studio Odyssey


第十三話




「はーい!」
 吉田 一也は玄関のチャイムに大声で答えた。
 今までなら一也の姉、香奈が「はーい♪」と、恋人が来たわけでもないのに嬉しそうに答えて、ぽてぽてとスリッパを鳴らしながら駆け出して行くところなのだが、ここのところはちょっと違っていた。
 このところ、香奈はいつもぼーっとしているのだ。
 いや。賢明な読者様は「いつもの事じゃないか」と思うかも知れない。だがいつものぼーっとと、このところのぼーっととは少し違うのである。
 ぼーっとと、ボーッとの違いくらい…(注*1)
 ──まあとにかくも、香奈がぼうっとしているのは放っておくことにして、(ぼうっとしているのだし…)玄関に駆けていった一也の方の話を続けよう。
 誰だろ?と、思いながら鍵を開けると、そこにはよく知っているR‐0の整備員たちの顔があった。
「あれ?どう──」
 聞くよりも速く、
「よーし、じゃ運び入れちまおう」
 整備員たちは、ダンボール箱をいそいそと家の中へ運び込んだ。玄関の一也を押し退けて──だ。
「ちょっ…なんなんですか?このダンボールは」
 整備員の一人の服を掴んで聞くと、
「だろ。オレもどうしてこんなにいっぱいあるのかなって思うんだよ」
 一也はもちろんそう言うことを聞いているのではない。
「そうじゃなくて!」
「なにが?」
「一也君、これはどこに置けばいいんだ?」
 ダンボールを抱えた整備員が、額の汗を腕で軽く拭って聞いた。
「そんなの僕に聞かれたって知りませんよ!」
「それじゃこっちが困るだろ。僕らだって、ボランティアでやってるんだぞ」
「何がなんなのか全然わからないんですよ!説明して下さい──って、なんですか!?」
 ぽんと後ろから肩を叩かれて、一也は後ろを振り向いた。そして、言葉を飲んだ。
「よ♪」
 と、遙が片手を挙げて笑っていたのである。
 手に、いつだかも持っていた革のトランクを持った遙が。
「しばらくの間、お世話になることになったから」
 は…?








 第十三話 Nec、それを取り巻く者たち。(後編)

       1

「お姉ちゃん!」
 リビングのテーブルにぽけーっと座っていた香奈は、自分の目の前に顔を出した弟に、初めて気付いたように、
「あら。一也」
「『あら。一也』じゃないよ!」
 ばんと一也がテーブルを叩いたもんだから、微睡みの中にいた黒猫のウィッチは、「うにゃっ!」と飛び起きて、テーブルの足に頭をぶつけてのたうちまわった。
「どうしたの?あら、もうお昼なのね。じゃ、準備するわ。今日のお昼は何にしましょうか?」
「違うって!」
「香奈さーん。お世話になりまーす」
 と、玄関の方からとことこ入ってきた村上 遙を見て、香奈はぽんと手を叩いた。
「あ。遙ちゃんも一緒にご飯なのね。じゃあ三人分だからー…」
「そうじゃなくて!」
「そ。荷物どこに置けばいいのかわからなくて…」
「そうでもないだろ!」
「じゃあ何よ。早速出てけとでも言うわけ?」
「出てけ!」
「ひっどぉおおぉぉおい!私、泣いちゃう!!」
「あーあ、泣かしたー」
 ダンボールの向こうから整備員たちが冷やかす。
「怒りますよ!」
「もう怒ってるじゃない」
 言いながらも、ダンボールの陰に隠れる整備員たち。
「あ。荷物は私の部屋に入れて。私の部屋、遙ちゃんと私の部屋にするから」
「だ、そうです。じゃ整備員さん、こっちの部屋に荷物を入れて下さい」
 勝手知ったる他人の家──である。
「お姉ちゃん!」
「なぁに?」
 なぁに?じゃなくて…
「どうして、僕に一言も言ってくれないの!」
「あれ?」
 と、小首を傾げる香奈。
「言わなかったかしら?」
 一也の反論は、香奈のその一言ですべての力を失った。
 「言わなかったかしら?」と小首を傾げられたら、もう反論する余地がない。しかも相手は香奈だ。
「ご愁傷様」
 と、遙が一也の背後で手をあわせる。
「ま。反論しても、結果は同じだったと思うけど…」
「うるさいなっ!」
 問題は反論するかしないかであって、結果じゃないんだ!それに──何か言ったって結果が変わらないことくらい、僕にだってわかってる。(注*2)
 一也も辛い立場である。


「だって、ストーカー男は相変わらず私のことつけてくるじゃない?もぉ一人暮らしするの、怖くって」
 昼はパスタにすることになった。
「んで。取りあえずストーカー男がどうにかなるまでは、置いといてもらおうと、そう言うわけ」
「じゃ、どうにかなったら出て行くんだね?」
 お皿の上のスパゲッティを、くるくるとフォークに巻き取りながら言う一也に対し、
「出ていかない」
 遙は事も無げに言う。
「なっ…!」
「だってぇー、どっちにしたってぇー、私ここでご飯食べてるじゃなーい?いつも。家帰るのもメンドーだなぁーって、最近思ってたところなのよぉー」
 遙の台詞の語尾は、全て延ばされている。一也はもう、呆れて物が言えなかった。
 固まったままの一也にたいして、遙は「ふふ♪」と笑いかける。やっぱりヒーローとヒロインはこうでなきゃね♪
「よろしくね。仲良くやろうね」
「できない」
「なによぅ。フォークで刺すぞ!」
「お姉ちゃーん…」
 疲れ切った声で姉、香奈の方を見る一也。だけれど、香奈はその言葉にも視線にも気付かないようで、
「はぁ…」
 と、ため息を吐き出しながら、テーブルに肘を突いたままで、パスタをフォークに巻き付けてもてあそんでいた。
「…香奈さん、どうしちゃったの?」
 声をひそめて遙が聞く。
「このところ、いつもああなんだよ。何をしてても『はぁ』か、『ふぅ』」
「ふぅ…」
「お医者様でも草津の湯でも?」
「さぁ?よくわからないんだよ。それだけって訳でもなさそうだし…」
 突然、──お約束的に──電話が鳴る。(注*3)
 はっと顔を上げたかと思うと、香奈は椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がり、
「お姉ちゃん出る!」
 と、他の二人は全く立ち上がる気配すら見せていないのに言い、ぱたぱたとスリッパを鳴らしながら電話口へと走った。
 その後ろ姿を見ながら、遙と一也は呟きあった。
「恋は?」
「盲目」
「あばたも?」
「えくぼ」
 二人、腕を組んでうーんと唸り、
「重傷だ」
 眉間にしわを寄せた。


「ほれ。メシ」
 バンの中に入ってきた男は、その手にコンビニ袋をぶら下げていた。
「またコンビニ弁当かよ」
「文句言うなよ。じゃあ奴らみたく、空港のレストランに行ってくりゃよかったんだ」
 手渡された弁当を受け取るため、新士 哲平は手にしていた双眼鏡を下へ降ろした。
「まぁ、でもここを離れるわけにはいかないからな。なんだよ。暖めてもらわなかったのか?」
「あれ?暖めてもらったぞ?おかしいな」
「手を抜きやがったな、バイト小僧め(注*4)」
 文句を言って、少し冷たくなった弁当のラップをはがす新士。
「どうだ?何か動きがあったか?」
 コンビニに行ってきた男、カメラマンのセンちゃんは、新士の置いた双眼鏡を手にとって、大きな格納庫を見た。
 東京国際空港の片隅のある巨大な格納庫。ここはNec本部。世界初の巨大ロボット、R‐0の置かれている場所だ。
「さっき、やたらとでかいトレーラーが何台か入っていったな。R‐0の改造部品を運んできたんだろう」
「新型か…なんとかカメラに抑えたいところだな」
「慎重に行こう。あそこには嫌な思い出もあるしな…」
 新士は遙に騙されて、囮にされたに苦い思い出があるのである。(注*5)もちろん新士は遙に騙されたのだと知らないし、遙の方もすでに忘れているのだが…
「あの時は死ぬかと思ったからな…撮影機材もほとんどダメにされたし…」
「せっかく撮ったビデオも押収されたからな。あの件については、政府の方もダンマリだし…」
「ああ、でもあれは米軍らしいじゃないか」
「あれは米軍だよ」
 と、新士。もう弁当を食べてしまっている。早寝早起き、早食い早ぐ○。──失礼。要するに、何をするにも業界人は早い方がいいのである。
「あれは米軍の対エネミー用陸戦兵器、通称『スパイダー』だよ」
「どこからそんな情報を?」
「ネット。小さな草の根とか、逸般系ネット(注*6)なんかは、情報の山だぜ。本物かどうかはさておいて──」
 センちゃんから双眼鏡を受け取る新士。今度はセンちゃんが飯を食べる番だ。
「R‐0関係の情報もいろいろある。OVAで村上 遙の声をやってる声優、柚木 園子と、R‐0パイロット、吉田 一也との熱愛疑惑とかな」
「でも、それはオレたちテレビ局が動くような内容じゃないぞ。ゴシップ紙向けだ」
「もちろんそうさ。オレが知りたいのはそんな事じゃない」
 そう言って新士は笑い、脇に積み重ねられたチューナーのボリュームを上げた。Nec本部の各所に片桐が仕掛けた盗聴器が、その場の音をバンの中へと伝え始める。


「R‐0の電池は、外部電源が大体10分程度、内部電源が大体5分程度なわけです」
 と、ホワイトボード前──いつもの即席会議室──においてR‐0のハードウェア設計者、中野 茂──通称シゲは言った。
「これは、通常の歩くという動作における基本時間でありまして、R‐0の駆動状況によっては、この限りではありません」
「説明はいいのよ。だから、シゲ君はどうしたいわけ?」
 腕を組んで、西田 明美助教授が言う。突然、整備員や教授を呼んで何を話すのかと思ったら、まーた何か改造しようって言う訳ね。
 仕事が増えないなら賛成してもいいけど…
 R‐0のシステムプログラマー、明美助教授はこのところ仕事が多かった。R‐0改造におけるプログラムの変更、付け足し、その他もろもろで、睡眠時間が極端に減っていたのである。
 私ももう若くないんだから…
 自分から認めなくてもいいような物だが…
「そこでです!少ない電力をまかなうための新システム…」
 シゲは人差し指をぴんと立て、小脇に抱えていたノートパソコンをスチール机の上に置き、かぱっと開いた。
「R‐0専用、ソーラーバッテリーシステム!!」
「おお!」
 驚愕の声を挙げる整備員たち。
 シゲの開いたノートパソコンの画面の中で、くるくる回転しているR‐0のアニメーション。その背中に、R型のソーラーパネルが搭載されている。
「ソーラーパネルだと!」
「しかもR型だ!」
「もしかして月光のエネルギーで…!」
「R‐0恐るべし!(注*7)」
 驚きにざわつく整備員。シゲは満足そうに笑っていたが、
「なるほどな」
 と言った教授の言葉に、ぴくりと頬を振るわせた。
 教授が、やけにあっさりと言ったからである。
「だが、こんな物はこうだな」
 ノートパソコンの『DEL』キーをぽち。
「却下!」
「ああっ!ツレない!!」


「なあ、新士よ」
 センちゃんは、額に汗していた。念のために言っておくが、暑かったためではない。
「なんだ?」
 わかりそうな気もしたが、新士は取りあえず聞き返した。
「オレは、R‐0がどんな風に改造されているのか、ものすごく不安なんだが…」
「安心しろ」
 ごくりと唾を飲む新士。
「その不安はオレも同様に抱いている」
 それは安心してよい事なのだろうか?


「別に、なにか大きな違いが出た訳じゃないんでしょ?」
 コックピットシートに座って、一也は補助モニターを覗き込んだ。R‐0の改造された部分の詳細な情報が表示されているが、特にこれと言って悩むべき所はない。
「そう。基本的には何も変わってはいないわ。頭部バルカンだって、BSS側で操作できるように改良されているから問題ないし」
 と、インカムの向こうの明美助教授。
「後はー…そうね、シールドの内側にビームライフルの予備弾がついてるわ」
「シールドついたんですね」
 R‐0の左腕に、備え付けのシールドが搭載されている。まだ未使用のため、そのシールドはハンガー内の弱い照明に、鈍く輝いていた。
「そ。教授も付けるって言ってね。さきっちょが尖ってるから、そのまま刺すこともできるわよ」
 シールドの先端だけは、別の合金で作られている。そこだけは、別の部分よりも光沢が強く、頑強そうだ。んでも、刺すって…
「でもそれだと、グチャってなるでしょ」
「なるわね。一也君、そう言うの嫌いだったっけ?」
「あんまり好きじゃないですよ」
「後は特別、改造された部分てないわね。手持ち火気にバズーカが増えて…そんなとこ」
 一也はこくこくと頷きながら、コックピット脇から引き出したキーボードを叩いた。ついこの間までこのキーボードも飾りかと思っていたのだが、補助モニターの管制に使えると言うことを知り、しかもこっちの方が楽だと言うことまでわかり、R‐0って、僕の知らない部分がまだまだたくさんあるんだなぁ…と、感心させられたのである。(注*8)
「ねえ一也君?」
「はい?」
 明美助教授の弱く聞く声に、一也は瞬きとともに返した。
「香奈ちゃん、どう?最近、本部にも来ないみたいだけど…」
「そうですね…」
「やっぱり、R‐0が変わっちゃうのが、嫌なのかしら?」
「そうですね…けど、それはもう仕方がない事って思ってはいるみたいですよ」
「じゃ、何か別のことでも?」
「ええ…まぁ…」
 どうしたものかな…と、一也は言葉を濁した。だけど、人生経験豊富な明美さんなら、何か手助けをしてくれるかも知れないし…
 明美助教授が聞いたら、「それはどういう意味かしら?」と聞き返したところだろうが。
「お姉ちゃん、なんか、彼氏ができたみたいで…」
「まぁ!」
 インカム越しではあるけれど、一也は明美助教授が驚きに目を丸くしている様が見て取れた。
「それ、ホント!あの香奈ちゃんに彼氏!へー、よかったじゃない」
「手放しで喜べればいいんですけどね…」
 一也は呟いて、インカムのマイクに手をかけた。
「この回線、明美さんのところ以外には行ってませんよね?」
「ううん」
 事も無げに言う明美助教授の言葉に、
「あ。私、さっきから聞いてる。ごめん」
 遙が悪びれた様子もなく続いた。
「遙なら、まぁいいや」
「そうそ。これからは一緒に住む仲なんだし♪」
「あ。なにそれ、私その話知らない。どゆこと?教えて教えて」
「どうもこうもないですよ…」
「ま、要するにお互いのことをもっと深く知ろうと。そう言うわけですね」
「要するなよ」
「深く?どこまで?」
「マリアナ海溝くらい♪」
「なんだよそれ」
「きゃー!そりゃもう、ふっかーいところまでなのね。一也君も隅におけないなぁ」
「どういう意味ですか!」
「ああ…私もとうとうオンナに…」
「とうとう?」
「アンだって!」
「話を元に戻しましょ」
 明美助教授が軽く言うと、二人もその話は追いといて──と、元の話に戻って来た。
「だから、お姉ちゃんに彼氏ができたんですよ」
「うん。よかったじゃない」
「一也は、よくないって言うんですよ。お姉ちゃん取られたからなのかしら?」
「なんで僕が。そんなんじゃないよ」
 ふてくされたように反論する一也の声を聞いて、イーグルのコックピットの中にいた遙は苦笑いを浮かべた。それのどこが、『そんなんじゃない』のよ。
「私が、ストーカーにつけられたって言ってた日あったじゃないですか」
「ああ、先週くらいだっけ?あれ」
「あの日に、お姉ちゃん、大学でその人と知り合ったらしいんですよ」
「彼氏?大学で。へぇ、名前なんて言うの?」
「小沢 直樹、26歳。ルポライター」
「何で遙知ってるの?」
「香奈さんの服の中に名刺あった」
「勝手に見たら犯罪だよ」
「勝手に見た訳じゃないもん!!」
 賢明な読者様には、遙の台詞の真偽を書くまでもあるまい。
「それでですね──」
 話を変えようとする遙。
「あ、ちょっと待って。──そう。Cで。はい。んで、なんの話だっけ?」
 整備員と話していた明美が戻ってくると、まずは遙が、
「小沢 直樹。26歳の話」
 そう言って続ける。
「この人、職業ルポライターなんですけどね。一也が言うには、『お姉ちゃんに近づいて、Necのことを探っているのに違いないんだ』って」
「だって、そう思いません?」
「思えないこともないけどー…」
 言葉尻を延ばして、明美助教授は考えをまとめてから言った。
「でも、そこに愛があればいいんじゃない?」
「おおっ!さすが明美さん。大人の意見。一也、見習いなさい」
「大人なんてキライだっ」
「ガキ」
「んだって?」
「まあまあ。香奈ちゃんだって、子供じゃないんだし…」
 言ってから、明美助教授は首を傾げた。
 ん?どうかな?
「で。今日、電話があったんですよ」
 遙は言う。
「誰から?」
「会話の流れから察するままに──」
 一也は軽くため息。
「なるほど」
「で。香奈さんは今日はお出かけなのです」
「お姉ちゃん、本当に何考えてるか、最近よくわかんないんですよ」
「そりゃ、しょうがないわよ」
 明美助教授は軽く笑って、言った。
「香奈ちゃんの考えてることなんて、彼女以外にはわからないもの」
「そりゃ──そうかもしれないですけど」


「ね、わかってる?」
 香奈は、鏡に映る自分に言い聞かせるように、小さく呟いた。
「きっとあの人は私から、何かを聞き出そうとしてるのよ」
 わかってる。それくらいわかってる。
 けど──
 きっと、一也はまたに何か言うに違いない。けど、私だって子供じゃないもの。自分のことくらい、自分で考えられるもの。
 鏡に映る自分は、いつもの自分と、少し違っていた。
「変じゃないよね」
 微笑むと、鏡の中のもう一人の自分も、こちらの自分を励ましてくれるかのようにして、ぎこちなく微笑んだ。
 薄く、ルージュのひかれた唇で。
 足下で、ウィッチが心配そうに鳴く。
 いつもと、ちょっと香奈のニオイが違ったからである。
「なぁにウィッチ?」
 香奈がウィッチを抱き上げると、彼女は両足をさっと下げた。爪を立てちゃいけないと言われている洋服だったのである。
 香奈はウィッチを自分の目線まで上げると、
「ウィッチ。じゃ、お姉ちゃんは出かけるから。いい子にしてるのよ」
 と、にっこり微笑んだ。


「そうして見ているだけでは、いつもでたってもラチがあかないでしょう」
 バンの中に入ってくるなり、情報屋の片桐はそう言って笑った。
「ひどいこと言いやがって」
 新士が双眼鏡から目をはずして、ちいと舌打ちをする。
「じゃあ何かいい手でもあるんだろうな」
 新士のその言い方は、片桐に何かいい手があるのだと確信した言い方であった。大体が片桐とはそういう奴なのである。何かあるとき以外、滅多に口を開かない。
 片桐は軽く笑って眼鏡をあげると、
「おみやげがありますよ」
 A0サイズの紙を、狭いバンの中で広げて見せる片桐。
 A0サイズというのは、当たり前のことであるがとても大きいわけで──
「せっ、狭いんだからそんなモン広げんな!」
 と、カメラマンのセンちゃんが悲鳴を上げ、
「篠塚、おまえ邪魔だ。降りろ。タダでさえ一人で1.5人分の容積をとってるんだからな」
 パパラッチャー篠塚の頭をはたく。
「ヒドい…」
「こいつは…Nec本部の見取り図だな」
 A0サイズの紙をのぞき込んだ新士が、低い声でそう呟いた。片桐は眼鏡をつっとあげ、その言葉に満足そうに微笑む。
「あの本部を修繕した会社から、お借りしてきました」
 借りた──というのは、正確に言えば正しくはない。
「これさえあれば…」
「ええ。まぁ、なんてことのない建物ですね。この程度の建物なら、侵入は簡単ですよ」
 片桐は、窓の向こうのNec本部を見て口元をゆるませた。


 T大学付属病院。
 香奈は目的の場所へ向かって、まっすぐに歩いていた。規則正しく鳴る香奈の靴音。廊下の壁に反響し、ゆっくりと消えていく。
 どうしても、好きになれない病院という場所の持つ独特の空気。香奈は眉を寄せ、そのドアの前で立ち止まった。
 『脳神経外科特別処置室』
 そして香奈は、そのドアをノックした。
 中から返ってくる、男の声。
「失礼します」
 意を決し、香奈はそのドアを開けた。
 ドアの向こうには、あの時から変わらないままの、病室の風景があった。
「香奈君か…」
「…お久しぶりです」
 病室の中、窓から外を見ていた初老の男が言う。
「今日は、どうしたんだ?」
 白衣をまとったその男は、この病院の医師であった。名は、黒岩と言う。香奈もよく知っている医師である。
「弟は、その後どうだい?」
 窓の外の風景を見ながら、言う黒岩。
「はい。BSS端末に対する拒絶反応もありません。問題はないです」
 香奈は少しうつむき加減に、返した。
「今日は、そのことでお話があって来ました」
「ああ…」
 黒岩は喉の奥で香奈に返す。いつかはこの時がくるだろうとは思っていたが──もうその時になってしまったのか。
「BSSのこと──その手術方法のことについてだね?」
「そうです」
 香奈は顔を上げると、黒岩をまっすぐに見て、言った。
「黒岩さんの持っているBSSに関するすべてのものを、返してください」
「それで、どうする?」
「破棄します」
「なぜ?」
「BSSについて、探っている人がいます。私は、BSSを守らなくちゃならない」
 黒岩は香奈の台詞に軽く笑いながら、探るようにして聞き返した。
「返してもいいが…君は、あのシステムの事をどれだけ知っていると言うんだね?あのシステムの存在意義、将来性、それを奪う権利が、君にあるのかね?」
「渡してください。黒岩さんにも、その権利はないはずです」
「ならば、私の頭の中にあるものについてはどうする?」
 聞き返しはしたが、彼女の答えは、聞かなくてもわかっていた。その決意に満ちた瞳の奥にあるものに。
 香奈は、黒岩の背中に向かって、
「忘れてください」
 はっきりと、言った。
「それで、この世界でBSSの手術法を知る人は、いなくなりますから」


「何を浮き足立ってるのかは知らないけどね」
 いつも通りの定時連絡。その携帯電話の向こうで、いつも通りの相手はそう言って笑った。何かを勘ぐったように。
「浮き足立ってる?」
 心外というように、小沢 直樹は目を丸くして返す。何を言ってるんだか…
「俺が浮き足立ってるなんて、そんな馬鹿な話があるわけないじゃないか」
 笑いながら、小沢は車のキーを指でくるくると回した。寄りかかった愛車、Mitsubishi GTOのそれである。
「これも全部お仕事。そうでしょう?」
「そうだな。仕事とはいえ、女の子をだますのが楽しいはずがないな」
「いたい台詞だなぁ」
 小沢は、その言葉に苦笑いを浮かべた。指でくるくると回していた車のキーを握りしめ、
「そんなつもりは、別にないんだけどね」
 バカなことを言う自分に、自嘲する。
「仕事と割り切れ。深入りしすぎれば、自らの身も滅ぼすことになる」
 耳に押し当てた電話から漏れる男の言葉が、彼の胸を締め付けた。
「──わかってますよ」
 小沢は笑う。
「それくらい」
 彼女の姿が、人垣の向こうに見えた。
「じゃ──また連絡します。次にかける時には、BSSの話でも少ししますよ」
 その『次の時』が来ないことを、何となく、小沢は心の内で願っているような気がしていた。知りたくない気がする──知ってしまったら、終わりのような気がするから。
「時間は怖いな」
 小沢は、ぽつりとつぶやいて笑った。切った携帯を、ポケットに押し込む。
 そして、彼は大きく息を吸い込んだ。
「俺が浮き足立ってるって?」
 笑い、背筋を伸ばす彼に向かって、人垣の向こうから歩いてくる彼女は、ぎこちなく微笑んで手を振った。
 小沢も、片手をあげて返す。
「そんな馬鹿な話が、あるわけないじゃないか」


「すみません。遅れて…ちょっと、用事があって」
「いや、いいよ。どうせ暇なんだ」
 小沢は笑った。そして、助手席のドアをゆっくりと開けた。
「ドライブでもしよう。時間を気にしないで」
「…はい」
 そう言って微笑む香奈。
 彼女の持つバックの中には、クリップで留められたA4のレポートがあった。
 彼と彼女の間を終わりにさせる、それである。









       2

 夕闇が迫る。
「今日も何事もなく──か」
 R‐0整備班班長、植木ことおやっさんは、格納庫の入り口に仁王立ちし、暮れていく空を見上げて呟いた。
 バイオレットの空に、白い機体を輝かせながら航空機があがっていく。お。この音はボーイングだな?おー、そうそう。あれと同じ型を、昔いじってたっけなぁ…いやいや、懐かしいモンだ。
 はにかみながら振り返る。振り返った先、ハンガーの中にあるのは、今おやっさんが最も愛する飛行機。
 R‐0専用輸送機、『EVR‐ZERO』──通称イーグルだ。
「どーれ、夜に備えて、イーグルのご機嫌でもうかがってみるか」
 おやっさんはうーんと伸びをすると、
「おい誰かオレの工具箱もってこい!!」
 ハンガー中に響くほどの大声で言った。


「あれが『EVR‐ZERO』?」
 ぽつりと呟いたパパラッチャー篠塚は、カメラマンのセンちゃんにその頭をはたかれた。
「バカっ、声を出すな。見つかるだろ!」
「そう言うあんたは何なんだ?」
「あ。なんだてめぇ。カメアシ(注*9)のくせに、オレに文句言うのか?」
「それはスタジオの中でだろ!」
「喧嘩すんなよ二人とも」
 新士は苦笑いを浮かべて二人をたしなめた。
「いいから篠塚は写真、センちゃんはカメラを回してくれよ」
 Nec本部への侵入に成功したテレビPスタッフ四人。新士、センちゃん、篠塚、片桐。 一行は、R‐0やイーグルの部品が納められているパーツ倉庫から、ハンガーの中をのぞき見ていた。
「R‐0は、ここからだとイーグルの陰になってるのか?」
 ビデオカメラのファインダーを覗きながらセンちゃんが言う。その脇の下から、80〜200oF2.8のレンズがにょきっと現れ、
「あそこにパソコンを覗いてる女の人がいるでしょ。あの脇にR‐0があるはずですよ」
 そう言ってシャッターを切る篠塚。ここからだとその女の人──明美助教授──が椅子に座って足を組んだ格好をしていて、賢明な読者の方、もしくはそう言うモノがお好きな方ならばおわかりの通り、明美助教授はタイトスカートを召しておられたわけであり、つまりそう言うことで──
「何撮ってんだ」
 と、センちゃんが篠塚の頭をはたくことになるわけである。(注*10)
「ったいなー。撮ってないっスよ。スカートの中なんて」
 ──…
「篠塚、そう言うのを語るに落ちるというのだ」
 ぽつりと片桐。可哀想なことを言う。
「ヒドい…」
 そんなことをやっている後ろの連中を、気にもとめていなかった新士は、
「あっ!!」
 彼を見て思わず大声を上げてしまい、あわてて口を押さえ込んだ。しまった!?
 新士の大声に、四人は顔を見合わせ、パーツ倉庫内で息を殺してじっと固まった。
 頼む、誰も気づかないでいてくれ!
 果てしなく長く感じられる数秒がたち、どうやらだれも気づかなかったようだと新士は小さくうなずくと、
「R‐0のパイロット、吉田 一也だ」
 明美助教授の膝の上のパソコンをのぞき込む彼──一也を、親指で指さした。


「手伝うことないですか?」
 その声におやっさんは整備の手を止めた。どういう風の吹きまわしだか…
「遙ちゃんがそんなこと言うとはね。明日は雪が降るかもしれねぇや」
「雨くらいは降るかもしれませんけどね」
 と、遙はおどけてみせる。
「梅雨だからな。そいつはちげぇねぇや」
 おやっさんは軽く笑って、またイーグルの整備に戻った。装甲がはずされて剥き出しになったジェットエンジンのタービンが、水銀灯の光に照らされて、恐ろしくも美しい輝きを放っている。
「一也がR‐0の方で何かやってるから、私もヒマなんですよ。何か手伝います」
 自分の乗ってるヒコーキだもんね。たまには整備の手伝いだってしないと。
 と、遙が一歩前へ踏み出すと、
「じゃ、バケツとブラシでも持ってきてくんねぇか?」
 おやっさんは彼女の方に振り向きもしないで、冷めた調子でそう言い放った。
「結局それですかぁ…」
 不満そうに言いながら、遙は唇をつんととがらせる。いつもそう。私がたまに「手伝います」なんて言っても、けーっきょく、バケツとブラシ。まぁ、私だってそれくらいしかできないって事は、わかってるんだけどさ。
 要するに、遙にできるお手伝いとは、イーグルのお掃除だけなのである。
 ぶつぶつ文句を言いながら、掃除用具の入っている倉庫の扉──引き戸である──を勢いよくがららっと開けて──
 遙は凍り付いた。
 いや、もちろん中にいた連中も凍り付いたのであるが…
 掃除用具は、R‐0やイーグルのパーツが収めてある倉庫の中に置いてある。
 つまり──パーツ倉庫なわけで──要するに、中には彼らがいたわけである。
 ぱちくりと瞬きをしあう遙と四人。
 沈黙の時が流れる。
 ──…
 遙はゆっくりと、大きく息を吸い込み、
「いやぁああぁぁぁああぁ!!」
 頭を抱え込んで、ハンガー中の誰もが驚きに手を止めて顔を上げるほどの悲鳴をあげた。
 一番驚いたのは誰でもない。その遙の最も近くにいた四人であり、悲鳴を上げさせた張本人たち、テレビPスタッフ四人である。
「しまった!」
「ヤバイ!!」
「何で気づかなかったんだッ!!」
「パイロットの方に気を取られていたからな」
 そんな、冷静に分析しているヒマはない。
「きゃあぁぁぁあん!!いやぁあああぁぁあ!!」
 悲鳴を上げながら駆け出す遙。
「遙っ!?」
 駆け寄ってきた一也の後ろに隠れて、
「すすすすっ…ストーカー男ッ!!」
 と、篠塚を指さす。
 指さされた篠塚は、
「そっ…そんな!オレはそんなんじゃ…」
 と、弁解するが、
「篠塚ならな」
「ああ。そう言われても仕方あるまい」
「日頃の行いが…」
 テレビPスタッフ全員で、篠塚の墓穴を掘る掘る。
「そんなぁ…」
 情けない声を上げる篠塚。
 だがテレビPスタッフよ。そんな事をしているヒマはないのではないか?
「いかん!逃げるぞ!!」
 はっと顔を上げて、新士は叫んだ。
 駆け出す四人。
「まてっ!」
 反射的に叫んで、一也は四人の前に立ちふさがった。
「片桐っ!」
 新士の声よりも早く、片桐が一歩前へ大きく踏み出す。右手の平を一也の胸へ向けて勢よく突き出し、右足を一也の左足へと内側から掛ける。
 ──大内!?(注*11)
 反射である。
 一也は反射で左足をあげて片桐の足をかわし、内側から巻き込むようにして突き出された右腕を捕った。
 流れのままに体を捌き、右手を片桐の脇の下へ。宙に浮いていた左足を、片桐の動きを止めるように、踏み込まれた左足の前に置く──と。
「なっ…!!」
 片桐の体は宙に浮き、コンクリートの床にたたきつけられる事になるわけである。(注*12)
 どんと、鈍い音が足下から響いてきた。
「しまった…」
 と、やってから言ってももう遅い。
「すみません。つい…」
 先に仕掛けてきたのは片桐なのだから、一也が謝ることはない。ないのだが──倒れて目を白黒させている相手を、一也が放っておけるわけがないのである。
「いかん!片桐がやられた!!」
 とか言いながらも、新士たちは逃げる足を止めようともしない。新士というくせに、紳士らしからぬ奴である。(注*13)
「あっ!」
 と、悲鳴を上げたのは篠塚。足をもつれさせて、どうと床に倒れこむ。
「くそっ!誰だこんなもの投げた奴は!」
 こんなもの──デッキブラシが足の間に投げ込まれ、篠塚は足をもつれさせてその場に倒れこんだのだ。
「くそっ!」
 デッキブラシに八つ当たりしようと、篠塚はそれに手を伸ばす。が、デッキブラシはひょいと宙に浮いて、彼の手をするりとかわした。
「なにっ!」
 もちろんデッキブラシが勝手に宙に浮くはずがなく、
「私が投げたの」
 と、デッキブラシを持って篠塚を見下ろすのは遙。
「あ…」
 つーっと、篠塚の額を玉のような汗が流れていく。
「女の子をつけ回すなんて、いい趣味してるのね」
 と、にこり。
「あ…いや…その…」
「このカメラで、私の写真も撮ったのかしら?」
 デッキブラシの柄で思い切り突かれたら、さすがにどんなカメラでも──
「ああっ!ヒドい!!」
 割れたボディの中から転がり出るフィルム。篠塚は焦ってフィルムの上に覆い被さったが、無駄なあがきである。
「あぁああぁぁ…」
「それ以外にもたくさんあるんでしょ。どんな写真があるのか、私も見てみたいわ。ねぇ、見せてくれない?フィルムごと」
 ゆっくりとデッキブラシを振り上げる遙。
「わわわわわわっ…わかりましたっ!すべて、すべて出しますぅ!!」
 あせって体中のポケットをあさる篠塚。中から、キャビネサイズの写真が出るわ出るわ。それはまるで手品のよう。
「こっ、これで全部ですッ!!」
 たっぷり50枚はあるか──すべて女の子の写真である。しかも、そのほとんどは遙と詩織の制服姿だ。
 ぴくっと、遙の頬が痙攣し──
「ああっ!篠塚もやられた!!」
「いかん。奴は本当に死んだかもしれん!!」
 新士とセンちゃんは、悲鳴じみた声で叫んだ。(注*14)


「今日、どれくらいの時間までなら平気なの?」
 小沢の声に、香奈ははっとした。
 助手席から外を眺めたままで、香奈は小さく頷く。
「今日は…遅くなっても大丈夫です…」
 窓に映る自分を見て、もう一度、今度は自分に向かって言い聞かせるかように頷く。
 ね、わかってる?
 きっとこの人は私から、何かを聞き出そうとしてるのよ。
 香奈は、膝の上のバックを、きゅっと強く握りなおした。
「そう…」
 ぽつりと、小沢は呟いた。真っ直ぐに前を向いたままで、彼はアクセルを踏み込む。
「じゃあ、ちょっと遠回りしてドライブしようか」
 少し震える声で、
「はい…」
 香奈は答えて、ゆっくりと目を伏せた。
 小沢さん──これの存在を知ったら、私をどうするかしら──
 小沢さんは、何を考えているの?
 そして、私は──?
 小沢は真っ直ぐに前を向いたままで、ハンドルを強く握りしめた。
 俺は──
 静かな夜の帳が、二人とその車を包んでいった。


「ふてえ野郎だ」
 突然、R‐0が時代劇に変わったわけではない。念のため。
 何が「ふてぇ」のかと言うと──
「特務機関Necに忍び込み、R‐0やイーグルをフィルムにおさめようとするなんざ、たとえお天道様が許しても──」
「シゲさん。何も時代劇口調で続けなくてもいいんですってば」
「あ。そうなの?」
 まぁ要するに、新士たち四人に向かって「ふてえ野郎だ」とシゲが言ったわけである。(注*15)
「教授、どうします?」
 シゲは四人を指さして、教授に尋ねた。
「煮る」
 と、遙。両手でしっかりと持っている封筒の中には、篠塚の撮った写真がいっぱいに入っている。「ちょっと見せてよ」と言った一也は、遙に思い切り頬を叩かれた。よほど凄いモノが入っているのだろう…遙は絶対にそれを手放そうとしない。
「しかし、煮ても食えんからな」
 教授もまじめな顔で言うから困る。
 新士たちの方は、「本当にやりそうだから怖い」と、教授の言葉にこくこく頷いた。
「こんな奴、煮ても焼いても食えないことくらいわかってるもん。骨まで煮ちゃえば、殺したってわからないって事を言ってるんだもん」
 半べそ状態の遙が力説する。
「煮残った部分は土に埋めて、その上に犬の死体でも埋めとけば、警察だってそこから下は探さないから大丈夫だもん!」
 何が大丈夫なのか、その辺は不明。(注*16)
「あのう…」
 新士がおそるおそる言う。
「それは篠塚だけでいいでしょうか?」
「ああっ!ヒドい!仲間を売る気か!!」
「お前誰だ?」
「ああっ!センちゃん、なんて冷たい台詞!!」
「ま。それでもいいや」
「はっ、遙!とりあえず落ち着いて!」
「あぅぅ…短い一生だった…」
「自業自得って言うのよ」
「まあ二人とも落ち着きたまえ」
 教授は落ち着き払った声で、
「殺すんなら何人殺したってたいして変わらん」
 そういうことを言っているのではない。
「まったく…」
 明美助教授は大きくため息を吐き出した。この人たち、どこまで本気なのかしら…
 どこまで?そんなものは決まっている。
どこまでも──である。
 教授は新士をじっと見ていたかと思うと、突然何かを思いついたかのようににやりと微笑み、
「なるほど。その手があったか」
 と、ぽつりと呟いた。
 新士の顔が青ざめる。ああっ!やっぱりNecに関わるとろくな事がない!!(注*17)
 いつだかは米軍に捕まって痛い目に遭うし──遙のせいで──今回だってこうしてNecの連中に捕まって、ひどい目に遭わされようとしているし──これも遙のせい──どうやら彼らにとって、遙というのは疫病神らしい。
「安心したまえ。命を取ったりはしない」
 教授のその言葉に、四人は肩の力を抜いた。よかった…死刑だけは免れた…(注*18)
「取材がしたければ、それも許可しよう」
「え?」
 新士は目を丸くした。なんだって?
「ちょっ…教授、いいんですか!?」
 シゲが意見するが、教授の方はにやりと笑ってみせるだけ。あ。こりゃダメだわ…
「シゲ君、教授はいっぺん言い出したら聞かないわよ。子供と一緒で」
 と、明美助教授。
「よく知ってます」
 ため息混じりにシゲも頷く。
「君たちね…」
 教授は気分を害したように目を伏せて、
「君たち二人は私の何だい?」
 腕を組んでそう言い放つ。
「助教授」
「研究生」
「うむ。わかっていればよろしい」
 大儀そうに教授は頷いた。
「でも、許可も取らないで取材なんてさせてもいいんですか?」
 と言う一也に向かって、教授はあっけらかんと言い返す。
「誰が出すのかね?」
「は?」
「だから取材許可をだよ。誰が取材許可を出すのかね?」
「…そんなの僕が知るわけないじゃないですか…」
「ならば問題あるまい」
 腕を組んで偉そうに──だがそんなんでいいのか教授?
 テレビPスタッフは、彼らの言動にただただ目を丸くするばかりだった。こんな連中が、日本を守っているというのか…(注*19)
「さて、では君らに取材許可を出そう」
「いいんですか?」
 そんな簡単に…
「ただし、条件つきだがな」
「条件…ですか?」
「ああ」
 頷く教授の表情に、新士は唾を飲んだ。それくらい真面目な顔で教授が頷いたのである。
「では…条件というのはなんなのですか?」
 声を低くして新士が聞く。
「うむ。条件というのは──」
 教授も、声を低くして言い返した。
「…やはりそれ相応のものを貰わなければな」
 と、右手を新士の眼前に差しだし、振り振り。
「地獄の沙汰も何とやらだ」
「は?」
「世の中はギブアンドテイクとも言う」
 教授は、新士に向かってにやりと笑い掛けた。(注*20)
 明美助教授が、嘆息をしていた。


「小沢さん?」
 香奈は、小さな声で呟いた。
 聞こえなかったかもしれない…自分でもそう思うくらい、それは小さな声だった。小沢さん?聞こえなかったの?
 じっとフロントガラスの向こうを見つめているだけの小沢。
 信号が青に変わる。
 小沢は、何事もなかったかのようにクラッチをつなぐと、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
 聞こえてなかったのなら…それはそれでいいわ…
 香奈は、窓の外に視線を走らせた。流れていく街の灯が、彼女の顔を照らし出す。
「どうしたの?」
 一瞬だけその香奈に視線を送り、小沢は小さく彼女に尋ねた。
「さっきから、何か悩んでるみたいに黙りこくってるけど?」
「そう見えますか?」
 香奈は、わざと素っ気なく言ってみた。小沢ならそれくらいお見通しだろうと、そう思ったからだ。
「勘違いだったのかな?」
 小沢は笑う。いつもの調子で。
「そうでもないですよ」
 香奈は細く、微笑んだ。
「私だって女の子ですから、時間を気にしないで一緒に──なんて言われたら、いろいろ考えちゃうんです」
「なるほど。じゃ、Uターンしようか?」
 笑って、ひょいと肩をすくめて見せる小沢。
「今から戻れば──」
「ねえ小沢さん?」
「ん?」
 珍しく話に割り込んできた香奈に、小沢は少し戸惑いながらも、
「なに?」
 平静を装って聞き返した。
 まっすぐに前を向いたままの香奈は、軽く笑って言う。
「BSSってご存じですよね?」
 その言葉に、小沢は一瞬の動揺を隠すことができなかった。彼女、やっぱり何か気づいてるのか?
 小沢は、ハンドルを軽く握り直した。
「Necのこと、研究室のこと、私のことを調べたんなら、ご存じですよね」
 膝の上の手をきゅっと握りしめて弱く微笑む香奈。小沢さん…本当のことを答えて…
「BSSね…知ってるよ」
 小沢は少し眉間にしわを寄せて、言った。
「確か、その言葉が初めて出てきたのは、1979年の論文だったかな?」
「ご存じなんですね」
 香奈は、少しほっとした。彼は嘘をつかなかった。
「でも、僕が知ってるのはそんなところだよ」
 それは嘘だ。
 俺は──俺は彼女を騙している。
「それが何か?」
 彼女を騙して、俺はどうするつもりなんだ?
 いいじゃないか、BSSとかって言う、訳の分からない言葉とそれに関するもののことなんか──そんなもの──
「小沢さん」
 香奈は助手席に座り直して、小さくため息を吐き出した。
 小沢さん…お願い…
 嘘でもいいから──違うと言って。
 香奈はその小さな胸に、大きく息を吸い込んで意を決し、
「BSSのこと、知りたいですか?」
 小沢の方を見ずに、その言葉を吐き出した。
 小沢が息をのむ。
 沈黙という答えが、香奈の胸を締め付ける。


「怖いと思ったことは?」
「いえ…別に」
 カメラを前に、一也は細く微笑んだ。
「あ。ないんだ」
 新士は、少し期待はずれだったように呟いた。「おい」とばかりに、カメラマンのセンちゃんが新士をつつく。何を期待してんだよ。
 わかったって…
 気を取り直すように、新士はこほんと咳払いをして、
「でも、あんなバケモノみたいな敵と戦ってるんでしょ。怖くないの?」
 と、一也にインタビューを続けた。
「思ったことはないっていったら…嘘になりますけど…」
 自分を映すカメラのレンズを少し気にして、一也は頬を掻いた。やっぱりあがるなぁ…
「そうだよね、やっぱり怖いよね。特異な状況かもしれないけれど、一也君はまだ高校一年生なんだし、突然巨大ロボットに乗って敵と戦えなんて言われても、嫌だよね?」
「いえ、そんなことはないです」
 きっぱりと言い返した一也に、新士は拍子抜けしてしまった。ちょっと待ってくれって一也君。君ねぇ、もうちょっと番組づくりってものを…
「僕はR‐0に乗るのが嫌だなんて思ったことは一度も──訂正します。あんまりないですよ」
 一也は口元をゆるませてはいたけれど、その目には確かな輝きを秘めていた。
「僕はR‐0に、乗りたくて乗ってるんです」
「乗りたくて?だっ…だって、あれに乗って戦ってたら、エネミーにやられて、死んじゃう事だってあるかもしれないんだよ?」
 どもり気味に新士は聞き返す。この子、少し変わってるのかな?
「それでも怖くないの?」
「エネミーにやられちゃうって言うのは…今になっては考えませんよ。僕は、R‐0も、それを作った教授たちも、それを整備してくれる整備員の人たちも、今は信じることができるようになりましたから」
「信じてれば怖くないってものじゃないでしょ?」
「でも信じなきゃ、何も始まらないですよ」
 自分の台詞を少し恥ずかしく感じて、一也はR‐0に視線を走らせた。輝く巨体。一也は、それを見て微笑む。
「それに、R‐0はみんなの夢なんです」
「夢?」
 新士は小さく聞き返した。
「どういう事だい?」


 夜風が運ぶ潮の香り。
 眼前には横浜港。左手に見えるMM21地区は、復旧工事のためのものだろう、赤や黄色の光が静かに明滅している。
「ここが、R‐0が初めて戦った街なんですよね」
 香奈はそう言って微笑んだ。横浜ベイブリッジを走る車のテールランプが、夜景をさらに美しいものとしている。
「そうか…そういえばそうなんだな」
 小沢も呟いて、欄干に腕をかけた。
 港の見える丘公園。デートスポットとしては少しメジャーすぎるかもしれないが、香奈が今の横浜を見てみたいと言ったためである。
「すべては、ここから始まっちゃったんです」
「ん?」
 少し笑いを含んだ言い方の香奈に、小沢は向き直った。
「どういうこと?」
 聞く小沢。香奈は答えない。小沢の方に、視線を送りもしない。ただ単調に変化する夜景を、物憂げに眺めているだけ。
「香奈さん?」
「小沢さん…」
 香奈は大きく息を吸って、そこで初めて小沢のことをまっすぐに見た。
 喉を詰まらせる小沢。まっすぐに自分を見つめる視線と、その中にある脆くて壊れやすい、けれどしっかりとした想いに、気後れした。
 自分の負い目。小沢はそれに、拳を握りしめた。
「小沢さん。答えてください」
「…何を?」
「小沢さんは、R‐0に何を求めますか?」
「何って…僕がR‐0に求めるもの?」
 首を傾げて、小沢は香奈に聞き返した。その格好は少しおどけて見せていたのだけれど、香奈はまっすぐに自分を見つめたままで、唇を堅く結んでいた。
「僕が…R‐0に?」
 肩の力を抜いて、小沢は眉間にしわを寄せる。俺がR‐0に求めるもの?
 こくんと小さく頷いて香奈。
「小沢さんは、R‐0は兵器だと思いますか?」
「兵器…って?」
 そんなこと、俺にはわからないよ。
「小沢さん…」
 言葉を濁してうつむく小沢に、香奈は少し語気を荒くした。小沢さん、やっぱりあなたも、ほかの人たちと変わらないの?
「R‐0は兵器じゃないんです。けど、誰もそれをわかってくれない」
「か…香奈さん…?」
 語気を荒くする香奈に、目を丸くする小沢。
 香奈は、自分で自分に戸惑った。いけない…いけない…私…
 感情が、心の内に堰き止めていたものが、止めどなく溢れ出す。
「小沢さん、あなたは何を求めているんですか?あなたが欲しいものは、いったいなんなんですか?」
 いけない…私…小沢さんを傷つけてしまう──!
「香奈さん!僕は…」
 俺は──何を求めて──?
「答えてください!」
 香奈はきゅっと目をつぶった。いけない…けど…ダメ…
「あなたが欲しいものは、何なんですか…」
 瞼の裏を、感情が交錯する。
 握りしめた手。肩からかかったバックの、その紐を握りしめた手が、弱く震える。
 このレポートを小沢さんは──
 香奈は、聞いていた。
「あなたが欲しいものは、私なんですか?」
 それとも──
 喉の奥から、香奈は言葉を絞り出した。
「それとも──BSSなんですか?」


 がくんと揺れた自分の身体に、香奈は目を見開いた。
 はっとして、顔を上げる香奈。
 その答えを、小沢は香奈の唇にくれた。


「夢って、どういう事だい?」
 新士の言葉に、一也はR‐0から視線をおろした。
「誰でも、一度は見るものです」
 軽く笑って言う。
「誰でも、小さいときは一度は想うものでしょ。ロボットアニメを見て『いつか僕もああいうものを作るんだ!』って。R‐0はそれなんですよ」
「子供の頃の夢?」
 眉をひそめる新士。うなずき返す一也。
「大人になっても持ってたら、世間からは笑われちゃうようなものですけど、それはそれでいいと思うんです」
「夢ね…」
「教授なんかそうでしょ。世間の目で見れば変な人ですけど、あの人は自分の夢だけを追っかけてきたんだと思うんです。ちっちゃいときから」
 なるほど…この子はまだ高校一年生なのに、しっかりした考えをもってるんだな…
 いや違うか…
 おれたち大人が思ってるより、子供はずっと大人なのか…
「じゃ、一也君もR‐0に乗るのは自分の夢のために?」
「そうですね」
 一也は、少し恥ずかしそうに笑った。
「ちっちゃい頃から、ヒーロー願望は強かったかもしれません。何とかレンジャーとか、大好きだったですから…そんな僕に、ヒーローになれるチャンスがまわって来た。『これを逃す手はない!』って、R‐0に乗ったんです。すごく単純でしょ」
「夢を実現させるために乗った?だから怖くない?」
「危機感がないだけなのかもしれませんけど、怖くはないです」
 ファインダーに映る一也に表情には、強さというものがあらわれていた。


 香奈は彼の胸を軽く押し、ゆっくりと離れた。ひとつになっていた影が、ふたつに戻る。
「ごめんなさい…」
 うつむいたままで、叱られた後の子供のように、香奈は小さく呟いた。
「いや…ごめん…謝るのは俺の方だ…」
 小沢も下を向いて、右手で顔を覆う。くそっ…俺は一体何がしたいんだ!?
 潮の香りを乗せた夜風が、うつむいた香奈の髪を揺らす。
「ごめんなさい…」
 香奈は、小さくそれだけを繰り返した。
「いいよ、やめてくれ」
 その小さな声が、小沢の胸に重くのしかかってくる。胸を突く痛み。ただその一言が、小沢にとっては何よりも痛かった。
「すべて、俺が悪いんだ」
「違います。小沢さんは、悪くないです」
 そう言って香奈は顔を上げた。悔しげにかみしめた唇が、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「悪いのは…私です…私、小沢さんを試してた…私が、あなたを信じることができないから」
「どうしてそういうことを言うんだよ。俺は君を──」
「いいんです。言わないでください。言うと、小沢さんはきっと辛くなっちゃう」
「香奈さん…」
「私が悪いんです。私が…あなたを信じられないというのは…それは事実ですから」
 香奈は震える手で、自分の肩を抱いた。
「私は、あなたを信じきれない。あなたがたとえ私に何を言っても、何をしても…私は…やっぱりあなたを信じきれない」
 小沢は唇を噛み締めた。香奈の、小刻みに震える、自分の肩を抱く手を見て。
 俺は──どうしちまったって言うんだ。
 どうしてこんな事に…
「帰りましょう…」
 香奈は、ぽつりと言葉を吐き出した。
 うつむいた顔は、長い髪に隠れ、誰にも見えなかった。


 Nec本部。
 そのハンガーの明かりが、消えた。
 先ほど、あの例のバンがハンガーから外に出ていったのを、小沢は確認していた。
 愛車に寄りかかったままで、彼は小さくため息を吐き出す。
 どうやらあっちは、うまく思い通りに事が運んだらしい…
「それに比べてこっちは──」
 思わず、声に出して言ってしまっている自分に、彼は笑った。
 スーツの内ポケットから煙草を取り出し、それを口にくわえる。
 そして、彼はポケットからライターと一緒に携帯電話を出した。
 星の空を見上げたまま、煙草に火をつける小沢。赤い煙草の光が、天に光る星の中に加わり、輝く。
 小沢はボンネットに身を投げ出すようにして、寝ころんだ。
 煙草をくわえたまま、腕を伸ばし、携帯電話を操作する。
 小沢は、緑色に光を放つ液晶に向かって、煙草の煙を吹き付けた。
 『ショウキョ シマシタ』
 小沢は口許を弛ませて、笑っていた。


                                    つづく








   次回予告

(CV 吉田 香奈)
 エネミー襲来。
 日本初襲来の地上着陸型エネミー。
 そしてそれを迎え撃つR‐0。
 タイプUの武器が、エネミーを襲う。
 しかし、爆煙の中から姿を現したそいつは…
 防御壁を持ち、現行の兵器はおろか、ビーム兵器も通用しない新種のエネミー。
 一也は、R‐0はエネミーに勝てないのか!?
 しかし日本は、世界は決して滅びはしない。
 「地球の未来は俺たちが護るッ!!」
 次回『新世機動戦記R‐0』
 『好敵手(とも)、再び。』
 お見逃しなく!


[End of File]