studio Odyssey


P.S.P.D - 03


       

 不意に、『管理者』の耳に付けたイヤホンが、彼に事態の急変を伝えた。
 はっとして『はっか』のノートパソコンへ視線を走らせると、彼が押さえていたホストコンピューターの数々のアクセス権が、何者かに次々と奪われていっていた。
「あんたらか!?」
 『管理者』が三菜を睨む。
 が、
「PSを装備したあなた達に対し、我々はPSを用いての逮捕行為を強行します」
 三菜はかまわずに、最後警告を続ける。
 『管理者』は彼女を無視してキーボードに手を伸ばしたが、彼のスピードでは、相手の人間離れしたスピードには、かなうはずもなかった。
「PSか!」
 ばんとノートパソコンの乗った卓をうつ『管理者』。モニターに、奪い返されていくアクセス権が次々と表示されていく。
 三菜は彼の背中に向かい、最後警告を続ける。
「その際、その逮捕行為が格闘にまで及んだ場合、最悪の場合は、あなた達の身体的損傷、及び、生命の損傷も保証もしかねます」


 千里は眼鏡のレンズに映る情報に、軽く口許を弛ませた。
「愛子、やったね」
 インカムの向こう、愛子が笑うようにして返してくる。
「余裕ってやつ?」
 楽しそうにリズムに乗ってキーボードを叩く愛子。「花道をつくってあげよう」なんて彼女が笑いながら言うと、千里達の歩く廊下の灯りが彼女たちの歩速に合わせて点灯していった。
「いいねぇ」
 天井に点灯していく蛍光灯を見て、優香は笑う。


「近づいてくるよ!」
 ノートパソコンを覗き込み、『はっか』はあわてふためいて言った。
「どうするんだよ!」


「甲斐さん、会議室内の情報を」
 インカムに手をかけ、優香。すぐさまに、そのインカムに甲斐の声が返ってくる。
「今、係長が規定通りに最後警告中。そっちはどう?」
 歩速を弛めずに、三田が答えた。
「今、大会議室の入口が見えた」
「壁越しに、状況をスキャンします。愛子、そっちでデータ解析してもらえる?」
「了解、もう暇だからいいよ」


「黙れ!」
 ついにしびれを切らした『管理者』は、床に落ちたトカレフを拾い上げ、その銃口を三菜に向けた。
 三菜の後ろの人質達が、みな驚愕の声を上げて後ずさる。
「こいつ殺して、逃げればいいだけのことだ!!」
 語気を荒げる『管理者』に、
「最後警告、終わり」
 三菜は小さくため息を吐き出して、言った。
「警告を聞き入れないのですね?」
「そんなもの、聞き入れるか!」
 『管理者』がトリガーにかかる指に、ゆっくりと力を込めた。


「室内には、PS装備者が2人、1人はアトラス、もう1人は自作機。そして一人は生身です」
 愛子が返してきた室内データを、千里が読み上げる。
「よし。パワータイプは私が、自作機の方は大木巡査が、矢部巡査は残りを」
 真っ直ぐに前を見たままに言う三田の言葉に、
「了解」
 優香は大きく息を吸い込んで返す。
「了解」
 千里も、眼鏡をつっとあげて返した。


「了解」
 インカムからの3人の声を耳にして、
「さて」
 甲斐はぽんと手を叩いて言った。
「準備万端、では係長、ご命令を」





        

「では、最後警告を聞きなかったあなた達は、身体的損傷、及び、生命の損傷もいとわないと、我々の方で判断いたします」
 再び一歩前へ踏み出した三菜の胸へ、『管理者』は手にしたトカレフの銃口を真っ直ぐに伸ばした。彼の装備したPS、その強化プラスティックタイプ片眼モニターに、三菜から見るとちょうど鏡文字になる形で、赤く文字が、「LOCK」と映しだされる。
「残念だなぁ──」
 首を左右に振りながら、『管理者』は言う。その腕の筋肉が、萎縮を始める。
「ええ、残念です」
 三菜も首を左右に振りながら、小さく彼の言葉に返し、そして、言った。
「最後警告を聞き入れていれば、怪我しないですんだかも知れないのに」


 三菜は言う。微笑みすら浮かべたままで。
「突入」
 左手にした、PHS搭載腕時計を『管理者』に向かって見せつけながら。


 銃声が響く。
 トカレフの銃口からではなく、S&W M49ボディーガード──千里の手にした銃──の銃口から。
 宙に舞うトカレフ。それを、動体予測で追い続ける千里の手の中の銃──それの発するレーザー光。赤い光が、乱反射して大会議室に踊る。
「P.S.P.D.だ!無駄な抵抗は止めろ!!」
 男の声が響いた。
 銃声とその男の声に、入口の方へと振り向く『wow』。
「警サツ──!?」
 そこから、二人のPS装備者が自分たちの方へと向かって肉薄してきていた。自分の方へは先の声を張り上げた男、そして『管理者』の方へは制服に身を包んだ女。
 『wow』が身構えるのよりも速く、三田は『wow』の懐に飛び込んだ。
「無駄な抵抗はするなよ!」
 言って、三田は逮捕術通りに『wow』の手を取り、ねじりあげる。PS装備者同士とはいえ、対人技術としての逮捕術通りに動作されては、PSのパワーも発揮されない。PSのパワーは、装備者の動きに合わせてのみ、その力を発揮するのだ。
 どうと床に倒れ込む『wow』。三田はすかさず彼のPSを蹴り飛ばし、破壊する。


「くそっ!」
 手首を押さえた『管理者』が顔を上げたときには、彼の眼前にまで優香が詰め寄ってきていた。はっとして、『管理者』は腕を振るう。が、優香はそれをしゃがみ込むようにして、容易くかわした。
「PSの意味が、なかったわね」
 『管理者』の腕をかわした優香は、きゅっと身をかがめたままで、彼の懐の中で、彼のことを見上げるようにして笑った。
 見開いた『管理者』の目に、優香のその微笑みが映る。強化プラスティックの片眼モニターに、PSが優香の筋肉の萎縮を感知して、その移動方向、速度、予想到達時刻を表示させる。──が、彼に、その数値に反応するほどの余裕はもたらされなかった。
 ついた右手で軽く床を叩く優香。
 彼女のしなやかな身体に蓄えられた力が、一気に解放された。
 『管理者』は弾丸のような速さで迫る優香と、その拳に、息を呑んだ。
 優香の拳が彼のこめかみのすぐ脇を駆け抜けたのは、その次の瞬間だった。
「PSは使いこなしてこそ、意味があるのよ」
 こめかみの脇をかすめた優香の拳圧に、『管理者』は意識をなくしてその場に崩れ落ちた。むなしく、彼のPSが彼の頭から外れたモニターに情報だけを伝えていた。


「ちくしょう!」
 叫び、床に落ちたトカレフを手に取ったのは、『はっか』だった。
「オレだけでも逃げてやる!」
 と、『はっか』は振るえる手でトカレフを握りしめ、そして、出口に向かって走り出そうとする。
 が──
「退けっ!」
 立ち止まり、両手を前につきだした『はっか』の行動によって、2つの銃の照準が互いに交錯しあう事になった。
 『はっか』の手にしたトカレフと、出口の脇に立った千里のS&W、その2つの銃の照準が──である。
「退かないと、撃つぞ!」
 精一杯すごんでみせる『はっか』。だけれど、その手はぷるぷると震えている。
「それじゃ、当たるものも当たらないよ」
 千里は言う。説得するように。
「だっ…黙れ!!」
 グリップを直し、『はっか』はトカレフを再び突き出した。
「いくらPSを装備してたって、制服じゃ、銃で撃たれたら死ぬだろ!!」
 『はっか』の手にしたトカレフの照門と照星が合わさる。その先には、制服に身を包んだ千里の身体があった。千里もそれをわかって、だけれど、
「そうね」
 彼女は軽く首を傾けたりして、返した。
 千里の手にしたS&Wから放たれたレーザー光は、『はっか』の握りしめたトカレフのグリップをぴたりと捕らえたまま、微動だにしない。
「でも、君はそのトリガーを引くことはできないよ」
 千里はそのサイトの捕らえた点を見つめながら、言った。
 息巻いて、『はっか』は言い返す。
「ばっ…バカにするな!!オレだって、こうなっちまったら、人の1人や2人──」
「そうじゃないよ」
 千里は小さく、ため息を吐き出した。
「そうじゃないよ。私、PSを身につけてるでしょ?このPSは、あなたが銃のトリガーを引こうとして筋肉を動かせば、あなたがトリガーを引ききるのよりも速く、私の人差し指を動かすの。わかる?」
 千里のゆっくりとした物言いが、『はっか』の身を強ばらせる。
「わかるでしょ?どういうことか。私の銃は、今、あなたの手に照準を合わせているわ。わかる?その、赤く光っているところ。不思議でしょ。微動だにしないの」
 悲しげに細く微笑んで、千里は視線を落とした。その視線の先には、彼女のPSがある。
「これも、PSのお陰なの。私の腕をしっかりと固定して、ロックしたものから外れないようにしてるの。ちなみに、ロックしたものは、そのトカレフ。そして、あなたの指の動き」
 『はっか』の視線が、千里のPSから自分の手のトカレフへと移った。彼の手は、今にも何かの拍子にトリガーを引いてしまいそうなほどに、ぷるぷると振るえていた。
「ねえ、お願い。私、人を撃ちたくないの。そのトカレフを手離して!」
 懇願するように、千里は言う。
「あ…あぁ…」
 『はっか』はただ、振るえる手で、トカレフのグリップを握り直しただけだった。
 きゅっと目をつぶる『はっか』。奥歯を強く噛み締める。
 千里の眼鏡のレンズに、彼の筋肉の萎縮を告げる警告文が光った。
 一瞬遅れて、銃声がひとつ、鳴り響いた。
 『はっか』の手の中にあったトカレフが、再び宙に舞った。


 音もなく、トカレフが大会議室の絨毯の上に落ちる。
 腰を抜かして、『はっか』はその場に座り込んでしまっていた。床に着いた彼のトカレフを握っていた手は、そこから大量の血を流している──などと言うことはなく、全くの無傷のままであった。
 千里はちっと舌打ちをして言う。
「あー、くそ。今回も負けた」
 つんと口を尖らせて、硝煙を立ち上らせるS&Wを手に眉を寄せ、『はっか』の元へと歩み寄る千里。
 その耳に、
「先月からの負け分、いい加減払えよ」
 インカムからの甲斐の声が届く。
「次の給料でね」
「先月もそういって払わなかったぞ」
「払う気ないもん」
 インカムに拾われない程度の声で呟いて、千里は床に落ちたトカレフをひょいと拾い上げた。
「もー、君が銃捨てないから、おねーさんはまた賭けに負ける羽目になっちゃったじゃないか!」
 と、千里は『はっか』の頭を軽くこづく。
 『はっか』はただ目を丸くして、酸素のなくなった水槽の中の金魚のように、口をぱくぱくと開けたり閉じたりしていた。
「ん?」
 千里はそれを見て口許を軽く曲げてみせる。
「ああ──はいはい」
 笑いながら、千里は何度かこくこくと頷いた。
「タネ明かしね」
 大会議室の中に、警官隊達がぞろぞろと入ってくる。人質になっていた人たちを連れて会議室から出ていくもの、三田と優香が取り押さえて手錠をかけた2人を連行するもの、現場検証のためにテープを張り出す機動捜査隊のものたち──事件の終わりをづけるその景色を眺めながら、千里は少しだけ口許を弛ませて、言った。
「本当は、PSにトリガーを引く権利なんてないの。PSは、あくまで人の動きを補助するだけもの。すべては、それを使う人間の意志なのよ。わかる?」
 力をなくした『はっか』を、警官が両脇から抱えるようにして立ち上がらせた。
 千里はその彼を見つめて、言った。
「悪いのは、機械?それとも君をそそのかした誰か?それとも、君自身?」


 警官2人につれられ、少年は大会議室をあとにする。
 ただ、ぼうっと千里の方に視線を走らせたまま。
 千里はドアの向こうに消えた少年の姿に仕方なくため息を吐き出すと、S&Wを再び服の中のホルスターに戻した。
 レーザーサイトの照準が合わなくなったことをつげる一文が千里の眼鏡のレンズに映り、小さく警告の電子音が耳元で鳴る。
「──ウルサイよ」
 苦笑いに千里は呟いて、足下のPSを軽く蹴ってやった。
 不機嫌そうな電子音が、再び千里の耳に届く。





       10

 TNB本社前は、いつの間にやらカメラを持った報道関係者たちでごった返していた。
 くるくると相変わらずに回っている、無数の赤いパトライト。その中の、人垣のできた数台のパトカーの周りで、ばちばちとストロボ光が瞬いている。
 きっと、あそこは『報道陣の花道』だろう。今回の5人の犯人を連れた警視庁の捜査1課の面々辺りが、厳つい顔をしてあの中を通っているのだ。
 ご苦労なこって──
 そんな風に思いながら、千里は普段はしない眼鏡を外し、きゅっと眉間を押さえつけた。
 不意に鳴り始めたサイレンの音。車のエンジン音と共に遠のいていく。それを追って、報道陣達もばらばらと移動していく。
「あーあ、つかれたー」
 そんな風景とは全く関係なしに、伸びをしながら、白と黒に塗り分けられたバンに歩み寄りつつ言う優香。
「つかれたねー」
 千里も首をまわしながらぼやく。
「ホント、疲れたね」
 なんて、係長、柏木三菜が言ったもんだから、優子と千里は彼女のことをきっと見た。いや、睨んだ。
「いや、ごめん。失言?」
「ええ。失言です」
「今回、係長何もしてないじゃないですか」
「え!?私、今回人質になってたよ?」
「そういうのは何かしたって言わないです」
 真面目に言い合う女子3人に、三田はひょいと肩をすくめてみせた。
「おつかれー」
 と、4人の向かう先、P.S.P.D.の専用バンに寄りかかったまま言う甲斐に、
「あ、毎度毎度、言うだけの何もやらない人が、今日も偉そうにバンに寄りかかってる」
 と、千里が指を指してきっぱりと言う。ので、甲斐はその指にかみつく仕草をしてやった。
「お前にはやらん」
「何を?」
「みんなのためを思って、缶コーヒーでも買ってきてたんだけどな」
「ああ、甲斐くん、ありがとう」
 真っ先に手を伸ばした三菜。再び千里と優香に睨まれる。
「ダメかな?やっぱ」
「ええ」
「もちろんです」
 三田と甲斐は目を見合わせると、二人同時に、ひょいと肩をすくめて見せた。


「今日も──」
 結局、ちゃんと6本あった缶コーヒーをそれぞれの手にして、バンに寄りかかったまま、6人は現場の後処理をする警官達をぼーっと眺めていた。
「今日も1日、大変だったなぁ」
 呟いた千里に、甲斐は時計を見せつける。
「まだ3時半です。矢部巡査の定時は6時なので、あと2時間半あります」
「ウルサイよ」
 千里パンチが甲斐の頬を襲う。「いて」と、甲斐は小さく言った。笑いながら。
「あ、そうそう」
 と、優子。身を乗り出して愛子の方を見ながら言う。
「愛子、また私のスカート切れちゃったよ。繕って」
「はいはい」
 面倒くさそうに、笑いながら愛子は返事する。けれど、それも愛子の仕事なので、今更文句は言わないのだけれど。
「そういえば、私が相手をしたあの体格のいい男、あれからどうなったんだ?」
 三田は言いながら顎を撫でた。
「どうしたんです?」
 聞き返す甲斐に、三田は口を曲げながら言う。
「いや、行きがけは急いでいたもんだから、壁にめり込ませたままだったんだけどな。戻ってきた時は、もういなかったなような」
「じゃ、逃げたんだ」
 笑う愛子に、
「麻生巡査、不穏当な発言はしない!」
 三菜が諭すようにして言う。けれど、自分も笑っていたりするので説得力がない。
「大丈夫大丈夫。ちゃんと無線では『5人逮捕した』って言ってたから」
「6人じゃなかったっけ?」
 目を丸くする愛子に、
「1人は、大会議室」
 優香が缶コーヒーを口に付けたままで返す。
「ああ、そうか」
「──にしても」
 空になった缶コーヒーの缶をもてあそびながら、甲斐は呟くようにして言った。
「PSを使った犯罪ってのは、つくづく恐ろしいですねぇ」
 敬語で言った彼の台詞が、三田か、三菜に向けられていたのは、隣にいた千里にも容易に想像できた。だから、彼女も彼の台詞に続いて話し出したりはしなかった。
「そうねぇ──」
 三菜がため息混じりに返す。
「確かに、恐いわね。でも、結局は矢部巡査が言ってた通りだと、私も思うけどな」
 そう言って、三菜は微笑みながら千里の方へと視線を走らせた。彼女の視線を追って、4人も千里の方にひょいと振り向く。
「なんて?」
 代表して──ではないけれど──甲斐が千里に向かって口許を弛ませながら聞いた。
 千里は缶コーヒーに口を当てたままで、不機嫌そうに返す。
「──ウルサイよ」
 甲斐の口許が、からかいの時のそれと、同じ形をしていたからである。
 仕方なしに笑って、甲斐はひょいと肩をすくめて見せた。返すように、三田も肩をすくめてみせる。
「で、千里。なんて?」
 今度は直接三菜に聞く愛子。
「ん?矢部巡査が睨んでるから、そんなこと言えない」
 三菜は軽く言って、笑った。実際は、別に本当に千里が彼女のことを睨んでいたわけじゃなかったのだけれど。
「ちっ!」
 ことさら悔しそうに指を鳴らして、愛子は窓からバンの中に手を突っ込んだ。バンの中で、ぴぴぴと電子音が鳴っていたのである。どうも、無線か何かのそれらしい。「はいはーい」と、愛子が楽しそうに呼び出しに応答するのを背で聞きながら、
「ああ──そういえば──」
 優香は、ふと、思い出したことをそのまま口にしてみた。
「課長もいたんじゃなかったっけ?あの人質の中に」
 言って、三菜に視線を送る優香。三菜は、
「あ…」
 とか言って、目を丸くして缶コーヒーの缶をぺことへこませた。
「忘れてた」
「係長の発言じゃないな…」
 千里に耳打ちする甲斐。千里、仕方なく苦笑い。
「まー、課長も何も子供じゃないし」
 自分よりも階級が上の、年上に対しての自分の発言に、自分で笑う三菜。
「大丈夫でしょう。きっと」
「ま、いてもいなくても、大して変わりはないし」
 って、言い出しっぺの優香からして、ひどいことをさらりと言ってのける。
 しかし実際、皆思っていることは一緒のようで、彼女の物言いに、バンに寄りかかったまま5人は声を出して笑ったのであった。
 ──が、
「で、その課長からです」
 と、バンから突き出たお尻が──いや、愛子の背中が、言う。
 と、一斉に笑いを止め、なぜか背筋をただす奴ら。
「はいはい」
 髪を整え──なぜそうしたのかは自分でもわからなかったが──三菜は愛子の差し出した無線のマイクを手に取った。
「柏木です」
「柏木くんか?」
 デジタル化されてクリアになったノイズのない声がスピーカーも兼ねたマイクから聞こえてくる。
「お疲れさまでした。あとの処理は私たちに任せて、課長はご自宅へ帰ってお休みになられて──」
 三菜は自分で自分の台詞に笑いそうになった。「課長にごますり」で言ったんじゃなくて、「ご老人をいたわる」で喋ったらああなったのよ──と、この会話のあとにみんなに必ず言おうと心に決めていた。
 ──のだけれど、結局、三菜はそれを言う機会を逃してしまったのだった。
「いやいや、そういうわけにはいかなくなった」
 無線の向こうで、課長が言う。
「は?」
 三菜が、みんなの方を一度ぐるっと見回してから、聞き返してしまうようなことを。


「赤坂のN銀行で、銀行強盗が発生したんだ。犯人はPSを装備しており、人質を取って立てこもりを始めたらしい。そこで、今回の君らの活躍を生で見ていた本部長が、是非にとも君らに早期解決を──」
 言うだけ言って一方的に切られた無線を恨めしく見つめながら、だけれど仕方なく、三菜はため息を吐き出した。


「さて」
 大きく息を吸い込み、吐き出す勢いと共に、
「行きますか」
 ぽんと手を打って、甲斐は言った。
「あーあ、ちゃんと定時に帰れるかなぁ」
 言いながら千里は思わず座り込んでしまう。
「愛子、これ終わったら、ホントにスカート直してね」
「はいはい」
 バンに乗り込みながら言う優香に、愛子も乗り込みながら返す。
「係長、過労死は、殉職になるんだったかな?」
 笑いながら呟くのは三田だ。
「殉職されちゃかないません」
 三菜ははっきりと言い切って、助手席からバンに乗り込んだ。
「さて」
 バンの外に残ったのは甲斐と千里。
「いきますよー、千里ちゃーん」
 と、甲斐は千里の手を取って立たせようとする。が、本人にその意思がないので重い。
「今度も、何か賭ける?」
 口許を曲げて、甲斐は言った。
「む」
 千里は眉を寄せ、すっくと立ち上がった。
「お?」
「いいよ、賭けよう。どうせなら、今日の夕飯とか」
「剛気だね。メシ代浮いたや」
「なんだとー?」
 それをバンの中で聞いていた愛子。優香に向かって言う。
「ねえねえ、甲斐さんと千里が定時までに帰れて、一緒にご飯食べにいけるかどうか賭けない?」
「私、いけない方に明日のランチ」
「あ、私もそれ乗る。いけない方にランチ」
 助手席で話に乗ってきた三菜に、ただ苦笑いの三田。
「それじゃ賭けになんないー」
 愛子が半泣きで言うのと同時に、千里がバンに乗り込んできた。
「何?何の話?」
「千里は勝っても負けても、ディナーにいけないって話」
「なにそれ?」
「さーて」
 最後に、運転席に甲斐が乗り込んでくる。
「じゃ、行きますか?」
 笑って言いながら、イグニッションを入れる甲斐。エンジンが、高鳴りを始める。
「準備万端、では係長、ご命令を」
「ん?」
 三菜は甲斐の言葉に軽く笑って、ルームミラーに皆の顔を確認した。千里、三田、優香、愛子、部下達が鏡越しに笑い返す。
「では──」
 三菜も微笑みを口許にたたえたまま、ダッシュボードから赤いパトライトを取りだし、そいつをルーフの上にのせて、言った。
「P.S.P.D.出動っ!」
 エンジン音ともに、パトライトがサイレン音を響かせ始める。