studio Odyssey


第二十三話




「BSSを!!」
 教授の言葉と、明美助教授のキーボードを打つ音が重なる。
「一也っ!!」
 目を見開く遙。
 その目に、はっきりとその惨劇は飛び込んできた。
 エネミーの右腕が、一撃のもとにR‐0の胸を打ち抜く。
 その身体を走る雷と、打ちつける雨に巻き起こる水蒸気。
 生き物のように、電撃に硬直していたR‐0の身体から力が抜けていく。アクチュエーターの駆動音が、徐々に小さく、弱くなっていった。
 湖面に次々と落ちていく金属片。
 ただそこから血がにじまないだけで、それは、人のそれと変わらなかった、
 遙は、咽から言葉が出てこなかった。ただ、弱く口が動くだけで、そこから言葉が生まれてこない。
 きっかけは、エネミーが強く左手を握りしめたことだった。
 R‐0の頭部が、湖面に巨大な水柱を立ち上らせる。
 遙は目を見開いた。
 絶叫が、そこに響いた。


 T大学付属病院。(注*1)
 屋上のヘリポートに降り立った特別機から、平田教授と西田 明美助教授が飛び出して来た。高速で回転するローターが、降り続けている雨を宙に舞わせている。
「教授!早く!!」
 髪を押さえつけて叫ぶ明美助教授。
「まっ…まてまて!」
 と、教授は強風に足を滑らせながら、階下へとつながるドアへ駆け寄った。その隣にあったエレベーターに、恨めしげな視線を送りながら。


 しんとした廊下に、不規則な靴音が響く。時折、足を滑らせるような音が混じったりするけれど、その足音は、それだけでもその主があせっているのが見て取れた。
 ぴたりと、その音がやむ。
 二つの足音が立ち止まった所、『脳神経外科特別処置室』である。
 扉の前に立った明美助教授は大きく息を吸い込むと、意を決してそのドアを開けた。
 飛び込んできたあの時と変わらない風景に、眉を寄せてうつむく。
「一也君は…?」
 うつむいた明美助教授の肩に手をかけ、部屋の奥のベッドに向かって言う教授。ベッドの脇には、遙が二人に背を向けて立ちつくしていた。
「遙君?」
「…教授」
 ぽつりと、遙が呟く。まだ濡れたまま乾ききっていない髪から、ぽたりと一滴の滴が落ちた。
「一也…起きないんです。ケガ…してるわけじゃないのに…」
 遙の右手が、彼女の顔の高さまで上がっていった。そして、遙が少しだけうつむくと、彼女の足元に落ちた滴が、その床をかすかに濡らした。
「心臓が…止まってるわけじゃないのに…どこも悪くないのに…起きないんです」
 遙の呟きに、うつむいたままその手をきゅっと握りしめる明美助教授。うつむいたその顔を誰にも見られまいと、教授にも背を向けてドアの外へと出ていく。
「明美君…」
 教授は彼女の背中に向かってぽつりと声をかけた。けれど、彼女は教授の言葉に立ち止まる事もせずに、廊下を右に折れてロビーの方へと歩いていった。
 ため息だけで、言葉を吐き出すこともできなかった教授は、再び遙の背中に向かって声をかけた。
「遙君、とりあえず着替えなさい。そのままじゃ、君が風邪を引く」
「…いいです」
「よくない。一也君は意識を失っているだけだ。時期に目覚める」
「じゃあ──」
 遙はだだをこねる子供のような口調で、
「じゃあ、起きるまでここにいます」
 そう呟いた。








 第二十三話 それぞれの胸に、秘めた想い。

       1

 病室に飛び込んできた香奈は、目を見開いて息をのんだ。
「香奈さん…」
 ベッドの脇の遙が、疲れたような声を上げて振り返る。
「かず…」
 ふらふらと、香奈はベッドに横たわる弟にむかって歩み寄っていった。嗚咽が漏れそうになるのをなんとか堪え、一也の眠るベッドをじっと見守る遙に向かって聞く。
「一也…どうし…て?」
「私には、わかりません」
 遙は眉を寄せたまま、香奈に視線を送りもしない。
「香奈さん達の方が、詳しいでしょ」
「BSSの──」
 眉を寄せ、ぎゅっと唇を噛みしめる香奈。力一杯握りしめたこぶしが、白く血の気を失っていく。
「私が──私が一緒にいれば、こんな事にはならなかったかも知れないのに」
「今更、遅いです」
 遙の言葉は辛辣なものだった。
 だけれど、香奈はその言葉に言い返すことはしなかった。その通りだと自分でもわかっていたし、それこそ、後悔以外の何物でもない。
「どうして、こんな事になっちゃったんですか?」
 遙が聞く。押し殺した声。微かに震える彼女の唇を香奈は視界の隅に捉え、
「…ごめんなさい」
 ただ小さく呟いて、ベッドに眠る一也からも視線を背けた。
「私がもっとしっかりしてれば、遙ちゃんも、教授も、明美さんも、こんな想いしなくてすんだかもしれないのに──」
 その言葉に、歯を噛みしめた遙が、香奈に向かって勢いよく振り向いた。
 はっと、香奈が目を見開く。
 しんとした空気の中で、その音だけが病室の空気を派手に揺らして響いた。
「自分だけ──」
 霞む視界の向こうに香奈を見据えて、遙はため込んでいたものを吐き出した。
「自分だけ、悲劇のヒロインになったつもりになるのは止めて下さい」
 視線を逸らす香奈。ぽつりと、
「…ごめんなさい」
 ただそれだけを呟く。
 遙はきびすを返すと、その場をすぐさま離れた。ここにこのまま居ると、自分を見失いそうな気にすらなる。
「…香奈さん」
 遙はドアに手をかけると、振り返らずに彼女に向かって聞いた。
「一也、このまま目を覚まさない事って、あり得るんですか」
 曖昧にだけれど、咽を鳴らす香奈。
「そうですか…」
 ドアを開け、遙は廊下に一歩を踏み出した。
「さっきの…」
「さっき…?」
 自分の頬を押さえ、遙の背中に向かって呟く香奈。
「ごめんなさい。ちょっと…無神経でした」
 香奈が何かを言うよりも早く、そのドアは後ろ手に閉じられた。
 ドアの閉まった音の残響が消えると、再び部屋に静寂が訪れた。
「…ごめんね」
 香奈の微かな呟きが漏れる。空気を揺らすか揺らさないか。その弱い声は、誰の耳にも、自分の目の前に横たわる弟の耳にすらも、届かなかったかも知れない。
「私、お姉ちゃんなのにね。一也を、護ってあげられなくて…みんなに、辛い想い、させて──」
 香奈は寂しそうに微笑む。
「私、お姉ちゃん失格だね」


「バカ…」
 遙はきゅっと強く目を閉じて、病室のドアに寄りかかった。
「つらいのは──みんな同じなのに」
 シゲさんも、一也も、教授だって明美さんだってベルだって香奈さんだって、みんな同じなのに。
 遙はゆっくりと息を吐き出した。ゆっくりとしか、吐き出せなかったから。
「私たち──死と隣り合わせに戦って──いつの間にかそんなこと忘れて──忘れさせられていて──」
 そこまでして、私たちはどうして──?
 遙は再び、強く目を閉じた。


「久しぶりだな」
 皮肉っぽく、電話の向こうの男は言った。
 彼は別段その物言いにどうこうというわけでもなく、口にくわえた煙草にゆっくりと火をつけ、
「ご無沙汰してました」
 駐車場に停めたままの愛車、Mitsubishi GTOの運転席で軽く言った。
 助手席に投げ出されたシステム手帳。開かれたアドレスのページには、三ヶ月も前に今使っている携帯電話から削除した番号が書かれている。
「戻ってくる気になったらしいな?」
 彼のボスはそう言って笑った。彼は口許を弛ませ、だけれどそれを悟られることないよう、返す。
「戻ってくるも何も、僕はそっちから離れたつもりはありませんでしたけれどね」
「よく言う。なんの連絡もよこさないで──」
「無用な詮索はしない。与えられた仕事をこなし、必要な資料を提出する。それがこの世界のルール──じゃなかったですか?」
 彼はそう言って笑ってやった。ボスの口癖だ。電話の向こうのボスが、楽しげに大きく笑っていた。
「いいだろう。で、与えられた仕事の方はどうなんだ?」
 笑いながら、だけれどその言葉はあくまでビジネスのそれ。さすがだな…なんて、思わず彼は感心した。小さく息を吸ってから、言う。
「内調の方に行っている奴から聞きました。『Necは孤立する』と」
「ああ。お前が断った方のもう一つの仕事、あっちをもう済ませたからな。結果としてそうなるだろう」
 あの時に来た二つの仕事。ひとつは今自分が追っているもの。そしてもう一つは、確か総理を──
 Necは孤立する──なるほど、そう言うことか──と、彼は納得した。
 彼は携帯電話を持ち直して言う。
「仕事がしにくくなります。情報を、そちらから回していただきたい」
 ボスは躊躇なく返した。
「それはできない」
「なら、こっちもこれ以上は続けられない」
 彼はきっぱりと言った。
 それは賭でもあった。


「やはり、戻ってくる気はないんだな?」
 ボスは言う。
「──取引ですよ」
「偉くなったもんだ」
「あなた方が探している金色の髪の少女も、僕の手の届くところにいますよ。そしてこの場所が、あなた方の知りたがっている、手に入れたがっている、すべての事に最も近い」
 彼は煙草を灰皿に押しつけた。
「俺はここを離れる気はない」
「それは──どういうことだ?」
「言葉のままに。俺はここを離れる気はないと」


「遙…」
 弱くかけられた声に、遙ははっと顔を上げた。
 思わず驚きに目を丸くする。一也の病室へと続く病院のロビー。そこにあるソファに座ってただうつむいていただけの遙に声をかけたのは、高校の美術部の友人、佐藤 睦美だったのである。
「睦美…どうして?」
 詰まりそうになる喉から、何とか言葉を絞り出す遙。彼女の後ろには、他のみんなの姿もあった。
「…来てくれたんだ」
 ぎこちなく微笑むように、遙は口許を弛ませて返す。
「うん…ニュースで見たから…」
 遙の横のソファに、ゆっくりと腰を下ろす神部 恭子。
「R‐0…やられちゃって、一也くんが、入院したって聞いたから」
 眉を寄せ、二人の心配をするようにして言う。
「うん…ごめん…心配かけたよね」
 笑いながら、遙は頭を掻いた。そして、言った。
「ごめんね。私たち、本当なら恭子や睦美たちを護んなきゃいけない立場なのに──」
「いいんだよ」
 睦美は言った。遙の台詞を遮るようにして、
「いいんだよ、遙。そんな風に言わないで」
 一見素っ気なく、けれど、精一杯の優しさを込めて。
 睦美は、遙の隣に腰を下ろした。
「…ありがと」
 遙は呟く。うつむいて、隣りに座る睦美と恭子にしか届かないくらいの小さな声で。
「来てくれて」
 でも、それだけでよかった。友人達が駆けつけてくれたことによって、ちょっとだけだけれど、気持ちが落ち着いてきていた。それが、自分でわかった。
「何もしないよりはね」
 真っ直ぐに続く廊下の向こうに視線を走らせ、
「私たちに出来る事って、この程度しかないもの」
 睦美は笑う。そして視線を送る。そこには、一也のクラスメイト、吉原 真一と松本 詩織の姿もあった。
「大丈夫ですよ」
 吉原は軽く笑って言う。
「そうですよ。だって、吉田君、いつも私たちにそう言ってくれるじゃないですか」
 詩織は微笑む。屈託なく──そう見えるよう、精一杯。
「うん…」
 遙は、小さく答えた。
 そして彼女の答えに、四人は、廊下の向こうへと視線を走らせた。
「そうだね」


 電話が鳴った。
 携帯電話だった。
 普段は滅多なことでは使わない奴だ。そもそも、かけてくる相手もいない。登録してある電話番号も、ごく限られた身内のものばかり。
 しかしその電話は鳴った。
「もしもし?」
 村上 俊平総理は、首相執務室の机の中からその携帯電話を取り出すと、番号だけが点滅する表示に眉を寄せながら答えた。
 響く声に、軽くため息を返す。
「お前か…」
「お久しぶりです」
 彼は言う。新しい煙草にロンソンのライター、『バンジョー』で火をつけながら。
「やられたそうですね?」
「お前が動いていたんじゃないのか?」
「いつだか、言ったでしょう。僕はあなたの失脚を狙っている訳じゃない」
「今、どこにいる?」
「金色の髪の少女と共に。僕は、Necと一緒に動きますよ。あなたはどうします?」
 彼は愛車のシートに身を投げ出すようにして伸ばしながら、言った。
「状況は切迫しています。僕が知る限りの、すべてのことをお伝えします」
「──恩にきる。と、昔の敵に言うのもなんだな」
「敵に塩を送る──ですか?」
「昨日の敵は今日の友──ともな。防衛庁サイドが、暴走しているらしい」
「エネミーはR‐0を破壊し、東北東方面に向かって依然進行中。防衛庁からの出動要請というわけでもないですが、ゴッデススリーが迎撃に向かいました」
 彼は手の中の手帳をぺらりと一枚めくった。早稲田式速記で書かれた文字。彼はそれを見ながらに、続ける。
「とは言っても、『薄膜』に対する有効な手段はあいにくありません。足止めにはなるかも知れませんが、熱血だけではどうしようもないでしょうね(注*2)」
「自衛隊の動向は?」
「富士川を第一次防衛戦、富士宮道路を第二次防衛線とするらしいです。連中は、自分たちの力だけでこの局面を乗り切る気でいるようですね。総理は、いかがなさいます?」
 彼は探るようにして、聞いた。
「この局面を、どう乗り切ります?」


「遙さ」
「ん?」
 睦美の声に、遙は顔を上げた。
「遙さ…」
 睦美は、じっと廊下の向こうを見つめたままで続ける。ちょうど、一也のいる部屋に詩織と香奈が姿を消した所だった。
「一也君のこと、心配?」
 軽い口調で聞く睦美。
「…うん」
 こくりと頷き、また視線を落とす遙。
「そうだよね」
 と、睦美は軽く微笑みながら、頭を掻いた。
「当たり前だよね」
 頭を掻きながら、そこに浮かび出ていた台詞を言おうかどうしようか迷いに迷ったあげく、自分も力無く肩を落として、結局ぽつりと言ってしまった。
 言葉の先にいた遙が、きゅっと眉を寄せた。
 恭子が視線を走らせると、吉原はひょいと肩をすくめて口を曲げて見せた。
「遙、一也君のこと、好きなんだもんね」


 1Fロビーの電話の前。
 ため息混じりに、教授は電話を切った。
「防衛庁別室の方は、我々に情報を落とさない気でいるらしい。R‐0を失った我々を、ちょうどいい機会だとばかりに切り捨てるつもりらしいな(注*3)」
 振り返らずに、教授は言う。彼の背後には、ソファに座る明美助教授がいた。
「奴ら、自分たちだけでエネミーを止められると思っているのか…」
 そう呟く教授に向かって、
「どうして教授、そう冷静なままでいられるんですか?」
 電話を切ったその背中に向かって、ソファの上に座った明美助教授は怒りを押し殺したような声で聞いた。
「シゲ君も、一也君もこんな目にあって…みんな…香奈ちゃんだって遙ちゃんだって、お友達だって、みんな傷ついて…なのにどうして教授、そんなに冷静なままでいられるんですか?」
「そうか?」
「──あの時もそう…あなた、冷静すぎるほど冷静だったわ」
「覚えてないな」
 と、明美助教授に振り返りもせずに、感心なさそうに再び手帳のアドレスをくくる教授。テレホンカードを挿入口に差し込み、アドレスを確認すると、彼は勢いよく受話器を取り上げた。
「だがまぁ、そんなヒマは──」
 振り返ろうとした教授の視界の中に、立ち上がった明美助教授が飛び込んでくる。
「なぃ…っ」
 視界の右隅から流れてきた彼女の平手が、教授の頬を打った。ロビーに、その音が響きわたる。しんと、水を打ったように静まり返る空気。
 緑の電話に、カードが飲み込まれていく。
 ロビーに居合わせた人々が、目を丸くして、二人に視線を送っていた。
 うつむいて眉を寄せ、しびれる右手を左手でさする明美助教授。教授は口を曲げて左頬をさすると、
「効くなぁ…コレで三度目かな?」
 なんて言って、笑いながら電話に向き直った。
「…すみません」
 明美助教授は眉を寄せたまま呟くと、まだかすかに震える右手を、唇に押し当てて軽く噛んだ。
「つい…カッと…」
「いや。別にいいよ。カッとして誰かを叩くだけで、冷静に戻れるんならね」
 教授がため息混じりに呟くと、ロビーの空気も再び動きを取り戻した。教授と明美助教授も、その空気の中にうまく戻っていく。
「だが、毎回言うけれど、君らしくないな」
 ダイヤルしながら、教授。
「毎回言われてますね」
 自嘲するように頬を掻いて笑う明美助教授。
「立ち止まっているヒマなんかない。やらなきゃならないことが、たくさんあるんだ」
 教授は叩かれた左頬を撫でながら、受話器を耳に当てて明美助教授に向き直った。
「エネミーを止められるのは、我々しかいないんだからな」


「…そうなのかな」
 沈黙を破って、遙はぽつりと呟いた。
「私…そういうの、よくわからない」
「そうなんだよ」
 睦美は軽く笑う。視線をひょいと吉原の方へ向けると、彼も曖昧にだけれど、こくりと頷いて見せた。
「遙だけだよ。わかってないの」
「…そう…なのかな?」
「キライじゃないんでしょ」
「うん…」
「詩織ちゃんに、気を使ってるんだ?」
「そんなこと…ないけど…」
「じゃ、一也君の気持ちが、どっちに向いてるか分からないんだ」
「だって、一也は──」
 何かを言おうとした遙の腕を取って、彼女をぐいと立ち上がらせる腕。吉原の大きな腕が、遙の身体を強引に立ち上がらせた。
「あっ…」
 背伸びするような格好になって、不安定な自分の身体を吉原の腕にしがみつくことで立て直す遙。何かを言おうとして遙が顔を上げると、
「先輩。俺、先輩のことが好きです」
 吉原が自分のことを真っ直ぐに見て、はっきりとそう言った。
 目を丸くして、言葉を飲む遙。唇を振るわせて、うつむく。
 吉原は、唇を噛んだ。
「先輩。今ここで、答えてもらえますか?」
「でも…私…」
 吉原の腕を押し、そっと離れる遙。彼と距離を置くと、うつむいたままで、呟いた。
「ごめん…」
 ぽつりと言葉を吐き出し、下唇を噛む。
「ごめん…私、吉原君とは…そういうふうにはなれない」
 震えている弱い声。遙は何とかしてその震えを止めようとしたのだけれど、結局はそんなこと、出来なかった。
「ごめん…」
 だだ、それだけを繰り返す。
「じゃあ先輩。やっぱり一也のことが好きなんですよ」
 吉原はそう言って、遙の肩を軽く押した。
 つまずきそうになりながら、ロビーから廊下へ押し出される遙。揺れた長い髪の奥から振り向くと、その視線の先にいた吉原が、大きくため息を吐き出していた。
 ちょっと情けないような顔で、眉を寄せながら。
「ごめん」
 遙が呟くと、吉原は子供のように唇を尖らせて顎をしゃくった。
 離れていく遙の靴音が、廊下に響いていた。


「よかったの?」
 なんて、睦美が聞く。けれど、彼女の座る椅子の背向かいに座って、眠そうに目を細める吉原は、
「よかぁないですよ」
 と、不機嫌そうにぼそり。
「佐藤先輩が変なこと言うから」
「私のせい!?」
 睦美は目を丸くして隣の恭子を見るけれど、恭子の方も曖昧に微笑んでみせるだけ。
「ま。別にいいですよ」
 吉原は相変わらず不機嫌そうなままで続ける。
「これだけドラマティックに失恋する奴も、そうそういないでしょうからね」
 ため息混じりに唇をつんと尖らせて、彼は目を伏せた。
 あーあ…ったく。
「責任取って下さいよ、佐藤先輩」
「いや」
 答えは、躊躇なく返ってきた。


 香奈と入れ違いに部屋に入った遙は、一也のベッドの脇に座っている詩織の横へ、その身を進ませていった。
 ふっと、詩織が顔を上げる。
「あ…センパイ」
「ちょっと…いい?」
 ぎこちなく微笑みながら、ぽりぽりと頬を掻く遙。何となく視線を詩織と合わせづらくて、壁、床、一也、詩織と視線を泳がせる。
「あのさ…」
 ぼそりと遙が呟くと、詩織は少しだけ眉を寄せた。何かを遙が言おうとしていることは彼女にもわかったし、それがすごく言いにくいことで、きっと自分にとっては聞きたくないことだなと言うことも、何となくわかっていたからだ。
 詩織は視線を遙から逸らす。
 でも、はっきりとさせたい。
 逸らせた視線を、ベッドの上で眠る一也の方へ。
 ずっと、心の隅に引っかかっていたことだから。
 遙は詩織の背中から視線を逸らすと、ちょっと笑って──ぎこちなくだけれど──床に向かって、ぽつりと呟いた。
「詩織ちゃんは、一也のこと、好き?──だよね」


 沈黙があった。
 答えが、返ってこなかった。
 なぜかその沈黙に、遙はちょっとほっとしたような、絶望したような、難しい表情を浮かべて顔を上げた。
 背中を向けた詩織が、呟く。
「好きです。誰よりも」
 しっかりと響いたその声に、遙は弱く微笑んだ。


「よかった」
 遙はため息を吐く。
 その予想とは少し違った反応に、詩織は思わず振り向いた。飛び込んできた遙の顔が、彼女に向かってにこりと微笑みかける。
「よかった──って?」
 詩織は眉を寄せた。どんな反応が返ってきても覚悟はしていたけれど、その答えには、さすがに少し戸惑った。
「詩織ちゃんは、すごい」
「すごい?」
「だって、誰かのことをちゃんと『好き』って言えるんだもん」
 一瞬見せた遙の寂しそうな表情に、詩織は息をのんだ。
「私には、そう言う風には出来ない」


 何となく気まずいままの二人の間。
 遙は自分で言った言葉を、しっかりと頭の中で整理し直していた。ただ口をついて出た言葉じゃない。ずっと、自分の胸を締め続けていた言葉。だけれど、その事を言うのはどこか恥ずかしくて、情けなくて、躊躇したのだけれど、ぽつりと、遙は詩織に向かって言葉を紡ぎだした。
「…詩織ちゃん」
 ずっと、自分の胸を締め続けていて、今も離さないこと。
「別に好きでもなんでもない男に、抱かれたことある?」
 はっと顔を上げた詩織から、遙は視線を逸らす。逃げるように、ベッドの向こうへと歩き出す遙。
「でも別に、その人のこと嫌いって訳でもないの」
 ため息混じりに、遙は続けた。詩織は何かを言おうともしたのだけれど、何となく、それをすることを躊躇した。止めることもできたのだろうけど、なぜかそれもできなかった。
 ただ、遙の懺悔のようなその言葉を、しっかりと聞くことだけが、今の自分に出来ることなんじゃないかと、膝の上の手をきゅっと握り直した。
 遙は続ける。
「その人は、『好き』って、躊躇なく言うことの出来る人だったの。でもね、その感覚がよくわからなかったの。私には。──『好き』って言われる度に、その言葉の持つ意味がわからなくなって、いつの間にか言葉に流されてるような気にすらなってきたの」
 遙は大きく息を吐き出した。その肩から力が抜けて、すっと落ちる。
「『好き』って、どういう事だと思う?抱かれてもいいって、そう思うことだと思う?」
 遙を止めようと、詩織は口を動かした。けれど、そこから言葉が出てこない。
「でも──抱かれても、結局わからなかった」
 うつむいたまま続ける遙の背中に向かって、詩織は何も言えない自分を少し責めた。
「『好き』って、どういう事なのかな。一緒にいたいって思うことなのかな。だったら、私はみんなのことが『好き』。吉原君も、睦美も、恭子も、香奈さんも明美さんも教授も小沢さんもシゲさんも、詩織ちゃんも、もちろん一也も。でも──」
「…センパイ」
「それって、本当に『好き』って事じゃないのかな」
「止めて下さい。センパイ」
 なんとか、詩織は言葉を吐き出した。
「なんでそんなこと言うんですか?いいじゃないですか。『好き』って言う定義なんか、自分で作れば」
「それができないんだもん」
 詩織の言葉を止めて、遙は寂しそうに微笑みながら続ける。
「私はみんなのことが『好き』なの。それ以上でもそれ以下でもない」
「そんなの卑怯ですよ」
「うん。わかる。だから、詩織ちゃんはすごいなって思うの」
 遙は唇を噛みしめた。少し震える声と、瞼の裏に交錯する感情を押し殺して、
「ちゃんと、誰かのことを『好き』って言える」
 はっきりと呟いた。
「私には、それが出来ない。──それが、わからない」


 詩織は後ろ手にドアを閉めた。
 部屋の中には、遙と一也の二人がいる。本当はいやだったけれど、詩織は遙の頼みに、この部屋をそっと出た。
 断れば、きっとセンパイは何も言わずに部屋を出たはずなのに──結局自分はそうしなかった。
 遙の告白の全てを聞いてしまった詩織は、ただ何も言うことが出来なかった。いや、言おうと思えば言えたかも知れない。説き伏せることも、できたかも知れない。
 けれど、遙の胸にある想いに偽りはなかったし、その想いに自分が勝ちきれないことも、初めからだけれど、わかってしまっていた。
 ため息が、胸を締め付ける。想いを、曇らせる。
 詩織はただ唇を噛みしめて、そのドアの前で眉を寄せるだけだった。


「一也…」
 ベッドの脇。
 そこに腰を下ろして、遙は細く微笑んだ。
「いいね。自分のことを、『好き』って言ってくれる子がいて」
 そっと、彼の頬に手をかける。優しくその頬を撫で、
「大切にしなくっちゃ、ダメだよ」
 なんて言って、笑う。
「目、さまさないと、詩織ちゃん悲しむから…わかってるよね」
 一也の前髪に、遙はそっと指をかけた。軽く梳いて、髪を整える。ふと、その指が一也のこめかみ辺りで動きを止めた。そっと髪をかき分け、そこにあるBSS端末用電極に指を触れる。
「…ごめんね」
 ぽつりと呟く遙。
「私、一也のこと『好き』だけど、その自分の気持ちも、ちゃんと言葉にして『好き』って言えないの」
 曖昧に微笑んで、遙は憂いを込めた瞳で一也の事を見つめていた。
 ベッドが、小さな音を立てて軋む。
 一也の髪にそっと手をかけ、ゆっくりと自分の顔を近づけていく遙。
 そっと目を閉じ──
 彼の唇に限りなく近い頬に、淡紅色の唇をそっと口づけた。









       2

「進行を続けるエネミーを止めることが出来るのは、我々以外にはない」
 1Fロビー。
 ソファに腰を下ろした教授を取り囲むのは、Necの面々である。
「ゴッデススリーは?」
 と、遙は隣に立つ明美助教授に視線を走らせた。
「いい報告は聞いていないわ。足止めが精一杯ってところかしら」
 こくこく頷き、顎に手を当てて呟く遙。
「私たちで何とかするっていっても、R‐0も壊れちゃったし、直そうにもシゲさんはいないし…直しても一也が…」
「一也は詩織ちゃん達が?」
 香奈が心配したように眉を寄せて聞いた。遙は微笑みながら頷くと、
「大丈夫ですよ。みんながついてますもん。私が保証します」
 と、胸を叩く。
「うん。教授の保証よりは確実だわ」
 明美助教授の口から漏れる皮肉。教授はごほんと咳払いを一つ。
「とにかく、今はR‐0を直しているヒマはない」
 シリアス顔に、三人に視線を走らせる。
「そして、防衛庁サイドは我々を切り離し、完全に孤立させた。それを利用しない手はない」
「利用って…」
 眉を寄せる遙。教授は嬉々として言う。
「独立愚連隊だな。しかし、強力な独立愚連隊だぞ。何しろ、バックボーンがすごい」
「…何となく、言われなくてもそのバックボーンがわかる」
「言わない方がいいわ、遙ちゃん。それ、きっと当たり」
 と、明美助教授。教授はこほむと咳払い。
「香奈君」
 そして最後に視線を落ち着けた先、香奈に向かって、上目遣いに言う。探るように。けれど、答えを強要するように。
「すまないが、独立愚連隊となった我々が戦いを続けるために、以前話していた奴を使わせてもらう事になった」
 以前話していたもの──一瞬、香奈の頭の中でその記憶が弾けた。
「でも──」
 言い返そうとしたけれど、結局香奈は言葉を飲んだ。以前に教授に見せられた一枚の写真。R‐0とよく似た、巨大なロボット。
 でもあれは──
「でもそれじゃ…約束が…」
 言いながら、自分のその台詞があまりにも非力なものでしかないことは、香奈にだって容易に理解できた。約束は約束。だけれど、その約束を守っていれば、ひとつの都市が壊滅することにすらなりかねない。
 言葉を探す香奈を横目に身ながら、遙は教授に向かって言った。
「以前話していたもの──って、なんですか?」
「話せば長くなるが、かいつまんで言うと、科学技術庁が作ってるR‐0の後継機のことだな」
 にやりと微笑んで、続ける。
「政府──ま。要するに総理以外のほとんどの人間がだが──は、R‐0に対して強い不信感を抱いている。現実、R‐0にような巨大ロボット一体に支えられている国に対して、不信感を持たない方がおかしいが…(注*4)まぁ、そう言うわけで、いろんな関係各省では、R‐0に取って代わる対エネミー用兵器の研究開発を行っていたというわけだ」
「ゴッデススリーもその一つよ」
 と、明美助教授が付け加える。
「アレは防衛庁。──ちょっと見えないけど…(注*5)」
「科学技術庁としては、以前からロボットの技術というのを大学や企業のラボなどから集めていたんだが、いい共通のフォーマットが見つからずに、開発に際しては二の足を踏み続けていた」
「そこで、エネミーが現れた?」
 遙が小さく言うと、教授はこくりと大きく頷き返した。
「別々に進歩し続けていた技術の統合がなされ、一体のロボットを作る計画が発動した。それが、R‐0後継機開発計画だ」
 教授の言葉に、香奈が眉を寄せる。全て、以前から聞いていた話だ。
「統合されるべく挙げられた技術の中には、木田技研のオートバランスシステム(注*6)や、シゲの散点支持型アクチュエータ。それに──」
 ちらりと香奈に視線を走らせ、
「BSSも含まれていた」
 彼女に向かって小さく頷いて見せた。
「…教授の言いたいことはわかります」
 と、香奈は呟く。
「でも…」
「香奈君の言いたいこともわかる。だが、今回ばかりは譲れない」
 眉を寄せる香奈。小さく口を動かして、答えはわかりそうなものだったけれど、少しの期待からぽつりと聞き返していた。
「もし──もしですよ。BSSをその機体に乗せ替えないとしたら…どうなりますか」
「今のシステムでは、はっきり言って機体の性能を出し切れないまま終わる。エネミーを足止めすることは出来ても、おそらく倒せまい」
 教授の台詞を、突き放すような口調の明美助教授が引き継ぐ。
「都市部は、壊滅的な被害を受けることになるわ」
 きゅっと小さな手を握る香奈を横目に見ながら、明美助教授は続ける。
「香奈ちゃんは、R‐0以外の機体にBSSを乗せることは許せないかも知れない。けど、それをしなければ、沢山の人が傷つくことになるわ」
「…わかってます」
 香奈は意を決したようにこくりと頷いた。──自分一人のエゴのために、沢山の人を傷つけるわけにはいかない。それは出来ない。それは、BSSのする事じゃない。
「それなら…仕方ないです」
 香奈は、ぽつりと呟いた。
「…ん」
 咽を鳴らして、教授がのそりと立ち上がる。ぽりぽりと顎を掻きながら、
「だが、これはあくまで緊急の処置だ。BSSは、他の奴らには渡さない。ましてや、兵器になんて絶対に使わせないから、安心したまえ」
 香奈の肩を軽くぽんと叩いて、ロビーの電話の方へと歩き出す教授。最後に一言、うつむく香奈に、小さく言葉をかけて。
「…すまない。香奈君には、辛い思いばかりさせて」
「いえ…」
 その小声のやりとりを、遙は聞こえない振りをした。聞いちゃいけないような、そんな気がしたから。


「香奈さんはいいんですか!?」
 ヘリコプターのローター音に掻き消されないよう、遙は髪を押さえながら大声を上げた。
「かまわん!後からでも合流できるし、一也君と話しもしたいだろう!!」
 ヘリコプターの中に身を滑り込ませる教授。
「遙ちゃん、乗って!」
 と、明美助教授もヘリの中から遙に向かって手を伸ばす。
「はいっ!」
 雨雲の覆う空へ吸い込まれていくローター音。薄暗くなり始めている空をちらりとその視界に入れた遙は、腕に巻かれている時計を見た。
 いつの間にか、もう日も沈もうかという時刻になりつつある。
「どうしたの?」
「いえ…」
 言葉を濁して笑う遙。明美助教授は、聞き返すように首を傾げて見せた。
 遙は言おうかどうしようか迷ったのだけれど、ここで変に隠すこともないと、ぽつりと、彼女の目を一瞬だけ見やって言った。
「今日は…いろいろありすぎたな…って…」
 自嘲の混ざったような遙の笑い顔に、勘ぐったように微笑む明美助教授。
「そう…」
「…はい」
「疲れているだろう。ちょっと休むといい」
 何も気づかなかった教授の言葉に、遙はいつもの笑顔で返した。
「じゃ、ちょっと…」
 ヘリコプターのローター音が高鳴る。雨雲の空へ、それは上昇していった。


 ここはどこだ?
 彼は曇ったままの思考の中で、それだけを考えていた。体中を包む倦怠感。その妙な感覚を理解しようと、彼──中野 茂はゆっくりと目を開けた。
 飛び込んでくる、鮮やかな金色の髪の少女の姿。
「…あ」
 シゲは小さく呟いていた。
 彼女は何かを言うように口を動かし、彼の手をぎゅっと握りしめた。シゲも軽く、彼女の手を握り返してやる。金髪の少女、ベルが安心したように口許を弛ませた。
 ああそうか…と、自分の置かれている状況を理解して、シゲは大きく息を吸い込んだ。
 病室。知らない場所。
「気がついたみたいだね」
 知っている声。シゲはゆっくりと自分のいる病室を隅から確認していき、ドアのすぐ隣りに立っていた彼を認めた。
「小沢さん…ああ…そうか。事故って──」
「すまない。囮に使うような真似をして」
「いえ──でも、それで彼女が護られたんなら、かまいませんよ」
 言いながらシゲはベルを見、邪魔な呼吸器を外そうとした。けれど、それはベルに止められたのだった。ベルが小さく、彼をとがめような声を発する。
 小沢は軽く笑いながら、シゲに向かって言った。
「大丈夫そうだね。今、看護婦さんを呼んでくるよ。とびきり美人の」
 シゲも彼の言葉に笑い返す。
「ベルが、日本語わからなくてよかったと言うべきですかね?」
「本当に大丈夫そうだ」
「他の、みんなは?」
 何となくシゲは聞いてみた。病室に小沢とベルしかいなかったからではないけれど、なんとなく、何かがあったなと彼の表情に感じ取れたのだった。
「エネミーが現れてね」
 小沢は返した。
「Necはてんてこ舞いだ」
「『超硬化薄膜』を持ったエネミーですか…」
 ため息をつくシゲ。ベルが彼にシーツをかけ直していた。
「R‐0は、薄膜を持ったエネミーに敵わない」
「ああ…」
 シゲの言葉に、喉を鳴らすようにして返す小沢。
 シゲさんはきっとわかってるんだ──そう思い、小沢は少しだけ眉を寄せたけれど、結局言っていた。隠すことなく。
「R‐0は、エネミーの前に破れたよ」
「一也くんは?」
「彼も入院してる」
「…エネミーは?」
「都心部へ向かって依然進行中」
「教授達は?」
「科学技術庁が作っている新型機を使って出るつもりらしい」
「小沢さんは、これからどうします?」
 天井を見つめたまま彼に聞くシゲ。小沢は自分たちのことをよく知っている。もしかしたら、もうすでにすべてを知っているのかも知れない。
 それなら、彼はどうする?
「僕は、これから香奈さんを迎えに行く」
 我は口許を曲げて返した。


 小沢が病室を出て行ってからしばらくして──
「ベル?」
 シゲは自分のことをじっと見つめていた金髪の少女に向かって小さく声をかけた。小沢が看護婦に声をかけてからこの病院を出ていったのだとしたら、そろそろ看護婦がここに来てもおかしくない時間だ。
 もう、考えている余裕はない。
 幸い、身体の怪我はどこもそれほどひどくないらしい。歩けそうだ。それだけわかれば、十分だった。
「行こう、ベル」
 呼吸器のマスクをはぎ取り、ベッドから起きあがったシゲにベルは目を丸くする。何かを言おうと口を動かすけれど、シゲは彼女に何かを言わせまいと、その手をしっかりと取っていたのだった。
 ベルはただ、何も言わずにシゲに手を引かれるまま、病室を出た。
 その後、二分と経たない内に病室に姿を現せた看護婦は、もぬけの空になっていたベッドにその顔を蒼くしたのだった。
「先生っ!」
 廊下に、看護婦の声が響きわたる。
「患者さんが…この部屋の患者さんが、いなくなっちゃいました!!」


 病室の窓から見える外の景色は、相変わらずに変わらない。ただ、時間だけが過ぎていったことを伝えるように、雨雲の覆う空がその黒さを増しているばかり。
 詩織はすっと立ち上がると、
「すみません。ちょっと、外しますね」
 眼前の香奈に向かって、軽く微笑みかけた。
 病室。ベッドには、一也がただ、眠っているだけ。
 香奈もにこりと微笑んでうなずきを返した。香奈も、一也と詩織の関係については遙から聞いてはいる。聞いてはいるけれど、少しのとまどいは隠せない。遙の『嘘』が見抜けないほど、彼女も鈍感な訳じゃないのだ。
 詩織が出ていく。そっと、ドアが閉まる。
 しんとした空気の中で、香奈は小さくため息を吐き出した。
「一也、ダメよ。もっとしっかりしなくっちゃ」
 なんて言って、思わず吹き出す。
「そんなコト、お姉ちゃんが言えたもんじゃないけどね」
 と、またため息。
 香奈は眉を寄せると、膝の上の手をきゅっと握り直した。眼前のベッドに横たわる弟、一也。
 眠っているのだけれど、まるで死んでいるかのようにぴくりとも動かない。
「…ごめんね」
 詩織がいた時、香奈は一言も話さなかった。ただ沈黙の間の二人に、詩織はきっと戸惑っただろう。そのせいで彼女はこの部屋を出たのかも知れないのだけれど、香奈が一言も話さなかった理由は、ちょっとした意味がそこにあった。
「…ごめんね」
 言葉を吐き出すと、胸の奥の感情もあふれてきてしまう。懸命に隠そうとする、本当は弟の前では見せたくない自分が、そこに現れてしまう。
「私、お姉ちゃんなのにね」
 申し訳なさそうに微笑んで、照れ隠しに香奈はこりこりと頭を掻いた。


 こんこんと気弱に叩かれたドアに、はっと顔を上げる香奈。
 目元を軽く拭って、
「はい?」
 と、ドアの向こうへ言葉を投げかける。
「いいかな?」
 軽く笑いながらドアを開けた男。彼のいつもとさして変わらない笑顔に、香奈は安堵の表情を浮かべて返す。
「あ。小沢さん…どうぞ」
「どうも」
 病室の中にちらりと確認するような視線を走らせ、身を進ませる小沢。
「あ…でも、どうしてここに?」
 小首を傾げて聞き返す香奈に、
「神出にて鬼没。ルポライターって言うのは、そう言うものでないと」
 なんて言って、笑う。
 軽く肩をすくめて笑う香奈に向かって、
「ホントはね。教授に頼まれて、お迎えに」
 小沢はポケットに手を突っ込んで、返すようにひょいと肩をすくめてみせた。
「ああ。それと、シゲさんだけど、意識が戻ったから」
「ホントですか!?」
 椅子から立ち上がらんばかりの勢いで香奈が言う。小沢は片手で香奈を制すると、
「大丈夫。シゲさんだもの、元気だよ」
 なんて言って、意味深に笑って見せた。
「何かあったんですか?」
 眉を寄せて聞き返す香奈。シゲさんに、何かあったんじゃ…と心配するけれど、小沢の方は、咽を鳴らして口許を軽く弛ませるだけ。
「ま。何かあったといえば、あったかな?」
「どうしたんです?」
 香奈は心配そうに聞くけれど、
「ベルとね──いい雰囲気だけど、アレは確実に尻に敷かれるね、シゲさん。明美さんにからかわれるのが目に浮かぶよ」
 小沢は楽しそうに肩を揺らして笑うばかり。(注*7)
「もぅ…心配するじゃないですか」
 香奈は眉を寄せて文句を言ったけれど、口許を、少しばかり弛ませていた。小沢は多分、自分の気持ちをくんで、こういう話題を話してくれている。これが彼流の優しさであると理解していたし、それが自分にとって最も心安らぐことであると、香奈自身もわかっていた。
 小沢という男はあまりよくわからない。昔も今も。
「どうしたの?」
 じっと自分を見つめる香奈の視線に、小沢は返す。
「いえ」
 香奈は小さく頭を振った。
 小沢さんは、私たちを利用して何かをしようとしている──と、ずっと思っている。それは今もだ。だけれど、彼は私たちの力になってるくれる。それは本当のことで、間違いはない。
 けど──
 小沢さんは、何を望んでいるの?何を欲しがっているの?
「じっと見つめられても、照れるだけだって」
 香奈の視線から逃げるように、小沢は一也に視線を落とした。
「一也君、どうなの?まだ意識は戻らないみたいだけど…」
「わかりません。どうなるか」
 ぽつりと呟く香奈。
 小沢も小さく頷いて、白い壁に寄りかかった。


「小沢さん」
 香奈が、微笑みながら呟く。
「聞いてくれますか?」
「なにを?」
 小沢は壁により掛かったまま、ベッドの脇に座る香奈に視線を送った。うつむいていた香奈が、上目遣いに微笑んで彼を見つめる。
「懺悔です」
「ザンゲ?懺悔って…」
「聞いていてくれれば、いいです。嫌でしたら、止めます」
「いや…いいよ。聞こう」
 思案するでもなく、小沢は返した。香奈が、自分の座る椅子の、ベッドを挟んで向かいにある椅子をひょいと指す。
 了解とうなずき、そこに腰を下ろす小沢。
「聞きたくないと思ったら、止めて下さって結構ですから」
「うん…」
 頷く小沢にぎこちなく微笑みかけて、香奈は話し始めた。
「私、本当はすごく嫌な女なんです」
「どうして、そういう事を言うの?」
「じゃ、止めます」
「あ…いや…いいよ。続けて。僕は聞いていればいいのね」
「懺悔ですから」
「…聞きましょう」
 軽く息を吸い込んで、椅子に座り直す小沢。香奈は続ける。
「私、嫌な女なんです。自分のエゴを通すために、一也を巻き込みました。それで、その代償がこれです。一也に、なんて言ったらいいか…」
 ベッドに横たわる一也に視線を落とし、香奈はため息を吐き出す。
「私、自分がそうと思ったら、なかなか変えることが出来ない人間なんです。そのせいで、今までも沢山の人を傷つけてきました。教授や明美さん、それにシゲさんも」
 香奈の呟きは、小沢にはあまり理解できなかった。けれど、彼はただじっとそれを聞き続けていた。自分が、そうすることしかできなかったのも事実だ。
「それで…もう誰にも傷ついてなんてほしくなかったのに…結局、弟まで傷つけて、遙ちゃんや詩織ちゃん、お友達にも心配かけて…私が、もっとしっかりしてればよかったんです」
 ぽつりぽつりと呟く香奈に、小沢は軽く歯を噛みしめる。懺悔とともに吐き出される感情が、自然と小沢の胸を締め付けていく。
「私、お姉ちゃん失格なんです。一也を護るつもりで一緒に暮らしていたのに…結局それは、自分の傲慢だったのかも知れません。自分には何でも出来る。一也のこと、護ってあげられる。いつの間にかそんな風に思ってて…──ただ、一也とこんなに長い間一緒にいたことなくて、たくさん話したことなくて、そういう風に、いつの間にか考えるようになっちゃっていたのかも知れません」
 一也に落とした視線を伏せる香奈。小沢は椅子に座り直して、何かを言おうとして止めた。香奈が、続けたからである。
「でも、私──ダメでした。一也を、護ってあげられなかったんです。それどころか、やっぱり一也を傷つけてしまったんです」
 香奈は少し振るえる手を、きゅっと力強く握りしめた。


「香奈さんがそう思うなら、それはそうなのかも知れないな」
 言葉をなくした香奈に向かって、止めるでもなく小沢は言葉を紡ぎ出す。
「それで、香奈さんはどうする?ここでずっと、一也君が目覚めるのを待って──」
「そんなこと出来ませんよ」
 気丈に笑いながら顔を上げる香奈。
「もしここにずっといたとしたら、一也が起きたときに合わせる顔がないです」
 そう…一也、もし私がずっとここにいて、何もしなかったとしたら、怒る。
「じゃあどうする?」
 椅子に座り直し、足を組む小沢。
「僕は、香奈さんが望むならどこにでもお供しますよ」
「小沢さんが一緒にいてくれるなら、心強いです」
 香奈は微笑んで、椅子から立ち上がった。
「いきましょう」
「どこへなりと」
 軽く息を吸い込んで、小沢も立ち上がる。
「じゃあね、一也。お姉ちゃん、もう行くから」
 と、香奈は一也の頭に手をかけて、優しく撫でた。
 私は、一也を護れなかった。
 けど、一也は護れなかったけど、私にはまだ護れるものがある。たとえばBSS。たとえば──もっとたくさんの命。
「もし──」
 香奈は呟く。
「もし私に何かあっても、一緒に生活した半年は、絶対に忘れないから」
 こくりと確かめるように頷き、意を決して歩き出す香奈。小沢の開けてくれたドアから廊下へと身を進ませ、そこにいた詩織たちに微笑みかける。
「じゃ、一也のことをよろしくお願いしますね」
 芯のある香奈の言葉に、詩織たちも驚きを隠せずに小さく頷いた。
「どうしちゃったの?みんな」
 なんて言って笑いながら、香奈は手を振って歩き出す。いつもと変わらずに振る舞おうとする香奈の背中に向かって、眉を寄せる詩織。
 その背中が見えなくなるまで、四人はただ立ちつくして、見送っていた。


「小沢さん」
 下降するエレベーターの中。点滅するランプを見上げながら、香奈が小さく呟く。
「ん?」
 小沢も、彼女の見つめるそれと同じものを見つめながら、咽を鳴らした。
「どうしたの?」
「…ごめんなさい」
「どうして謝るの?」
「なんとなくです。今、そうしておかないと、ダメな気がするから」
「よくわからないな」
「いいんです。気にしないで下さい」
 香奈は笑う。そして──
「小沢さん?」
「ん?」
「BSSのこと、知りたいですか?」


「どんなモンです?」
 ずらりと並んだ集中管制室のコンソールパネル前にいた老人に向かって、教授は口許を弛ませながら聞いた。
 訝しげに眉を寄せながら振り向く老人。道徳寺 兼康。
「平田か…遅かったな」
「メインキャラなので、センセイほど神出鬼没にはなれんのです」
 そんなことを言う教授の頭を、明美助教授がファイルで叩く。
「そんなコト、言ってる場合じゃないでしょ(注*8)」
「相変わらず、明美君の尻に敷かれとるのかね」
 道徳寺 兼康はくっくっくっと肩を揺らして笑うと、再びコンソールパネルに向き直った。
「で。後継機の方はどれほどまで作業が?」
 頭をさすりさすり、教授もコンソールパネルへと歩み寄る。
 科学技術庁の特別研究施設。R‐0後継機の研究開発が行われている極秘プラントである。眼前の特殊硬化ガラスの向こうを、クレーンに吊された巨大なロボットの横顔が通り抜けていく。
 道徳寺 兼康は教授の言葉にふっと笑うと、
「まぁ…チーフの奴の言葉を借りて言うのなら、九分九厘と言ったところか」
「ってことは、まだ九割一厘未完成ということに──」
「うむ…」
「なりません!」
 すかさず明美助教授が道徳寺に、遙が教授に突っ込む。
「これだから理系は…」
 ふぅとため息を吐き出し、頭を抱える明美助教授。(注*9)
「相変わらず、二人には頭を悩ませているのか?」
 と、集中管制室の中へ、バインダーを小脇に抱えた男が笑いながら入ってくる。あまり大きくない背。やせた体つき。歳は教授より少し上といったところか、まだ初老という言葉は似合わない男だ。
「よけいなお世話よ」
 と、憮然とした表情で腕を組む明美助教授。その脇を男は笑いながらすり抜け、
「平田、新型機の仕様書だ。目を通しておいてくれ」
 コンソールパネルの前の教授に、そのバインダーを手渡した。
「助かります」
 渡された書類をぺらぺらとめくり、教授は独り言のように呟いた。
「春日井さんがチーフをしていてくれたお陰で、私らも完全に孤立せずにすんだんだわけですからね」
「まぁな、あんまり乗り気じゃなかったんだが…R‐0や、ゴッデススリー、R・Rシリーズまで目の当たりにされちゃあな」
 笑いながら、男はコンソールパネルの脇に張られたタイムテーブルを確認する。意外というか、こう見えても結構几帳面な男なのである。
 相変わらず…と、肩をすくめる明美助教授。
「誰です?」
 遙が、その彼女の腕を突っついた。
「彼?先生の研究室の卒業生」
 事も無げに言う明美助教授に、遙が息を飲む。
「じゃ…」
「そ」
 と、ため息混じりに、
「あの人も、マッドサイエンティストよ」
 明美助教授は眉を寄せた。


 春日井 秀哲。(注*10)
 道徳寺 兼康の研究室きっての秀才である。専門は機械工学。
 道徳寺 兼康の右腕、日本人の典型などといわれた彼が得意とするのは、既製品の解析と応用である。道徳寺の研究室にいた頃は、道徳寺が勘で開発した得体の知れないモノを現代科学の名の下に解析し、新技術として公表していた。いわば道徳寺の『マッドでない部分の』ブレインである。
 「科学技術庁も、ある意味適任を選んだわね」なんて、明美助教授は皮肉混じりに言う。彼女も、全く知らない仲というわけではないのである。
「これが、R‐0の後継機だ」
 自慢の傑作を前に、胸を張る春日井。
 プラントでは、急ピッチに新型機の整備が進められていた。
「春日井の寄せ集めロボには見えんだろう」
 と、道徳寺が皮肉る。
「センセイ、そりゃないでしょう」
 春日井は眉間にしわを寄せると、言った。
「こいつは、世界最強のロボットですよ。最先端の技術をさらに進化させ、この僕が陣頭指揮を執って組み上げたんですから」
「世界最強という部分が、儂のゴッデススリーをさしおいて──と言うところだが、まあ、儂自身もこいつにはいくつかの新技術を投入しておるし、無敵のロボットであることに間違いはあるまい。──ゴッデススリーをぬいて考えればだが」
「もう動けるのですか?」
 遅々として進まない会話に、教授が話題を変えるべく、めまぐるしく動き回る整備員達を横目に見ながら聞いた。
「まぁな。今のシステムでも動くことは動く」
 春日井も、次々と上がってくる報告書に目を通しながら言う。
「もちろん、今のシステムじゃBSSほどいい動きは出来ないけれどな(注*11)」
「システムの乗せ換えは平気なの?」
 新型機を見つめながら、明美助教授はぽつり。
「もちろんですよ」
 と、春日井は目を通していた報告書から顔を挙げ、笑いながら鼻の頭を掻いた。
「アクチュエーターの駆動システムは、ほとんどR‐0と同じです。明美さんの作ったシステムプログラムは、芸術的ですからね」
「ありがとう。褒め言葉として、受けとっておくわ」
 素っ気なく言う明美助教授の横顔に、遙の疑惑のまなざし。
「なに?」
 睨まれて、
「いえ…なんでも」
 と、遙は口ごもる。
「でも、R‐0よりちょっと大きいですか?これ」
 話題を変えるべく遙が投げかけた質問に、春日井が食らいついてきた。
「そう。新型は頭上高48.5メートル。R‐0よりも10.5メートル大きい。しかし、この10.5メートルが、すばらしく大きな差となっている!」
 だんだん語気の荒くなってきた春日井に、遙は気後れした。もしかして、これって危ない状態なんじゃ…と明美助教授に視線を走らせると、
「はぁ…」
 と、彼女は大きくため息。
「マッドサイエンティスト、三人よれば文殊も殺すわ…」
「よし。では、説明しよう!」
 春日井は、微笑みながら手を打った。誰も頼んでいないとか、そんなことを気にしてはならない。その辺、遙も明美助教授もわかったものである。
「いくぞ心の準備はいいか。耳の穴はほじったか。読者の方は二、三度瞬きをしておけ」
 結構几帳面な彼なので、他人の心配をしてから、水を得た魚のごとく、彼は新型機の説明を繰り広げていく。
「まずは基本中の基本。まぁ、ガンダムシリーズには当たり前のよーに付いている、『頭部バルカン』は基本だな。しかもこの新型機は、R‐0が二門であったのに対抗して、左右二門ずつの計四門となっている。ちなみに元ネタは『ゴッド(ぴー)』だが、そんなものは放っておいて──実弾系標準装備武器としては、両肩に『マシンキャノン』、両足には外付け『ミサイルポッド』を標準装備。ここには対エネミー用ミサイルも装備可能で、これだけでもその辺の戦車隊くらい壊滅させてくれよう!」
 一息で舌も噛まずに言うのだから、彼は新型機の装備を熟知していると考えられる。
「では次は儂が続こう!儂の作り上げた、新兵器だッ!!」
 ぐっとこぶしを握る道徳寺 兼康。春日井があわてて続く。
「センセイ!ご自分で作り上げたなんて言ってますが、元のモノを解析して強化したのは僕ですよ!!」
「気にするな!師匠の発明は師匠のモノ。弟子の発明も師匠のモノ!と、言うことで儂の作り上げた新兵器、『H・G・B・ライフル』と『H・G・B・サーベル』っ!!」
「正式名称は、『ハイパーグレートビームライフル』と『ハイパーグレートビームサーベル』!!」
 子供に大好きなアニメを語らせるときのように、爛々と目を輝かせる二人に、明美助教授は頭を抱える。
「頭いたくなってきたわ…」
「…こういう人なんですね…この人も…」
 と、遙。一生懸命聞いているのは、同じ血を持つ教授だけ。
「そして、新型機には新たなビーム兵器として『ビームバズーカ』も搭載されている!が。これは弾数が大体四発くらいと、あまり多くない」
「大体ってなんです大体って…」
「湿度、気温等の条件によって多少変わる!!」
「んな…なんでそんな曖昧な…」
「ビーム兵器が立派なことはわかりました」
 と、教授は額にちょっと汗を浮かべながら言う。
「ですが、それではエネミーの『超硬化薄膜』は破れませんよ。それに対する武器は?」
「案ずるなッ!!」
 道徳寺 兼康に言われると、その言葉の持つ意味が損なわれるので恐ろしい。
「私の作り上げた──」
「ですから、基礎理論はそうですが、それを解析して強化させたのは──」
「師匠のモノは──」
「頭痛い…」
「私もです」
「で。その新兵器とは!?」
「うむ。その新兵器とは、通称『プログハング』!!(注*12)」
「正式名称は『対超硬化薄膜用ビームサーベル内蔵型破壊超音波発生腕部プロテクター』だっ!!」
「おおっ!」
「長い名前ね…」
「なんだか、よくわかりませんね」
「ちなみに、このプログハングの上部には『ビームシールド』があるッ!」
「あの腕に付いている『実体シールド』は何かしら?」
「明美さん…無駄なことは呟くの止めませんか?」
「すごい…物々しい…ある意味恐ろしい装備ですね」
 教授が呟く。額ににじむ汗は、先ほどよりも多くなっているようだ。
「流石はセンセイに春日井さん…」
 その汗の意味するところが、その物々しい武器の数々に対してなのか、それともそれを子供の粘土遊びのごとく軽い気持ちで作り上げた二人に対してなのか、教授自身もわからなかった。
「きちがいに刃物。マッドサイエンティストに国家予算」
 明美助教授の呟きに、遙が大きく頷く。
「ふっ…」
 と、春日井は明美助教授の言葉に軽く微笑んだ。
「明美さん、僕の作り上げた新型機が、まさか『この程度の装備』で終わりだなんて思っていないでしょうね?」
「思ってないわ」
 と、ため息。
「あなた達のことですもの。地球を三度くらい壊すようなもの、作っているんでしょ」
「新型機って、本当に地球を護るために作られたんですか?」
 遙の言葉なんて聞いちゃいない。道徳寺もにやりと唇の端を突き上げて笑うと、
「例の、『ツインシリーズ』だな」
 なんて言って、春日井に視線を走らせる。
「『ツインシリーズ』!?」
 つきあっていられるのは教授だけだ。明美助教授なんて、もういいやとばかりに小脇に抱えていたノートパソコンを立ち上げている。
「そう、『ツインシリーズ』ッ!!」
「わかりましたから、春日井さん。私の方に向いて大声出さないで下さい」
「明美さん、ちゃんと聞いて下さい」
「聞いてます」
「本当ですか?」
「いいから続けて下さい」
 春日井の言葉が、明美助教授の耳を通り抜けているだけであるのは言うまでもない。
 春日井は渋々、続けた。
「まずは、『ツインシリーズ』第一弾、両肩のパッドの上に搭載された、『ツインピコランチャー』!これははっきり言って、あまり威力はない。戦車に穴を開ける程度だ!」
「程度?」
「遙ちゃん、もう止めなさいって」
「しかし、『ツインシリーズ』の究極武器は──ッ!!」
 道徳寺がぐっとこぶしを握りしめる。
「新型機の背中のバックパックに搭載された、『ツイン・テラ・ランチャー』だッ!!」
「ツイン・テラ・ランチャー!?」
「そう!正式名称は──」
 にやりと微笑むと、春日井は一息でその名称を言い放った。舌を、一度として噛むこともなく。
「正式名称は『超伝導動力転換炉内蔵立体光学式外部火気管制自動追尾高速導入測距儀搭載型二連高速粒子加速方式分解砲』だッ!!」
 そしてさらに、それだけではおさまらない。
「英名──」
「ええっ!?」
「Internal super force conductor convention plant, equip with external optical 3 dimension fire control, high operation homing, high speed introduction measure instrument systems, TWIN type high speed particle Toward Extreme Resolution Accelerated LUNCHER!!(注*13)」
「はぁ…」
 遙、苦笑い。
「でも、文法的に…ちょっと無理が…」
「頭痛いわ…」
 明美助教授の頭痛も、当分止まりそうにない。


「しかし、また、儂等が集まることになるとはな」
 急ピッチに進む新型機の最終チェックを遠巻きに眺めながら、道徳寺 兼康は呟く。彼の隣には、教授が歩いていた。
「BSSも、ついにその完成型が積み込まれると言う訳ですかね」
 教授のさらに隣りの春日井が言う。三人はプラントの奥の方へと向かって、まっすぐに歩いていた。
 そこにあるものの存在を、三人、当たり前のように知っているように。
 教授はプラントの奥にあったそのロボットを見上げると、目を細めた。
「T‐4ですか…春日井さん、ずいぶん古いものを後生大事に…」
 弱い照明に輝く機体。教授の呟いた名、『T‐4』という名を持つ巨大ロボット。
 春日井はそれを見つめながら呟いた。
「こいつは、すべての始まりだからな。R‐0、ゴッデススリー、R・R、そして私の新型機。すべての原点が、ここにある」
「そう言えば設楽さんは?」
「設楽さんにも、いくつが技術をもらっているよ。新型機の『プログハング』の発射追尾システムは、R・Rの物を応用させてもらった」
「すべての始まり──」
 呟きながら、道徳寺は振り向いた。
「そしてすべての終わり──か」
 新型機のコックピットフレームのある位置に、明美助教授がのぼっていた。


「ところで…」
 新型機最後の装備、BSSを組み込む手を止め、
「この新型機の名前って、なんなのかしら?」
 ぽつりと明美助教授が呟く。
「…」
 彼女の手伝いのために同じ場所まで登っていた遙が、その問いに答えることなどできようはずもなく、彼女はぽけーっと口を半開きにして明美助教授のことを見上げていた。私だって知りませんよというその表情。
 明美助教授は眉を寄せ、ゆっくりと視線を教授達の方に動かした。けれど、ここからではプラントの端の方にいる教授たちと会話をすることはできなさそうだ。しかも三人、誰一人としてインカムなどをつけていない。
 明美助教授はインカムに手をかけて言う。
「整備員、全員に対して。誰かこの新型機の名称を知っている人がいたら、教えてください」
 だけれど、答えは返ってこなかった。
 明美助教授は眉を寄せた。冷たい視線を、プラントの端にいる春日井に送る。きっと彼は、彼の頭の中でだけ通じるすばらしい名前を考えているのだろう。そして、出撃直前くらいに発表するつもりなのだ。だけれど──
「新型機の呼称を決定します」
 明美助教授のその発言に、彼のつけた名が世に出ることはなかったのであった。
「新型機はR‐1(アール・ワン)と呼称することにします」
 遙はただ、苦笑いをその顔に浮かべていた。


 高速を走る車。
 ただ流れていく街の灯を見つめながら、香奈は一言も口にしないでいた。
 小沢も、何となく声をかけづらくて、ハンドルを握る手をゆるめることなく、前を向き続けている。
 ずっと言うことを堪えていたかのような香奈の台詞は、堰を切ってしまえば後は淡々と溢れ出るばかりだった。そして、その全てを話し終えた香奈は、今は一言も喋らずに窓の外に流れる光の波を見つめている。
「香奈さん」
 沈黙に耐えきれなくなった小沢が言う。
「俺は自分が望めば、貴方を連れてこのままどこかへ逃げることもできる」
「──そうですね」
「もし、俺がそうすると言ったら、香奈さんはどうする?」
「どうもしません」
 小沢の方に向き直った香奈は、軽く微笑んだ。
「それも悪くないかなって、思います」
 微笑む香奈のその表情に、小沢はただ下唇を噛んだだけだった。


 最終整備報告書を見つめながら、春日井が呟く。
「よし…大丈夫だ。ちゃんとBSSを認識している」
「しかし、R‐1は出来上がってもパイロットはどうする?」
 道徳寺 兼康が杖でコンと床を叩いて言った。
「先生、R‐1ではなくて──」
 何かを言おうとした春日井の台詞は、
「一也君は未だ意識不明。それにBSSを使うのには、こめかみに電極を埋めねばならんのだろう?そんな手術、行っている暇はないぞ」
 少しばかり眉を寄せながら教授の方を軽く睨みつけて言う道徳寺の言葉に、最後を結ぶことはなかった。
「いえ、先生、ですからあの新型機はR‐1ではなくて──」
「そう言えばですが…」
 話を変えるように教授は呟く。春日井の言葉に割り込みながら。
「ゴッデススリーは、倒れたそうですね」
「時間がない!わかっているのかお前!!」
 どうやら、道徳寺には触れてほしくなかった話題らしい。
「いや、そうではなくて新型機──」
「わかってますよ」
 耳をほじりながら、教授。道徳寺の言葉に返す。
「後はこっちでやりますから、任せておいてください」
「教授が言うと、信憑性がね」
 明美助教授が、ノートパソコンをのぞき込みながらぽつりと漏らす。
「いや、だから新型──」
「──のそいつの性能、今の状態で最大限まで引き出せますかね?」
 プラントに響いた声に、教授達は勢いよく振り向いた。その声は、教授達のよく知る声ではあったのだけれど、まさかここに姿を現すなどとは、誰一人として思ってもみなかった者の声であった。
「いや、だから新──」
「シゲさん!?」
 遙が目を丸くして言う。
「ちょっと眠ってる間に、ずいぶんダッシュな展開になってるじゃないの」
 シゲは軽く片手をあげて笑ってみせる。彼の脇には、彼を支えるようにした金髪の少女、ベルがいた。
「いや、新──」
「僕をおいていかないでくださいよ。僕はこう見えても、R‐0のハードウェア設計者なんですから」
「私はR‐1の設計者だが、おいていかれているぞ」
「春日井さん、今自分でR‐1て」
「あ…」
 口許を弛ませて、シゲは言った。あげていた片手をおろし、ズボンの後ろポケットをに突っ込み、中から取りだしたそれをちらつかせながら。
「必要でしょう?こいつ──」
 彼の手には、MOが一枚、握られていた。
「BSSの、パーソナルデータディスク」


 ため息を吐き出す小沢。
 運転席のドアを後ろ手に力強く閉め、雨の上がった空を見上げる。星が、雲の隙間からちらちらと弱い光を放っていた。
 その光が輝く、濡れたアスファルト。小さな水たまりを蹴って、助手席に回り込む小沢。
 そのドアを開けようとして、一瞬の躊躇──。
 しかし、やはり自分には彼女を止められない。いや、止められるかもしれない。けれど、きっと彼女の決心は、そう簡単に揺らぎはしないだろう。
 そのつもりで、彼女は自分に全てのことを話してくれたのだろうし、「ごめんなさい」と、小さな声で謝ったのだろう。
 助手席のドアを引き開ける。そこに、訣別の想いすら込めて。
 軽く小沢に笑いかけながら、立ち上がる香奈。さしのべられた小沢の右手に、そっと自分の右手をかけて。
 二人見つめ合って──
 思わず、どちらからともなく吹き出す。
「小沢さん」
 微笑む香奈。
「ん?」
 咽を鳴らす小沢。
 そして──
「小沢さん?」
「なに?」
「キス──して下さい」


 更衣室のロッカーを、白く細い指が勢いよく閉める。
 いつもの彼女からは想像もできない表情と、その服装。たった一枚の薄手のTシャツに、整備員のためのものであるグレーのズボン。そして折り返した裾から覗く、ちょっと大きめの革の安全靴。
 眉を寄せた、扉脇の遙の肩を軽く叩き、彼女はドアから外に出ていく。何かを言おうとした遙の口に、人差し指を立てて笑いかけながら。
 ただ息を大きく吸い込んで、彼女の後に続く遙。真っ直ぐに続く通路に、二人の靴音が木霊する。
 エレベーターを止めて待っていた小沢が、軽く笑いながら片手をあげて会釈した。その間に言葉はない。けれど、それはごく自然な微笑みの下に、意味を持たなかった。
 無言のまま、それに乗り込む三人。
 上昇するエレベーターの中。彼女は手にしていた細身のリボンで長い髪を後ろに束ね、きゅっとしっかり結びあげた。
「借りるね」
 なんて、そのリボンの持ち主であった遙に笑いかけ、開くドアの向こうへと歩み出る。
 真っ直ぐに続く、鉄の通路。その先にあるのは、巨大なロボット──R‐1の横顔である。
 靴が、通路にコツコツという定期的なリズムを刻む。ためらいという乱れも見せず。
 左に折れる鉄の通路。その前には、教授達の姿があった。
「…すまないな」
 ぽつりと漏らし、手にしていたヘッドギアをそっと差し出す教授。
「いえ」
 微笑みすら見せて、それを──BSS端末用ヘッドギアを受け取る彼女。折れた通路が行き着く先は、明美助教授の待つコックピットである。
「大丈夫ですよ」
 不安そうなみんなに笑いかけ、ひょいと髪を持ちあげてヘッドギアを深くかぶる。一瞬見えた一也のそれと同じ電極に、遙はぎゅっと歯を噛みしめた。
 歩き出す後ろ姿。揺れる髪。
 そしてその決意に満ちた表情に、
「大丈夫そうね」
 コックピット脇でノートパソコンを見つめていた明美助教授が軽く微笑みかけた。傍らに置かれているMOドライブは、すでにその動きを止めていた。彼女のパーソナルデータのすべては、すでに転送が終わっていたのである。
「大丈夫ですよ」
 コックピットに身を滑り込ませ、なれた手つきでヘッドギアにケーブルを接続する彼女。その手元を見ながら、明美助教授は小さく嘆息。
「心配するまでもなかったか」
 肩をすくめ、眼鏡をあげて笑い、彼女はハッチの外へと下がっていった。
「そうですよ」
 R‐0にあったそれと同じ位置にある起動コックを確認し、
「だって、私が作ったんですから」
 明美助教授に軽く微笑みかけながら、香奈はそれをACTIVEに回した。


 ゆっくりと下降していく、コックピットのメインフレーム。
 真っ暗な空間に、そっと、目を閉じる。
 ただ光を発する唯一のもの──補助モニター。その中の白い文字。
 微かな光が、香奈の顔を照らし出す。
 BSS system released.
「BSS、正常稼働を確認」
 明美助教授の肩越し、頭越しにノートパソコンをのぞき込む教授たち。
「頭部より、全身のスキャニングテストを自動実行します」
 モニターに、各アクチュエーターと神経系の基点接合状況が示される。
 そしてそこに最後に光る文字──LINKed。
「全神経接点、モニター完了」
 道徳寺 兼康と、春日井 秀哲の口から漏れる、驚きの混じった嘆息。
「BSS、システム解放。機体とのリンクを開始」
 明美助教授の肩に手をかけ、教授が言う。
「システム、解放します」
 キーボードの上を滑る、明美助教授の長い指。その小指が、『Enter』キーを軽く叩く。
 R-1 system LINK.
 浮かび出たその文字に、下唇を噛みしめる小沢。
「システム完全解放、モニター完了」
 明美助教授の言葉に、遙は顔をあげた。
 COMPLETED.
 点滅する起動可能のコマンド文に、R‐1のアクチュエーターが目覚め始める。
 白むモニターに、香奈はゆっくりと目を開けた。
 大きく息を吸い込んで、マニュピレーションレバーを握り直す。
「R‐1──」
 大きく頷いて、その息を吐き出す勢いで言う香奈。
「起動します」
 system ALL Green.
 アクチュエーターを高鳴らせながら上がった右腕が、ぎゅっと、空を確かめるように握りしめた。


                                    つづく








   次回予告

                 (CV 吉田 香奈)
 BSS。
 香奈がそれに望むものは、一体何なのか。
 自らにもその端末を持ち、
 R‐1とともに戦いに赴く香奈。
 彼女の胸に交錯する想い。
 そして、同じようにその端末を持ち、
 その闘いを知ることもなかった一也の胸に交錯する想い。
 姉、香奈が望んだBSSとは、次々と人を傷つけていってしまう物なのか。
 答えを知る者たちが、そっと口を開く。
 次回『新世機動戦記R‐0』
 『彼女の望んだもの。──Brain Scanning System.』
 お見逃しなく!


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