワーは発揮されない。けど、低価格と高操作性がウリで、ベストセラーになった奴だ。ちなみに、PO-TEC社製」
「また、甲斐さんのところの会社製じゃないですか」
 と、千里。
「あ、だからまた、犯罪に走ったんだ」
「だからだ」
 優香、愛子が軽く言って頷く。
「失敬だぞおまえら。うちの会社は、PS業界、70%のシェアしてるの。多くて当たり前だっての」
「だから、警視庁に目、つけられてるんだよな。はっはっは、まぁ、気にすんな」
「三田さんまで何言ってんですか!?」
「いや、深い意味はないよ。がんばれ、出向社員」
「え?左遷社員?」
 笑って言う千里。「きっ」と甲斐に睨まれる。
「お…」
「で?もう一台は自作だって?」
 気づいて、話の腰を折ったのは優香。
「らしいよ。情報処理系だって」
 バンの中でキーボード相手に言うのは愛子。
「問題なし。どこの馬の骨とも知れない奴の作った自作マシンに、僕の作ったPSが負けるはずがないさ」
 甲斐は笑いながらひょいと肩をすくめて見せた。ので、千里に言われた。
「甲斐さん、その自信はどこから来るの?」
「あ?信用してないの?」
「相手は、一応PSのリミッターも外せるみたいだしねぇ」
「じゃ、お前なんてパワータイプに殴り飛ばされちゃえ」
「ああっ!?女の子をいたわらない発言!許せないっ!!」
「女の子?」
「あっ!セクハラ対象的発言!」
「突入の作戦を決めましょう」
 甲斐と千里のやりとりを無視し、優香は三田に向かって言った。三田はバンの中の愛子に向かって、
「社内の状況をモニターしてくれ」
 言う。
「社内のホストコンピューターのアクセス権は、向こうに奪われているみたいですね。こっちからは状況をモニターできません」
「かまわない。やれ」
「じゃ、やりまーす」
 笑いながら、愛子は矢のようなスピードでキーボードを叩き始めた。超法規的措置として自由にハッキングができるこの仕事を、愛子は実に気に入っていた。
「おお、強敵ですー」
 言いながら、眼前にあるいくつもの薄膜モニターにちらちらと視線を走らせる愛子。
「奴ら、何かコピーしてますね。あ、これがeMのセキュリティーコードですね」
「阻止しろ。コピーを終わらせるな」
「はーい」
 言いながら、愛子は唇をその舌で軽く濡らした。目尻が、微笑むようにすっと細まる。
「麻生巡査が時間を稼いでいるうちに、突入して犯人逮捕だ」
 振り返り、三田は優香と千里に向かって言った。千里はまだ甲斐と言い合っていたが、それでも彼女はちゃんと聞いているだろうから、三田は彼女に注意を向けるようにとはいちいち言わなかった。
 実際に、
「地下の警備員用エレベーターは壊されてるって?」
 千里はちゃんと聞いていたらしく、甲斐との言い合いの隙をついて聞き返してきた。
「はい」
 モニターから視線を外さず、愛子。
「システムがダウンしている関係からも、社内の電気系統の半分は停止しています。他のエレベーターも使用不能ですから、唯一動いているエスカレーターを使って、3階まであがっていってください」
「TNBの建築データはダウンしといたはずだ」
 と、甲斐。
「確か、1階、2階は吹き抜けになってる。3階の大会議室へは、エスカレーター2本でいけたはずだ」
「よし」
 三田はぱしと手を打って、言う。
「麻生巡査は指示通り、犯人達から社内ホストのアクセス権を奪え。甲斐くんはここで突入部隊の情報サポート。突入は、私と大木巡査がパワータイプで、矢部巡査が情報処理タイプで突入する」
「はいっ!」
 三田の言葉に、千里、甲斐、優香、愛子の4人が敬礼で返す。





       

「まだ終わらないのかよ!」
 いらだちを顕わにして、『野郎』が言う。そのついでに彼が壁を打った物だから、PSを身につけた彼の拳に、鉄筋の壁がべこりとへこんだ。
「なんか、急に遅くなったんだよ!タスクが回ってこないのか?」
 ノートパソコンのモニターを見つめながら、『はっか』は呟く。
 『管理者』も彼のところに歩み寄って、そのモニターを覗き込みながら言った。
「どうやら、警察側が僕らにコピーをさせまいとしているらしい」
「失敗デすか?」
 と、『wow』。
「冗談じゃない!」
 続いたのは『野郎』だ。
「オレは、この計画が絶対だって言うから参加したんだ!この期に及んで失敗だなんて、認めねぇぞ!!」
 言いながら、『野郎』は『B-man』に掴みかかろうとする。が、『B-man』はその『野郎』にトカレフの銃口を向け、
「静かにしろ!」
 その撃鉄を音を立ててあげた。「うっ」と気後れして『野郎』は立ち止まる。
「まだ失敗と決まった訳じゃない。計算以上に、コピーに時間をとられることになっただけだ」
 ゆっくりと撃鉄を戻しながら、『B-man』は言う。それに、『風切り』が続く。
「『B-man』の言うとおりだ」
 『野郎』に歩み寄りながら言う『風切り』。
「コピーに、予想以上の時間がかかってしまったことになったのは事実だ。どこかで時間稼ぎをしなきゃならない。警官隊が踏み込んでくるだろうからな」
「こっちには、PSがある」
 言ったのは『管理者』だ。
「生身の人間なんて、PS装備者の手にかかれば、赤子同然だよ」
「でハ、私が時間稼ギに?」
 と、『wow』。
「いや、どうせ、ここには戦闘能力のない奴らしかいない」
 言いながら、『風切り』は会議室の隅を見た。
 大会議室の隅には、人質となった会議出席者達が集まっている。その前には、トカレフを持った『B-man』、PSを身につけた『wow』が立っている。
 人質となった者達は、静かに、事の行く末を見守っていた。ただ一人を除いては──
「PS装備者が一人いれば、ここは問題なく制圧できるでしょうね」
 『管理者』が言う。その声は、彼女の左手につけた腕時計型PHSを通り、TNB本社前に集まっていた6人のインカムに届いていた。
「まぁ、生身の人間が、PSにかなうわきゃないわね」
 と、インカムからの声に呟く優香。
「この人、リーダー?」
 聞くのは千里だ。
「いや」
 甲斐の声が返ってくる。
「リーダーはこの人」
「そうだな。よし──」
 と、インカムの向こうでする『風切り』の声。
「ここには、『wow』と『はっか』、それに『管理者』が残ってくれ。オレと『野郎』と『B-man』は外に出て、時間稼ぎをしよう」
「まずは、この3人が相手になるというわけだ」
 インカムからの声を聞きながら、三田は言う。
「一応、PS装備者の2人は、私と大木巡査で押さえる」
「それでも、場合によっては臨機応変に」
 笑いながら言ったのは優香だ。
「で?場所はどこで?」
「『B-man』、警官隊は、突入してくるのならどこからだ?」
 『風切り』の言葉に、『B-man』は返す。
「エレベーターは全部とまっている。階段の可能性もなくはないが、遠回りになるからな。きっと、正面玄関から、2階までの吹き抜けのエスカレーターを使ってくるだろう」
「よし、ならそれで行こう。階段の方は『野郎』にまかせる。エスカレーターの方は、オレと『B-man』で」
「わかった」
「よし」
「『管理者』こっちはお前に任せる」
「ああ、任されたよ」
 インカムの向こうで、人の動く気配がした。
 どうやら、3人は大会議室を出ていったようである。
「さて」
 そう言って、甲斐はぽんと手を打った。
「どうしますか?」
「どうもしない」
 と、返したのは優香だ。
「こっちも行きましょう」
「正面きって?」
 一応、千里は優香に聞いてみる。
「当然」
「あ、トウゼンですか…」
「よし」
 三田も語気を強くして言った。
「行こう」
「正面きって?」
 一応、甲斐も三田に聞いてみる。
「もちろんだ」
「あ、モチロンですか…」
 はっきりとした二人の物言いに、千里と甲斐ははため息を吐き出してみる。そして、それとともに小さく、呟く。
 二人、ほとんど同時に。
「係長…やっぱりいてくれないとなぁ」
 大会議室で、超小型イヤホンを耳に入れていた係長、柏木三菜警部は笑いを堪えるのに必死だった。


 TNB本社、正面玄関へ向かい、先頭を三田が行く。
 機動隊とほぼ同様の装備を身につけ、腰から伸びたケーブルの先には、一体のPSが装備されている。ちょうど、タワータイプのパソコンと同じくらいの大きさのそれ。足下にはキャスターがついていて、音も立てずに三田の後ろに続いてきている。
「いつも思うけど──」
 と、普段はしないフレームなしの眼鏡をひょいとかけて、それを見つめながら千里。
「PSって、掃除機引っ張ってるみたいだよね」
 隣を行く優香に向かって言う。
「警察上部の隠語で、P.S.P.D.は『掃除機屋』って言うんだって」
「いい、それ。イケてる。ぴったりだ」
「不名誉なことだと思わないの?」
「だって、PSって、掃除機じゃん」
「まぁ…」
「だけど、掃除機レベルにまで小型化した、その技術力の進歩をわかってもらいたいね」
 千里のインカムに聞こえてきた声は、甲斐の声だ。彼と愛子は元々バックアップなので、作戦行動に参加はしない。
 つまり、TNB本社を包囲する警官隊の中で、「あーだこーだ」と言っている訳なのである。
 男のくせに、女の子を戦線に出すんだから、ずるいよな──と思いながら眼鏡をあげて、
「ま、でも機動隊と同じ格好しなくていいだけ、いいけどさ」
 つんと口を尖らせて千里は言う。ちなみに、彼女は三田と違って制服姿のままだ。だけれど、本来交通課辺りでならホイッスルのついているところに、ホイッスルの代わりにPSのケーブルコードがついていたりするわけで、で、もちろん、彼女の後ろには可愛い『掃除機』がついてきているのであった。ちなみに、それは優香もだけれど。
 インカムの向こうで、
「あのなぁ、それ。フルオーダーメイドなんだぜ。ちょっとは、誇らしく思ってくれよ」
 ため息混じりに甲斐は言った。
「思ってるよ」
「嘘臭い」
 千里の言葉に、甲斐は間もなく返す。ので、千里も間もなく返した。
「私は、ネットワーク犯罪課で仕事がしたかったの!なんで、PS着て、格闘しなくちゃならないの!」
「んなこと言ったら、オレだって、本社勤務に戻りたい!」
「私、刑事課いきたーい」
 続いたのは優香だ。
「私は刑事になりたくて警官になったんだから」
「んー…」
 キーボードを叩きながら笑う愛子。
「何でもいいや。楽しいし」
 愛子の言い方に、
「──ま、ね」
 優香はひょいと肩をすくめて見せた。
「何でもいいから──」
 三田は苦笑いに、TNB本社の正面玄関の回転ドアに右手をかけた。ホストコンピューターが落ちているせいで、その回転ドアはすでに停止し、生身の人間の力では押すことも引くこともできない状態になっていたのである
 三田はそこに右手をかけたまま、あとに続く部下二人、千里、優香に向かって言った。
 すぅと大きく息を吸い込んで、
「行くぞ」
 右手を思いきりに前へと突き出す。
 回転ドアが、軸から外れてガラスを辺りに飛び散らせた。





       

「来たぞ!正面玄関から来やがった!」
 1階ホールの方へ顔を出して様子を探っていた『B-man』が叫ぶ。彼がいるのは2階。1,2階の吹き抜けを登ってくるエスカレーターの脇だ。
 回転ドアを割り、ホールの中へはいるなり、千里は自分のつけた眼鏡のレンズに映る情報に顔を上げた。
「2階、エレベータ脇に人影!」
 三田と優香が千里に続いてそこに視線を送る。千里のPSのCCDカメラが、その場所をズームアップする。眼鏡のレンズに映る男の姿。銃を手にした『B-man』の姿。
「右手に銃器!」
 言いながら、千里は走る。優香、三田も千里の声に左右に分かれて走った。
「くそっ!」
 『B-man』は展開した3人に照準を迷わせて、銃を撃てずに舌を打った。
「『風切り』!何してんだ!!『野郎』!速くこっち来い!!」
 ホールに『B-man』の声が響く。
 ホールの柱の陰に隠れて、千里はインカムに手をかけた。ついでに、眼鏡のテンプルに触れて表示モードを切り替え、右足でPSをつつーと柱の外に押し出す。
「目標発見」
 レンズの内側に表示されるPSの捕らえた映像と、そのデータ。それを見ながら千里は言う。
「所持している銃はトカレフ一丁。他には、特に目立った金属反応なし」
「PSは装備してないのね?」
 返ってくる優香の声に、千里は見えない場所だけれど頷きながら返した。
「この人はPSを装備してないね」
「じゃ、そいつが『B-man』だ」
 と、甲斐の声。
「PS装備者が出てくると面倒だ。千里、さくっと片づけちゃえ」
「簡単に言うな」
 思いっきりきっぱりと言う甲斐に、千里も思いっきりきっぱりと言ってやった。
 それを耳にして、三田は軽く笑いながら言う。
「よし、行くぞ」
 まず、そう言ってから、
「矢部巡査は『B-man』を銃で牽制。私と大木巡査が同時に飛び出し、エスカレーターをあがって彼に詰め寄る」
 二人の返事がインカムに返ってくるのを耳にして、三田はカウントをとった。
「3、2、1──」
 「ゼロ」のカウントよりも速く、柱の影から肩を軸にしながら千里が飛び出す。服の内から抜いたS&W(スミス・アンド・ウェッソン) M49ボディーガードのレーザーサイトが、『B-man』との距離、照準誤差を一瞬のうちに計算し、眼鏡のレンズ内に映し出す。
 LOCKを確認し、千里がトリガーを引くのと「ゼロ」のカウントとが重なった。同時に、優香と三田が柱の影から飛び出す。
 銃声。インカムから聞こえてくる、「はい、始末書一枚目」の甲斐の声。
 かまわずに、千里は2度目のトリガーを引いた。
 『B-man』が身を逃げ込ませた壁に、跳弾の火花が散る。
「くそっ!何してんだ!!」
 言ったのは『B-man』ではない。彼の脇を駆け抜けていった、『風切り』である。
 風切りは言いながら飛び出すと、下りのエスカレーターの方へと走った。
「接近されたら、お前なんて死ぬぞ!」
 上りのエスカレーターからは、優香と三田が駆け上がって来ていた。
「死ぬ気か!?」
 『B-man』は言ったけれど、『風切り』は止まらなかった。彼は知っていたのである。日本の警察官は、何があっても決して人を撃てないと言うことを。そしてそれは、PSの補助によって命中率98%以上を誇るP.S.P.D.のものであっても──だ。
 舌打ちをしながら、千里はトリガーを引く。『風切り』の眼前の床に跳弾の火花が散ったが、彼は足を弛めなかった。
「優香!PS装備者急速接近!」
 千里の警告に、優香は唇をきゅっと結び、顎を引いて身構える。
 隣り合うエスカレーター、上りと下り。そのエスカレーターの動きと、その上を走るPS装備者。相対する二人の距離が、一気に縮まっていく。
「はッ!」
 先に『風切り』が、エスカレーターを何段分か飛び降りるようにして肘打ちを優香に向かって繰り出して来た。とっさに身を引き、その肘をかわす優香。
 『風切り』の肘の作り出した風圧と優香のとっさの動きに、優香の制服の丸形帽子が飛ぶ。はらりと、ピンで留めていた優香の髪が宙に躍る。
「三田さん!先に!!」
 肘をかわす格好──エスカレーターの片側を開けた格好──のまま、優香は言った。視線は下っていくエスカレーターの上の『風切り』から外さない。
 頷き、優香の脇を駆け抜けていく三田。『風切り』が下りエスカレーターから上りエスカレーターの方へと飛び移り、優香に向かって駆け上がってくる。
 優香は身構えた。この男が何かの武道の有段者だろうという事は、今の一撃ですでに十分にわかっていたからだ。
 優香は呼吸を整え、
「やッ!」
 駆け上がってくる『風切り』に向かい、左で蹴りを牽制に繰り出す。牽制とはいえPS装備者同士。直撃を食らえば骨の2,3本は砕けるほどの勢いだ。だが、手を抜けばこちらの方が不利になる。
 優香の蹴りをかわし、『風切り』は一瞬足を止めた。
 動くエスカレーターの上と下、優香と『風切り』が対峙する。


 エスカレーターをあがりきった三田は、壁に隠れていた『B-man』を視界の隅に捕らえ、
「銃を捨てろ!」
 と言いながら『B-man』に向かって詰め寄った。
「くそっ!」
 『B-man』の銃口が三田に向けられる。が、彼は機動隊と同様の装備だ。基本的に、防弾装備である。
「無駄だぞ!」
 三田の言葉を無視し、『B-man』はトリガーにかけた指に力を込めた。対象の筋肉の萎縮を感知し、三田のPSがインカムに指示を出す。同時に、三田は左手に大きく一歩踏み出していた。
 一瞬前まで三田がいた場所の少し後ろに、跳弾の火花が飛ぶ。
 三田は舌を打つと、彼の手の中のトカレフに向けて手を伸ばした。
「神妙にしろ!」
 言いながら三田がそのトカレフを掴むのと、『B-man』がトカレフを手放すのと、ほとんど同時だった。『B-man』はトカレフを手放し、一目散に3階へと登るエスカレーターの方へ向かって走り出す。
「待て!止まらんと──」
 とっさに奪ったトカレフを『B-man』の背中へと向ける三田。だが、照門と照星とが重なるよりも速く、彼の耳を刺激した電子音声に、彼はその場を飛び退いた。
「うおぉぉおおぉ!」
 別方向から雄叫びとともに突っ込んできた『野郎』が、手にしていた消化器で三田のいた空間を薙ぎ払った。リミッターを解除したPSの有り余るパワーに、『野郎』は消化器を壁にめり込ませた。ひび割れる壁、一瞬遅れて消化器が破裂し、辺りにもうもうと白い煙をまき散らす。
 白い煙の中でゆらりと揺れた影に、三田は身構えた。


「エスカレーターの上と下、これじゃ、お前の方が不利だろう!」
 一瞬口許を弛ませ、言いながら、『風切り』は再び肘を繰り出した。優香と『風切り』、その距離は身を引けばかわせる程度の距離だったが、はっとして、優香は一段階段をあがってその肘をかわした。遅れて、『風切り』が肘を伸ばして拳の裏で優香のいた空を叩く。
「そうかもね!」
 同じように口許を弛ませて返しながら、優香は右足を斜め前へと蹴り上げる。タイト気味のスカートが、ぷっと小さな音を立てたけれど、優香にとってそれはいつものことだった。
 その音に気づいたのか、一段下がりながら軽く笑ってかわす『風切り』に、優香も軽く笑いながら、蹴り上げた右足で一段階段を降り、その勢いに右のこぶしを突き出した。
 拳の直撃から身を守るようにかざした左腕で、『風切り』は優香の右手を弾く。
「いい腕だ」
「ええ」
 優香は満面の微笑みで言う。
「趣味がお花と、お琴と──空手を少々なもので」
 と、言い終えるのと同時に、弾かれた右手を勢いよく引いて半回転し、右足を後ろへと高々と蹴り上げる優香。先に鳴った音のお陰で自由度の上がったしなやかな足が、勢いよく振り上げられる。
 予測していたものよりも速かった優香の蹴りに、考えるよりも速く身を引いた『風切り』は、下げた右足が、あるはずの地面に触れなかったのに気づいて、視線を落とした。
 とっさのことに、彼は忘れていたのである。ここがエスカレーターの上──階段になっていることを。
 右足が一段分、かくんと落ちる。当然、『風切り』のバランスが崩れる。
 はっとして彼が視線を戻したときには、
「別のところに注意がいってたのかな?」
 と、彼の肩口に優香の右足がかかっていたのであった。
 彼女は微笑みながら、
「とーう」
 『風切り』の肩を押すようにして、蹴り飛ばした。『風切り』の身体を包む浮遊感。PSのパワーの乗ったその押し出しに、『風切り』は、落ちたのである。
 上りエスカレーター──2階への吹き抜けを登っていく、長いエスカレーターである──その、全段を。
 音を立てて。
「男っていやね」
 肩をすくめて言いながら、優香は内股が顕わになるまでにあがったタイトスカートを戻していた。


「うおおぉぉぉお!」
 白い煙を破って、『野郎』は三田に向かって殴りかかった。
 三田は『野郎』の動きを真っ直ぐに見、冷静にその振りかぶるようにして繰り出してきた拳をかわした。
「くそっ!」
 冷静に身をかわした三田に、舌を打つ『野郎』。
「そうか──」
 三田は『野郎』の装備するアトラスの腕部プロテクターを見て、呟くようにして言った。
「アトラスは、しっかりと拳のプロテクターがあるんだな」
 鉄骨などを運ぶ用途に使用されるPSには、安全靴ならぬ、安全拳がなるものが基本的に装備されている。落下事故などから使用者の拳を守るためのものであるが、その装備は、この大型工事用PSアトラスにも、例外なく装備されていた。
「そんな物で殴られたら、いくらPS装備者でも、骨折じゃすまないぞ」
 笑って言う三田に、
「うるせぇ!こっちは、もう1人殺してんだ!!」
 わめくようにして言い、『野郎』は体勢を立て直して、再び三田に殴りかかった。小さくため息を吐き出して、三田は壁を背にし、彼の拳が繰り出されるのを待った。
「今度こそ食らえッ!!」
 かわす気のないそぶりを見せる三田の顔面に向かい、『野郎』は真っ直ぐにこぶしを突き出す。が、言うまでもなく、三田はその拳をかわした。自分に当たる直前に、すっとしゃがみ込むようにして。
 『野郎』が、視線だけで三田を追う。PSのパワーに任せて繰り出した彼の拳は、彼にコントロールできるだけの威力を、優に越えていたのであった。
 三田は踏み出した『野郎』の足を真正面から払う。『野郎』は身を崩して、そのまま、拳を突き出した格好のまま、壁に向かって突っ込んでいった。
 鉄筋コンクリートの壁にヒビが走る。轟音とともに舞う、コンクリートの煙。
 三田は思わず目を細めて顔を背けた。
「やれやれ…ここまで上手く行くとは思わなかったな」
 『野郎』は拳を壁に突き刺した格好のまま、気を失っていた。まるでギャグ漫画で壁に突っ込んでいったキャラクターよろしく──である。





       

「ダメだ!計画は失敗だ!」
 大会議室に駆け込んでくるなり、『B-man』は言った。
「じき、奴らはここまで来る!今ならまだ逃げられる!逃げるぞ」
 一気に勢いに任せて言う『B-man』に、『wow』は出口へ向かおうした。が、
「今逃げてどうする」
 その足を『管理者』が止めた。
「今逃げたら、わざわざここに来た意味がなくなるだろう。『はっか』、あとどれくらいでコピーは終わる?」
「わ…わからないよ。ホストがこっちの言うことを聞いてくれないんだ。くそっ!どうなってるんだ!!」
 額に汗しながら、『はっか』はキーボードの上に指を走らせていた。しかし、もう冷静でいられないのか、彼もミスタイプが増えてきているようだった。苛立たしくバックスペースキーを叩く回数が増えてきている。
 『管理者』は大きく息をついた。
「所詮は子供だな」
 誰にも聞こえないように呟き、『はっか』に歩み寄る『管理者』。
「どけ」
 そして、『はっか』のノートパソコンに自分のPSから伸ばしたUSBケーブルを繋いだ。
「人質を見てろ」
「あ…ああ。わかった…」
 呟き、『はっか』は懐からトカレフを取り出す。
「大丈夫ナノですか?」
 PSの補助のもと、ノートパソコンのキーを叩く『管理者』の背中に向かって、『wow』が聞いた。
「大丈夫なわけあるか!」
 返したのは『B-man』だ。大会議室前の卓に歩み寄り──その途中で『はっか』から銃を奪い──『管理者』の頭に銃を突きつけて喚く。
「聞け、『管理者』。計画は失敗したんだ!オレはこんなところで捕まって、警察のやっかいになって、一生を棒に振るのなんてごめんだからな!オレの言うとおりにしてもらおう!」
 そして、『B-man』はゆっくりと撃鉄をあげた。
 眼前の光景に息を呑む『はっか』と『wow』。そして、大会議室の中に捕らえられた、人質となった人々。
 がちりと鳴って固定された撃鉄の音に、『管理者』は笑った。眼前のモニター、そして、PSからの情報が表示された強化プラスティックタイプ片眼モニターからの情報に。
「何を今更──」
 笑ったまま、『管理者』は言う。
「この計画を言いだしたのは君だろう?絶対の計画だって。今更、止めるだって?おいおい、そんなバカな話はあるかい?」
「黙れ!『風切り』がやられたんだ!あとの命令はすべて俺が出す!お前が従わないと言うのなら仕方ない──」
「残念だなぁ」
 言って、『管理者』は首を左右に振った。
 『B-man』がトカレフを撃とうとして、人差し指に力を入れたのが、人質となって状況を見ていただけの三菜にもわかった。そして、そのあとに起こるであろう事も、彼女には容易に予想できた。
 はっとして、
「よしなさい!」
 と、叫ぶようにして言いながら人質となった者達の前へと一歩を踏み出す。
 『B-man』がトリガーを引くよりも速く、彼に向かって振り向いた『管理者』が、彼の頭蓋を横殴りに弾き飛ばしていた。彼の情報処理系PSなら、銃を撃とうとして筋肉が萎縮するのを事前に察知することなど、実にたやすいことなのである。
 薄膜モニターに飛び散った赤い破片。その破片の元がついていたところをなくした人の身体が、ゆっくりと床に崩れ落ちる。
 『管理者』は笑い、言った。
「今のは正当防衛だろう?」
 人質の矢面に立った三菜に向かい、肩をすくめて見せながら。


「──最後警告をします」
 三菜は大会議室に残った『管理者』『はっか』『wow』に、順に視線を走らせながら言った。制服の内ポケットから、警察手帳を、ゆっくりと取りだして。
「殺人、及び強盗未遂、器物損壊、その他もろもろの現行犯で、あなた達を逮捕します。無駄な抵抗はやめなさい」
「これは──頼もしい女性も中にはいたものだ」
 『管理者』はそう言って笑った。警察の制服を着たもの──特に男──は、他にいくらでもいる。のに、自分たちに向かって警察手帳を差し出して、一番初めにそう言ったのは、自分と同い年くらいの──まだ30かそこらの──美しい女性だったのである。
「命は、無駄にしない方が身のためです。まだ、女盛りでしょう?」
 『管理者』は微笑みながら、三菜に向かって言った。
「ええ」
 三菜も微笑んで、警察手帳の1頁目を開く。そこには三菜の顔写真と、配属先が書かれていた。
 そしてそれを『管理者』達に見せつけるようにして彼女は続ける。
「ですけれど、あなた達のようなPSを犯罪に使う人を逮捕するのが、私達の仕事ですので」
 三菜の言葉に、『はっか』と『wow』の顔色が変わった。
 『管理者』が、三菜のことを初めて睨むような目つきで見た。
 三菜はその視線を受けながらも、微笑みを絶やさずに言う。
「私、警視庁特殊車両1課科学強行班係──通称で言うのなら、P.S.P.D.──の、柏木三菜です。さて──」
 ぱんとその手帳を閉じて、三菜は彼らに告げた。
「では、最後警告です」